第2章 出会いと別れ
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30
「分霊箱を使用するには殺人が必要だと分かっているのか?」
分かってた。そして私は既に条件を充分に満たしていた。
血の闇に染まったのは随分と昔だったが、問題は無かった。
眠りの度に訪れる夢が私を何時までも縛り付け、引き裂き続けていたから…
だから私はそれを利用した。
「分かっているのか…──、お前は僕の様に強欲らしい。益々欲しくなったよ」
そう…私は強欲だ。
大切なモノ全てを…死した後も護りたいだなんて…
そんな夢にも似た様なモノを叶える為に…
私は手を打った──…
=傍観者=
月やユエ達が此の空間から出て行ってからどれぐらい経っただろうか。
私の指導をしてくれる“蘭寿”という女性は、体に張り付く様な白い洋服を纏った、淡い菫の様な紫色の髪に金色の瞳の綺麗な女性だ。
身丈よりも長い髪を複雑に結んであり、左の目元にはタトゥーの様な痣があった。
月が先程までしてた様に賽銭箱に腰掛けた蘭寿は、口にしていた酒瓶を逆さにして振ると、不機嫌そうに眉を寄せた。
「レイ~!!」
急に叫ぶ様に名前を呼ばれて思わず肩を震わせて驚いたレイを見た蘭寿は首を傾げた。
「レイ…って名前だっらよら?」
『は、はい』
「れはレイ…某 の酒が無くらった、街に行っれ酒を十樽買っれ来い」
『さ…酒?』
レイは辺りに散らばった蘭寿の空の酒瓶を見て溜め息を吐いた。
あれだけ飲んだのにまだ足りないのか?
「酒ら。一番おっきら樽を十樽きっかりを何往復しれも良いから一人れ買っれ来い」
行かなければ何も教えてくれなそうだ…仕方無い。
『…分かりました』
レイがそう返事をすると、蘭寿は境内の鐘を鳴らした。
頭に響く鐘の音と共に空間が裂け、レイはそこに飛び込んだ。
一方、ユエとシャールは白髪に緋色と蒼色のオッドアイの青年、紅と二匹銀狼、皐悸と楼季と共に、月が造った空間の一つ“森”に来ていた。
着くなり紅は手頃な木を見付けると、地を蹴って飛び上がり、枝に腰掛けた。
そしてニッコリと微笑む。
「皐悸、楼季…相手してあげて下さい」
二匹の銀狼が喉をならして応える中、シャールは不機嫌そうに眉を寄せた。
「運動不足なんじゃないの?」
「そうですね…」
そう口にした紅は、二匹を見据えると再度ニッコリと微笑んだ。
「皐悸、楼季、後で俺と手合わせして下さいね」
「そうじゃ無いよ!ボクは狼となんかじゃなくて君と殺りたいの!!」
「シャール…それは狡い」
ユエも紅とやりたいらしく、短くそう口にした。
「何か勘違いしてません?」
座っていた枝から飛び降りた紅の表情は少しも変わらなかった。
「俺は貴方達で言う所の月に頼まれたから此処にいるだけです。元々貴方達の相手をするつもりはありませんし、永遠に殺る気になんてなりませんよ」
「そう、その通り」
「紅の言う通り」
そう交互に口にした二匹の銀狼の姿が変わっていき、ユエとシャールは表情を変えた。
「僕等は母さんに頼まれたから此処に居る」
「僕等は母さんが望むから此処に居る」
「母さんの望みだし…」
「紅は目上だ」
「紅は優しいし強い」
「だから紅の言う事聞く」
「だからお前達の相手をする」
「面倒臭くて嫌だけどお前達の相手をする」
「母さんの望み…」
「そうじゃなきゃ…」
「「弱い奴の相手何か御免だ」」
そう声を揃えて言い放った二匹の姿は、もう完璧に銀狼ではなくなっていた。
姿を変えた二匹…二人の容貌は、長い銀髪と緋色の瞳が月と揃いの整った顔立ちの青年だった。
全く同じ顔をしている二人だが、皐悸はツインテール、楼季はポニーテールと、髪の結び方が違っていたので間違える事は無かった。
