第5章 二人の女王
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105
全てが真っ白だった。
何も無いこの空間は違和感しかなくて、少しも汚れていない白が眩し過ぎて、体が何だかふわふわして…何だか全てに酷くムカムカした。
死ぬとこんな所に来るのだろうか…
何も無さ過ぎて気持ち悪い。
これは…どういう事だろうか。
俺は本当に死んだんだろうか。
それとも意識を失っているだけなんだろうか。
それともノアの能力で閉じ込められたんだろうか。
……いや、違うか。
俺は、俺は確かに…
「パール!!」
瞬間そう声が響いて、俺は振り返った……振り返ったんだと思う。
見えている範囲には誰も居なかった。だからフワフワと浮かぶ体の向きを変えた。
変えた先には女が居た。
体に張り付く露出の高い福に、同じく体に張り付くデニムのズボン。
鎖骨の下にハートの模様の様なタトゥーのある女だった。
ショートカットの天辺では毛が一束、尻尾の様に揺れている。
「…誰だ、お前?」
「あ゙──!!!分かんないのかい?!」
分からないのかと言われても…
「会った事も無い奴など知るか」
見た事の無い奴だ。
どう見ても。
「ニャハハハ!それもそうだね!」
……ニャハハハ?
「お前まさか…」
「そーだよ、パール…アッシだ」
そうか…そうかお前が…
「…お前なんで」
お前とは…
ほんの少しの時間一緒に居ただけなのに…
「主に頼んだのさ“パールはアッシが迎える”って……だからむかえに来たんだ。
いこうパール、大丈夫。アッシがついてるから怖くないよ」
「…別に怖かないさ」
「ニャハハ、パールらしいね!」
楽しそうに笑うその姿に違和感を覚えた。
あの時、俺の目の前にはあの女の姿をした…コイツが居たのだから。
違和感でしかない。
でも…
「さぁ、パール…」
もう、ムカムカはしなかった。
「アッシの名前を呼んで」
=玩具の心=
『私はアンタだけじゃなくて、そこに突っ立ってる人間共も殺さないと!!』
ニヤリと口角を上げたレイがそう叫んだ瞬間、月を襲っていた道管が壁沿いに磔にされた科学班達に向かった。
地に向かって落ちて行きながら苦しそうに表情を歪めた月は、科学班達に向かって大きく手を振るった。
『“護れ!!!”』
月が大きく振るった手に合わせて床が捲り上がる様に盛り上がり、科学班達の前に高い壁を作った。
無数の道管が壁に弾かれる中、床に転がった月に飛び掛ったレイは、月と一緒に影の中へと沈んで行った。
「レイ!!」
慌てて駆け寄ったユエが影に飛び込もうとしたが、一歩遅く…
カツンと靴の音を立てて、ユエは影のあった場所へ立った。
「クソ…」
今のは月の能力にも見えたが、恐らくレイの力だ。
レイの奴…月だけを連れて方舟に潜るだなんて…
「…ユエ?♡」
「ッ…申し訳有りません」
よりにもよって視界から消え去る等…
「アグスティナ!!!何をしてる、追うぞ!!」
ユエは何故かピクリとも動かずに立っているアグスティナにそう声を荒げた。
そして口を右手で塞ぐ様に覆う。
「レイ、何をしている!一人で移動するな、移動するなら俺を連れて行け!!」
口を覆う手の掌に話す様にしてそう口にすれば、辺りにはレイの声が響き渡った。
『ごっめ~ん!だってこのおばさん強いからさぁ、私も本気出さないと』
そうレイの楽しそうな声が響く中、月が作った壁の向こう側から科学班達が騒ぐ声が聞こえ、ユエは自分の能力でその壁を破壊した。
「レイ~♡その気味の悪い女に油断しないのは良い事デスガ、一人で遊んではダメですヨ♡」
