第八章

* * *



 柄にもなく緊張していたのかもしれない。私には関係のない人たちの試合にここまで胸が高鳴るとは思っていなかった。
 選手でもないのに開会のかなり前に会場に着いてしまった自分をあざ笑う。会場から少し離れた小高い丘をぐるぐると歩けば、今日の主役らしき選手たちが最後の調整をしているのが目に入る。生憎、私がお目にかかりたかった人物の姿は見当たらないが、返ってその方が良かったのかもしれない。


「…邪魔したら悪いものね」


 彼が私をそこまで意識しているとは思ってないが、少なくとも今までの態度を思い返すと完全に興味がないというわけではなさそうだ。私が彼らとの思い出を忘れられなかったように、彼らも私を覚えてくれていたのだ。
 でも、今はそんなことどうでも良い。部長である幸村精市が倒れてからというもの、無敗で帰りを待つと独自の掟を作った立海の絆に心を打たれた。言い出しっぺは聞かなくとも分かる、誰よりも厳しく真面目なあの人だろう。


「…今日は私、貴方を応援しにきたの」


 立海のベンチを見つめながらポツリと呟く。兄の悲願は叶って欲しいけど、それよりも私は彼らを応援したい。昔、劣等感と罪悪感に苛まれて心を閉ざしていた私を救ってくれたのは兄ではなくあの二人だったから。


「今日は幸村の手術日だ」


 背後から聞こえてきた声にびっくりするけど、こう何度も同じことが続くと慣れてきた。最初に比べれば驚かなくなったと思う。


「そうだったのね」


 振り向けば、相変わらず険しい顔をした幼馴染が立っている。彼をよく知らない人なら怖じ気づいてしまうかもしれないが、私は彼の堂々とした佇まいが大好きだった。


「お前がここにいるとは思わなかった」


 試合前にわざわざ私に時間を割く必要は無いのに。いや、私がもっと気配を消しておけば良かった話だから、私本当は彼に見つけて欲しかったのかもしれない。話がしたかったのかもしれない。


「私も、来るつもりはなかった。…気が変わったのよ」


 それでも、私の口から出てくる言葉は愛想のないものばかりだ。昔はもっと上手く話せたはずなのに、どうしてこうも下手くそなのか。せめてもう少し、気の利いた言葉が出てこないものか。


「もしかしたら、会えるかもしれないって思ったの」


 そう、会いたかったの。もしかしたら精ちゃん、顔を出してるかもしれないって思ったの。そんなに早く回復なんてできっこない、それは分かっているけど彼ならあり得るかもって思ったの。
 咄嗟に目元を拭った私は、彼から目を逸らして空を見上げた。彼らの戦いを祝福するかのように真っ青な空を、兄も九州で見ているのだろうか。精ちゃんも病室から見ているのだろうか。


「お天道様も笑ってるわ。きっと今日は良い日になる」


 だから貴方は自分のテニスを楽しんで──その言葉を飲み込んで、私は彼に視線を戻した。本当に言いたいことが言えないのは、彼らの気持ちが痛いほど分かるから。テニスを楽しむなんて、こんな状況でできるはずないのだから。


「…そうだな」


 ほんの少し、彼の表情が緩んだ。気のせいかもしれないが、微笑んでくれたように見えた。試合前に動揺させてしまうかもしれない、そんなこと思っていた私は彼の精神力を甘く見ていたようだ。


「今日は暑いからな。くれぐれも熱中症には気を付けろ」


 そう言い残して仲間の元に戻っていく彼の後ろ姿は凛々しくて素敵だ。頑固で融通の利かないところもあるけど、私は彼の強さと人情味に惹かれているのだ。




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