二人とも前髪を上げているので、緋色の瞳の表情が良く見える。
「二人共何をやってるんです」
そう紅の声が響き、皐悸と楼季は紅を振り返った。
「良い格好する相手が居ないんだから、別に大人の姿にならなくて結構ですよ」
紅の言う意味が分からないユエとシャールは眉を寄せた。
「“コイツ等には本気でやるだけ無駄だ”と思うのは分かりますが、殺す気でやれと言われたんだから殺り易い姿になりなさい」
シャールが紅に飛び掛かりそうになり、ユエはシャールの両肩を掴む事でそれを止めた。
「母さんには言うなよ、紅」
「母さんは僕等が本気の時もあの姿だって信じてる」
二人はそう言うと一瞬にして十歳くらいの少年の姿になり、それを見た紅は満足そうに口を開いた。
「分かってま」
「どういう事だ」
「…何がです?」
ユエに声を遮られ、紅はそう不機嫌そうに返した。
「やりやすいって…ボクより餓鬼じゃないか!!」
そう言いながら今にも噛み付きそうな勢いで暴れるシャールを抑えながら、ユエは淡々と続けた。
「退化した。こっちは殺り難い」
その言葉に不機嫌そうに表情を歪めたのは皐悸と楼季だった。
「聞いたか、楼季」
「聞いたさ、皐悸」
「餓鬼だってよ」
「餓鬼だってね」
そこまで聞いてユエは嫌気がさした。
理由は、交互に話す二人の話し方は聞いていて少し苛つくし、何より誰かに似ている気がしたからだった。
「僕等よりも年下の奴が」
「僕等より弱い奴が」
「歳にしろ」
「実力にしろ」
「僕等の足元にも」
「全く及ばない奴が」
「「気分悪い」」
二人がそう吐き捨てた瞬間、ユエは思わずシャールを抑える手を緩めた。
「足元にも及ばないだと…」
「そうですよ。貴方達は二人の足元にも及ばない……下手したら一生足元さえ見えないかもしれない」
「紅は僕等より更に上」
「簡単な組み手であろうと」
「「お前達に相手は無理」」
「ムッッッカつく!!ユエ、月は“殺すつもりでやれ”って言ったから“誤って”殺しちゃっても平気だよ…もうコイツ等殺しちゃおう」
そう言ったシャールは、緩んだユエの腕の中でコンバートした。
「馬鹿…愚かですね。それはこっちの台詞ですよ」
溜め息を吐いた紅は、皐悸と楼季の前へと歩み出た。
その後ろで皐悸と楼季も紅に聞こえない様に小さく溜め息を吐いた。
「皐悸と楼季は優しいですが、俺は家族にしか優しくしませんよ」
瞬間、優しい表情だった紅の目が光を失い、冷たい緋と蒼のオッドアイが二人を見下した様に見据えた。
「甘く見てると殺すぞ」
口調の変わった紅の殺気にシャールはビクリと肩を震わせ、ユエは冷や汗を流しながらシャールを抑える手に力を込めた。
「先程も言った通り、俺は貴方達で言う所の月に頼まれたから此処に居るだけであって、相手をするつもりはありませんし、永遠に“良い意味で殺り合う”気になんてなりません。
それに俺、月以外の人間は嫌いですし、貴方達の様な身の程知らずは吐き気がする程嫌いなんで」
紅が続けて“いたぶり殺して良いなら殺してあげますよ”と言えば、ユエとシャールの息は止まりそうになった。
「紅怒らせた」
「馬鹿な奴等」
「「救いようが無いし…救いたくも無い」」
ユエとシャールに背を向けて歩き出した紅は、地を蹴って飛び上がると最初にしていた様に木の枝に腰掛けた。
「皐悸、楼季…」
「何、紅」
「何か思い付いた?」
「その愚かな糞餓鬼共に、自分達が如何に無力か思い知らせてやれ」
ユエとシャールに対して完璧に表情を失った紅を見た皐悸と楼季は溜め息混じりに顔を見合わせた。
「本当に馬鹿だ彼奴等」
「紅を完璧に怒らせた」
「返事はどうしました?」
「分かった、殺 る」
「分かった、手ぇ抜かない」
そう返事をした二人は皐悸は左半身を前に、楼季は右半身を前にして構えた。
