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第五章

* * *



 手塚優里という少女を知ったのは、昨年の全国大会が終わって暫くのことだった。練習前、部室で着替えていた時、誰かの生徒帳が床に落ちていることに気付いた。


「なんじゃ、こんな物落としてからに…」


 持ち主を確かめようと中を開いた次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは無邪気な顔で笑う少女の写真だった。


「…誰じゃコイツは」


 そうは思ったが、その手帳が彼女の物で無いことくらいすぐに分かった。何故なら、その写真は明らかに立海の生徒のものではないからだ。言うであれば、嫁の写真をお守り代わりに持ち歩く単身赴任中の男のあれだろう。
 このテニス部にもそんな奴がいたのか。でもこの女子、明らかに歳下だ。贔屓目に見て同年代か。綺麗な顔をしているとは思うが、所々幼さが滲み出ている。


「小学校高学年。…まぁ許容範囲か?」


 もちろん、持ち主の歳にもよるが。これが中3相手だと話は変わってくる。さすがに中3が小学生に劣情を抱いてるのは気持ち悪いとしか思えない。


「あれ、仁王じゃないか。今来たのかい?」
 

 突然ドアが開いたかと思えば、手元にある写真に負けないくらい綺麗な顔をした男がこちらに歩いてくる。


「…幸村」


 俺は幸村が苦手だった。俺と同じ1年にして立海のレギュラーの座に付き、上級生ですらも負かしてしまう圧倒的強さを持つテニスプレイヤー。立海が今年全国優勝を果たしたのも彼のおかげだと言える。だから、正に雲の上の人といった感じで近寄り難かった。


「あれ、それ俺の生徒帳じゃないか。もしかして落としてた?」
「へ?…ああ、これお前さんのか」
「うん。拾ってくれたんだね、ありがとう」
「いやいや」
「…見た?」


 幸村の声のトーンが1オクターブほど下がった。基本的に明るく穏やかな彼のこういった態度はなかなか迫力がある。


「何をじゃ?」
「とぼけなくても良いよ。さっき見てたの知ってるし」


 目が笑っていないとはこういう奴のことを言うんだろう。真田のように大声を出すわけでもなく、静かにメンタルを追い詰めてくるこの男はかなりの曲者だ。
 これ以上しらを切るのは得策じゃない、そう思った俺は半分ヤケクソになって開き直ることにした。


「見た!正直めちゃめちゃタイプじゃった」
「え、やだ気持ち悪い。俺の妹に変な気起こさないでよ」
「…妹?マジでか、似とらんのぉ」
「だって嘘だし」
「何なのお前」
「ふふっ。…でも、それくらい大切な子なんだよ」


 その時の幸村の表情は恐らく一生忘れない。神の子と呼ばれて拝め奉られるこの男にも、普通の人間と同じ感情があるのだ。当然のことだが、俺はこの時初めて幸村精市という男を見た気がした。


「…おまんにも、そういう感情があったんじゃのぉ」
「君、俺のこと何だと思ってたのさ」
「神の子」
「ははっ。まぁ間違ってはないけどね」


 今までずっと雲の上の存在だと思っていた。自分とは住む世界の違う人間だと思っていた。だからこそ彼に近付けなかったわけだが、俺はこの日を堺に少しずつ幸村と口を聞く回数が増えていった。




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