「千年公の言う通りだよ、レイ」
瞬間そう言って話に混ざってきたシェリル様が床に捨てる様に投げた黒い物体を見て…俺は目を疑った。
それは…
「パール!!!」
ブラックパールだった。
ラビは叫ぶ様にパールを呼びながらティキを槌で殴り飛ばすと、ブラックパールに駆け寄った。
「レイ、可愛い君に傷でも付いたらどうするんだい?」
「そうデスヨ〜♡」
「あぁ、頭痛い頭痛い頭痛いぃぃ」
「…ワイズリーはホント使えないねぇ」
「うるさッ…痛たたたたたたたたた」
「あぁ、そうだレイ!レイが僕の娘になってくれるって言うなら僕が全面的にサポートするけど!!」
「……シェリル♡」
「キモイ、ウザイ…つか黙ってて、ニ・イ・サ・ン」
「やあ、僕のティッキー…なんだい、ボロボロになって。随分あの眼帯の餓鬼も身の程知ら」
瞬間。三人のノアの間を何かが通過し大きな破壊音を立てた。
巨大化し、伸びたラビの槌が壁を突き破っていた。
「……す…」
「ハイ?♡」
「ぶっ殺す!!!」
曲がる筈の無い方向に曲がった首をだらりと下げたブラックパールを片腕に抱いて涙を流しながら自分達を睨み付けるラビを見て、伯爵様は目を輝かせた。
「まァまァまァまァ!!♡フフフ、君の魂と引き換えにそのカラスを生き返らせてあげましょうカァァ?♡♡♡」
「死ねぇぇ!!!」
「おやまぁ、ダメですカ♡」
ラビの攻撃を受け流しながら、千年公はそう溜め息を吐いた。
『当ったり前でしょ~』
「頷く馬鹿はいねぇよな~」
ブラックパールを抱えたまま攻撃を続けるラビを前にユエは動けずにいた。
レイの元に行かなければならない。レイと月をこのまま戦わせ続けるわけにもいかない…しかしラビをこのまま放っておくのも…
「クソ…ッ」
『ぁ、そぅだ!そっちもそ~んな狭い所で殺るのは不便でしょぉ?』
辺りに響き渡るレイの声に、ユエは顔色を青く染めた。
まさか…
『こっちおいでよぉ』
世界が歪む。
気持ちが悪いくらいに歪んだ景色がはっきりした瞬間、科学班を含め、俺達はもう黒の教団北欧支部には居なかった。
夜のロンドンの様なこの街並み…
ここは方舟だ。
レイは広場の噴水の上に浮く様に立っていた。
傍らにはアルマ=カルマが地から木の様に伸びた道管に生える様に磔にされていた。
アレンと神田は噴水の左側に先程と同じ様に座り込み、科学班達は噴水の向こう側に宙吊りにされている。
月は噴水の淵に寝転がる様に倒れていた。
「アイリーン!!!」
ブラックパールを抱えたラビが直ぐに駆け出したが、その行く手をシェリルと…少し動揺したティキが阻む。
「アイリーン!!おい、大丈夫か?!!」
「アイリーン!!」
「レイ、貴様アイリーンに何をした!」
『べっつに~、私の方が強かったってだけだよぉ』
そう言ったレイは、信じていない科学班達の顔を見ると、不機嫌そうに頬を膨らませた。
『あー、信じてないでしょ?人間のクセになっまいき~!!』
レイが話し出した事により、レイが直ぐには科学班達を殺さないとふんだユエは、少し離れた所で相変わらずピクリとも動かずに立ち続けているアグスティナに歩み寄ると、その腕を掴んだ。
「おい、お前いつまでそうしてるつもりなんだ!」
「ユエ様…」
『特別に教えてあげるよ。私はね“ここでは”無敵なの…誰にも負けないんだよ♪』
「月が動けなくなってる…アイツはもう戦えないかもしれない、レイにアイツを殺させるな、俺とお前で何とか助けるんだ。…何かの拍子に記憶が戻ったりしたら」
「大丈夫です」
意味が分からなかった。
何をもってして大丈夫だと…?
