【第3回】バレンタイン
・
日本のバレンタインは、女の子が好きな男の子にチョコレートをあげて告白する日だ。誰が決めたのか知らないが、2月14日が近付くと、どこもかしこもバレンタイン一色に染まっていた。
「好きな人に告白する日なんて、自分には無縁だと思っていたのになぁ…。」
窓の外の雪景色を眺めながら、冴花はぽつりと言葉を漏らした。
彼女にとって、バレンタインは日頃の感謝を伝えるための行事だった。だから、いつもお世話になっている人たちに、ありがとうの思いを込めてチョコレートを送っていた。そして、それは今でも変わっていない。唯一変わった事といえば、今年はある人に感謝以外の想いを込めたチョコレートを贈る事だ。
柄にもなく緊張している自分を嘲笑い、そっと部屋の中へ目を泳がす。何度も訪れている彼の部屋が、何故だか全く馴染みのない部屋に思えてしまう。
「落ち着かないなぁ…。」
そう言いながらゆっくりとソファに腰掛ける少女の表情は微かに硬っていた。
好きな人にチョコレートを渡すのがこんなにも緊張するのかと、今まで知りもしなかった感情に戸惑いを隠せない。
どこか達観していたバレンタインデーという日が、彼女の中で大きく変わっていた。
「お待たせ冴花。」
ガチャリとドアが開き、お盆にティーセットを乗せた少年が現れた。少年を見た冴花はすっと立ち上がると、彼の方に近付いた。
「ああ、気を遣わなくて良いのに…。でもありがとう。」
少し申し訳なさそうな顔をして笑う彼女に、フロイはやんわりとした微笑みを向ける。
「外は寒かっただろう?…ゆっくり温まろう。」
フロイは、つい先程まで身を縮めて震えていた少女の姿を思い出しながらゆっくりとソファに腰を下ろした。
寒さに弱い彼女は、この時期になると毎日の様に温もりを求めていた。そして、何を思っているのか必ず誰かの腕にしがみ付くのだった。
「…寒いのはねぇ、苦手なんだよなぁ。」
湯気の立つお茶に息を吹きかけながら、冴花は苦笑いの様な表情を浮かべる。ロシアに住む事を決めたにも関わらず、寒がりという弱点を克服できない自分が情けなかった。
「別にね、寒さに弱いのは良いんだよ。ただ、それでユーリに抱き付くのはやめて欲しいな。ユリカならまだ許せるんだけど、ユーリは男なんだよ?」
不満気にそう言うフロイに、冴花は思わず口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。
「ええ、そんな事言う!?私にもユーリにもその気無いの分かってるくせに!?」
慌てて反論する冴花だが、彼の言っている事が正しいのは分かっていた。
彼女は元々、男性へのスキンシップは取らない人間だった。それは過去のトラウマのせいでもあるし、自分の容姿がモテるという事を知っている為でもあるが、ごく一部の心を許した人間に対しては思わず触れてしまう事もあった。
理性ではどうにもならない衝動的な行動を、どう制御しろと言うのか。
「…私がフロイ一筋なの知ってるくせに?」
これ以上言及されたくないと思ったのか、冴花はこてんと首を傾げて上目遣いに彼を見た。
「…ずるいなぁ、君は。そんな事言われたら黙るしかないじゃないか。」
確信犯だと分かっていても、彼女の愛らしい仕草と台詞に体温が上がってしまう。
惚れた弱みか、と思いながらフロイは紅茶を上品にすすった。
「…怒らないで。本当のことなんだから。私、貴方の全てが好き。」
好きな女の子が突然距離を縮めてきたため、フロイは思わず手に持っているカップを落としそうになった。
「…フロイの優しいところが好き。勇敢で強いところが好き。真っ直ぐなところが好き。仲間思いなところが好き。サッカー好きなところが好き。それから…私なんかのことずっと好きでいてくれてありがとう。好き、貴方の全てが愛しくて堪らない。」
冴花は彼の頬に手を当て、次から次へと愛の言葉を囁く。フロイの蒼く綺麗な瞳を見つめながら、そっと自分の額を彼の額に重ね合わせる。
「貴方みたいな人に好かれて、私は幸せ者だわ。」
そう言って優しく微笑んだかと思うと、彼女はフロイから身体を離して肩をすくめた。
「ふふっ。急に何言ってるんだ、みたいな顔してるね。今日は恋人の日だから、これでもかってくらい愛を語り合うんだよ。」
冴花は少し戯けた調子でそう言うと、すっと彼に何かを差し出した。
「はい、今年は本命ね。」
にこやかな表情の彼女が差し出したそれは、可愛らしくラッピングされたチョコレートだった。
それを受け取ったフロイは、そのまま彼女の腕を掴みぐっと自分の方へ引き寄せた。細っそりとした愛しい少女をしっかりと抱きしめ、耳元で「ありがとう」と囁く。
「…頑張ったの。不格好かもしれないけど、味は保証するから。」
先程までの淡々とした声から一転して弱々しくなった彼女の声を聞きながら、フロイはそっと彼女の髪を掻き上げる。
「…っ!?」
何かひんやりとした感触に襲われ、冴花は声にならない悲鳴と共にフロイから身を離す。呆気なく解放された彼女の瞳に、優しい笑みを浮かべた少年の姿が映った。
「うん、やっぱり似合ってる。…僕も、君の事が大好きだよ。だからこれはプレゼントと見せかけた首輪。誰にも渡さないし、絶対離さないって意思表示だよ。」
驚いた顔をしている冴花の首元を指でなぞり、フロイはゆっくりと彼女の唇に自分のそれを重ねた。
fin.