「「母さんが望む様に…彼奴等を殺す気で戦る」」
『また飲んでるのね』
「──、付き合えよ」
縁側に寝転がって酒を飲んでいたクロスの顔を覗き込むと、そう言って腕を引かれた。力に負けてバランスを崩した身体がクロスの上に倒れ込む。
私の長い銀髪が二人の視界に銀のカーテンをひいた。
『クロス班が貴方を追い掛けて日本に向かってるわよ』
「…馬鹿は何人いるんだ」
『馬鹿…エクソシストの事?』
クロスの緋色の髪に触れれば、クロスは“あぁ”と相槌をうちながら擽ったそうに髪に触れている私の手を掴んだ。
『ブックマン、ラビ、リナリー…と、新人のミランダとアレイスターの五人ね』
そう、五人…
あの船には五人しか居ない。
ちゃんと見ていなければ…
「レイとアレンはどうした」
『アレンはアジア支部にいるわ。直ぐに追い付くでしょ…レイは私の中で修行中よ』
「お前の中で?…あいつヘマしたな」
『力に振り回されてたから基礎からやり直し』
「馬鹿な奴‥」
興味が無さそうにそう口にしたクロスを見て、私は思わず笑った。
『でも可愛いんでしょ?』
「お前もそうだろ」
クロスはクスクス笑う私を抱き締めると、身体を起こし杯を口にした。
酒の甘い香りが近くで漂った。
「昔は…雨の日はこうしてレイを抱き締めてお前の帰りを待った」
『そうね雨の日…貴方の稽古は休みだった』
貴方はレイを抱き締めて雨を眺めながら私の帰りを待っていた。
きっと貴方に懐いているレイは、雨の日が大好きだった筈だ。
『ねぇ、クロス…』
「何だ、──」
『貴方はレイの願いを叶える気はあるの?』
「レイの願い?」
向かい合う形で抱き締められていたのでクロスの顔は見え無かったが、惚けた様な声だった。
忘れたふりなんかしちゃって…
貴方は覚えている筈だ。
『“五人で過ごしたい”』
レイの望みを‥
そして気付いている筈だ。
レイがそう願う理由を──…
「お前はどうなんだ」
『え…』
「叶える気、無ぇんだろ?」
耳元でそう低い声が響いた瞬間、背中に何かが当たった。
縁側の床だった。
私は妙に真剣な顔をしたクロスに縁側に押し倒されていた。
長い銀髪が縁側に銀色の絨毯を敷き、クロスの緋色の髪が私の頬を擽った。
「お前は全てを終えたら此の世界を捨て、姿を消す気だ」
『何を、言っているんだ?』
何故気付かれたんだろう…
そう思ったのを気付かれ無い様に、表情を崩さない様に気を付けながらそう返したが、クロスは騙され無かった。
一度浮いたクロスの拳が顔の直ぐ横を通り過ぎ、床を叩いた。
耳に痛い音が響き、その後クロスの額が私の額にそっと触れた。
「絶対に行かせ無ぇ」
沢山の星と三日月の下…
耳元で囁かれる…
此の世界ではクロスしか知らない私の本当の名…
クロスの低い声が心地良かった。
「「あーぁ、詰まんない」」
地に倒れたユエとシャールを見下ろした青年の姿の皐悸と楼季は、そう溜め息混じりに呟いた。
本気でやったら三秒も保たなかった。
倒れた二人を無理矢理起こして何回も繰り返したが、何の変化も無く話にならなかったので、仕方無しに手を抜く事にした。
二人がやり易い様に子供の姿から青年の姿に変わって続けたが、二人はあまり変わらなかった。
もう気絶した二人を起こすのも面倒臭い。
「皐悸、楼季」
「何、紅」
「どうかした?」
四人を傍観していた紅は、座っていた枝から飛び降りると皐悸、楼季を真っ直ぐ見据えた。
「前から聞きたかった事が」
「「…何?」」
「分からないんです……何で子供の姿がやり易いんです?子供の姿は確かに小回りはきくが、リーチが短く俺にはやり難い」
その紅の問いに、皐悸と楼季は顔を見合わせた。
「僕等は母さんの力」
「狼族の能力の化身」
