このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第五章

* * *



 不二さんのことを信用していないわけではない。ただ、私は基本的に自分の目しか信頼できない性なもので、彼が言っていたからといってまんま納得することはできなかった。


「…何してるんだろ、私」


 目の前にそびえ立つ大きな校舎を眺めながら、私は呆れたようにため息をついた。
 もう縁は切ったも同然なのだから気にするのもおかしな話、でもやはり気になる。そんな中途半端な思いで、私は立海大付属中へと足を踏み入れたのだ。


「…本当だ、いない」


 生徒に見つからないように上手く身を隠しながらテニスコートを覗いた私は、目の前が真っ暗になるのを感じながら大きく深呼吸した。
 そう、コートには私の知る人が誰一人いない。無論、私が実際顔を見たことある人なんて二人しかいないのだが、その二人がいないのだ。何てこと、そう思った時、背後に気配を感じた私は勢いよく後ろを振り返った。


「おう、見つかってしもうたのぉ」
「…」
「なんじゃ、偉くべっぴんな迷い猫じゃのぉ…。お前さん、名前は?」


 怪しい。とにかく怪しい。ニヒルな笑みを浮かべて距離を詰めてくるこの男、犯罪の臭いがプンプンする。


「いえ、名乗るほどの者じゃありませんので。道も分かったことだし帰ります、さようなら」
「こらこら逃げるな。何も取って食おうなんざ思ってないき」
「そんなの分かってますから。通して下さい」
「誰がお目当てじゃ?」


 塞がれていた道の隙間をぬって逃げようとした私の腕を強く引いた彼は、すぐ後ろにあった壁に私の体を強く押し付けて顔を近付けてきた。そんな彼の顔からは笑みが消えていて、その目を見た私は彼の心の内を全て読み取ることができた。


「誤解ですよ。離してください」
 

 きっと彼は、私のことを他校のスパイと思ったのだろう。もしくは、私がテニス部の誰かのことを好きでストーカーしていると思ったのか。後者は少し癪だけど、私もどちらかといえばそういった輩に苦労させられたことがあるから気持ちは分かる。


「…誤解、ねぇ。証拠はあるんか?」
「証拠なんて必要あります?」
「今俺は気が立っとるもんでな。口答えせん方が身のためじゃぞ」


 手首を押さえていた力が強まる。あまりの痛さに思わず顔をしかめたけど、私はそれ以上に彼の態度が気に入らなかった。


「あんたみたいな男、嫌いだわ」


 身長の高い男は苦手だ。圧迫感があって息苦しい。そして何より、体格差を見せ付けて弱者を捻り潰そうとする野蛮な男が大嫌いだ。


「馬鹿にしないで!私があんたらみたいなのを相手にするわけないでしょう!」


 突然大声を出した私に驚いたのだろう。男は大きく目を見開いて私の顔を凝視している。でも、相変わらず私の手首は掴まれたままで、どんなに抵抗しようとも振り切れるものではないと、煮え切った頭ではあるが理解していた。


「あんたこそ、こんな所で油売ってる暇があったら練習に戻れば?例え私があんたの思ってるような人間だったとしても、そんな底辺相手にするだけ時間の無駄でしょ。本当、無駄な時間過ごしちゃって可哀想ね、かわいそ〜」


 最後、これでもかというくらい大袈裟に作り笑いしてみせた。怖い、不気味、そう言われていた渾身の表情で彼に反撃を仕掛ける。下手したら殴られるかもしれないけど、一秒でも早くこの男から開放されたい。だってこの男、怖いんだもの。
 

「…ほぅ、そう来たか」
「なぁに、そんなに私を離したくないの?もしかして私のこと好きなの?私今日初めてここに来たけど、実はそっちがストーカーだったりする?」
「ふっ…、ハッハハハハハ!!」


 突然バカ笑いし出した男に、私は思わず身震いしてしまった。何が何でもこの男に恐怖を抱いていることを悟られてはいけない、図に乗らせるだけ。そう思っていたのに、今の私はさぞかし頼りなくて、それこそ本当の迷い猫のように見えるだろう。


「あ〜…笑った笑った。こんなに笑ったのは久々じゃのぉ」


 痛かったはずの手首がいつの間にか開放されていたことに気付いた私は、震える肩を抑えつけて彼の横を通り過ぎようとした。でもそれは叶わなくて、今度は腹部に違和感を覚え、あっと思った瞬間再び私は彼に捕らわれていた。


「少しからかい過ぎた。悪かったの」
「…からかい過ぎたですって?」
「おまんのことは知っとったよ」
「は?」
「手塚優里。幸村の嫁じゃろ」
「…なんて?」


 何を言ってるんだコイツは。いや、もしかしたら私の聞き間違いかもしれない。名前は合ってるけど、その後の言葉は全くもって意味が分からない。"手塚国光の妹"なら何度も言われたし事実だけど、幸村の何ですって?


「幸村の女じゃろ」
「冗談は休み休み言いな。おもしろくない」
「…違うんか?」


 彼のキョトンとした顔を見た私は、体の力が一気に抜けるのを感じた。今まで必死になっていた自分が馬鹿みたいだ。だってこの人、私に危害を加えるつもりなんて最初から無いのだから。最初から、私に怒ってなどいなかったのだから。




2/6ページ
スキ