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第十二章

* * *




 帰ると言ってから随分と時間が経った。さすがに外はすっかり暗くて、そろそろ兄たちもお開きになった時間だろうかなんてチラリと思った。夜道は危ないからとバス停まで送ってくれた二人に手を振り、自分が写っている窓をぼんやりと眺めれば急に寂しさが襲ってくる。


『今どこにいる?』


 私が泣きそうになっているタイミングで連絡を寄越してくる兄は超能力でも持ってるのだろうか。親しい人と別れた後、永遠の別れじゃないのに泣きたくなるのは何故だろう。


『もうすぐ駅』
『俺もだ。一緒に帰ろう』


 その言葉にホッとする。今は少しでも誰かと一緒にいたいから、兄の優しさは本当に救いだ。そして思えば、私は今日まだ兄におめでとうと言えてない。あの場所に立つ彼は私の兄じゃなくて青学の部長だから、会場内では彼に容易に近付けない。
 駅に着いた私は、一気に階段を駆け上がると兄の姿を探す。あまりこの時間帯に駅にいることはないけど、まだ人が多いあたり日本人は勤勉だなんて達観してしまう。そんな人混みの中でも簡単に見付けられてしまうのは、私が兄のことを大好きな何よりの証拠だ。


「兄さん!!」
「優里。遅くまで楽しんでいたようだな」
「それは兄さんもじゃない」


 近付くなり腕を絡ませた私に少しだけ咎めるようなことを言う兄だが、私が反論するときまり悪そうに目を逸らした。


「焼肉は美味しかった?」
「…ああ、そうだな」
「今度は私も連れて行って」
「ああ、任せておけ」


 大きく頷いてくれた兄に頬が緩む。私は今まであまり兄に要求してこなかったけど、これからは少しずつ要求を増やしていこうと思う。私と兄には長い間壁があったから、本来なら一緒に作れたはずの思い出がないことに今更ながら気付いたのだ。


「それからね、海に行きたい」
「海?」


 私の言葉が意外だったのだろう、兄は怪訝そうに私を見下ろす。今まで散々避けていたものを急に話に出したのだから、兄にしてみれば訳が分からないはずだ。
 私は兄から目を逸らすと、少し長めに瞬きをして精ちゃんたちとの会話を思い出す。穏やかで優しい彼の顔と、普段よりも幾分か柔らかい表情で頷く弦ちゃんが瞼の裏に浮かび上がって安心する。


「今日ね、友達と海に行く約束したの。…兄さんとも行きたいわ」


 お願い、嫌とは言わないで。こう見えても私、勇気を出したのよ。わがまま言うのには慣れてないから、嫌われやしないか不安なのよ。きっと兄は頷いてくれる、そう信じていても涙が出そうなくらい緊張してるの。


「ああ、行こう」
「…本当?」
「ああ。俺も行きたいと思っていた」


 ホッとしたのと同時に泣きそうになる。例えそれが私に気を遣って言っている嘘だとしても嬉しい。都合の良い解釈かもしれないけど、兄も私と同じ気持ちでいてくれたと思っていいだろうか。


「ありがとう。…楽しみが増えたわ」


 約束ね、とは敢えて言わない。私と兄の間には約束なんてなくとも切ることのできない血筋というものがあるから。例え何年先になったとしても、思い出したように行動できるならそれで良い。


「そうだ兄さん」


 組んでいた腕を解くと、私は兄の前に躍り出て微笑んだ。今日ずっと言いたかったことをようやく言える、それが嬉しくて仕方ない。


「おめでとう」


 ずっと目標にしてたものね。まだ目標の途中なんだろうけど、ここまで勝ち残れたのは凄いことだ。どうか、どうか報われて欲しい──その気持ちに噓はないけど、兄の願いが叶うと言う事はあの二人の夢が破れるということ。だから私はどちらを応援することもできないけど、両方応援することもできる。


「…望みを叶えて」


 私は貴方たちの姿を目に焼き付ける。遠くから、何も言わずに見ているから。きっと三日後は前代未聞の戦いになって、その後貴方は旅立つのでしょう。それならば最後の最後まで、悔いのない試合にして欲しい。


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