なんの保障も無いこの状況で…
『私はここに居れば方舟全体で攻撃が出来る。方舟全体で私を護れるの!だって私は…』
「何の話ですカ♡」
瞬間耳元で響いた声に、血の気がひいた。
「は・・・伯爵様…ッ」
「誰を助けるデスって?♡」
「っ・・・」
言えない。言えるわけが無い。
伝えたくも無いし、そもそも何から伝えたらいいか分からないのだから…
「ユエ、お前は本当にあの時に壊しておくべきデ」
「大丈夫です、ユエ様」
「…何ガです、アグスティナ?♡」
伯爵様がそう問い掛けたが、アグスティナの顔は真っ直ぐに俺に向かっていた。
「あの人はまだ戦える。あの人は誰よりも強い…力も心も…」
『私は第0使徒“方舟 ”方舟の中であるここで私に勝つなんて有り得ない』
「あの人は動き続ける。あの人の願いが叶うまで…死があの人の願いとあの人の大事なモノから、あの人を別つまで」
「何を…」
「アグスティナ、お前一体何ヲ言って」
「済みません、ユエ様」
『私は方舟の核なんだから♪だから貴方達は私の使い捨ての玩具』
『何言ってるのかしら、この子は』
そう今までしなかった声が響いた瞬間、宙に立ったレイの下…
噴水の淵に倒れていたアイリーンが口角を上げて笑った。
『“我と共に舞え”』
ふわりと不自然に…浮かび上がる様に起き上がったアイリーンは、一瞬で間合いを詰めると、レイを術で弾き飛ばした。
ユエは弾かれた様にレイの方を振り向いたが、瞬間、目の前にはアグスティナが立っていた。
護衛アクマとなってからずっと閉じていた瞼が上がり、灰色の瞳が姿を現す。
初めて見るアグスティナの瞳は、しっかりと俺を見据えていた。
「ユエ様、最後まであの人を信じて下さいな」
そう言ってニッコリと微笑んだアグスティナは次の瞬間、レイを弾き飛ばしたアイリーンに襲い掛かるシェリルの前へ飛び出すと、右腕をコンバートしてシェリルに襲い掛かった。
突き出された巨大な槍へと変わった腕がシェリルを掠める。
「危なっ…ッ!」
「ナ…?!♡」
『あらまぁ』
『ティナ?!』
アグスティナから距離を取ったシェリルは“あ~ぁ…”と裂けた胸元の布地に触れた。
「ビックリしたぁ…なんだい、なんだい?お前は姫たるレイのアクマだろ…一体どういうつもりだ?」
シェリルの言葉に、アグスティナが答える事は無かった。
ただニッコリと微笑むと再度アグスティナはシェリルに襲い掛かる。
ユエは慌てて体の一部をコンバートすると、アグスティナとシェリルの間に割って入り、アグスティナの攻撃を受け止めた。
「まぁまぁ、ユエ様…傍観者は辞めましたの?」
『ティナ、止めて!!それは人間じゃない、ユエとシェリルだよ?!!』
アグスティナは槍を引いてユエから距離を取ると、左手を口元に寄せてクスリと笑った。
「まぁ、姫様ったら…そんな事は重々承知ですよ。私は意味があるからこそ戦っているのです!」
アグスティナが地を蹴ってシェリルに向かった瞬間、それは響いた。
「アグスティナ、止まりなさイ」
千年伯爵の声に反応した様にピタリと動きを止めたアグスティナに、レイは顔色を青く染めた。
『ダメ、チィ!!ティナを壊さないで!!!』
「絶対に駄目デスヨ、壊しまス♡」
『チィ!!』
「無駄だよ、レイ」
「さァ、アグスティナ“止マリナサ…”」
「心配無用ですよ、姫様」
先程した様に口元に手を当てて笑ったアグスティナは、次の瞬間ニッコリ微笑むと、ティキの攻撃を受けているラビに一瞬で寄り添い、ラビを抱えてアイリーンの元に飛んだ。
『ティ…ティナ……?』
「千年公の言う事を聞かない?」
アグスティナは、何が起きているかを理解していないラビが抱いていたブラックパールを引き受けると、額にキスを落とし、しっかりと…しかし優しく左腕で抱き締めた。
「一体どう言う事さ?!」
『ラビ、貴方はティキよ!』
レイへと突っ込んで行ったアイリーンがそう口にしたと同時にブラックパールを抱いたアグスティナがシェリルに突っ込んで行き、シェリルは不機嫌そうに表情を歪めた。
「玩具の分際で…」
「その玩具には貴方の力は通じませんよ」
そう言うアグスティナの攻撃を避けながら、シェリル様の表情は更に…どんどん歪んでいった。
本当に能力が通じないんだろう。
「玩具に負ける…屈辱的で楽しくありませんか、シェリル様」
“フフフッ”と笑いながら攻撃を続けるアグスティナと、応戦するシェリルの前に割って入ったユエは、無数の水晶でアグスティナを攻撃したが、それが当たる事は無く、シェリルとアグスティナの距離を離しただけとなった。