日本のバレンタインは、女の子が好きな男の子にチョコレートをあげて告白する日だ。誰が決めたのか知らないが、2月14日が近付くと、どこもかしこもバレンタイン一色に染まっていた。
「好きな人に告白する日なんて、自分には無縁だと思っていたのになぁ…。」
窓の外の雪景色を眺めながら、冴花はぽつりと言葉を漏らした。
彼女にとって、バレンタインは日頃の感謝を伝えるための行事だった。だから、いつもお世話になっている人たちに、ありがとうの思いを込めてチョコレートを送っていた。そして、それは今でも変わっていない。唯一変わった事といえば、今年はある人に感謝以外の想いを込めたチョコレートを贈る事だ。
柄にもなく緊張している自分を嘲笑い、そっと部屋の中へ目を泳がす。何度も訪れている彼の部屋が、何故だか全く馴染みのない部屋に思えてしまう。
「落ち着かないなぁ…。」
そう言いながらゆっくりとソファに腰掛ける少女の表情は微かに硬っていた。
好きな人にチョコレートを渡すのがこんなにも緊張するのかと、今まで知りもしなかった感情に戸惑いを隠せない。
どこか達観していたバレンタインデーという日が、彼女の中で大きく変わっていた。
「お待たせ冴花。」
ガチャリとドアが開き、お盆にティーセットを乗せた少年が現れた。少年を見た冴花はすっと立ち上がると、彼の方に近付いた。
「ああ、気を遣わなくて良いのに…。でもありがとう。」
少し申し訳なさそうな顔をして笑う彼女に、フロイはやんわりとした微笑みを向ける。
「外は寒かっただろう?…ゆっくり温まろう。」
フロイは、つい先程まで身を縮めて震えていた少女の姿を思い出しながらゆっくりとソファに腰を下ろした。
寒さに弱い彼女は、この時期になると毎日の様に温もりを求めていた。そして、何を思っているのか必ず誰かの腕にしがみ付くのだった。
「…寒いのはねぇ、苦手なんだよなぁ。」
湯気の立つお茶に息を吹きかけながら、冴花は苦笑いの様な表情を浮かべる。ロシアに住む事を決めたにも関わらず、寒がりという弱点を克服できない自分が情けなかった。
「別にね、寒さに弱いのは良いんだよ。ただ、それでユーリに抱き付くのはやめて欲しいな。ユリカならまだ許せるんだけど、ユーリは男なんだよ?」
不満気にそう言うフロイに、冴花は思わず口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。
「ええ、そんな事言う!?私にもユーリにもその気無いの分かってるくせに!?」
慌てて反論する冴花だが、彼の言っている事が正しいのは分かっていた。
彼女は元々、男性へのスキンシップは取らない人間だった。それは過去のトラウマのせいでもあるし、自分の容姿がモテるという事を知っている為でもあるが、ごく一部の心を許した人間に対しては思わず触れてしまう事もあった。
理性ではどうにもならない衝動的な行動を、どう制御しろと言うのか。
「…私がフロイ一筋なの知ってるくせに?」
これ以上言及されたくないと思ったのか、冴花はこてんと首を傾げて上目遣いに彼を見た。
「…ずるいなぁ、君は。そんな事言われたら黙るしかないじゃないか。」
確信犯だと分かっていても、彼女の愛らしい仕草と台詞に体温が上がってしまう。
惚れた弱みか、と思いながらフロイは紅茶を上品にすすった。
「…怒らないで。本当のことなんだから。私、貴方の全てが好き。」
好きな女の子が突然距離を縮めてきたため、フロイは思わず手に持っているカップを落としそうになった。
「…フロイの優しいところが好き。勇敢で強いところが好き。真っ直ぐなところが好き。仲間思いなところが好き。サッカー好きなところが好き。それから…私なんかのことずっと好きでいてくれてありがとう。好き、貴方の全てが愛しくて堪らない。」
冴花は彼の頬に手を当て、次から次へと愛の言葉を囁く。フロイの蒼く綺麗な瞳を見つめながら、そっと自分の額を彼の額に重ね合わせる。
「貴方みたいな人に好かれて、私は幸せ者だわ。」
そう言って優しく微笑んだかと思うと、彼女はフロイから身体を離して肩をすくめた。
「ふふっ。急に何言ってるんだ、みたいな顔してるね。今日は恋人の日だから、これでもかってくらい愛を語り合うんだよ。」
冴花は少し戯けた調子でそう言うと、すっと彼に何かを差し出した。
「はい、今年は本命ね。」
にこやかな表情の彼女が差し出したそれは、可愛らしくラッピングされたチョコレートだった。
それを受け取ったフロイは、そのまま彼女の腕を掴みぐっと自分の方へ引き寄せた。細っそりとした愛しい少女をしっかりと抱きしめ、耳元で「ありがとう」と囁く。
「…頑張ったの。不格好かもしれないけど、味は保証するから。」
先程までの淡々とした声から一転して弱々しくなった彼女の声を聞きながら、フロイはそっと彼女の髪を掻き上げる。
「…っ!?」
何かひんやりとした感触に襲われ、冴花は声にならない悲鳴と共にフロイから身を離す。呆気なく解放された彼女の瞳に、優しい笑みを浮かべた少年の姿が映った。
「うん、やっぱり似合ってる。…僕も、君の事が大好きだよ。だからこれはプレゼントと見せかけた首輪。誰にも渡さないし、絶対離さないって意思表示だよ。」
驚いた顔をしている冴花の首元を指でなぞり、フロイはゆっくりと彼女の唇に自分のそれを重ねた。
fin.
1/1ページ