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三織

 いつからだったかは忘れてしまった。しかし気が付いたら織田作之助とすれ違う瞬間甘い香りがするようになった。その香りはおやつ時に振舞われる紅茶、特に輪切りのレモンを浸した紅茶のようなすっきりとしていて甘いものに似ている。だからしょうがないのだ。編み込んだ長い髪が揺れながら甘い香りが漂ってくる一瞬、胸がドキリと鳴ってしまうのは。その一瞬だけは儚げな人のように思えしまうのは。
 
 ただ、ひとつだけ問題があった。時たまその香りが強烈なときがある。甘い香りも強すぎると悪臭と変わらない。本人は無自覚のようでそれが逆に自分をイラつかせた。ああ、またほら今日も。

 「ちょっとオダサクさん!今週これで何回目だと思ってるんッスか!今日も匂いキツすぎッス!」

 声を荒げてすれ違いざまに匂いの元の腕を掴んだ。何度言っても覚えないいらだちからすこし掴む手に力を込める。

 「いくら司書さんから会派に組まれた人たちに休暇をって言われてもいくらなんでも浮かれすぎとちゃいますか。俺たちの休暇は体を休めるためにあるんであって遊び呆けるためじゃないんスよ」

 「ホンマに学校の先生みたいなこと言うんやなあ」

 めんどくさいものに捕まったといわんばかりの表情で自分を見下ろす織田の顔は真っ青だった。顔色に気付いて腕を握っている手の力を緩めようとしたらもう一つのことに気付いてしまった。身体もかすかに震えているではないか。

 「あんた、体調悪いんとちゃいますか?こんなめかしこんでないでさっさと寝たほうが・・・いや林太郎先生に診てもらったほうが」

 途端に慌てふためきおろおろしだした自分を見た織田が何かうれしいことでもあったかのような顔つきになったと思ったら高笑いをしだした。体調不良をごまかそうとしているのはわかる。さっさと補修室にでも連れて行こう。こういう人は無理やり医者に見せるほかがない。

 「なんやなんや、いつもつっけんどんな三好クンがワシのこと心配してくれんのかあ!今日は霰が降るな!いやでもさっきまで太宰クンと一緒に居てん。そりゃあ盛り上がってなあ、笑いすぎてちょっとした過呼吸みたいなもんやから気にせんといてぇな」

 そう言って腕を振りほどこうとするのをさらに力を込めて阻止をした。その言葉を言い切る前に声が震え、最後は息を吐くような小さな声だった。これが笑いすぎだと?あまりにも下手くそな嘘だ。反抗する気力が復活する前に連れて行ってしまおうと無理やり織田の両腕を自分の首に回させる。相手はあのオダサクだとは思うもののこんな状態の人間をさいですかと見なかったふりして立ち去れるほど酷な人間ではないのだ自分は。そのまま腰を落とす。これで自分が何をしようとしているのかわかるだろう。貸しッスからねと言ったら小さくスマンなあと震える声が聞こえてきた。謝るくらいなら自分から補修室に行けばいいものを。織田が屈む気配を感じ身体に力を込めたが織田の体は降りてこなかった。自分の真後ろになぜかしゃがみこむ。そんなに具合が悪いのかと声をかけようとしたが結局できなかった。背後からごほっという息を吐く音がいやに廊下に響く。

 そのまま咳は酷くなり思わず織田の後ろに回り込み背中をさする。咳の合間にすまんなあという弱弱しい声がした。落ち着いた頃には口元を抑えた手のひらは朱く染まっていた。アルケミストである司書から転生させられた自分たちの身体には血ではなく朱い洋墨が流れている。だからか魍魎たちと戦ってけがなどしたときも鉄の匂いではなく洋墨の香りがする。今、この個人部屋に続く廊下は洋墨の香りがしていた。

 「落ち着いたッスか?補修室に行きましょう」

 「せやなあ。こうなったら行くしかあらへんよなあ。」

 もう逃げ出す気配がないとわかっていてもその手首を力強く握りこんで補修室まで連れて行った。大人しくついてくる男がかすかにつぶやいた声が、運悪くとでもいうのかしっかり耳に届いてくる。つけなおさないと。

 無事補修室に送り届ける任務は無事遂行。補修室にいた林太郎先生は慌てもせずまずは手を洗うといいと織田を洗面台に案内するとこっちを見て視線だけでもう帰って良いと指示を受けた。その指示を素直に聞くことにして後を去る。次向かう場所は決まってる。無心で司書室に向かった。

 きっと司書さんなら知ってる。その勘はあたった。織田作之助から漂ってくる香水はやはり洋墨の匂い消しとして使い始めたということ。その香水はいくら体調不良を高笑いでごまかそうとも匂いでばれてしまうことを気に病む姿をみかねた司書さんから譲りうけたこと。元々その香水は図書館利用者の研究者から司書さんにプレゼントされたものだということ。

 その話を聞いて頭が怒りで沸騰しそうになった。元々身体が丈夫でないのにそれを隠し通そうとしたからではない。身も知らずの男の香水をまとったいたことに言いようのない怒りがわいた。まるでそれは誰かのもの、のようじゃあないか。

 今回の会派の休みは織田の体調が怪しいということから提案されたらしい。一人だけ休みにすると言ったら絶対にその提案は飲まないだろう。ならば全員休みにしてしまおうと館長からの助言から自分たちも休みをもらえたようだ。今日のことを受けて休みはあと一週間伸びることが決定した。その寮内アナウンスが流れる前に司書さんにお礼を言ってから外へ出た。そんなもの渡して織田をどうしたいのだと自分に問いても答えは一向に出ない。しかしこんな話を聞いてじっとしてはいられない。今ならまだデパートの閉店時間に間に合う。


 


 休みが明ける前日にお司書はんに呼ばれた。呼ばれたのはいいけど何故か司書室には三好クン。顔が真っ赤なので今度は三好クンが具合悪いんかなあと顔を近づけた。その一瞬で香水の香りがしたのか三好クンの鼻が犬のように動く。今日は咳も出てないしつけすぎてないから怒られないだろうと思っていたらいつぞやを繰り返すかのように腕を力強く掴んできた。

 「そ、そんな身も知らずの男の匂いを振りまくんじゃねえッス!いいからこれでもつけてろ!」

 ワシの胸元に紙袋を押し付けてきた。なんや乱暴なやっちゃなあと受け取りながら呆けてたら顔をさらに真っ赤にさせた三好クンがズンズン歩いて司書室から出て行ってしまった。彼は嵐だったのだろうかと思うほどに急に静けさが急に戻ってくる。お司書さんもいないことだしここで開けても平気だろうと紙袋から中身を取り出すことにした。

 中身を取り出して最後の一言の意味を理解した。本人は自覚していないみたいなのでそこが笑いを誘う。自分が選んだ香りを纏っていろ、だなんてなんて殺し文句だ!
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