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補足*暦と星のモニタリング

2020/03/12 01:55
補足たわごと
一番死ぬかと思った作業です。私は頭がよくない(デュエルでライフ計算ができないレベル)ので、地獄でした。
なのでこの記事も正しいわけではありません。あくまでザックリです。そのことをご理解頂いた上でお読みください。



 そもそもなぜ暦を今になって調べ始めたのか。
 始まりは2月下旬、軽い気持ちで「アクナムカノン王が死ぬ前後で彗星現れてないかな」と考えたのがきっかけでした。彗星が周期年数通りに現れていたと仮定して、紀元前1564〜1540年代に出現したものを割り出そうとしたのです。


 その結果がこちら

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 もう意味わかんない

 やってられるか。ズレ方が尋常じゃない。ハレー彗星でこのありさま。100近い彗星のデータを捌くには限界がありました。



 そこで始めたのが「Sky guide」による天体のモニタリングです。元から星が趣味で購入していたアプリなんですが、実は時間と観察場所が選べます。

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 彗星は無理でもある程度の天体現象を追うことができました。しかしこれもまた問題が発生します。エジプト暦での誤差です。

 諦めぬ。決して挫けぬ。文句を言う前に大学のアーカイブから私の卒論読めって感じですが名前バレたくないんでやっぱ読まないで探さないで。


 その結果をここに書いていきます。

 ◆年代の割り出し
まず数年ではなく、「ある1年」を基準として作成しようと考えました(爆死しないためにも)
この年を私は「アクナムカノン王の死去年から一番近い閏年」に定め、結論から言うと「紀元前1549年」を選びました。

大前提としてこの年を求めるために、下記の年数の想定が必要になります。
 ・アテムの生まれ年
 ・アテムの即位年
 弊サイトはモデルケースとしてアメンホテプ1世を上げていますが、彼は40歳くらいまで生きているので、生まれた年数だけ抽出しました。


アメンホテプ1世(在位期間:BC1551〜BC1524年)

少年期に父王を亡くし、立王している
(当時の成人が15歳くらい。立王時まだ幼く、母親が執政に就いているので前王イアフメス1世の死去時9〜10歳、立王時12〜3歳と仮定する)

BC1566〜1564年頃産まれている

ここからアテムに置き換えてみます。
 ・アテムの死去時16〜17歳で、記憶のゲーム内では即位と同時にバクラとの闘いが始まっているため、おそらく統治年数は1年以下。
 ・アテムが王座に座った頃には先王アクナムカノンはミイラになっていたので、葬祭+埋葬に約120日以上費やしている。

 アテムの生まれ年数をBC1564年とし、ここから父アクナムカノン王の死を15歳後半頃に経験→誕生日を過ぎて120日前後過ぎに即位したと考えると、アクナムカノン王の死去年数は「BC1550年」と仮定できます。

 計算上閏年のカレンダーにしたかったので、次年のBC1549年を使用します。



というわけで2枚ご用意致しましたハイドン。

(1)誤差がない場合の正しい季節感の暦
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(2)アテムの時代の季節感ズレまくった暦
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まずエジプト暦は365日で計算しているので、4年で1日、100年で25日ずつ暦と季節がズレていきます。

「太陽とシリウス(恒星)の星出が一致する日」を新年の元旦とし、
「10日で1週間」「30日で1ヶ月」×12ヶ月(360日)
そこに5日足して365日を回していました。シリウス恒星暦に、後付けで太陽暦や月の周りなども考慮してたみたいです。でも閏日を設けていなかったので、コプト暦やユリウス暦が入ってくるまではユルユルだったようですね。

で、1枚目は大英博物館が「元旦は7月19日あたり」と言っているのでそれで作りました。なので1枚目は「ズレがなく、現代の季節に合わせていたらこんな感じ」というものです。

大問題の2枚目ですが、ズレまくった結果アテムの時代の暦はこんな感じでした、というものです。
(※あくまでザッッッックリです参考にしてはいけません)

アメンホテプ1世が幸いにも「収穫期第3月の9日に正月が来た」と残してくれています。
そこから紀元前1549年の太陽とシリウスの周期計算から、収穫期第3月の9日が、だいたい7月2日頃だったと分かりました。

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(太陽とシリウスが同時に登るのは7/1〜7/3でした。しかし目視上7/1ですが厳密な一致は7/2ですので、ここは慎重に……)

あとはもう早いです。30日で一月ずつ割ってけばいいんですから(適当)

誤差はエジプト暦上で ±約4日
(基準の収穫期第3月の元旦が1540年代のもののため)
そこからさらにユリウス暦換算で +約13日です。

 そこまでやってられるか(ぶん投げ)

ちなみにアテムの誕生日が11月説と6月説がありますが、私は6月説を推しています。

 〜根拠〜
元旦を大英博物館設定の7/19と定めた、季節感通りの暦で考えた場合
 ・セトの誕生日(増水期第4月目9日)が、海馬瀬人の誕生日(10月25日)と一致する
 ・盗賊王バクラの誕生日とされる9/1〜2が一致する
 ・そもそもエジプト暦をそこまで詳しく設計せず、季節のズレなどを計算に入れていなかったのではないか(設定上の都合)

 自分であーだこーだやっていると、色々な事が見えてきてとても楽しいです。
 大英博物館設定の暦で読むと、マハードの誕生日(増水期第4月目15日)は10月31日になります。ハロウィン生まれだなんて流石マジシャン。



我ながらよくこんなことやったと思う。
でも妄想広がりますね。彗星周期の数億倍楽しい作業でした(白目)

あくまでザックリなので、大学の論文とかで使うと痛い目見る(資料がめちゃめちゃ偏ってる)よ。

どうしてもアクナムカノン王の死に日付けを入れたかったのには理由があります。
このあと部分日食があるのです(壮絶なネタバラシ)
日食は太陽信仰の古代エジプトに置いて天変地異中の天変地異でした。
まあモニタリングしたところぶっちゃけアテムの生まれたBC1564年にもガッツリ日食が起きているんですけどね

みんなも古代エジプトにもっとズブズブしよ……おいで……こっちおいで…………

atenah.

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