第八章

* * *



 テニスの試合を見たのは久しぶりだ。日本に戻ってきてからというもの、私は無意識にテニスを避けていた。だから兄が今どんなテニスをしているのかも知らないし、割と頻繁に顔を合わせる不二さんがどんなプレイスタイルなのかも分からない。青学の皆がどんなテニスをしているのか、一度も見たことがなかった。


「不思議なものですよね。私の望んだ結果じゃないのに、心は晴れていたんですから」


 そもそも、私の望んだ結果なんてそんなものは最初からなかったのかもしれない。私の大切な人が、大切な人の大切な人たちが、思うままにテニスをしている姿を見たかっただけなのかもしれない。


「それは良かった。…手塚にも、胸を張って報告できるよ」


 隣で穏やかに微笑む不二さんの心も晴れているはずだ。大会の翌日、熱りを冷ますかのように図書室で呆けていた私の前に現れたのは他でもない彼だった。遭遇する頻度があまりにも高過ぎるから、彼は私にGPSでも仕込んでいるんじゃないかと思ったこともあるが、実際のところ彼と私は行動パターンが似ているのだ。


「兄さんがいなくても貴方たちは強いんですね」
「当然だよ」


 普段何となく聞いている彼の声が今日はとても心地良い。よく知らない相手の新しい一面を知れた時、人は安心感を覚えるのだろうか。


「不二さんがあんなに強いなんて、私知らなかった」
「君、僕に興味ないものね」


 少し意地悪そうに小首を傾げる不二さんはなかなか良い性格をしている。私も人のことを言えるような性格ではないが、彼の食えない感じはやはり得意じゃない。
 私は小さく息を吐くと、手元にある本へ視線を落とした。経過時間の割にはあまりページが進んでないけど、決して面白くないわけではない。ただ、定期的に昨日の光景が蘇ってきて集中できなかっただけ。


「…あの1年生の男の子、良い動きしてますね」


 皆それぞれ良さはあったけど、中でも一番印象に残っているのは帽子を被った小柄の男の子だった。話には聞いたことがあるけど、彼こそが噂の超新人だったのだ。


「越前のことだね。彼は期待の新人だよ」
「…大物の目をしてたわ」


 弦ちゃんを負かした彼は、遠くで眠る親友とよく似ていた。顔も性別も全然違うけど、心からテニスを楽しむあの表情が彼女と重なったのだ。


「兄さんたちにも、あの子みたいな時期があったんですよね。…微笑ましいわ」


 私は部活に入ったことがないから分からない。でも、兄さんやあの二人にも、期待の新人と言われた時期があったのだ。それを良く思わない先輩もいれば、心から期待して良くしてくる先輩もいる。


「兄にも、貴方たちのような先輩がいましたか?」


 大石さんから聞いた話では、兄は先輩に恵まれなかったように思える。でも皆が皆彼を敵視していたわけではないだろう。中にはきっと、彼に全てを託した人がいたのだろう。


「いたよ。…大和先輩といってね、僕らが1年の時に部長だった人」


 当時を思い出しているのだろうか、不二さんはどこか遠くを見つめて優しく微笑んだ。そんな彼を見ていると、兄には兄の人生があって、私もその一部になれたならどんなに良かったかと思わずにはいられなかった。




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