幼い頃の母さんと闘い、母さんに惚れ込み、母さんの家族となり側に居続けた…黒髪を母さんと揃いの銀色に染めた褐色の肌に金眼の青年。
狼族の長、砕覇…
悪名高い彼が僕等の父さん。
そして父さんと母さんが契約を結んだ事によって生まれた膨大な力。それに命を与えられて生まれたのが僕等だった。
僕等は母さんの能力…
僕等は母さんの一部…
「母さんにとって」
「僕等は大事な子供」
「関係が壊れるのが怖くて」
「寄り添っていたくて」
「ずっと子供で居たくて」
「長く成長を止めてた」
ずっと一緒に居たくて…僕等は楽な道を選んだ。
子供なら側に居れる。子供なら邪魔され無い。子供なら…子供なら…
そうやって…子供という立場に甘えていた。
「そうしてたら何時の間にかこの姿の方が戦い易くなってた」
「今更悔いても遅いけど」
「「僕等は母さんに男として見て欲しいから」」
随分と遅くなってしまったけど、それが僕等の一歩だ。だから…
「母さんに言ったら」
「紅が相手でも怒る」
誰であろうと僕等の道を妨げる奴は許さない。
僕等はかなり遅れをとっているのだから…
「それにしても惨めですね」
皐悸と楼季の言葉に“そうですか”と納得した様に頷いた紅は、表情を一変させると、そう口にしながら地に倒れた二人を見下す様に見下ろした。
「…そういえば気になってた」
「そう、気になってた事ある」
「ブラック紅、久しぶりに見た」
「最初少し驚いた」
「紅、コイツ等に厳しい」
「紅、優しいのに」
いつも笑っていて、優しくて…怒った事等今まで手で数えられる程度だった。
なのに、その紅が初対面の二人をああ扱うとは思わなかった。
「人間は嫌いですから」
「母さん言ってた」
「コイツ等アクマだって」
「元は人間です。別に変わり無いですよ」
変わり無い…確かにその通りだった。アクマは人間から出来ている…でも僕等は知ってる。紅は…
「紅、昔は人間好きだった」
「母さん以外の人間も」
昔は人間にも優しかった。
紅は母さんの様に隔たりが無かったのに…
「確かに母さんに出逢うまでは拒絶してた」
「でも母さんをきっかけに受け入れた」
「シリウス達と楽しそうだった」
「お茶したり話したり…」
「楽しそうだった」
紅を含め…
皆は昔、人間が嫌いだった。
人間は妖かしの住処を奪い、存在を冒涜し…邪魔だとばかりに陰陽師や退魔師を仕向けた。
母さんはそんな皆を集めて“家族”を造った。
短い時間だけど…
一緒に生きて行こうと…
人間の中には良い人間も沢山いた。
母さんの友達は僕等家族の友達だった。
紅は皆に優しかった…
なのに紅は…
「人間なんて嫌いです」
そう口にした俺に表情は無かった。
表情等要らなかった。
「人間は我等が主を傷付ける」
何時だってそうだ。
人間は何時だって…
「下らぬ欲望で、愚かな恐怖心で、勝手な憎しみで、裏切りで…歪んだ愛で」
言い出したらきりが無い。
人間は浅はかで醜い…愚かな事ばかり考えるどうしようも無い生き物だ。
良い人間がいる事は身を持って知っている。
だけど…
「最後は…その命の短さで」
心に癒えぬ傷を負わせる。
彼女は一体、何度大切なモノの死を乗り越え…何度涙の海を越えてきただろう。
弱い彼女は、何度も溺れそうになりながら大切なモノ達を見送ってきた。
人間ではなくなり、命という制限を失った彼女は、永遠に人間に傷付けられ続ける──…
こ、紅…あ…ありがとう──…
俺…紅みたいに──を護るよ…
貴方の事嫌いじゃないわ──…
紅さん私、──と一緒に…
紅、俺思うんだ…
──はお前に支えられてるよ…
紅…
紅、紅…紅……
「人間なんて…」
皐悸と楼季に目を見られたくなくて、俺は静かに瞼を閉じた。
あんな…
あんな馬鹿な奴等…
「……嫌いです…」
人間は何時だって…
