第1章



 鳴子は胡蝶しのぶが好きだった。小さくて可愛いらしくて美しい。そして、彼女から読み取れる鬼へのはっきりとした憎しみが、自分の気持ちを代弁してくれている様で安心するのだ。


「私、しのぶのこと大好きよ。…昔の貴方も、今の貴方も好きだわ。どうしたって、しのぶはしのぶだもの」


 しのぶは、姉である胡蝶カナエが亡くなってから、常に笑顔を絶やさなかった。それだけでなく、性格までもカナエに似せる様になったため、本来の少し強気で感情豊かな性分が表に出なくなった。
 そんな彼女に違和感を感じる者もいるかもしれないが、鳴子はそれで良いと思っていた。理由はどうあれ、人は変わりゆく者なのだ。しのぶが変わった理由は容易に想像がつくけど、彼女がそうありたいと望むならそれで良いと思った。


「…ありがとうございます。鳴はいつだって、私のこと否定しませんよね」


 しのぶは、鳴子の整った横顔を見つめながら眉を微かに下げた。日本人にしては彫りの深い、くっきりとした顔立ちの少女は、誰よりも自分のことを分かってくれている。そして、しのぶ自身も彼女のことを誰よりも理解しているつもりだった。


「否定なんてする理由がないわ。…そして誰にも、しのぶを否定する権利なんてないのよ」


 しのぶは、鳴子のそういうところが好きだった。彼女は決して、他人を否定しない。毒を吐くことはあっても、それはあくまで戯れだった。


「そうですよね…。私は、貴方のそういうところに救われています」


 自分を肯定して欲しい訳ではない。でも、決して譲れない信念を貫くには、自分は正しいのだと思える何かが欲しかった。


「ふふっ、なんか照れちゃうわね。…でも、こういう事は素直に伝え合うべきだわ。私たち、いつ死んでもおかしくない身だから」


 鬼殺隊である以上、明日も息をしている保証なんてどこにもない。しかし鬼殺隊でなくとも、明日を生きれる保証はないのだ。悲しいけど、それがこの世界の運命さだめで残酷な現実だった。


「私ね、時々思ってしまうのよ。この世界に鬼がいなかったら、違う幸せがあったはず…。あったはずの未来を奪われた人々の気持ちを考えると腹わたが煮えくり返る」


 鳴子は膝に置かれていた両手をぎゅっと握りしめる。薄れることを知らない怒りが蘇ってくるのを感じた彼女は、早くなった鼓動を抑えるかの如く深呼吸をした。


「それでも、長年鬼を切っていると怒り以外の感情も生まれてくる。最初は思ってもみなかったわ。…鬼が哀れだなんてカナエさんは優しすぎると思っていたけど、今なら少し分かるのよ」


 きっと、こんな事をしのぶに話すべきではないのだろう。でも、昔から何でも打ち明け合ってきたからこそ、話しておきたいと思ったのだ。


「だからといって鬼に同情する気はない。罪のない人々の命を奪った落とし前はつけてもらう。…命の代償は命だと思ってるから、私はこれからも迷う事なく鬼の首を切る」


 そして、地獄で罪を償ってから再び生まれてこれば良い。地獄に行けば生まれかわれないという話も聞いたことはあるが、きっと生まれてこれるはずだ。


「でも、人を殺さない鬼がいるならば、私は彼らと共存する道を選ぶわ」


 人を食わない鬼など見たことはないけど、そんな夢のような話があればどんなに良いだろう。


「馬鹿げたことをって思うかもしれないけど、もしもそんな日が来たなら、ね」


 きっとしのぶは、今の話に共感などしないだろう。それどころか、端からあり得ないと思っているはずだ。
 でも、鳴子は有り得ないことではないと思っていた。生まれつき勘の良い彼女は、人を食わない鬼がいると密かに確信していた。


「お館様がね、言ってたの。もうすぐ何か大きな出来事が起こるって。…私も、そんな気がしてたんだ」


 それが吉と出るか凶と出るかは分からないが、お館様の言葉を信じるのなら、悪いことではないのだろう。
 鳴子はゆっくりと頭上に視線を向けた。青一色だった空にいつの間にか浮かんでいた小さな白を見つめながら、彼女は微かに口元を緩めた。




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