エルピス・プロジェクト
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感傷的になるつもりはなかった。
こんなデュエル展開、なまえ自身も想定してなどいなかった。……だけどなんとなく、未来を見据えた上でこうなっていたのなら、これは自分が引き寄せた運命なのだろう。きっとこのデュエルの結末がどうなったとしても、了見は分かってくれる。
シャドールは、SOLに囚われて魂を剥がされた私の姿。
ミドラーシュは死を迎えた風。あなたを探し求めた果てで、破壊の根源に体を囚われた私の姿。
アノマリリスはあの窓から見た
ネフィリムは私の中のあなた。幼いあの日、目が覚めた先で待っていた神様の子ども。私の心を囚えたあなた自身もおじさまに心を囚われていた、人形の姿。
───だけどおじさまはもう居ない。あなたはもう自由の身。きっとあなたは正しい道を歩ける。……私からも解放されて。自分でもわかってる。もう、現実世界であなたに触れることはできない。だからこれは私にできる最後のメッセージ。
了見なら、きっとわかってくれる。愛しているんだもの。ずっと一緒に居た。……あの日目が覚めたあとで、あなたは記憶を失った私を受け入れられずに拒絶した。だけど、どんなにつらく当たられたって、どんな仕打ちをされたって、私は了見が「元々の私を愛していたから、今の私を受け入れられないだけ」だと知っていたし、信じていられた。自分でも不思議なくらいに。
記憶を失っていた私をも受け入れて、愛してくれた了見。だけど、私はまた変わってしまった。あなたの目の前にいる私は「元々の私」。このデュエルで闘っているのはリボルバーと私だけど、本当に闘っているのは、了見の中にある「私」と、私の中に目覚めた「最初の私」。勝った方が了見の思い出の中に留まることができる。───だからどいて。せめて、私は了見の心の中で漂っていたい。
負けた方が私でなくなる、了見の心に居られなくなる。きっと“転生”を経て、了見を見つめるだけの存在になる。……分かってる。それが「私」。あなたを求めた果てで、破壊の根源に体を囚われたまま、私は了見の心から切断される。
だからせめて、あなたの手で消して。
「私はレベル5の《エルシャドール・ミドラーシュ》と、《転生竜サンサーラ》で、オーバーレイ・ネットワークを構築───」
警報音がクイーンのモニターを赤と黄色に染める。突然のことに研究員が立ち上がったり駆け回り始めるのを横目に、クイーンはさっさと自分の画面のアラームだけでも消した。
首だけを傾けてモニターを覗き込めば、なまえの肉体に群らがる医者達が監視カメラ越しに見える。無音にした心電図は、蘇生用の電気ショックが当たる度に大きく跳ねた。
研究で人を殺す。……それも、自分がトップを務める研究で。
罪悪感や罪の意識が無いわけがない。だが社会的な命としての重さは軽い方だとクイーンは自分に言い切れる。18歳の女の子。身寄りもなく、血縁者どころか友人すらも居ない、鴻上家の人形。たった1人の犠牲で、《エルピス》という意思を持った人工知能の開発の成功と、ハノイのリーダー・リボルバーとプレイメーカーのアカウント捕縛、そしてプレイメーカーが持つ闇のイグニスに化けたのだ。
これ以上の安い買い物があるだろうか。
「フフ、……」
モニターに反射する自分の弧を描いた口元を見ても、クイーンはそれが悪魔と契約した女の笑顔だとは思わない。ただ、「口紅塗り直さなきゃ」とだけ呟いた。
「オーバーレイ・ネットワーク?!」
目を見開くプレイメーカーの下で、アイは沈黙していた。いまさらそれを気にするプレイメーカーでもないが、この時だけは、アイに沈黙の理由を聞くべきだったのかもしれない。
「───エクシーズ召喚!!! 現れろ」
ランク5《始祖の守護者 ティラス》!!!
(ランク5・光・
「だがまだ私の《ヴァレルソード》には届かない!」
「構わない!!! 私は《始祖の守護者 ティラス》で、《ヴァレルソード・ドラゴン》を攻撃!」
攻撃力2600のモンスターで、攻撃力3000のモンスターを攻撃。確実に別の目的がある。だがリボルバーもそれを許すデュエリストではない。
「《ヴァレルソード》の効果発動! リンク先の攻撃表示モンスター1体を守備表示にすることで、このターン《ヴァレルソード》は2回の攻撃が可能となる! 私は《メタルヴァレット》を守備表示に変更!
