第1章 ノアの少女
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10
『え〜じゃあ何?チィったら私と面識も無いジョイド にまで捜索させてんの?』
高級レストランの個室で、長い黒髪に褐色の肌になったレイは、呆れた様に声を洩らした。
溜め息を一つ吐いて、ラザニアの刺さったフォークをパクリと口に含む。
「そうそう、しかも面白ぇの」
『何が?』
「ヒヒッ!ティッキーはレイの顔知らないんだよ!」
『……………ぇ、写真とか渡してあるんじゃないの?』
「無いな」
「ティッキー手ぶら〜」
ちょっと意味が分からない。
え、それ誰を…と言うか最早何を探してるの?
『いやさ、私もノア全開で歩いてるわけ無いじゃん…一応家出してんだからさ』
「まぁな」
「そだねー」
『しかも私、仮にも姫だよ?顔知られてなきゃ、ノア相手でもノアだって事隠せる自信あるよ?』
「そりゃそうだろうな」
「ヒヒッ!ティッキー無謀!」
え、何?嫌がらせ…?
『兎に角、私は暫く帰る気はないから』
「んな事言ってもよぉ」
デビットは左手で頬杖をついて、意味も無くナイフで料理を刺しながらレイを見た。
「そろそろ千年公がキレるぜ?俺、とばっちりくらうの嫌だしよ~」
「とばっちりぃ〜」
『分かるけど、そこまでして探さなくても…』
「あんな大事にしてたんだ。そりゃ捜すだろ」
『チィが大事にしてるのは、私じゃなくて…私の本質だよ』
きっとチィは…私、気持ちなんかどうでも良い。
「……俺はお前が…お前の全部が大事だぞ」
「ヒヒッ!デロもレイがだーい好き!」
レイは落ちてきた髪を耳にかけると嬉しそうに微笑んだ。
『ありがとう、二人共』
=雨の香り=
デビットとジャスデロと別れたレイは“白”に戻ると宿を目指して俯き状態で歩き続けた。飛んで帰れば楽なのに歩いた。
デビットとジャスデロが言ってくれた言葉は暖かくて…とても嬉しかった。
でも、チィが私をどう思ってるかが気になって仕方がなかった。
チィが私をモノとしか見てない様にも思えたから…
私は…私達はチィの家族であって、家族じゃない。
正直それでも良いと思っていた。
私はチィを裏切った。ノアを攻撃しなくてもアクマを破壊している。
これは家族を裏切った私への罰なんだ…
そう思う事しか私には出来なかった──…
瞬間、身体に衝撃が走った。
何かにぶつかった勢いで、身体が後ろに傾き、重力に従ってお尻から地面に落ちる。
『痛…ッ』
「ッ、たぁ…」
下を向いて歩いていた所為で、角を曲がった瞬間に人にぶつかってしまった様だ。
顔を上げると、特徴的な眼鏡をかけた男が地面に座り込んでいた。クルクルと無造作に跳ねた黒髪が好き勝手な方を向いている。
不味い。何かこの人…
見るからに弱そう!!!!
『ごめん!!大丈夫…平気か?!』
「あ…あぁ、大丈夫。大丈夫だから」
“落ち着け”と言われてレイは申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「…お嬢さんは大丈夫なのか?」
『私は平気!!それより貴方は本当に大丈夫?私、前を見てなくて…ごめんなさい』
男はレイの頭を撫でてやると、手を引いてレイを立ち上がらせた。
「俺も受けとめられなかったからな」
『それは問題無い!ぶつかったのは私だし、貴方は私より弱そうだ』
「ちょ、ちょっとまった!!俺これでも力強いから!てか男だから!」
“まっさかぁ~”と言って聞かないレイの頬をふと雫が伝う…
男は目を見開くと、慌てて指の腹で雫を拭いとった。
「な、何で泣くんだよ、お譲さん!何だ?俺なんかしたっけ??」
『…違う』
違う…これは涙なんかじゃない。私は泣いた事が一度も無いのだから……これは…
『雨‥?』
レイが空を見上げ、同時に男も空を見上げた。
瞬間、バケツをひっくり返した様に雨が降り注いだ。
『…え』
嘘でしょ。
「お譲さん!!」
グッと強く手を引かれ、ふわっと飛ぶように立たされた。
「ここじゃ濡れるからどこかで雨宿りしようぜ!!」
そう言うと今さっき知り合ったばかりの男は私の手を引き走り出す。
一瞬、男がクロスと被った…
──速くしろよ、レイ…風邪ひいちまうぞ…
手を引かれて着いた先はホテルだった。
