第十一章
* * *
青学と比嘉中の試合が終了した。最後、圧倒的な強さを見せ付けた兄に感嘆の声が漏れた。
百錬自得の極み──それはドイツにいた時見たことがある。プロ候補の人たちにも何度か会わせて貰ったことがあるから、そっちの世界では割と知られているみたいだけどまさか兄もその一人だとは思っていなかった。
本当に私は兄のことを何も知らなかったんだ。兄の努力も苦しみも、想像はしていても知らなかった。きっと私が思っているよりもずっと必死に励んできたのだろう。そんな兄を誇りに思うし、心の底から尊敬する。
どこからともなく集まっていたギャラリーをぐるりと見回せば、知らない顔から見覚えのある顔までずらりと並んでいる。私に気付いたのか、ひらりと手を振ってくる千歳さんと、そんな彼に何か聞いたかと思えば愛想良く微笑んで会釈してくる手に包帯を巻いた男の人。釣られて会釈を返せば、「東京の女の子は美人やなぁ」なんて千歳さんと同じことを言って笑っている。
彼らから視線を反らして再び周囲に意識を向ければ、探していた人物はすぐに見付かった。遠目からでもやはり目立つ、王者立海のオーラは大したものだ。先ほど騒がれていたのを思い出しながら、私は彼らの方に歩みを進めた。
「優里」
私に気付いてひらひら手を振ってくれるのは精ちゃんだ。そんな彼の横で仁王立ちしている強面の人は弦ちゃん。そして彼の後ろに立っているのは、関東大会であのデータマンと対戦していた人だと分かった。
「お疲れ様」
勝敗の結果は聞くまでもない。二人の友に労いの言葉だけかけて、私とは初対面であろう彼に会釈をする。名乗るべきか少しだけ迷ったが、別に今後どうこうなる予定もないし聞かれてないから黙っておくことを選んだ。でも、そんな私の心境を察してなのか精ちゃんが口を開いた。
「この子だよ、俺たちの幼馴染。優里っていうんだ、可愛いだろ?」
最後のひとことは余計だけどまあ良い。社交辞令だと思って流しておこう。昔の精ちゃんはあまり私にそういった類の発言をしてこなかったから不思議な感じはするけど、彼ももう中3だから女の子の扱いだって変わっているだろう。
「そうだな、聞いていたとおりだ」
糸目の彼が微笑む。一体どんなことを聞いていたのか気になるが、そこは突っ込まない方が賢明だろう。
「優里。彼は柳蓮二。俺たちと同じ部活なんだ」
「初めまして、だな。よろしく頼む」
「…初めまして、手塚優里です」
よろしくお願いします、そう言って軽くお辞儀をしてから差しだされた手を握り返す。ゴツゴツと角ばった感触からするに、彼も相当努力を重ねた人なのだろう。
「あれ、蓮司とは握手するんだ。俺の時はしなかったのに」
「…いつの話をしてるの」
「あの時のお前は無礼者だったな」
「悪かったわ、反省してる」
初めて二人に出会った日のことを思い出した私は顔をしかめる。あの時、いくら必死だったとはいえ無関係の彼らに嫌な態度を取って良い訳がなかった。
「良いんだよ。アレはアレでくるものがあったし。ねえ真田」
「くるもの?何だそれは、怒りか?」
「ものすごく怒ってるじゃない」
分かっている、弦ちゃんだって過去のことをグチグチ言い続けるような人じゃないことくらい。でも、彼の私への第一印象はなかなかに酷いものだったんだと再認識して自業自得だけど地味に落ち込む。
終わったことは仕方ないから、これから巻き返していこう。決意と共に小さく口角を上げた私は、先ほどから突き刺さるようにこちらを見ている人物に視線を向けた。
「あの…何か?」
「ああ、いや…綺麗だと思ってな」
「ちょっと蓮二、この子口説くのはやめてね」
一瞬何のことか分からなくて間抜けヅラを晒してしまった私だけど、精ちゃんの言葉でそれが私への褒め言葉だと理解し、一気に顔が熱くなった。
そんな私の動揺を精ちゃんが見逃す訳なくて、わざとらしく驚いた振りして覗き込んでくるから余計に恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「え〜、優里照れてるの?言われ慣れてるでしょこのくらい」
「慣れてるわけないじゃない」
こんなにストレートに褒めてくれた人、今までいなかった。可愛いとか美人とか、本気なのか冗談なのか分からない言葉をかけられたことは多いけど、こんな風に目を真っ直ぐに見て噛みしめるように言われたのは初めてだ。
「俺たち散々言ってたのに。ねえ真田」
「…そうだったか?」
「真田は優里のこと人形みたいって言ってたね」
「それは悪口よね」
弦ちゃんが本当に言っていたのかは謎だけど、反応を見る限り嘘ではなさそうだ。人形みたいという言葉にどんな意味合いがあるのかは分からないけど、私にとってそれはあまり良い意味ではないし、きっと彼も同じ考えだと思う。
「まあ良いや。今日の試合終わったみたいだしもう帰るね。また明日会いましょう」
少し名残惜しいけど、今日の主役は彼らだから私はできる限り関わりたくない。余計な干渉をして彼らのバランスを崩すようなことだけは避けたい。そう考えることすら自惚れだと思うけど、私はこれ以上誰かの人生を狂わせたくないのだ。
「気を付けて帰るんだよ」
そう言って少し寂しそうに微笑んだ精ちゃんも名残惜しいと思ってくれているのだろうか。もしそうだとしたら、嬉しいけど申し訳ない。
私は彼らにペコリとお辞儀すると、徐々にギャラリーが減り始めている会場を後にした。
