そうだ歌仙と京都行こう。
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04.随心院
「おや、もう九時前か。主、まずは電車に乗るよ。」
歌仙は時計を見ながら足早に東海道・山陽本線の改札へ向かい、手を引かれる私は小走りになる。
「歌仙が普通に『電車』って言うと違和感あるね。」
「言ってる場合じゃないよ主。早く。」
京都駅から東海道・山陰本線で米原方面行きの電車に乗ると、歌仙と私は山科駅で降りた。
「やましな?」
「乗り換えるよ。京都駅からはちょっとだけ行きにくい場所なんだ。…三条京阪か祇園四条あたりからなら、乗り換え無しで行けるんだけどね。」
歌仙に手を引かれるまま、改札を出てすぐの地下鉄改札へ入って行く。
そして東西線 六地蔵行きの地下鉄に乗ったが、歌仙は少し不服そうだった。
「僕は地下鉄があまり好きではなくてね。景色が見えないだろう?本当ならバスで向かいたかったんだが、時間が掛かるから今回だけは我慢だ。」
朝方だというのに人もまばらに座っている程度の車内で歌仙と私は隣同士で座るが、…歌仙は私の手を離さなかった。
「次にまた、ゆっくり来よう。」
優しく微笑んで、もう次の約束をする歌仙がいじらしい。…次は前田も、なんていう私の考えを見抜いていたなら、とんでもない確信犯だと思った。
私達は、『小野駅』で降りた。そして改札を出ると左の方へ進み、階段を登って地上へ出る。
そこから十分も歩かない内に、まず一つ目の目的地、「随心院」へ辿り着いた。
「ここはかの小野小町ゆかりの寺だ。」
「…あ、三十六歌仙!」
「ふふ、そうだね。でも小野小町は歌仙の語源となる紀貫之が選んだ六歌仙が初出だ。あと、…女房三十六歌仙にも取られているよ。とにかく、僕と主との最初の場所には相応しいだろう?まずは絶世の美女と言われた小野小町にあやかって、…主をもう少しお淑やかで美しくして貰えるよう、美人祈願といこうか。」
「なんか腹立つ。」
《歌仙の優しい補足》
随心院、正式には「真言宗大本山 牛皮山 随心院」。ここは地名の通り、平安時代前期に繁栄した貴族、小野氏の一族が拠点として住んでいた場所とされているよ。かの小野小町もここで生まれ、宮廷を下がってからも余生をここで過ごしたと言われているね。(※諸説あり)地獄通いの伝説がある小野篁も、もしかしたらこの辺りで産まれたのかもしれないよ。
三月には素晴らしい梅園が見られるし、「はねづ踊り」という風流なお祭りもある。混雑はするが、一度見ておく価値は大いにあるだろう。
でも、僕が最も美しいと思うのは雨の随心院だ。書院造りの縁側から眺める、小さめながら完成された美のある庭、そして雨に打たれる花は、まさしく小野小町が読んだ和歌「花の色は うつりにけりな いたづらに」の世界。
御本尊「如意輪観音像」を中心に、
木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期)、木造金剛薩埵(こんごうさった)坐像(鎌倉時代、快慶作)など重要文化財が本殿に並ぶ姿はまさしく祈りと癒し、そして慰めに満ちた静寂の空間。
その中でも、右端から2番目に鎮座なさる薬師如来坐像(平安時代後期作)は、無名にはなんとも口惜しいほどの素晴らしい薬師様だ。お会いするたびに口元の表情がお代わりになるその微笑みは、如何人をも癒して下さる薬師如来の名に相応しい…筆舌に尽くしがたいものがある。…と、僕の主はメロメロだ。僕としては嫉妬してしまうねぇ。
他にも卒塔婆小町坐像、文塚、小町化粧の井戸など見どころはたくさん。
「如意輪観音像」様は、現在秘仏となっているから、ご開帳に合わせて行くのも良いかもしれないねぇ。
《memo》
イベント事の他に時代劇?の撮影などに出会す事も稀にあるけど、基本的には人はまばらで、静かに過ごす事ができるよ。
運が良いと、本殿横の池に美しい「カワセミ」や、庭に「キツツキ」を見る事ができるし、四季折々の風情を楽しむにも素晴らしい場所だよ。
◯写経の他に、珍しい写仏を行う事もできるよ。