直ぐに手続きを済ませて部屋に入ると、ポイッとシャワールームに放り込まれた。
扉越しにシャワーを浴びるように足され、寒かったし言われた通りにした。
大丈夫かな、これ…ユエに見付かったら大変な事になると思うんだけど。
「寒くないか?」
『大丈夫』
バスローブを纏ったレイがベッドに腰掛けると、男はタオルでレイの髪を優しく拭き始めた。
『ねぇ…何でホテル?』
「ん~そりゃあ、俺だって可愛いお譲さんと雨宿りするなら喫茶店とかレストランが良いと思ったよ?だけど喫茶店やレストランには着替えとか濡れた服を乾かす場所と物も無ぇしな」
そりゃそうだ。
折角、雨宿りしたのに体や服が濡れていたらどっち道風邪をひく。ここならタオルは勿論、濡れた服を乾かすスペースやシャワーやバスローブまである。
『結構、利口ね』
「酷ぇ、確に学ねぇけどさぁ!」
レイは男のショックを受けた顔を見て楽しそうに笑った。
『冗談よ』
「酷ぇよ、譲ちゃん‥」
『ごめんってば』
レイは笑いながら男の濡れたグルグル眼鏡を取る。
『……へぇ』
「……何だよ」
『美形かとは思ってたけど…予想大当たりだわ』
「そりゃどうも。店主に服借りてきたから着て来いよ」
『はーい』
渡された服は少し大きかったけど女物だった。受付に居た奥さんのだろう。
レイが服に着替えて部屋に戻ると、男はベッドで眠りについていた。
子供みたいな可愛らしい寝顔でぐっすりと…
レイは男が冷えないように布団を沢山かけるとタオルで男の湿った髪を拭き出す。
『自分に無関心なのかしら?人の事ばっかり気にして…』
そう呟いたレイに向かって、すっと男の手が伸び、レイを引き寄せて抱き締めた。
『っ‥』
レイは慌てて離れようとするが、男の顔を見た瞬間、動きを止めた。
『寝てる…寝惚けてるのか』
弱そうとか言ってしまったが、さすがは男の人と言うべきだろうか。イノセンスやノアの力を使わなければ、逃れる事は出来無いだろう。
レイは大人しく男の腕の中に収まると、目を瞑った。
冷えた身体を温める様に抱き締められて、師であり兄代りであるクロス・マリアンを思い出した。
クロスは雨の日は必ず私を抱き締めた。
修行をするでも無く、大好きな酒を飲むでも無く、煙草を吸うわけでも無く…唯、窓際に腰掛けると、私を招き寄せて抱き締める。
そしてひたすら、降り続ける雨を眺め続けていた。
あの人が来るのを待って…唯遠くを見据える。
雨はクロスの好きな天気で…私の好きな天気だ。
雨の香りと背中に感じる温もり…
今も感じる。
懐かしいが、唯これはクロスのものでは無い。出会ったばかりの男のものだ。
「済まなかったな、お嬢さん」
『ううん、大丈夫』
「じゃあ…」
『うん、じゃあね!』
「あぁ」
『お兄さん!縁があったらまた会いましょうね』
「あぁ、そうだな」
男と別れたレイは、ユエの待つ宿に向かって湿った街中を一人で歩いた。
考える事は一つだけ‥
クロスに会いたい。
また、三人で暮らしたかった。
三人で暮らした一年が今までで一番幸せだった気がするから。
兄であり父みたいな彼と、姉であり母みたいな彼女…
ユエは手を施す為に一年の大半を寝て過ごしていたが、決して寂しくは無かった。
私は二人が居れば満足だった。
いくら酒と煙草が好きな彼といえど…いくら仕事がら不在が多い彼女であれど…
私は二人が大好きで、自慢でもあった。
燃える様な赤髪の色んな意味で強く、私達二人に弱い美丈夫と、銀髪緋眼の有りとあらゆる術や武術を操る美女。
自慢以外の何になるか。
修行は楽しくて全く苦にならなかったし、二人のお陰で学んだものは計り知れない。
だから別れる時は哀しくて仕方無かった。
二人に向かって子供の様に駄々を捏ね、彼女を困らせ、彼を怒らせたのがまだ記憶に新しい。
──餓鬼みてぇな事してんじゃねぇ。
ちゃんと会いに行ってやるし、第一お前にはあいつとユエが付いてるだろ。
そう言った彼の顔はもう二度と見れない程貴重なものだった。
頭を撫でる温かくて優しい大きな彼の手と、額に落ちる彼女の唇。
髪を乱す温かい手と…
愛しい冷たい唇…
『ただいま』
宿の自室の扉を押し開き、レイはそう声を発した。
レイの声を聞き付けたユエが奥の部屋から駆け寄ってくる。
「大丈夫だったか?」
心配してくれるのは嬉しいが、デビットとジャスデロは凶暴じゃ無い。