消えない何かを残して逝く…
だから俺は…
奴等が──を傷付けない様に…
見張り続ける──…
「分霊箱を使用するには殺人が必要だと分かっているのか?」
分かってた。そして私は既に条件を充分に満たしていた。
血の闇に染まったのは随分と昔だったが、問題は無かった。
眠りの度に訪れる夢が私を何時までも縛り付け、引き裂き続けていたから…
だから私はそれを利用した。
「分かっているのか…──、お前は僕の様に強欲らしい。益々欲しくなったよ」
そう…私は強欲だ。
大切なモノ全てを…死した後も護りたいだなんて…
そんな夢にも似た様なモノを叶える為に…
私は手を打った──…
=傍観者=
月やユエ達が此の空間から出て行ってからどれぐらい経っただろうか。
私の指導をしてくれる“蘭寿”という女性は、体に張り付く様な白い洋服を纏った、淡い菫の様な紫色の髪に金色の瞳の綺麗な女性だ。
身丈よりも長い髪を複雑に結んであり、左の目元にはタトゥーの様な痣があった。
月が先程までしてた様に賽銭箱に腰掛けた蘭寿は、口にしていた酒瓶を逆さにして振ると、不機嫌そうに眉を寄せた。
「レイ~!!」
急に叫ぶ様に名前を呼ばれて思わず肩を震わせて驚いたレイを見た蘭寿は首を傾げた。
「レイ…って名前だっらよら?」
『は、はい』
「れはレイ…
『さ…酒?』
レイは辺りに散らばった蘭寿の空の酒瓶を見て溜め息を吐いた。
あれだけ飲んだのにまだ足りないのか?
「酒ら。一番おっきら樽を十樽きっかりを何往復しれも良いから一人れ買っれ来い」
行かなければ何も教えてくれなそうだ…仕方無い。
『…分かりました』
レイがそう返事をすると、蘭寿は境内の鐘を鳴らした。
頭に響く鐘の音と共に空間が裂け、レイはそこに飛び込んだ。
一方、ユエとシャールは白髪に緋色と蒼色のオッドアイの青年、紅と二匹銀狼、皐悸と楼季と共に、月が造った空間の一つ“森”に来ていた。
着くなり紅は手頃な木を見付けると、地を蹴って飛び上がり、枝に腰掛けた。
そしてニッコリと微笑む。
「皐悸、楼季…相手してあげて下さい」
二匹の銀狼が喉をならして応える中、シャールは不機嫌そうに眉を寄せた。
「運動不足なんじゃないの?」
「そうですね…」
そう口にした紅は、二匹を見据えると再度ニッコリと微笑んだ。
「皐悸、楼季、後で俺と手合わせして下さいね」
「そうじゃ無いよ!ボクは狼となんかじゃなくて君と殺りたいの!!」
「シャール…それは狡い」
ユエも紅とやりたいらしく、短くそう口にした。
「何か勘違いしてません?」
座っていた枝から飛び降りた紅の表情は少しも変わらなかった。
「俺は貴方達で言う所の月に頼まれたから此処にいるだけです。元々貴方達の相手をするつもりはありませんし、永遠に殺る気になんてなりませんよ」
「そう、その通り」
「紅の言う通り」
そう交互に口にした二匹の銀狼の姿が変わっていき、ユエとシャールは表情を変えた。
「僕等は母さんに頼まれたから此処に居る」
「僕等は母さんが望むから此処に居る」
「母さんの望みだし…」
「紅は目上だ」
「紅は優しいし強い」
「だから紅の言う事聞く」
「だからお前達の相手をする」
「面倒臭くて嫌だけどお前達の相手をする」
「母さんの望み…」
「そうじゃなきゃ…」
「「弱い奴の相手何か御免だ」」
そう声を揃えて言い放った二匹の姿は、もう完璧に銀狼ではなくなっていた。
姿を変えた二匹…二人の容貌は、長い銀髪と緋色の瞳が月と揃いの整った顔立ちの青年だった。
全く同じ顔をしている二人だが、皐悸はツインテール、楼季はポニーテールと、髪の結び方が違っていたので間違える事は無かった。
二人とも前髪を上げているので、緋色の瞳の表情が良く見える。
「二人共何をやってるんです」
