sweet,sweet,sweet
「…さっきからあんた、何してるんだ」
「まだ秘密っ!」
「…あっそ」
「もう少し待っててね、ネズミ」
部屋中に充満する、甘ったるい匂い。明らかにチョコレートのそれである。
先程から紫苑は熱心に鍋の中を掻き混ぜ、時折、何か独り言を呟いている。
「まだ」とか、「あと少しかな」とか呟いてみたり、火の強さを調節してみたり。
なんでまた急にそんなことをしてるんだ、と尋ねてもなかなか答えない。
――いつになったら、おれを構ってくれるのか。
そんな幼稚なことを考えてしまい、情けなくなる。このおれが、こんなにも紫苑に依存しているなんて…。
+++
こちらには目もやらず、鍋に夢中になっている紫苑を見ているうちに、いつの間にやら寝ていたらしい。紫苑に名を呼ばれ、はっと目を覚ます。目の前には、紫苑の嬉しそうな顔。
「ネズミ、出来たよ。待たせてごめんね」
「……顔、近い」
「ごめん」
少しだけ顔を離し、紫苑は何かをおれに差し出した。
「ハッピーバレンタイン!」
「…なに、それ」
「今日はバレンタインデーだから」
「…今日ってそんな日だっけ」
「そうだよ。ネズミ、大好き」
「ちょっと待て、バレンタインってあれだろ、女が男に…」
「そんなの関係ない。ネズミ、愛してる」
「言葉はあんたが思っているよりずっと重いんだ、軽々しく使うな」
「愛してるのは本当だよ。ほら、これ食べてみて。母さんのレシピなんだ」
紫苑が差し出していたのは小さなマフィン。チョコレートを混ぜたその生地は美味しそうに膨らんでいる。まったく、器用な奴だと改めて感心してしまう。
差し出されたマフィンを受け取り、一口かじる。
甘すぎないそのマフィンは、ほろ苦さを残していてとても食べやすい。
素直に、美味しい、と呟いた。
少しだけ緊張した面持ちだった紫苑は、その言葉を聞いた瞬間、顔を綻ばせた。
「良かった」
「うん、美味い」
「これも。温まるよ」
差し出されたのはマグカップ。そこからは美味そうに湯気が立ち上り、甘い匂いを漂わせている。
「なに、これ?」
「チョコレートが鍋についてたから、ミルクで溶かしたんだ」
「へえ…」
中身の熱を吸収して温かくなったマグカップを受け取り、それに口をつける。
口に含んだ瞬間、チョコレートの味が甘く広がった。チョコレート風味のホットミルク、という感じで――本当に、体の芯から温まる。
なんだか、あの日紫苑が作ってくれたココアを思い出した。
「美味しいでしょ」
そう言いながら、紫苑はおれの隣に腰を下ろした。
「うん」
「ふふ、これもね、たまに母さんが作ってくれたんだ」
「そうか」
紫苑は自分のマグカップを持ったまま、体を擦り寄せてくる。
「あったかい」
「…ああ」
「すきだよ、ネズミ」
「…ああ」
「なんだか、しあわせだ」
「…おれも」
こつん、とおれの肩に紫苑の頭がもたれ掛かってくる。
おれはマグカップを反対の手に持ち替え、空いた手を紫苑の頭に乗せて少しだけ紫苑を引き寄せた。
「…愛してる」
「ぼくもだよ」
どちらからともなく、ふと重なった唇は。
甘ったるいチョコレートの、味がした。
End.
→あとがき
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