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第五章

* * *



 体が開放されたのにも関わらず、私は暫くその場から動くことができなかった。恐怖と安堵と羞恥心、色んな感情が混ざり合って頭がおかしくなりそうだ。


「いやいや悪かったのぉ。そこまでムキになるとは思わんくてな。怖がらせたの、すまん」


 今にも跳ね上がりそうなほどうるさく音を立てる心臓を抑え込もうと胸元を抑えていた私の目に、さっきまで私に敵意を向けていた男の申し訳無さそうな顔が映し出される。
 あれだけ必死に抵抗したのに、彼にとっては最初からお遊びでしかなかったのだ。そして何より、私のあの強気な態度が恐怖の裏返しだということに気付いていたのだ。そう思うと異常に腹が立ってきて、私はゆっくり立ち上がると冷ややかな目で彼を見下ろした。


「…もう帰って良いですか」


 もっと色々言ってやりたいけど、それ以上に疲労感が半端ない。一体今日は何の目的でここに来たのか忘れてしまった。不二さんから聞いた話の真相を確かめに来たはずなんだけど、結局真相はどうなんだっけ?


「幸村には会っていかんのか?」
「いるんですか⁉」 


 そうだ、精ちゃんが部活にいるかを確かめに来たはず。そして私の目に映る限り、彼はこの場にはいなかった。でも今の発言を聞く限り、彼は部活に来てるってことでしょ?たまたま今はいないだけで、本当は何事もなく部活に顔を出しているってことよね?


「いや…」
「 そこで何をしている!!」
「げっ…!!面倒な奴に見つかってしまったのぅ」 
「仁王、キサマまた部活を抜けおって!!いくら休憩中と言えど…………優里?」


 驚いた。心臓が止まるかと思った。だって貴方、さっきまでいなかったじゃない。私が貴方を見落とすわけなんてないのよ。一体今までどこにいたの?何をしていたの?
 

「まぁまぁ真田、そう怒るな。可愛い幼馴染に免じて許してやってくれんかのぉ」
 

 仁王と呼ばれた彼が、私の両肩を掴んで弦ちゃんの前に差し出す。何を都合の良い事を言っているのかとは思えど、そんな嫌味を言えるほど私のメンタルは強くない。


「…優里。お前こんな所で何してるんだ?」


 ああ、貴方はまだ私の名前を呼んでくれるのね。あんなに勝手なこと言ったのに、嫌な思いさせたのに、まだ私をそんな風に心配してくれるのね。

 
「…真田さん」


 でも私は、貴方のこと昔みたいに呼べない。私から言い出したんだもの、もう友達でも何でもない。今はもう、貴方は他校の列記とした先輩だ。


「幸村さんは、どこにいますか?」
 

 ごめんね、これが本当に最後。縁を切っても気になるの。あの人の安否だけはどうしても気になるの。願わくば委員会か何かで遅れてる、そう言って欲しいの。


「…幸村は、ここにはいない」
「何故ですか?」
「倒れたのだ、先月」
「嘘だわ」
「 …嘘ではない、本当だ」


 目の前が真っ暗になる。遠くで弦ちゃんと仁王さんの声が聞こえるけど、何を言っているのか分からない。ただ、暗闇の向こうに精ちゃんらしき人が見えて、私はそのまま彼を追いかけ走り出したのだった。




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