王妃の記憶
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完璧な愛を一度手に入れてしまったから、禁断の果実を食べてしまったから。……だから私は知っている、セトがそれを持っているって。
喪失の小神殿
「……」
セトと隣り同士、宰相達が用意したベス神の部屋で、背中を向け合って眠る夜。この国でセトと前世のなまえ以外の人間の全てが性愛と受胎を望み、その願いに満ちている中に放り込まれている。
それでも、セトは前世のなまえの髪にすら触れない。
木に実る果実のように、ただ成熟した身体を宙にぶら下げるだけの日々。芽を出すことを恐れて硬い殻の中に閉じ込めた愛の種を手の中に握り締めて、自らに与えられた使命から目を逸らす。
セトが気付かない程度に首を動かして背後を覗いてみると、同じように首をこちらに向けて暗闇に光るセトの瞳が目に入った。
「……!」
すぐに顔を正面に向けて腕を抱くように縮こまる。バクバクと高鳴る心臓を抑え込もうと肩に力が入れば、背中でセトが身体を起こしたのを感じた。
スルスルと布の擦れる音。振り返ることができない。背中を向け合って横になり、リネンのシーツに包まっているとは言え、ベス神の部屋で服を纏って眠ることなど許されていないのだから。
……セトが兄王のあと
静まりかえった部屋にセトの大きなため息だけが聞こえた。彼が自分の中で酷く葛藤していることも、理性と戦い続けていることも知っている。……
この身体をセトに蹂躙される覚悟など、型式的に結婚した時点で出来ていたはずだった。それなのに3年、セトはたったの一度私の手に触れただけで、決してそれ以上侵略してこない。
「(マハード……)」
頭を預けて擦り付ける枕に、マハードの胸の思い出を重ねる。身体を包むシーツに、マハードが抱きしめてくれたときに靡いたマントの思い出を重ねる。セトと一緒にいると、私はマハードを思い出して、考える。
今夜隣に居てくれるのがあなただったならって考える。あなたは私を抱きしめてくれるのかなって。あなたの瞳の奥を、ずっと見つめられたらよかったのになって。
だって、……あなたの瞳の中だけに生きていたかった。生きているあなたの瞳の中で、私は生きていたかったのだから。
「前世のなまえ」
静かで、少し掠れた声。僅かに首を動かすだけで返事はしない。それでも互いに目が覚めていることは察知している。
「……今、誰のことを考えている?」
心の中で霞む、ただ佇むだけの青い陰に私はまだ震えている。比べることなんて簡単なことだけど、蒸留水のように精製された思い出の中の人に現実の人間が勝るなんて、決して簡単なことじゃない。
だけど、それは私も同じ。
「あなたも誰のことを考えているの」
「……ッ」
こんなの間違ってる。お互いに心の中に1番の人がいて、お互いに敵いっこない。1番に愛した人、それ以外の誰かである限り、私たちは2番目。お互いさま。一度でも最高の人を得てしまって、どうしてそれ以上のものが得られると思っているの。
マハード、あなたは私に大きなものを与えた。そしてその時の種をまだ握り締め続けてる。そしてまだ後悔してる。
一生自分を赦せずに、自分を呪い続ける。あなたを行かせたことを。
「まだ私を恨んでいますか」
嫌い、大嫌いよ。私なんか。自分のことなんか。
「大嫌いよ」
大嫌い。失っておいて、なおまだ誰かを愛そうとするお互いなんか。
「……」
背中に冷たい風が当たり、新鮮な空気が肩の峰を越えて頬を撫でる。セトが部屋を出て行ったのなんて、見なくても分かった。
セトがそれでいいなら、私には関係ない。私は正当な王家の人間なんだから。王家の血筋であると完全に証明できなかったセトが、自ら
私が選んだ男はこの世にたった1人だけだった。彼を喪った時点で、私は王家の人形であるしかなくなったのだ。
だから、セトのことなんかどうだっていい。マハードじゃない、他の男の事なんか。
「……ッ」
胸が痛い。鼻の奥が痛い。おでこが痛い。息ができなくて、喉が締め付けられる。舌が石のように強張り、ゆっくりと鼻で息をするのが精一杯。
セトが出て行った冷たい部屋。セトが居ないんだから、誰の目も気にしなくたっていい。本当は大声を上げて泣き喚きたい。だけど、前世のなまえは必死に声を殺した。
わかっている。こんなの間違ってるって。
完璧な愛を一度手に入れてしまったから、禁断の果実を食べてしまったから。……だから私は知っている、セトがそれを持っているって。
それに、本当は私の手の中にも、セトに差し出すべき愛があることも知っている。
どうしてお互いに歩み寄れないのか。マハードに悪いから? キサラに悪いから?
違う。また愛した人を失うことを恐れているから。
このまま仮面を被ったままいれば傷付かなくて済む。王家の人形でいれば心を粉々にしなくても済む。私は、本当は死んでしまうべき人間だったのだから。
セトを愛する勇気が、セトの子供を授かる勇気が、私にはもう無い。私がセトにマハードを思い出すように、セトは私にキサラを思い出す。そしていつかセトを受け入れたとき、私はきっと思い出すのだ。マハードを受け入れた時のことを、そしてこの手に抱くべきだった子供のことを。
私達はどちらをも裏切り続ける。
愛した人を失う大きな悲しみを知っている私達が愛し合ったところで、私達はお互いに過去の人を思い出す瞬間瞬間で裏切り合い、失う。バカバカしい。こんなの間違ってる。
こんなの、間違ってる。
(thinking of you. / Katy Perry)
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