それに二人はチィに私を売ったりもしない。それははっきりしている。
レイは“大丈夫~”と呟くと部屋の中央に置かれた小さなソファーに腰掛けた。
「帰り…遅かったな」
『優しいお兄さんと雨宿りしてたの~』
ユエの表情が一瞬曇った気がした。でもこれが事実だ。
デビット達を疑われて少し癇に触ったからきちんとは答えてやらない。
「報告書は纏めた。後で目を通しておいてくれ」
『じゃあ次の場所へ…私はシャールを連れて別の場所に移動するから』
「俺は任務、シャールは付添いか」
『シャールは未熟だから…ユエは信用してるから一人に出来るんだよ』
“それに”と呟いたレイの身体から黒い影が伸び出た。
『私には“月”がついてる』
その一言でユエは納得した。
レイが完璧に安全だと分かった…思い出したからだった。
『それよりさぁ、そろそろバイトしなきゃね』
そろそろ財布の中が空になる筈だ。それは困る。
「そろそろ教団の金を使ったらどうだ?」
『駄目~…クロスのあんな姿見たからかなぁ。自分で稼いだお金じゃないと使い難くって』
そう呟いたレイは、何も無い安宿の天井を仰いだ。
彼が愛しいから彼の生き方を真似する。
彼に会いたいのを我慢する為に彼の真似をする。
彼女が愛しいから時々彼女の口調を真似する。
彼女に憧れるから聡明で気高い彼女の気高さを真似する。
私は聡明にはなれないから…
雨にうたれて愛しさが蘇った。
雨の香りで欲望が目覚めた。
だから私は…
『ユエ、全てが終ったら…シャールも入れて五人で暮したい』
私は、叶える気の無い願いを口にする。
私は…
──お兄さんにまた会いたいな…
ちょっとした願いを‥
心の中に想い描く──…‥
『え〜じゃあ何?チィったら私と面識も無い
高級レストランの個室で、長い黒髪に褐色の肌になったレイは、呆れた様に声を洩らした。
溜め息を一つ吐いて、ラザニアの刺さったフォークをパクリと口に含む。
「そうそう、しかも面白ぇの」
『何が?』
「ヒヒッ!ティッキーはレイの顔知らないんだよ!」
『……………ぇ、写真とか渡してあるんじゃないの?』
「無いな」
「ティッキー手ぶら〜」
ちょっと意味が分からない。
え、それ誰を…と言うか最早何を探してるの?
『いやさ、私もノア全開で歩いてるわけ無いじゃん…一応家出してんだからさ』
「まぁな」
「そだねー」
『しかも私、仮にも姫だよ?顔知られてなきゃ、ノア相手でもノアだって事隠せる自信あるよ?』
「そりゃそうだろうな」
「ヒヒッ!ティッキー無謀!」
え、何?嫌がらせ…?
『兎に角、私は暫く帰る気はないから』
「んな事言ってもよぉ」
デビットは左手で頬杖をついて、意味も無くナイフで料理を刺しながらレイを見た。
「そろそろ千年公がキレるぜ?俺、とばっちりくらうの嫌だしよ~」
「とばっちりぃ〜」
『分かるけど、そこまでして探さなくても…』
「あんな大事にしてたんだ。そりゃ捜すだろ」
『チィが大事にしてるのは、私じゃなくて…私の本質だよ』
きっとチィは…私、気持ちなんかどうでも良い。
「……俺はお前が…お前の全部が大事だぞ」
「ヒヒッ!デロもレイがだーい好き!」
レイは落ちてきた髪を耳にかけると嬉しそうに微笑んだ。
『ありがとう、二人共』
=雨の香り=
デビットとジャスデロと別れたレイは“白”に戻ると宿を目指して俯き状態で歩き続けた。飛んで帰れば楽なのに歩いた。
デビットとジャスデロが言ってくれた言葉は暖かくて…とても嬉しかった。
でも、チィが私をどう思ってるかが気になって仕方がなかった。
チィが私をモノとしか見てない様にも思えたから…
私は…私達はチィの家族であって、家族じゃない。
正直それでも良いと思っていた。
私はチィを裏切った。ノアを攻撃しなくてもアクマを破壊している。
これは家族を裏切った私への罰なんだ…
そう思う事しか私には出来なかった──…
瞬間、身体に衝撃が走った。
何かにぶつかった勢いで、身体が後ろに傾き、重力に従ってお尻から地面に落ちる。
『痛…ッ』
「ッ、たぁ…」
下を向いて歩いていた所為で、角を曲がった瞬間に人にぶつかってしまった様だ。
顔を上げると、特徴的な眼鏡をかけた男が地面に座り込んでいた。クルクルと無造作に跳ねた黒髪が好き勝手な方を向いている。
不味い。何かこの人…
見るからに弱そう!!!!