そう紅の声が響き、皐悸と楼季は紅を振り返った。
「良い格好する相手が居ないんだから、別に大人の姿にならなくて結構ですよ」
紅の言う意味が分からないユエとシャールは眉を寄せた。
「“コイツ等には本気でやるだけ無駄だ”と思うのは分かりますが、殺す気でやれと言われたんだから殺り易い姿になりなさい」
シャールが紅に飛び掛かりそうになり、ユエはシャールの両肩を掴む事でそれを止めた。
「母さんには言うなよ、紅」
「母さんは僕等が本気の時もあの姿だって信じてる」
二人はそう言うと一瞬にして十歳くらいの少年の姿になり、それを見た紅は満足そうに口を開いた。
「分かってま」
「どういう事だ」
「…何がです?」
ユエに声を遮られ、紅はそう不機嫌そうに返した。
「やりやすいって…ボクより餓鬼じゃないか!!」
そう言いながら今にも噛み付きそうな勢いで暴れるシャールを抑えながら、ユエは淡々と続けた。
「退化した。こっちは殺り難い」
その言葉に不機嫌そうに表情を歪めたのは皐悸と楼季だった。
「聞いたか、楼季」
「聞いたさ、皐悸」
「餓鬼だってよ」
「餓鬼だってね」
そこまで聞いてユエは嫌気がさした。
理由は、交互に話す二人の話し方は聞いていて少し苛つくし、何より誰かに似ている気がしたからだった。
「僕等よりも年下の奴が」
「僕等より弱い奴が」
「歳にしろ」
「実力にしろ」
「僕等の足元にも」
「全く及ばない奴が」
「「気分悪い」」
二人がそう吐き捨てた瞬間、ユエは思わずシャールを抑える手を緩めた。
「足元にも及ばないだと…」
「そうですよ。貴方達は二人の足元にも及ばない……下手したら一生足元さえ見えないかもしれない」
「紅は僕等より更に上」
「簡単な組み手であろうと」
「「お前達に相手は無理」」
「ムッッッカつく!!ユエ、月は“殺すつもりでやれ”って言ったから“誤って”殺しちゃっても平気だよ…もうコイツ等殺しちゃおう」
そう言ったシャールは、緩んだユエの腕の中でコンバートした。
「馬鹿…愚かですね。それはこっちの台詞ですよ」
溜め息を吐いた紅は、皐悸と楼季の前へと歩み出た。
その後ろで皐悸と楼季も紅に聞こえない様に小さく溜め息を吐いた。
「皐悸と楼季は優しいですが、俺は家族にしか優しくしませんよ」
瞬間、優しい表情だった紅の目が光を失い、冷たい緋と蒼のオッドアイが二人を見下した様に見据えた。
「甘く見てると殺すぞ」
口調の変わった紅の殺気にシャールはビクリと肩を震わせ、ユエは冷や汗を流しながらシャールを抑える手に力を込めた。
「先程も言った通り、俺は貴方達で言う所の月に頼まれたから此処に居るだけであって、相手をするつもりはありませんし、永遠に“良い意味で殺り合う”気になんてなりません。
それに俺、月以外の人間は嫌いですし、貴方達の様な身の程知らずは吐き気がする程嫌いなんで」
紅が続けて“いたぶり殺して良いなら殺してあげますよ”と言えば、ユエとシャールの息は止まりそうになった。
「紅怒らせた」
「馬鹿な奴等」
「「救いようが無いし…救いたくも無い」」
ユエとシャールに背を向けて歩き出した紅は、地を蹴って飛び上がると最初にしていた様に木の枝に腰掛けた。
「皐悸、楼季…」
「何、紅」
「何か思い付いた?」
「その愚かな糞餓鬼共に、自分達が如何に無力か思い知らせてやれ」
ユエとシャールに対して完璧に表情を失った紅を見た皐悸と楼季は溜め息混じりに顔を見合わせた。
「本当に馬鹿だ彼奴等」
「紅を完璧に怒らせた」
「返事はどうしました?」
「分かった、
「分かった、手ぇ抜かない」
そう返事をした二人は皐悸は左半身を前に、楼季は右半身を前にして構えた。
「「母さんが望む様に…彼奴等を殺す気で戦る」」
『また飲んでるのね』