「まあ、急所を外すなんてお優しいですねユエ様…でも当てる気で来ないと何の意味も持ちませんよ」
ラビはティキ、パールを抱えたアグスティナがシェリルとユエに応戦する一方、レイと対峙していたアイリーンは、この状況に動揺しているレイの前に一瞬で立つとニッコリと笑った。
『貴女の相手は私よ』
「レイ!?♡」
『ッ!!?』
『あぁ、駄目よ』
そう口にして“パチンッ”と指を鳴らしたアイリーンが手を振るうとレイを目掛けて飛び出した千年伯爵が空中でピタリと動きを止めた。
「ナ?!♡」
『この!!!』
『大人しくしてなさいな』
そう言ったアイリーンに攻撃を仕掛けた手を掴れて一瞬で床に叩き付けられ、レイの口から苦しそうな詰まった声がもれた。
地に倒れたレイを押さえつける様にアイリーンが覆い被さったと同時に、アイリーンの影が伸びてレイの両手足を拘束した。
『少し荒療治だけど我慢なさい』
『ッ、何を言…!!』
悲しそうに笑ったアイリーンの表情を見て、レイは思わず話すのを止めた。
『大丈夫、痛くないわ』
アイリーンの緋色の瞳が妖しく輝き、左手で地に手を付いたアイリーンの右手が振り上げられた。
『“目覚めろ”』
少女の姿からは想像も出来無い低い声がもれたと同時にその右手は振り下ろされる。
そう思ってた。
でも“そう”はならなかった。
困った様に微かに笑ったアイリーンと言う名の少女の様なおばさんの口端からポタポタ…と垂れた何かが私の頬を濡らした。
異変の理由を捜そうと視線を動かすと、おばさんの腹部から口よりも大量に…ボタボタと垂れたそれが私の白いドレスを赤く染めていた。
思わずニヤリと口角が上がる。
『死ぬの、おばさん?』
『…っ…不覚、だったわ』
小さくそう口にしたおばさんの声は弱々しく、私を拘束していた影は“影”へと戻って行った。
力を保てなくなった。本当に保てなくなった。
じゃあ、これが最後だ。
じゃあ…
『首を焼いてあげるね』
シャールと同じ様に焼いて上げる。
気を失わないうちに…微かでも生きているうちに。
レイは腕を伸ばす。
自由になった腕で、弱りきった…ノアでもないクセに化け物みたいに強い少女の様な女の首を焼く為に。
大切な家族の一員であったシャールと同じ苦しみを与える為に。
私達以外を殺す為に。
しかし私の手がおばさんの首を掴む事は無かった。
スルリとすり抜ける様におばさんは私の脇に倒れた。
力が切れた為に幼い姿を保てなくなったおばさんの姿は、エクソシストの服はそのままに、元へと戻った。
幼い表情は艶やかに…短い銀髪も長くなる。
思っていた“終わり”とは違く、少し物足りない感じはしたが、殺せるならいい。
そう思ったが、隣に横たわったおばさんに手を出す事は出来無かった。
おばさんが倒れた後の開けた視界の先に私は“それ”を見てしまった。
そこには小さな少女が立っていた。
リボンの付いた肩までの金髪に蒼眼、白いワンピースの右腕を血で真っ赤に染めた少女だった。
私の領域 に入れたつもりが無いもの…許可してないもの…
“異物”だ。
「だれかはわからないけど…ごめんね、おねぇちゃん」
『お前、一体…』
「そのこ…殺されちゃうとこまるのよ」
だから、ごめんね──…
全てが真っ白だった。
何も無いこの空間は違和感しかなくて、少しも汚れていない白が眩し過ぎて、体が何だかふわふわして…何だか全てに酷くムカムカした。
死ぬとこんな所に来るのだろうか…
何も無さ過ぎて気持ち悪い。
これは…どういう事だろうか。
俺は本当に死んだんだろうか。
それとも意識を失っているだけなんだろうか。
それともノアの能力で閉じ込められたんだろうか。
……いや、違うか。
俺は、俺は確かに…
「パール!!」
瞬間そう声が響いて、俺は振り返った……振り返ったんだと思う。
見えている範囲には誰も居なかった。だからフワフワと浮かぶ体の向きを変えた。
変えた先には女が居た。
体に張り付く露出の高い福に、同じく体に張り付くデニムのズボン。
鎖骨の下にハートの模様の様なタトゥーのある女だった。
ショートカットの天辺では毛が一束、尻尾の様に揺れている。
「…誰だ、お前?」
「あ゙──!!!分かんないのかい?!」
分からないのかと言われても…
「会った事も無い奴など知るか」
見た事の無い奴だ。
どう見ても。
「ニャハハハ!それもそうだね!」
……ニャハハハ?
