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第十四章

* * *




 妹の不安定な部分は今に始まったことではない。しっかりした子ではあるが、彼女はいつも目に見えない何かと戦いながら生きていて、時々糸が切れたように脆くなってしまう。常日頃から弱音を吐いて発散できるような性格なら良かったものの、我慢強い妹は弱音など滅多に吐かない。だからこそ時折危うい言動を取ってしまうのだろう。


「不二さんって弟がいたんだね」


 そんな俺の心配をよそに淡々とした口調でそう言う優里は、大石や不二の前で見せる凛とした女性の姿そのものだ。最近になってようやく昔のような無邪気さを取り戻しつつある妹だが、それはあくまで俺や幸村たちの前だけのようで、基本的に外では他者を寄せ付けない孤高の雰囲気を放っている。


「…そうだが、知らなかったのか?」
「うん知らなかった」


 きっぱり言い切ると、優里は猫のようにスルリと布団の中に潜り込んできた。今俺は就寝前に布団の中で本を読んでいて、風呂上がりなのか生乾きの髪で部屋を訪ねてきた妹に振り回されている状況だ。


「優里…前も言ったが、こういうのはやめた方が良い」
「そんな寂しいこと言わないで。それに、心細い時は来ても良いって言ってくれた」


 追い出すなと言わんばかりに腕を絡め顔を埋めてくる妹を見ると何も言えなくなる。数日前、不安定になりかけていた妹の救いになりたくて彼女の願いを聞き入れたのは紛うことなき自分だ。それに、救いになりたいというのも嘘ではないが、心の奥底では妹が幸村の元に行ってしまうのを引き止めたかった。いずれは手放さなければならないが、さすがにまだ早いと思っているから。


「…こういうのは俺だけにしてくれ」
「当たり前。兄さんにしかできないわ」


 それが本当なら良いのだが、きっと妹は幸村や真田にも同じことをする。優里は人間関係に潔癖だが、その分心を許した人間に対しては明らかに距離感が近くなる。彼女自身、そのことを自覚していないようだから俺の心配は日に日に増すばかりだった。


「兄さんは、不二さんの弟さんに会ったことあるの?」
「地区大会で当たったからな」
「あー、なるほど。そうだったのね」


 俺の心配をよそに話を元に戻した妹は、大きく頷いて一人で納得している。腕から伝わってくる妹の温もりは心地良いが、いつの間にか随分と小さくなった彼女を見ていると不安の方が勝ってしまう。優里が幸村たちの家に泊まりにいくなんて言い出した暁には全力で止めるだろう。


「そういえばね、この間精ちゃんたちに会った時お泊まり会しよって話になったの」
「ダメだ」


 まさかこんなにも早く危惧していた事態が発生するとは思ってなかった。あの二人を信用してないわけではないが、他でもない大切な妹にもしものことがあればまともな状態ではいられない。


「え、何で?」
「危機感なく男の布団に潜り込むような奴を、男の家には行かせられん」
「…何それ。あの二人が私に何かするとでも?」
「無いとは言い切れないだろう」
「…そんな関係じゃないわ」
「分かっている。それでも可能性はゼロじゃない」


 男の欲望を知らないわけではないだろう。二人がその気になれば、お前なんて簡単に手籠めにされてしまうぞ──さすがにそこまで言うのは妹にも幸村たちにも失礼だから声には出さないが、珍しく非難の視線を向けていた優里の腰に腕を回して引き寄せる。


「こうやって拘束されたら逃げられないだろう」
「逃げられるわ、バカにしないで」


 キッと俺を睨むと、優里は俺の胸板を強く押した。時の流れとは残酷なもので、こんなにも体格差が生まれてしまった以上優里に勝ち目などあるはずがない。少しの痛みも感じない、それが何よりの証拠だ。
 それでも何とか脱出しようと身をよじる妹はいつもに増して細く小さい。実はかなり負けず嫌いな優里は、一度できると言ったことは何とかやり通そうとするし、今までもやり通してきた。


「お前は女で幸村たちは男。それを忘れるな」


 でも今回は確実に無理だ。俺だって優里を傷付けたいわけではなく、昔とは状況が違っているということを自覚して欲しいだけなのだ。
 妹を拘束していた腕をゆっくり解けば、気が抜けたのか彼女は大きなため息と共に俯いて動かなくなった。前髪が目元を隠してどんな表情をしているのか分からないが、妹がこうなった時は怯えてるか拗ねてるかのどっちかだ。


「兄さんが意地悪だ」


 今日は珍しく後者のようだ。滅多に俺に口答えしない妹だが、ここまでしても俺の思いは伝わっていないのか。否、伝わってはいるのだろうが、彼女が唯一慕っているといっても過言ではない二人との関係を否定されたのが不服なのだろう。


「そんな捉え方をするな。お前が心配なんだ、分かってくれ」


 妹の小さな頭に手を置けば、彼女はふいとそっぽを向いた。その仕草も表情も小さな子どもみたいで、不本意にも微笑ましく思ってしまうがここで折れるわけにもいかない。ダメなことはダメだとはっきり言っておかなければ、後々傷付くのは他でもない優里自身なのだから。


「少なくとも俺が家にいる限り、良いとは言えない」
「…何故そんな言い方するの」


 頑なに目を合わそうとしなかった優里が視線を上げて俺を見つめる。済んだ藍色の瞳が微かに揺れているところを見ると、さっきの俺の発言の真意を察したのだろう。


「そう長くはない。少なくともあと半年だ。その間だけでも、言うことを聞いてくれ」


 お前をずっと束縛するつもりはない。ドイツに行っても口煩くはなってしまうだろうが、お前が安らぎを見出した場所を奪い取るつもりは微塵もない。ただ、お前が俺の側にいる間だけは俺だけの妹でいて欲しい。


「…ずるい人ね。そんなこと言われたら頷くしかないじゃない」


 そう言って悲しそうに目を伏せると、優里は俺の肩に寄りかかってきた。風呂上がりなこともあってか、いつもより幾分か強い花の香りが漂ってくる。俺は優里の身体を包み込むように片方の腕を回すと、そのまま頭を優しく撫でた。






to be continued………
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