「──、付き合えよ」
縁側に寝転がって酒を飲んでいたクロスの顔を覗き込むと、そう言って腕を引かれた。力に負けてバランスを崩した身体がクロスの上に倒れ込む。
私の長い銀髪が二人の視界に銀のカーテンをひいた。
『クロス班が貴方を追い掛けて日本に向かってるわよ』
「…馬鹿は何人いるんだ」
『馬鹿…エクソシストの事?』
クロスの緋色の髪に触れれば、クロスは“あぁ”と相槌をうちながら擽ったそうに髪に触れている私の手を掴んだ。
『ブックマン、ラビ、リナリー…と、新人のミランダとアレイスターの五人ね』
そう、五人…
あの船には五人しか居ない。
ちゃんと見ていなければ…
「レイとアレンはどうした」
『アレンはアジア支部にいるわ。直ぐに追い付くでしょ…レイは私の中で修行中よ』
「お前の中で?…あいつヘマしたな」
『力に振り回されてたから基礎からやり直し』
「馬鹿な奴‥」
興味が無さそうにそう口にしたクロスを見て、私は思わず笑った。
『でも可愛いんでしょ?』
「お前もそうだろ」
クロスはクスクス笑う私を抱き締めると、身体を起こし杯を口にした。
酒の甘い香りが近くで漂った。
「昔は…雨の日はこうしてレイを抱き締めてお前の帰りを待った」
『そうね雨の日…貴方の稽古は休みだった』
貴方はレイを抱き締めて雨を眺めながら私の帰りを待っていた。
きっと貴方に懐いているレイは、雨の日が大好きだった筈だ。
『ねぇ、クロス…』
「何だ、──」
『貴方はレイの願いを叶える気はあるの?』
「レイの願い?」
向かい合う形で抱き締められていたのでクロスの顔は見え無かったが、惚けた様な声だった。
忘れたふりなんかしちゃって…
貴方は覚えている筈だ。
『“五人で過ごしたい”』
レイの望みを‥
そして気付いている筈だ。
レイがそう願う理由を──…
「お前はどうなんだ」
『え…』
「叶える気、無ぇんだろ?」
耳元でそう低い声が響いた瞬間、背中に何かが当たった。
縁側の床だった。
私は妙に真剣な顔をしたクロスに縁側に押し倒されていた。
長い銀髪が縁側に銀色の絨毯を敷き、クロスの緋色の髪が私の頬を擽った。
「お前は全てを終えたら此の世界を捨て、姿を消す気だ」
『何を、言っているんだ?』
何故気付かれたんだろう…
そう思ったのを気付かれ無い様に、表情を崩さない様に気を付けながらそう返したが、クロスは騙され無かった。
一度浮いたクロスの拳が顔の直ぐ横を通り過ぎ、床を叩いた。
耳に痛い音が響き、その後クロスの額が私の額にそっと触れた。
「絶対に行かせ無ぇ」
沢山の星と三日月の下…
耳元で囁かれる…
此の世界ではクロスしか知らない私の本当の名…
クロスの低い声が心地良かった。
「「あーぁ、詰まんない」」
地に倒れたユエとシャールを見下ろした青年の姿の皐悸と楼季は、そう溜め息混じりに呟いた。
本気でやったら三秒も保たなかった。
倒れた二人を無理矢理起こして何回も繰り返したが、何の変化も無く話にならなかったので、仕方無しに手を抜く事にした。
二人がやり易い様に子供の姿から青年の姿に変わって続けたが、二人はあまり変わらなかった。
もう気絶した二人を起こすのも面倒臭い。
「皐悸、楼季」
「何、紅」
「どうかした?」
四人を傍観していた紅は、座っていた枝から飛び降りると皐悸、楼季を真っ直ぐ見据えた。
「前から聞きたかった事が」
「「…何?」」
「分からないんです……何で子供の姿がやり易いんです?子供の姿は確かに小回りはきくが、リーチが短く俺にはやり難い」
その紅の問いに、皐悸と楼季は顔を見合わせた。
「僕等は母さんの力」
「狼族の能力の化身」
幼い頃の母さんと闘い、母さんに惚れ込み、母さんの家族となり側に居続けた…黒髪を母さんと揃いの銀色に染めた褐色の肌に金眼の青年。