「お前まさか…」
「そーだよ、パール…アッシだ」
そうか…そうかお前が…
「…お前なんで」
お前とは…
ほんの少しの時間一緒に居ただけなのに…
「主に頼んだのさ“パールはアッシが迎える”って……だからむかえに来たんだ。
いこうパール、大丈夫。アッシがついてるから怖くないよ」
「…別に怖かないさ」
「ニャハハ、パールらしいね!」
楽しそうに笑うその姿に違和感を覚えた。
あの時、俺の目の前にはあの女の姿をした…コイツが居たのだから。
違和感でしかない。
でも…
「さぁ、パール…」
もう、ムカムカはしなかった。
「アッシの名前を呼んで」
=玩具の心=
『私はアンタだけじゃなくて、そこに突っ立ってる人間共も殺さないと!!』
ニヤリと口角を上げたレイがそう叫んだ瞬間、月を襲っていた道管が壁沿いに磔にされた科学班達に向かった。
地に向かって落ちて行きながら苦しそうに表情を歪めた月は、科学班達に向かって大きく手を振るった。
『“護れ!!!”』
月が大きく振るった手に合わせて床が捲り上がる様に盛り上がり、科学班達の前に高い壁を作った。
無数の道管が壁に弾かれる中、床に転がった月に飛び掛ったレイは、月と一緒に影の中へと沈んで行った。
「レイ!!」
慌てて駆け寄ったユエが影に飛び込もうとしたが、一歩遅く…
カツンと靴の音を立てて、ユエは影のあった場所へ立った。
「クソ…」
今のは月の能力にも見えたが、恐らくレイの力だ。
レイの奴…月だけを連れて方舟に潜るだなんて…
「…ユエ?♡」
「ッ…申し訳有りません」
よりにもよって視界から消え去る等…
「アグスティナ!!!何をしてる、追うぞ!!」
ユエは何故かピクリとも動かずに立っているアグスティナにそう声を荒げた。
そして口を右手で塞ぐ様に覆う。
「レイ、何をしている!一人で移動するな、移動するなら俺を連れて行け!!」
口を覆う手の掌に話す様にしてそう口にすれば、辺りにはレイの声が響き渡った。
『ごっめ~ん!だってこのおばさん強いからさぁ、私も本気出さないと』
そうレイの楽しそうな声が響く中、月が作った壁の向こう側から科学班達が騒ぐ声が聞こえ、ユエは自分の能力でその壁を破壊した。
「レイ~♡その気味の悪い女に油断しないのは良い事デスガ、一人で遊んではダメですヨ♡」
「千年公の言う通りだよ、レイ」
瞬間そう言って話に混ざってきたシェリル様が床に捨てる様に投げた黒い物体を見て…俺は目を疑った。
それは…
「パール!!!」
ブラックパールだった。
ラビは叫ぶ様にパールを呼びながらティキを槌で殴り飛ばすと、ブラックパールに駆け寄った。
「レイ、可愛い君に傷でも付いたらどうするんだい?」
「そうデスヨ〜♡」
「あぁ、頭痛い頭痛い頭痛いぃぃ」
「…ワイズリーはホント使えないねぇ」
「うるさッ…痛たたたたたたたたた」
「あぁ、そうだレイ!レイが僕の娘になってくれるって言うなら僕が全面的にサポートするけど!!」
「……シェリル♡」
「キモイ、ウザイ…つか黙ってて、ニ・イ・サ・ン」
「やあ、僕のティッキー…なんだい、ボロボロになって。随分あの眼帯の餓鬼も身の程知ら」
瞬間。三人のノアの間を何かが通過し大きな破壊音を立てた。
巨大化し、伸びたラビの槌が壁を突き破っていた。
「……す…」
「ハイ?♡」
「ぶっ殺す!!!」
曲がる筈の無い方向に曲がった首をだらりと下げたブラックパールを片腕に抱いて涙を流しながら自分達を睨み付けるラビを見て、伯爵様は目を輝かせた。
「まァまァまァまァ!!♡フフフ、君の魂と引き換えにそのカラスを生き返らせてあげましょうカァァ?♡♡♡」
「死ねぇぇ!!!」
「おやまぁ、ダメですカ♡」
ラビの攻撃を受け流しながら、千年公はそう溜め息を吐いた。
『当ったり前でしょ~』
「頷く馬鹿はいねぇよな~」