青学と比嘉中の試合が終了した。最後、圧倒的な強さを見せ付けた兄に感嘆の声が漏れた。
百錬自得の極み──それはドイツにいた時見たことがある。プロ候補の人たちにも何度か会わせて貰ったことがあるから、そっちの世界では割と知られているみたいだけどまさか兄もその一人だとは思っていなかった。
本当に私は兄のことを何も知らなかったんだ。兄の努力も苦しみも、想像はしていても知らなかった。きっと私が思っているよりもずっと必死に励んできたのだろう。そんな兄を誇りに思うし、心の底から尊敬する。
どこからともなく集まっていたギャラリーをぐるりと見回せば、知らない顔から見覚えのある顔までずらりと並んでいる。私に気付いたのか、ひらりと手を振ってくる千歳さんと、そんな彼に何か聞いたかと思えば愛想良く微笑んで会釈してくる手に包帯を巻いた男の人。釣られて会釈を返せば、「東京の女の子は美人やなぁ」なんて千歳さんと同じことを言って笑っている。
彼らから視線を反らして再び周囲に意識を向ければ、探していた人物はすぐに見付かった。遠目からでもやはり目立つ、王者立海のオーラは大したものだ。先ほど騒がれていたのを思い出しながら、私は彼らの方に歩みを進めた。
「優里」
私に気付いてひらひら手を振ってくれるのは精ちゃんだ。そんな彼の横で仁王立ちしている強面の人は弦ちゃん。そして彼の後ろに立っているのは、関東大会であのデータマンと対戦していた人だと分かった。
「お疲れ様」
勝敗の結果は聞くまでもない。二人の友に労いの言葉だけかけて、私とは初対面であろう彼に会釈をする。名乗るべきか少しだけ迷ったが、別に今後どうこうなる予定もないし聞かれてないから黙っておくことを選んだ。でも、そんな私の心境を察してなのか精ちゃんが口を開いた。
「この子だよ、俺たちの幼馴染。優里っていうんだ、可愛いだろ?」
最後のひとことは余計だけどまあ良い。社交辞令だと思って流しておこう。昔の精ちゃんはあまり私にそういった類の発言をしてこなかったから不思議な感じはするけど、彼ももう中3だから女の子の扱いだって変わっているだろう。
「そうだな、聞いていたとおりだ」
糸目の彼が微笑む。一体どんなことを聞いていたのか気になるが、そこは突っ込まない方が賢明だろう。
「優里。彼は柳蓮二。俺たちと同じ部活なんだ」
「初めまして、だな。よろしく頼む」
「…初めまして、手塚優里です」
よろしくお願いします、そう言って軽くお辞儀をしてから差しだされた手を握り返す。ゴツゴツと角ばった感触からするに、彼も相当努力を重ねた人なのだろう。
「あれ、蓮司とは握手するんだ。俺の時はしなかったのに」
「…いつの話をしてるの」
「あの時のお前は無礼者だったな」
「悪かったわ、反省してる」
初めて二人に出会った日のことを思い出した私は顔をしかめる。あの時、いくら必死だったとはいえ無関係の彼らに嫌な態度を取って良い訳がなかった。
「良いんだよ。アレはアレでくるものがあったし。ねえ真田」
「くるもの?何だそれは、怒りか?」
「ものすごく怒ってるじゃない」
分かっている、弦ちゃんだって過去のことをグチグチ言い続けるような人じゃないことくらい。でも、彼の私への第一印象はなかなかに酷いものだったんだと再認識して自業自得だけど地味に落ち込む。
終わったことは仕方ないから、これから巻き返していこう。決意と共に小さく口角を上げた私は、先ほどから突き刺さるようにこちらを見ている人物に視線を向けた。
「あの…何か?」
「ああ、いや…綺麗だと思ってな」
「ちょっと蓮二、この子口説くのはやめてね」
一瞬何のことか分からなくて間抜けヅラを晒してしまった私だけど、精ちゃんの言葉でそれが私への褒め言葉だと理解し、一気に顔が熱くなった。
そんな私の動揺を精ちゃんが見逃す訳なくて、わざとらしく驚いた振りして覗き込んでくるから余計に恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「え〜、優里照れてるの?言われ慣れてるでしょこのくらい」
「慣れてるわけないじゃない」
こんなにストレートに褒めてくれた人、今までいなかった。可愛いとか美人とか、本気なのか冗談なのか分からない言葉をかけられたことは多いけど、こんな風に目を真っ直ぐに見て噛みしめるように言われたのは初めてだ。
「俺たち散々言ってたのに。ねえ真田」
「…そうだったか?」
「真田は優里のこと人形みたいって言ってたね」
「それは悪口よね」
弦ちゃんが本当に言っていたのかは謎だけど、反応を見る限り嘘ではなさそうだ。人形みたいという言葉にどんな意味合いがあるのかは分からないけど、私にとってそれはあまり良い意味ではないし、きっと彼も同じ考えだと思う。
「まあ良いや。今日の試合終わったみたいだしもう帰るね。また明日会いましょう」
少し名残惜しいけど、今日の主役は彼らだから私はできる限り関わりたくない。余計な干渉をして彼らのバランスを崩すようなことだけは避けたい。そう考えることすら自惚れだと思うけど、私はこれ以上誰かの人生を狂わせたくないのだ。
「気を付けて帰るんだよ」
そう言って少し寂しそうに微笑んだ精ちゃんも名残惜しいと思ってくれているのだろうか。もしそうだとしたら、嬉しいけど申し訳ない。
私は彼らにペコリとお辞儀すると、徐々にギャラリーが減り始めている会場を後にした。