『ごめん!!大丈夫…平気か?!』
「あ…あぁ、大丈夫。大丈夫だから」
“落ち着け”と言われてレイは申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「…お嬢さんは大丈夫なのか?」
『私は平気!!それより貴方は本当に大丈夫?私、前を見てなくて…ごめんなさい』
男はレイの頭を撫でてやると、手を引いてレイを立ち上がらせた。
「俺も受けとめられなかったからな」
『それは問題無い!ぶつかったのは私だし、貴方は私より弱そうだ』
「ちょ、ちょっとまった!!俺これでも力強いから!てか男だから!」
“まっさかぁ~”と言って聞かないレイの頬をふと雫が伝う…
男は目を見開くと、慌てて指の腹で雫を拭いとった。
「な、何で泣くんだよ、お譲さん!何だ?俺なんかしたっけ??」
『…違う』
違う…これは涙なんかじゃない。私は泣いた事が一度も無いのだから……これは…
『雨‥?』
レイが空を見上げ、同時に男も空を見上げた。
瞬間、バケツをひっくり返した様に雨が降り注いだ。
『…え』
嘘でしょ。
「お譲さん!!」
グッと強く手を引かれ、ふわっと飛ぶように立たされた。
「ここじゃ濡れるからどこかで雨宿りしようぜ!!」
そう言うと今さっき知り合ったばかりの男は私の手を引き走り出す。
一瞬、男がクロスと被った…
──速くしろよ、レイ…風邪ひいちまうぞ…
手を引かれて着いた先はホテルだった。
直ぐに手続きを済ませて部屋に入ると、ポイッとシャワールームに放り込まれた。
扉越しにシャワーを浴びるように足され、寒かったし言われた通りにした。
大丈夫かな、これ…ユエに見付かったら大変な事になると思うんだけど。
「寒くないか?」
『大丈夫』
バスローブを纏ったレイがベッドに腰掛けると、男はタオルでレイの髪を優しく拭き始めた。
『ねぇ…何でホテル?』
「ん~そりゃあ、俺だって可愛いお譲さんと雨宿りするなら喫茶店とかレストランが良いと思ったよ?だけど喫茶店やレストランには着替えとか濡れた服を乾かす場所と物も無ぇしな」
そりゃそうだ。
折角、雨宿りしたのに体や服が濡れていたらどっち道風邪をひく。ここならタオルは勿論、濡れた服を乾かすスペースやシャワーやバスローブまである。
『結構、利口ね』
「酷ぇ、確に学ねぇけどさぁ!」
レイは男のショックを受けた顔を見て楽しそうに笑った。
『冗談よ』
「酷ぇよ、譲ちゃん‥」
『ごめんってば』
レイは笑いながら男の濡れたグルグル眼鏡を取る。
『……へぇ』
「……何だよ」
『美形かとは思ってたけど…予想大当たりだわ』
「そりゃどうも。店主に服借りてきたから着て来いよ」
『はーい』
渡された服は少し大きかったけど女物だった。受付に居た奥さんのだろう。
レイが服に着替えて部屋に戻ると、男はベッドで眠りについていた。
子供みたいな可愛らしい寝顔でぐっすりと…
レイは男が冷えないように布団を沢山かけるとタオルで男の湿った髪を拭き出す。
『自分に無関心なのかしら?人の事ばっかり気にして…』
そう呟いたレイに向かって、すっと男の手が伸び、レイを引き寄せて抱き締めた。
『っ‥』
レイは慌てて離れようとするが、男の顔を見た瞬間、動きを止めた。
『寝てる…寝惚けてるのか』
弱そうとか言ってしまったが、さすがは男の人と言うべきだろうか。イノセンスやノアの力を使わなければ、逃れる事は出来無いだろう。
レイは大人しく男の腕の中に収まると、目を瞑った。
冷えた身体を温める様に抱き締められて、師であり兄代りであるクロス・マリアンを思い出した。
クロスは雨の日は必ず私を抱き締めた。
修行をするでも無く、大好きな酒を飲むでも無く、煙草を吸うわけでも無く…唯、窓際に腰掛けると、私を招き寄せて抱き締める。