ブラックパールを抱えたまま攻撃を続けるラビを前にユエは動けずにいた。
レイの元に行かなければならない。レイと月をこのまま戦わせ続けるわけにもいかない…しかしラビをこのまま放っておくのも…
「クソ…ッ」
『ぁ、そぅだ!そっちもそ~んな狭い所で殺るのは不便でしょぉ?』
辺りに響き渡るレイの声に、ユエは顔色を青く染めた。
まさか…
『こっちおいでよぉ』
世界が歪む。
気持ちが悪いくらいに歪んだ景色がはっきりした瞬間、科学班を含め、俺達はもう黒の教団北欧支部には居なかった。
夜のロンドンの様なこの街並み…
ここは方舟だ。
レイは広場の噴水の上に浮く様に立っていた。
傍らにはアルマ=カルマが地から木の様に伸びた道管に生える様に磔にされていた。
アレンと神田は噴水の左側に先程と同じ様に座り込み、科学班達は噴水の向こう側に宙吊りにされている。
月は噴水の淵に寝転がる様に倒れていた。
「アイリーン!!!」
ブラックパールを抱えたラビが直ぐに駆け出したが、その行く手をシェリルと…少し動揺したティキが阻む。
「アイリーン!!おい、大丈夫か?!!」
「アイリーン!!」
「レイ、貴様アイリーンに何をした!」
『べっつに~、私の方が強かったってだけだよぉ』
そう言ったレイは、信じていない科学班達の顔を見ると、不機嫌そうに頬を膨らませた。
『あー、信じてないでしょ?人間のクセになっまいき~!!』
レイが話し出した事により、レイが直ぐには科学班達を殺さないとふんだユエは、少し離れた所で相変わらずピクリとも動かずに立ち続けているアグスティナに歩み寄ると、その腕を掴んだ。
「おい、お前いつまでそうしてるつもりなんだ!」
「ユエ様…」
『特別に教えてあげるよ。私はね“ここでは”無敵なの…誰にも負けないんだよ♪』
「月が動けなくなってる…アイツはもう戦えないかもしれない、レイにアイツを殺させるな、俺とお前で何とか助けるんだ。…何かの拍子に記憶が戻ったりしたら」
「大丈夫です」
意味が分からなかった。
何をもってして大丈夫だと…?
なんの保障も無いこの状況で…
『私はここに居れば方舟全体で攻撃が出来る。方舟全体で私を護れるの!だって私は…』
「何の話ですカ♡」
瞬間耳元で響いた声に、血の気がひいた。
「は・・・伯爵様…ッ」
「誰を助けるデスって?♡」
「っ・・・」
言えない。言えるわけが無い。
伝えたくも無いし、そもそも何から伝えたらいいか分からないのだから…
「ユエ、お前は本当にあの時に壊しておくべきデ」
「大丈夫です、ユエ様」
「…何ガです、アグスティナ?♡」
伯爵様がそう問い掛けたが、アグスティナの顔は真っ直ぐに俺に向かっていた。
「あの人はまだ戦える。あの人は誰よりも強い…力も心も…」
『私は第0使徒“
「あの人は動き続ける。あの人の願いが叶うまで…死があの人の願いとあの人の大事なモノから、あの人を別つまで」
「何を…」
「アグスティナ、お前一体何ヲ言って」
「済みません、ユエ様」
『私は方舟の核なんだから♪だから貴方達は私の使い捨ての玩具』
『何言ってるのかしら、この子は』
そう今までしなかった声が響いた瞬間、宙に立ったレイの下…
噴水の淵に倒れていたアイリーンが口角を上げて笑った。
『“我と共に舞え”』
ふわりと不自然に…浮かび上がる様に起き上がったアイリーンは、一瞬で間合いを詰めると、レイを術で弾き飛ばした。
ユエは弾かれた様にレイの方を振り向いたが、瞬間、目の前にはアグスティナが立っていた。
護衛アクマとなってからずっと閉じていた瞼が上がり、灰色の瞳が姿を現す。
初めて見るアグスティナの瞳は、しっかりと俺を見据えていた。
「ユエ様、最後まであの人を信じて下さいな」
そう言ってニッコリと微笑んだアグスティナは次の瞬間、レイを弾き飛ばしたアイリーンに襲い掛かるシェリルの前へ飛び出すと、右腕をコンバートしてシェリルに襲い掛かった。
