光彩





「紫苑、買い物に行く。あんたも来い」
「あ、うん」





立ち上がったおれのあとに続き、紫苑も読んでいた本を閉じてソファを離れた。



何だかじめじめする。
普段は快適に過ごせる地下室も、空気がこれだけ湿気ていると気が滅入ってしまう。


どうせ買い出しに行かねばならない頃であったし、気分転換に外出しようと思ったのだが――








「……雨だな」
「…雨だね」






あまりにも穏やかに降っていたせいで、地下室に居ただけでは気付かなかった。
じめじめするのも、ただ単に梅雨の時期が近いからだと思っていたのだが――どうやらこの雨のせいらしい。






「…やめるか」
「え、行こうよ、せっかくだもの」
「何がせっかくだって?」
「雨に決まっているじゃないか。たまにはこんな日に出かけるのもいいよ」
「おれはいやだ。濡れる」
「行こう、ところで傘はある?」
「…ひとつしかない」
「あるなら問題ない、行こう」
「……はぁ…わかったよ」






腕を引かれ、半ば強引に外へ連れ出される。

決して大きいとは言えない ひとつの傘に、身長170センチ程の二人が入るのは流石にきつい。
雨で少しひんやりとした外気とは対象的な体温が、触れ合う肩から伝わってくる。




普段は多くの人で賑わう市場も、さすがに雨の日は人が少ない。必要最低限なものだけを購入しながら何軒かの店を回る。


と、そうしているうちに穏やかだった雨脚が徐々に強まり、傘からはみ出た肩が濡れていくほどになってしまった。






「ネズミ、どこかで雨宿りしないか?今から帰っても余計に濡れるだけだし」
「そうだな」





近くの軒下に身を寄せて入り込む。傘同様に狭いが、雨脚は強まる一方なので仕方なくそこでやり過ごすことになった。
時間が経つほど外はどんどん白くなり、気付けば滅多にお目にかかれない程の土砂降りになっている。






「…くそ、せっかく買ったパンが湿気る」
「たまにはいいじゃない」






そんな暢気な発言をする紫苑をちらりと横目で見ると、彼はなんだか嬉しそうだ。







「…あんた、何がそんなに嬉しいんだ」
「ん?…ごめん、雨音で聞こえない」
「どうしてそんなに嬉しそうなんだ、って聞いた」
「うーん…まず、雨が嬉しいかな。NO.6はそんなに雨が降らなかったから」
「…あぁ」




以前にもそんなことを言っていたな、と温室育ちらしい発言に妙に納得してしまう。




「次に、傘がひとつしかないこと」
「は?」
「傘がひとつしかなかったから、きみとくっついていられたし…それに、こんな雨になったおかげでこうしてきみと雨宿りできる」






にこっと人懐っこい笑顔を浮かべながら更に肩を寄せ、わざと腕を触れ合わせる紫苑。






「くっ…ふ、はは…」
「なに笑ってるんだ、ネズミ」
「いや、あんたが、恋愛小説の台詞じみたことを言うからさ」
「本当のことを言っただけだよ」
「甘ったるい恋人の戯れ事だ」
「きみの体温は心地好いんだ」
「…あんたの体温も心地好いぜ」







抱えていた荷物を片手に移し、空いた片手で腰を引き寄せると 紫苑はくすぐったそうに笑った。






「きみだって恋愛小説みたいじゃないか」
「一種の愛情表現だ」
「…まぁ、確かに」








しばらく無言になる。

静寂というのは居心地が悪い。
相手の考えが読めないし、気まずさに似た空気に包まれる、あの感じが嫌いだった。

だが、紫苑との静寂は別だ。

何を考えているか大体は分かる――紫苑の場合、顔に出ていることが多いのだが――し、二人の間に流れる静かな空気が、なぜか心地好い。

紫苑が纏う、滑らかで優しい空気のせいかもしれない。











「…そろそろ行くか」






20分ほど経ち、雨もずいぶんと小雨になってきた。 このくらいなら、ひとつの傘に身を寄せていても大丈夫そうだ。
そうだね、と応えた紫苑に傘を差してもらい、小雨の中を歩きはじめる。








市場を抜け、少し開けた場所に出た瞬間、紫苑が あ、と小さく声を漏らした。






「見て、ネズミ!」
「ん?」






紫苑が指差す方向を見る。





「…あ」





最初は紫苑が何を見ているか分からなかったが、目線を紫苑に合わせて傘の下から覗き込むように空を見上げると、そこには見事なアーチが架かっていた。






「虹?」
「そう…すごく、綺麗だ」





開けた視界の遠くに架かる七色は、まだ少し空中に残っている雨粒に反射して輝き、紫苑の言う通りとても綺麗だった。







「あっ、おい、紫苑!」






突然、紫苑が傘を持ったまま駆け出した。
頭上から傘が消えたことで、既に雨が止んでいたことを知る。




ぬかるんだ地面の所々にある水溜まりで泥を跳ね上げながら、虹に向かって駆ける紫苑。

その白髪についた小さな雨粒が七色を反射する様子は、目の前の虹そのものよりも綺麗だと、思った。








「…確かに綺麗だ、紫苑」













こう‐さい【光彩】
きらきらと輝く美しい光。






End.
→あとがき
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