第十三章

* * *




 しばらくして、赤也を途中まで送り届けていた真田が戻ってきた。手にはスポーツドリンクを2本持っていて、俺と優里に1本ずつ手渡すと少し申し訳なさそうな顔で彼女を見つめた。


「頬は平気か?」
「うん平気。気にしなくて良いよ、大したことないから」


 相変わらず淡々と答えた優里は、左頬に当てていたハンカチを一度置くとペットボトルの蓋を開けてスポーツドリンクを飲み込んだ。相当喉が乾いていたのか、一気に半分くらい飲み干した彼女はペットボトルから口を離すと安心したように息を吐いた。


「それなら良いのだが…。そもそも、何故お前は赤也と一緒にいたのだ?」
「それ、俺も聞こうと思ってた」


 恐らく偶然会っただけなんだろうけど、それにしてはやけに距離感が近くて、赤也はともかく優里にしては珍しいなと思っていた。そのことよりも気になることがあったから今まで聞かずにいたものの、ちょうど良いタイミングで戻ってきた真田のおかげで疑問が一つ消えてくれそうだ。


「あー…いや、たまたまそこら辺で出くわしてさ。私が一方的に彼のこと知ってたから、何か面倒なことになっちゃって…。ごめんね巻き込んで」


 大方予想通りの答えが返ってきて思わず苦笑いする。彼女の表情を見る限り、何か隠してるわけじゃなく本当に言葉通りなのだろう。俺が知らないだけで、優里は案外赤也のような人懐っこい問題児が好きなのかもしれない。それはそれで別の問題が生まれてくるけど、今は深く気にするべきじゃないと強引に気持ちに蓋をした。
 俺は優里の頭に手を置くと、小さな頭を覆う柔らかな髪を優しく撫でた。こんな炎天下に晒されても痛むことなく艷やかな黒髪は昔から一つも変わらない。


「巻き込んだのは俺たちの方だよ。君が謝ることなんて一つもない」
「全くもってその通りだ。…おのれ赤也め!!やはり部室に戻って制裁を…」


 怒りがぶり返してきたのか、俺たちの前に立っていた真田は声を荒らげると門の方に踵を返そうとした。そんな真田を引き止めるように、優里は勢いよく立ち上がると彼の腕を掴んだ。


「許してやってよ。反省してるっぽかったし」
「あいつはいつもそうなのだ!!何度言っても同じことを繰り返す!!」
「それは良くないね」


 そう言って苦笑いする優里を見て、何故か胸がチクリと傷んだ。さっきからずっと赤也を庇い続ける彼女だが、その理由を俺たちに打ち明けようとしない。彼女は赤也のようなプレイスタイルは絶対嫌いだし、目の前でそれを見せ付けられたのだからここまで必死に庇うのも違和感がある。
 きっとそれなりに理由はあるんだろうけど、彼女が語りたくないと思っているのなら無理に聞くこともできず、俺はただ一つ、一番彼女に伝えたいことだけを言うことにした。


「優里、身の危険を感じたら逃げて良いんだよ。…いや、逃げて」


 君が優しいのはよく知ってる。一見誰にも興味なさそうで薄情な人間のように見えるけど、困ってる人がいたら絶対に手を差し伸べる正義感の強い優しい子だって分かっている。でも、その優しさで身を滅ぼすことだけはして欲しくない。
 さっきまで真田を見ていた藍色の瞳が俺に向けられる。彼女の瞳は夜空みたいで綺麗だけど、時にはものすごく儚くて、時には不思議と恐ろしくも見える。それはきっと俺の気持ちの問題で、今俺は彼女を失うことを何よりも恐れているから、こんなにも儚く冷たく見えるのだ。


「そうだね、逃げた方が良かったかもね」


 そう言って目を伏せた彼女の表情は柔らかかった。どこか安心しきっているようなその表情は、俺たちへの信頼の証と思って良いのだろうか。


「全くだ。俺たちがもう少し来るのが遅れていたら大変なことになってたぞ」
「本当よね。…もう駄目かと思ったわ。走馬灯が見えたのは人生で二回目よ」
「二回目?」


 思わず聞き返した俺に、優里は一瞬ハッとしたような顔をしたが、すぐに口元に手を宛てて微笑むといつも通りの単調な声でこう言った。


「間違えた。初めてだわ初めて」
「そうか間違いか。ならば仕方ないな!」


 優里の横で大きく頷く真田は彼女の言葉をまんま受け取ったのだろう。変に疑わないのは彼の長所でもあるが、もう少し慎重になるべきな気もする。今の彼女は明らかに嘘をついていて、彼女は以前にも走馬灯を見るくらい危険な目に遭ったことがあるのだ。


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