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第八章

* * *




「落ち着いた?」


 校舎裏のベンチに腰掛けている優里に、自販機で買ったココアを差し出す。ありがとう、と微笑んで受け取る彼女の手は白くて細い。まだ彼女が俺たちとテニスをしていた頃はここまで細くなかったし、肌も程よく焼けていた。


「変わってしまった、って思ってるでしょう?」


 俺の視線に気付いたのか、彼女は少し寂しそうに微笑んだ。彼女がこんな表情をするのは決まって何かを隠している時だ。そして同時に、誰にも踏み込ませないよう壁を作る。これ以上は聞いてくれるなと言わんばかりに話題をすり替えるのだ。


「大変だったよね。…よく頑張ったわ、心から尊敬する」
「そうだね。でも、本番はこれからだよ」
「無理はしないでね、約束よ」


 退院してからというもの、色んな人が俺にそう言ってくれた。その度に有り難いと思ったり申し訳ないと思ったり忙しかった。でも、不思議なことに彼女の口から紡がれたその言葉はスッと心に入ってきた。


「…俺がテニスできなくなっていても、君は変わらずにいてくれた?」
「当たり前。私はどんな精ちゃんでも愛せる自信あるもの」


 ああ、やっぱり俺はこの子が好きだ。彼女は絶対嘘をつかないから信頼できる。自己評価は低いくせに他人への評価が優しくて、冷酷に見えるけど慈愛に満ちた温かい女の子。俺が今まで彼女の存在にどれだけ救われてきたか、きっと本人は気付いていない。


「逃げたくなったらいつでも言って。連れて行ってあげる」


 そう、こうやっていつでも俺が欲しい言葉をくれるんだ。頭が良いってだけじゃ到底できない、人の心に寄り添った言葉を自然と選べる素敵な子だ。


「…なら、これからも俺と会ってくれる?」
「それは私の台詞だわ」
「俺が空っぽになっても?」
「言ったでしょう、どんな貴方でも愛せるって」


 胸の奥が熱くなる。どうして彼女はこんなにも綺麗で優しいのか。辛い経験をした人は周囲に優しくなれると言うから、彼女もきっとそうなのだろう。


「ありがとう優里」


 全国大会が終わったら、一度君と話がしたい。今はとにかく三連覇のことで頭が一杯だから、全てが終わったら君の話を聞かせて欲しい。家族のこともドイツのことも、そして何より君自身のことを沢山聞きたい。


「連絡先、聞いても良い?」
「…そっか、言ってなかったね」
「そうだよ。急にドイツに行っただけじゃ飽き足らず連絡先まで変えてたんだからね。どんだけ俺たちから逃げたかったの?」
「…戒めのつもりでもあったのよ」


 ここで変に隠さないのが彼女の良いところだ。正直なのか見切りが良いのか、変に言い訳しないところは昔から一つも変わってない。


「その話、今度ゆっくり聞かせてね」
「嫌だわ怖いこと言わないで」
「もうその手には乗らないよ」


 見逃してくれとでも言わんばかりに首を傾げた彼女の額を軽く小突く。ギュッと目を閉じて身を固くした彼女は小動物みたいに可愛くて、同時にとても弱々しく見えた。




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