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第十一章

* * *




 彼の名前は千歳千里というらしい。大阪の四天宝寺中の選手らしく、どうせ今日は出番が無いからとアップもせずフラフラしていたようだ。頑張り過ぎないリラックスした姿勢も大事だと思うから私はそこまで気にならないけど、意識の高い人からしたらあまりウケは良くなさそうだ。


「優里はどこの学校と?」
「青春学園です」
「ああ、手塚国光のところたいね」


 やはり兄はどこに行っても有名だ。大阪の生徒にまで名前を知られているのだから、全国区とは大したものだ。


「そういえば、アンタも手塚たいね。もしかして兄妹?」
「…さあどうでしょう」
「当たっとるばい」


 私は何も答えない代わりに、数十メートル先の角を指さした。その角を曲がれば彼が探している人たちに会えるはずだ。いや、正確には彼を探している人たちだろうか。


「あそこ、曲がったら良いですよ」


 私はこれ以上進めない。ここから先は選手たちの領域だから、部外者の私が踏み入るべきじゃない。私のこの考えを、自ら壁を作っていると批判的に捉える人は多いけどそうじゃない。私は歩をわきまえている、それだけだ。


「あんがと」


 千歳さんはそう言うと、またもや私の頭に手を乗せた。これは彼の癖だろうか、自分よりも小さな人間がいると撫でたくなってしまうのかもしれない。私はそこまで背が高くないから彼の気持ちは分からないけど、小さな子どもを慈しむような表情も手付きも嫌いじゃない。


「それじゃあ、さようなら」


 頑張れとは言わない。何となくだけど、彼はそういった言葉を好まないような気がするから。それこそ見えない壁を自ら作っているように見えるから。


「優里はお兄さんによう似とうね」


 またね──そう言ってヒラリと手を振った彼の後ろ姿を見送りながら首を傾げる。似ているなんて初めて言われたから少し驚いてしまった。私と兄は外見も中身も全然違う、そう思っていたから彼の言葉が意外だった。


「不思議な人ね」


 そう小さくつぶやくと来た道を引き返す。私と兄の共通点は何だろうなんて呑気なことを考えながら、肌を焼いてくる太陽を避けるように木陰のベンチに腰掛けた。
 夏は暑くてどうしようもないけど嫌いじゃない。雲ひとつ無い青空は夏の暑さに似合ってるし、多少暑いくらいの方が気持ちも明るくなるものだ。この夏が永遠に続いても良いと思えるくらいには、今年の夏に胸を高鳴らせていた。
 私の人生そこまで悪くない──そう思って目を伏せた時、すぐ近くに人の気配を感じた私は咄嗟に顔を上げると視線を真横に向けた。


「今日は暑いね」
「…不二さん」
「こんな所に一人でいたら狙われるよ?もっと人通りの多い所にいなよ」


 いつの間に現れたのか、私の隣に座って涼しい顔で微笑む青年は他でもない彼だった。でも、何だかものすごく久しぶりな気がするのは普段学校で頻繁に顔を合わせていたからだろう。


「人通りが少ないからここにいるんです」
「またまた、そんな寂しいことを」
「寂しくなんてありませんよ。私は一人が好きだから」


 正確には一人も好き。誰かと一緒が嫌いなわけじゃないけど、大して親しくもない人間と意味もなく戯れるくらいなら一人の方が何百倍も心地良い。


「本当は寂しがり屋のくせに」
「そう見えてるんですか?」
「手塚がいなかった時の優里ちゃん、目に見えて元気なかったよ」
「…それは仕方ないでしょう」


 だって私、兄さんが大好きなんだもの仕方ないわ。でも、兄とその他大勢に向ける感情が一緒だなんて思わないで欲しい。それだけで寂しがり屋呼ばわりされるなんてプライドが傷付く。


「クスッ…。そうやってちゃんと認められるところ、君の長所だね」
「褒められてる気がしませんね。ていうか不二さん、貴方こんな所で油売ってる場合ですか?」
「長居するつもりはないけど、君次第かな」
「どういう意味です?」
「人目のつく所にいなよ。心配してるんだ、同中の先輩として」


 予想していなかった答えに思わず目を見開く。彼とはそれなりに話す仲だが、そこまで気を遣って貰える義理私には無い。そもそも私がここにいることの何が心配なのか分からない。


「…あの、別にここ危ない場所じゃないですよ?ベンチあるくらいですし」
「世の中君が思ってる以上に物騒だからね。大好きなお兄さんのためだと思って、僕の言う事聞いてくれない?」


 何故そこで兄が出てくるのか聞こうと思ったけど、彼があまりにも真剣な表情をするものだから聞けない。それに、そこまで難しいことを言われているわけでもないからまあ良いかと思えてきた。私が頷けば万事解決ならそれが良い。


「 分かりました。取り敢えずコートの方行ってみます」
「うん、そうして」


 安心したように微笑む不二さんにどんな顔を向ければ良いのだろう。心なしか普段より優しい気がするのは何故だろう。いや、冷静に考えれば彼は最初から優しかった。その優しさを受け入れられず冷ややかな態度を取っていたのはいつでも私の方だった。


「それじゃあ私行きますね」
「僕も行くよ。一緒に行こう」
「一緒にって…」
「これから僕ら、親しくしてる学校の試合を観に行くんだ。君も行くでしょ?」
「いえ私は…」


 行きません、と言おうとしたが咄嗟にある考えが過ぎって口をつぐんだ。彼の言う親しい学校とは六角中のことだろうから良い機会だ。不二さんと一緒に行けば目立たず観戦できるかもしれない。


「ご一緒させて貰います」
「あれ、やけに素直だね」


 良いじゃない、利用できるものは何でも利用してしまえば。例えそれが先輩であっても関係ない。それなりの敬意を払っていれば何の問題もないはずだ。
 意外そうに目を見開いている不二さんに会釈すると、私は初戦が行われるコートへと歩き出した。少し後ろを歩いているであろう不二さんの視線を背中に受けながら小さく笑った。





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