真言宗 大本山 随心院
京都駅より電車で約40分。
東西線 小野駅より徒歩約8分。
「おや、もう九時前か。主、まずは電車に乗るよ。」
歌仙は時計を見ながら足早に東海道・山陽本線の改札へ向かい、手を引かれる私は小走りになる。
「歌仙が普通に『電車』って言うと違和感あるね。」
「言ってる場合じゃないよ主。早く。」
京都駅から東海道・山陰本線で米原方面行きの電車に乗ると、歌仙と私は山科駅で降りた。
「やましな?」
「乗り換えるよ。京都駅からはちょっとだけ行きにくい場所なんだ。…三条京阪か祇園四条あたりからなら、乗り換え無しで行けるんだけどね。」
歌仙に手を引かれるまま、改札を出てすぐの地下鉄改札へ入って行く。
そして東西線 六地蔵行きの地下鉄に乗ったが、歌仙は少し不服そうだった。
「僕は地下鉄があまり好きではなくてね。景色が見えないだろう?本当ならバスで向かいたかったんだが、時間が掛かるから今回だけは我慢だ。」
朝方だというのに人もまばらに座っている程度の車内で歌仙と私は隣同士で座るが、…歌仙は私の手を離さなかった。
「次にまた、ゆっくり来よう。」
優しく微笑んで、もう次の約束をする歌仙がいじらしい。…次は前田も、なんていう私の考えを見抜いていたなら、とんでもない確信犯だと思った。
私達は、『小野駅』で降りた。そして改札を出ると左の方へ進み、階段を登って地上へ出る。
そこから十分も歩かない内に、まず一つ目の目的地、「随心院」へ辿り着いた。
「ここはかの小野小町ゆかりの寺だ。」
「…あ、三十六歌仙!」
「ふふ、そうだね。でも小野小町は歌仙の語源となる紀貫之が選んだ六歌仙が初出だ。あと、…女房三十六歌仙にも取られているよ。とにかく、僕と主との最初の場所には相応しいだろう?まずは絶世の美女と言われた小野小町にあやかって、…主をもう少しお淑やかで美しくして貰えるよう、美人祈願といこうか。」
「なんか腹立つ。」
《歌仙の優しい補足》
随心院、正式には「真言宗大本山 牛皮山 随心院」。ここは地名の通り、平安時代前期に繁栄した貴族、小野氏の一族が拠点として住んでいた場所とされているよ。かの小野小町もここで生まれ、宮廷を下がってからも余生をここで過ごしたと言われているね。(※諸説あり)地獄通いの伝説がある小野篁も、もしかしたらこの辺りで産まれたのかもしれないよ。
三月には素晴らしい梅園が見られるし、「はねづ踊り」という風流なお祭りもある。混雑はするが、一度見ておく価値は大いにあるだろう。
でも、僕が最も美しいと思うのは雨の随心院だ。書院造りの縁側から眺める、小さめながら完成された美のある庭、そして雨に打たれる花は、まさしく小野小町が読んだ和歌「花の色は うつりにけりな いたづらに」の世界。
御本尊「如意輪観音像」を中心に、
木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期)、木造金剛薩埵(こんごうさった)坐像(鎌倉時代、快慶作)など重要文化財が本殿に並ぶ姿はまさしく祈りと癒し、そして慰めに満ちた静寂の空間。
その中でも、右端から2番目に鎮座なさる薬師如来坐像(平安時代後期作)は、無名にはなんとも口惜しいほどの素晴らしい薬師様だ。お会いするたびに口元の表情がお代わりになるその微笑みは、如何人をも癒して下さる薬師如来の名に相応しい…筆舌に尽くしがたいものがある。…と、僕の主はメロメロだ。僕としては嫉妬してしまうねぇ。
他にも卒塔婆小町坐像、文塚、小町化粧の井戸など見どころはたくさん。
「如意輪観音像」様は、現在秘仏となっているから、ご開帳に合わせて行くのも良いかもしれないねぇ。
《memo》
イベント事の他に時代劇?の撮影などに出会す事も稀にあるけど、基本的には人はまばらで、静かに過ごす事ができるよ。
運が良いと、本殿横の池に美しい「カワセミ」や、庭に「キツツキ」を見る事ができるし、四季折々の風情を楽しむにも素晴らしい場所だよ。
◯写経の他に、珍しい写仏を行う事もできるよ。
真言宗 大本山 随心院
京都駅より電車で約40分。
東西線 小野駅より徒歩約8分。