これにより、《メタルヴァレット》の効果が発動! このカードがリンクモンスターの効果の対象となったとき、自身を破壊する! その後自身が存在していたゾーンと同じ縦列の相手フィールドのカードを、全て破壊する!!!」
《メタルヴァレット》は《ヴァレルソード》の左下。その縦列に《ティラス》は置かれている。
「《始祖の守護者 ティラス》効果! このモンスターにオーバーレイユニットが存在する限り、このモンスターは戦闘・または効果による破壊はされない!!!」
「ならば2度のダメージを受けてもらおう!!!」
《ヴァレルソード》の1度目の攻撃。放たれた弾丸は、透明な軌道をなぞりながらなまえに向かう。
もういっそ、この状況でも良い。理想的な瞬間でなくても良いから、このまま時が止まってしまえばいいのに。
「───アァッ!!!」
なまえ(LP:500)
ついに吹き飛ばされたなまえは背中を地面に預けた。土埃舞う中で仰向けに倒れたなまえを前に、リボルバーは2度目の攻撃宣言が出せない。次の攻撃で、《ヴァレルソード》は自身の効果により《ティラス》の攻撃力の半分、1300ポイントを加え、《ティラス》は攻撃力の半分を下げられる。その差ダメージ3300ポイント。これでデュエルは決する。
躊躇うのはなまえの肉体のこと。それどころか、今のダメージでなかなか立ち上がらないなまえに、リボルバーの体は震えていた。
ゆっくりと目を開けたのに、見えるべきバーチャルリアリティの世界は見えない。リボルバーの姿も、了見の姿も。そして自分の姿さえも。
「───あ、」
さみしい。
素直にそう思った。これが死の淵。了見の顔を見たかった。了見と歳を重ねて、いつか結婚して、家族がいない者同士、家族を作れると思っていたし、そうしたかった。
私はこの人生で何も最後までやることができなかった。了見との最初で最後のデュエルさえも。
『───了見』
「AIプログラムへの接続を解除! 生態救護急いで!」
被験者のモニターの次は、怒号すら飛ぶ研究室の監視映像がクイーンの集中を邪魔する。淡々とそちらのウィンドウを閉じようとしたとき、予想外のエラーポップアップが開いた。
「AI《エルピス》、……! どうして?! 起動します!」
「どういうこと?!」
すぐ横にいた研究員の声に振り向いて詰め寄る。しかし研究員も自身の内でトラブルシューティングできず、困惑してクイーン相手に吃るのが限界だった。
「《エルピス》を強制シャットダウンしなさい! まだ未完成なのよ?!」
「ダメです、エルピスの方からプログラムが書き換えられています! 完全に制御不能!」
死の淵で向かい合うのは、どこか歪つな肢体。人間の顔のパーツが“そういうふうに”並んでいるから、彼女も同じように顔のパーツを並べただけ。人間で言う目の2つの水晶玉を前に、なまえは目を閉じた。
「私の願いを聞いてくれるの?」
『私は貴女の
「……私から生まれた私。あなたが求めた果てで、破壊の根源に体を囚われたままの私は、あなたになって了見の心から切断される。だからせめて、私は了見の手で消してもらいたい」
『わかりました、───「お母さま」』
はは、と乾いた笑いが溢れた。了見と、いつか家族を持ちたいと祈っていた。その意識データさえ取り込んだ上でそう言ったのなら、彼女は本当に優しいAIだと思う。私のデータから生を受け、了見とのデュエルデータで再構築されて完成した《
『なまえ』
眼球から目蓋を剥がす。青白い窓辺に、朝焼け前の空色をしたあの目が待っていた。
「───りょ、」
『りょうけん?』
『そう。そして君はなまえ』
『ひらがななまえ?』
『お前の名前だ』
8歳の体には大きすぎるベッドの上で、了見は書き慣れていない、バランスの悪い字でなまえの名前を書く。
『ちゃんと覚えたか?』
「ええ、覚えてるわ。……了見」
18歳の手が、鉛筆を握る8歳の小さな手を握る。なまえの左手に彫られた赤い三角形のマーカー。その鏡写しにあるべき了見の右手のマーカーは、その小さな手にはまだ彫られていない。
なまえは小さな姿のままの了見を、あのベッドの上で抱きしめた。
「ありがとう、了見。私をずっと好きでいてくれて。私に名前を返してくれて」
小さな体を抱きしめるほど彼の体は小さくなり、やがて腕は自分の体を抱くために回された。そうして丸まった体を、今度は大きな体がさらに包み込む。驚いて顔を上げれば、優しく微笑んだ了見が、いつものようになまえの頬を撫でた。
この笑顔が、もう自分の理想を塗り固めた虚構ではないと知っている。確かに私は自分の人生で何かを成すことは出来なかった。だけど、私が唯一できたこと───
「了見」
人を、このひとを愛した。そして彼の笑った顔を取り戻せた。
これ以上有意義な人生なんて無かった。了見のために生きられたのだから。
『愛している、ずっと』
「……バカね」
ふふ、と笑った。了見は「ずっと」なんて言葉を使わない。もっと了見のこと、学ばなきゃね─── 了見が貴女を破壊するときまで。エルピス、……
土煙りが引き始めた中で、女の影がゆっくりと立ち上がる。リボルバーとプレイメーカーはその姿に一抹の不安を残しながらも、なまえがまだ生きているという点に安堵の息をついた。───アイ、ただひとりを残して。
「なまえ、これで終わりだ!!! 私との約束を果たせ!」
───『約束だ。私のために、生きてくれ』
───『……うん』
「えぇ。……」
小さく呟いた言葉は、リボルバーの耳に届かなかった。