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第十一章

* * *




 不快だ、堪らなく不愉快だ。六角中VS比嘉中の試合を途中まで観ていた私だけど、あまりにも酷くて観ていられなかった。あのトイプードルのような髪の毛の選手が六角中のお爺さんにボールをぶつけた瞬間、私の中で何かが弾けた。
 ラフプレーといえば、関東大会で不二さんと戦っていた立海の切原赤也を思い出すけど、彼は対戦相手への敵意からくる暴走だからまだ理解できる。心底嫌いなプレイスタイルだけどまだ救いようがある。
 でもアレだけは駄目だ、許せない。何故コート外の人に危害を加えるのか、何故お年寄りにそんな酷いことができるのか。少しも罪悪感なんて感じてなさそうなあの顔が許せない。


「あー…ダメだダメだ落ち着け自分」


 私が腹を立てても仕方ない。何の関係もない部外者が怒ったところでどうにもならない。きっとあの試合は比嘉中の勝ちだろうけど、次の試合で兄たちが仇を取るはずだ。完膚無きまでに叩きのめしてくれるはずだ。
 これでもかというくらい大きな深呼吸をした私は、雲一つない真っ青な空を見上げると目をとじた。怒りのあまりバクバクと音を立てていた心臓が少しずつ落ち着いてくるのを感じながら静かに目を開けると、視界の端に人影が映ったから慌てて振り向いた。


「…精ちゃん」
「ごめん、タイミング悪かったかな」


 何故かきまり悪そうに微笑んだ彼に釘付けになる。私が知ってる彼とあまりにも違うから、一瞬人違いかと思ってしまった。私の知らない間に彼はこんなにも成長していたのかと、嬉しいような寂しいような気持ちだけど、一番はやっぱり決まっている。


「かっこいいね」


 初めて見た、彼が立海のジャージを着ている姿。きっと似合うんだろうなって思ってたけど、そんな簡単なものじゃない。本当に本当に、こんな安っぽい言葉ではとても表現できない。おかげでさっきまでの嫌な気持ちは全部吹き飛んでしまった。


「かっこいいわ…幸村精市!」
「おっと!」


 感極まって飛び付いた私を器用に受け止めた彼を見上げる。驚いたのか、藍色の瞳を大きく見開いて私を見つめる彼は美しさと力強さを兼ね備えた素敵な男だ。


「完全復活ね、おめでとう」


 きっと何度も挫けそうになったのでしょう。もう駄目だと思った日も少なくないでしょう。二度と仲間の元に戻れないかもしれないと絶望した日もあったでしょう。そんな辛い日々を乗り越えて、再びこの場に戻ってきた彼を祝福せずにはいられない。


「…うん。ありがとう」
「試合はこれから?」
「うん、もうすぐかな。…でも、俺まで回ってこないよ」
「そう。まあ初戦だものね」


 彼の言葉は仲間への信頼と自信の現れだ。彼はキャプテンだから、恐らくS1でエントリーしてるはず。S1まで回すには相手がかなり互角でないと厳しいが、いくら全国とはいえあの面子と勝負できる学校はそう多くないだろう。


「比嘉中戦を観ていたの?」
「ああ、そういえばそうだったね」
「なんだいそれ」


 いかにも興味なさげに答えた私がおかしかったのか、彼は小刻みに肩を震わせた。目を細めて楽しそうに笑う彼に少しだけホッとした私は、斜め横に視線をずらすと先ほどの試合を思い返した。


「強い弱いは置いといて、あそこはスポーツマンシップに欠けてる。勝ち進むのは無理ね、青学戦で負けるわ」


 私は色んな選手を見てきたけど、名の知られた強い選手は皆礼儀正しく勤勉な人たちだった。間違っても他人に危害を加えるようなことはしなかった。誰かを傷付けようとする人間は、中途半端で愚かな者たちばかりだった。


「辛辣だね。相当気に入らなかったんだ?」
「気に入らないわ」


 できればあのお爺さんと同じ目にあって欲しいけど、青学にそんな野蛮な選手はいない。人にわざとボールをぶつけるような愚かな選手はいない。


「次の試合、精ちゃんは出ないんだよね?」
「うん、出ないよ」
「言い切るんだ」


 さすがは全国ニ連覇しただけある、王者の余裕は半端ない。他の人が言ってたら呆れるんだろうけど、彼が言っても何ら違和感なく納得してしまえるのだから。やはり結果は正義だ。


「なら、私は自分の学校見に行こうかな」
「それが良いよ。お兄さんの復活試合、見届けてあげて」


 そう、今日は兄さんの復活試合。そして、青学の部長手塚国光の試合を見るのも今日が初めてだ。私の中のテニスをする兄の記憶は小学校低学年で止まっていて、あれからどれだけ強くなったか知りもしない。


「俺も試合が終わったらそっちに行くよ。真田も連れて行くから、少し話そう」
「…本当に相手チームは眼中に無いのね」
「そんなことないよ。ただ、俺たちの敵じゃないってだけ」
「感じ悪いなぁ」


 久々のやり取りに頬が緩む。思えば彼は昔からこんな感じで、彼と一緒にいた私もまたこんな感じだった。幸せで満ち溢れていたあの日々を、時を経た今もう一度繰り返す。本当に本当に、奇跡みたいな夏だと思った。





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