そしてひたすら、降り続ける雨を眺め続けていた。
あの人が来るのを待って…唯遠くを見据える。
雨はクロスの好きな天気で…私の好きな天気だ。
雨の香りと背中に感じる温もり…
今も感じる。
懐かしいが、唯これはクロスのものでは無い。出会ったばかりの男のものだ。
「済まなかったな、お嬢さん」
『ううん、大丈夫』
「じゃあ…」
『うん、じゃあね!』
「あぁ」
『お兄さん!縁があったらまた会いましょうね』
「あぁ、そうだな」
男と別れたレイは、ユエの待つ宿に向かって湿った街中を一人で歩いた。
考える事は一つだけ‥
クロスに会いたい。
また、三人で暮らしたかった。
三人で暮らした一年が今までで一番幸せだった気がするから。
兄であり父みたいな彼と、姉であり母みたいな彼女…
ユエは手を施す為に一年の大半を寝て過ごしていたが、決して寂しくは無かった。
私は二人が居れば満足だった。
いくら酒と煙草が好きな彼といえど…いくら仕事がら不在が多い彼女であれど…
私は二人が大好きで、自慢でもあった。
燃える様な赤髪の色んな意味で強く、私達二人に弱い美丈夫と、銀髪緋眼の有りとあらゆる術や武術を操る美女。
自慢以外の何になるか。
修行は楽しくて全く苦にならなかったし、二人のお陰で学んだものは計り知れない。
だから別れる時は哀しくて仕方無かった。
二人に向かって子供の様に駄々を捏ね、彼女を困らせ、彼を怒らせたのがまだ記憶に新しい。
──餓鬼みてぇな事してんじゃねぇ。
ちゃんと会いに行ってやるし、第一お前にはあいつとユエが付いてるだろ。
そう言った彼の顔はもう二度と見れない程貴重なものだった。
頭を撫でる温かくて優しい大きな彼の手と、額に落ちる彼女の唇。
髪を乱す温かい手と…
愛しい冷たい唇…
『ただいま』
宿の自室の扉を押し開き、レイはそう声を発した。
レイの声を聞き付けたユエが奥の部屋から駆け寄ってくる。
「大丈夫だったか?」
心配してくれるのは嬉しいが、デビットとジャスデロは凶暴じゃ無い。
それに二人はチィに私を売ったりもしない。それははっきりしている。
レイは“大丈夫~”と呟くと部屋の中央に置かれた小さなソファーに腰掛けた。
「帰り…遅かったな」
『優しいお兄さんと雨宿りしてたの~』
ユエの表情が一瞬曇った気がした。でもこれが事実だ。
デビット達を疑われて少し癇に触ったからきちんとは答えてやらない。
「報告書は纏めた。後で目を通しておいてくれ」
『じゃあ次の場所へ…私はシャールを連れて別の場所に移動するから』
「俺は任務、シャールは付添いか」
『シャールは未熟だから…ユエは信用してるから一人に出来るんだよ』
“それに”と呟いたレイの身体から黒い影が伸び出た。
『私には“月”がついてる』
その一言でユエは納得した。
レイが完璧に安全だと分かった…思い出したからだった。
『それよりさぁ、そろそろバイトしなきゃね』
そろそろ財布の中が空になる筈だ。それは困る。
「そろそろ教団の金を使ったらどうだ?」
『駄目~…クロスのあんな姿見たからかなぁ。自分で稼いだお金じゃないと使い難くって』
そう呟いたレイは、何も無い安宿の天井を仰いだ。
彼が愛しいから彼の生き方を真似する。
彼に会いたいのを我慢する為に彼の真似をする。
彼女が愛しいから時々彼女の口調を真似する。
彼女に憧れるから聡明で気高い彼女の気高さを真似する。
私は聡明にはなれないから…
雨にうたれて愛しさが蘇った。
雨の香りで欲望が目覚めた。
だから私は…
『ユエ、全てが終ったら…シャールも入れて五人で暮したい』
私は、叶える気の無い願いを口にする。
私は…
──お兄さんにまた会いたいな…
ちょっとした願いを‥
心の中に想い描く──…‥