狼族の長、砕覇…
悪名高い彼が僕等の父さん。
そして父さんと母さんが契約を結んだ事によって生まれた膨大な力。それに命を与えられて生まれたのが僕等だった。
僕等は母さんの能力…
僕等は母さんの一部…
「母さんにとって」
「僕等は大事な子供」
「関係が壊れるのが怖くて」
「寄り添っていたくて」
「ずっと子供で居たくて」
「長く成長を止めてた」
ずっと一緒に居たくて…僕等は楽な道を選んだ。
子供なら側に居れる。子供なら邪魔され無い。子供なら…子供なら…
そうやって…子供という立場に甘えていた。
「そうしてたら何時の間にかこの姿の方が戦い易くなってた」
「今更悔いても遅いけど」
「「僕等は母さんに男として見て欲しいから」」
随分と遅くなってしまったけど、それが僕等の一歩だ。だから…
「母さんに言ったら」
「紅が相手でも怒る」
誰であろうと僕等の道を妨げる奴は許さない。
僕等はかなり遅れをとっているのだから…
「それにしても惨めですね」
皐悸と楼季の言葉に“そうですか”と納得した様に頷いた紅は、表情を一変させると、そう口にしながら地に倒れた二人を見下す様に見下ろした。
「…そういえば気になってた」
「そう、気になってた事ある」
「ブラック紅、久しぶりに見た」
「最初少し驚いた」
「紅、コイツ等に厳しい」
「紅、優しいのに」
いつも笑っていて、優しくて…怒った事等今まで手で数えられる程度だった。
なのに、その紅が初対面の二人をああ扱うとは思わなかった。
「人間は嫌いですから」
「母さん言ってた」
「コイツ等アクマだって」
「元は人間です。別に変わり無いですよ」
変わり無い…確かにその通りだった。アクマは人間から出来ている…でも僕等は知ってる。紅は…
「紅、昔は人間好きだった」
「母さん以外の人間も」
昔は人間にも優しかった。
紅は母さんの様に隔たりが無かったのに…
「確かに母さんに出逢うまでは拒絶してた」
「でも母さんをきっかけに受け入れた」
「シリウス達と楽しそうだった」
「お茶したり話したり…」
「楽しそうだった」
紅を含め…
皆は昔、人間が嫌いだった。
人間は妖かしの住処を奪い、存在を冒涜し…邪魔だとばかりに陰陽師や退魔師を仕向けた。
母さんはそんな皆を集めて“家族”を造った。
短い時間だけど…
一緒に生きて行こうと…
人間の中には良い人間も沢山いた。
母さんの友達は僕等家族の友達だった。
紅は皆に優しかった…
なのに紅は…
「人間なんて嫌いです」
そう口にした俺に表情は無かった。
表情等要らなかった。
「人間は我等が主を傷付ける」
何時だってそうだ。
人間は何時だって…
「下らぬ欲望で、愚かな恐怖心で、勝手な憎しみで、裏切りで…歪んだ愛で」
言い出したらきりが無い。
人間は浅はかで醜い…愚かな事ばかり考えるどうしようも無い生き物だ。
良い人間がいる事は身を持って知っている。
だけど…
「最後は…その命の短さで」
心に癒えぬ傷を負わせる。
彼女は一体、何度大切なモノの死を乗り越え…何度涙の海を越えてきただろう。
弱い彼女は、何度も溺れそうになりながら大切なモノ達を見送ってきた。
人間ではなくなり、命という制限を失った彼女は、永遠に人間に傷付けられ続ける──…
こ、紅…あ…ありがとう──…
俺…紅みたいに──を護るよ…
貴方の事嫌いじゃないわ──…
紅さん私、──と一緒に…
紅、俺思うんだ…
──はお前に支えられてるよ…
紅…
紅、紅…紅……
「人間なんて…」
皐悸と楼季に目を見られたくなくて、俺は静かに瞼を閉じた。
あんな…
あんな馬鹿な奴等…
「……嫌いです…」
人間は何時だって…
消えない何かを残して逝く…
だから俺は…
奴等が──を傷付けない様に…
見張り続ける──…