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第十三章

* * *




 その日の夜、精ちゃんからLINEが届いた。内容は「赤也が謝ってた」というシンプルなもので、わざわざ知らせてくれる彼は随分と律儀なものだと感心してしまう。
 あの後、私達は暫くの間例の公園で喋っていた。切原君のことはもちろん、全国大会が終わってからどのように過ごしていたのかなど色んな話を聞いた。彼らの学校も兄と同じ感じで、3年生は自由参加という形を取っているらしい。


「優里」


 リビングに誰もいないのを良いことに、ソファに寝転んでスマホを眺めていた私を兄が上から覗き込んだ。風呂上がりだろうか、首にタオルを掛けている彼の頬は少しだけ火照っているような気がした。


「頬は大丈夫か?痛くないか?」
「うん大丈夫。本当に大したことないから気にしないで」
「…本当は何があった?」


 低い声でそう言うと、兄は床に膝を付いて私に視線を近付けた。いつもに増して深刻そうな表情の兄を数秒見つめた私は、ゆっくり体を起こすと隣に座るよう手招きした。


「幸村たちと会ったのだろう?」


 私の隣に腰を下ろした兄は微かに眉を寄せた。兄が気にしているのは私の頬のことで、夕方兄たちと合流した際はボーっとして歩いてたら電柱にぶつかったと言って誤魔化した。兄も不二さんも大石さんも、明らかに腑に落ちない顔をしていたけど私が聞くなオーラを出していたためか深入りはしてこなかった。でもやっぱり兄だけは、妹の私を放っておくことができないみたい。


「うん、会ったよ。でも、それだけ」


 それでも私、今日の出来事を包み隠さず話すことはできない。兄は優しいから絶対心配するし、精ちゃんも弦ちゃんも兄たちには知られたくないんじゃないかと何となく感じているから。


「…優里、何故そこまで隠そうとする?」
「隠してるんじゃない、本当にそれだけなの」


 だからお願い、これ以上は聞かないで。私は兄さんが誰よりも大事だけど、同じくらいあの二人のことを大切に思ってるの。いくら聞かれても事実を話すことはできないわ。


「ほら、私よくボーッとしてるじゃない?」


 わざと戯けてみせたけど、兄は更に深く眉を寄せるだけだ。いつもなら私がこういった態度を取れば早々に諦めてくれるのに、今日はどうして詰め寄ってくるのだろう。怪我をしてるからと言ってもすぐ治る程度の軽いものだ、そんな大袈裟に捉えることじゃない。


「…言い辛いことまで言えとは言わない。でも、せめて何が原因でそうなったのかだけでも教えてくれないか?」


 兄は私の頬に触れると悲しそうに目を伏せた。兄にこんな顔をされると心臓が握り締められたような痛みを感じる。私は決して兄を欺きたいわけじゃないし、隠し事をしたいわけでもない。ただ、今日の出来事は明らかに立海にとってマイナスだから無かったことにしてしまいたいだけ。私が喋らなければ広まることはないはずだから。


「…殴られたの、ガラの悪い連中に」


 でもやっぱり、兄に嘘をつくのは耐えられない。いくら守るものがあるとしても、兄を悲しませる嘘なんてつけるわけない。


「殴られた、だと?」
「ちょっとね、色々あったの。でもこれ以上は言えないわ」


 私は小さく首を横に振ると、兄から目を逸らした。ごめんねと呟けば、兄の大きな手が私の頭を包み込むように優しく撫でた。やっぱりこの手は好きだなと思うと同時に、あの時の恐怖が蘇ってきて私は咄嗟に兄の胸に顔を埋めた。縋るようにシャツの胸元を握り締めれば、兄は包み込むように私を抱き締めてくれた。


「…怖かった。弦ちゃんも精ちゃんも、怖かった」


 切原君が恐ろしかったのは言うまでもない。でも、私が何よりも怖かったのはあの二人だった。だって彼らはいつも私に優しかったし、私以外にも比較的柔らかい態度だったと記憶しているから。


「…私全然、あの二人のこと知らなかった」


 友達だと思ってたけど、私は彼らのことを何一つ知らない。彼らが優しかったのは私が部外者だからで、共に歩む仲間ではなかったから。そんなこと分かっていたはずなのに、いざ現実を突き付けられると胸の奥が抉られる。寂しくて寂しくて仕方ない。


「やっぱり私…」


 一人なのね──その言葉は声にならない。代わりに涙が溢れ出してくるものだから、反射的に兄から離れようとしたけど兄の腕に力がこもったから叶わない。その温もりは今さっき芽生えた感情を打ち消してくれるには十分で、私はしばらくの間兄の腕の中で泣いていた。


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