突き出された巨大な槍へと変わった腕がシェリルを掠める。
「危なっ…ッ!」
「ナ…?!♡」
『あらまぁ』
『ティナ?!』
アグスティナから距離を取ったシェリルは“あ~ぁ…”と裂けた胸元の布地に触れた。
「ビックリしたぁ…なんだい、なんだい?お前は姫たるレイのアクマだろ…一体どういうつもりだ?」
シェリルの言葉に、アグスティナが答える事は無かった。
ただニッコリと微笑むと再度アグスティナはシェリルに襲い掛かる。
ユエは慌てて体の一部をコンバートすると、アグスティナとシェリルの間に割って入り、アグスティナの攻撃を受け止めた。
「まぁまぁ、ユエ様…傍観者は辞めましたの?」
『ティナ、止めて!!それは人間じゃない、ユエとシェリルだよ?!!』
アグスティナは槍を引いてユエから距離を取ると、左手を口元に寄せてクスリと笑った。
「まぁ、姫様ったら…そんな事は重々承知ですよ。私は意味があるからこそ戦っているのです!」
アグスティナが地を蹴ってシェリルに向かった瞬間、それは響いた。
「アグスティナ、止まりなさイ」
千年伯爵の声に反応した様にピタリと動きを止めたアグスティナに、レイは顔色を青く染めた。
『ダメ、チィ!!ティナを壊さないで!!!』
「絶対に駄目デスヨ、壊しまス♡」
『チィ!!』
「無駄だよ、レイ」
「さァ、アグスティナ“止マリナサ…”」
「心配無用ですよ、姫様」
先程した様に口元に手を当てて笑ったアグスティナは、次の瞬間ニッコリ微笑むと、ティキの攻撃を受けているラビに一瞬で寄り添い、ラビを抱えてアイリーンの元に飛んだ。
『ティ…ティナ……?』
「千年公の言う事を聞かない?」
アグスティナは、何が起きているかを理解していないラビが抱いていたブラックパールを引き受けると、額にキスを落とし、しっかりと…しかし優しく左腕で抱き締めた。
「一体どう言う事さ?!」
『ラビ、貴方はティキよ!』
レイへと突っ込んで行ったアイリーンがそう口にしたと同時にブラックパールを抱いたアグスティナがシェリルに突っ込んで行き、シェリルは不機嫌そうに表情を歪めた。
「玩具の分際で…」
「その玩具には貴方の力は通じませんよ」
そう言うアグスティナの攻撃を避けながら、シェリル様の表情は更に…どんどん歪んでいった。
本当に能力が通じないんだろう。
「玩具に負ける…屈辱的で楽しくありませんか、シェリル様」
“フフフッ”と笑いながら攻撃を続けるアグスティナと、応戦するシェリルの前に割って入ったユエは、無数の水晶でアグスティナを攻撃したが、それが当たる事は無く、シェリルとアグスティナの距離を離しただけとなった。
「まあ、急所を外すなんてお優しいですねユエ様…でも当てる気で来ないと何の意味も持ちませんよ」
ラビはティキ、パールを抱えたアグスティナがシェリルとユエに応戦する一方、レイと対峙していたアイリーンは、この状況に動揺しているレイの前に一瞬で立つとニッコリと笑った。
『貴女の相手は私よ』
「レイ!?♡」
『ッ!!?』
『あぁ、駄目よ』
そう口にして“パチンッ”と指を鳴らしたアイリーンが手を振るうとレイを目掛けて飛び出した千年伯爵が空中でピタリと動きを止めた。
「ナ?!♡」
『この!!!』
『大人しくしてなさいな』
そう言ったアイリーンに攻撃を仕掛けた手を掴れて一瞬で床に叩き付けられ、レイの口から苦しそうな詰まった声がもれた。
地に倒れたレイを押さえつける様にアイリーンが覆い被さったと同時に、アイリーンの影が伸びてレイの両手足を拘束した。
『少し荒療治だけど我慢なさい』
『ッ、何を言…!!』
悲しそうに笑ったアイリーンの表情を見て、レイは思わず話すのを止めた。
『大丈夫、痛くないわ』
アイリーンの緋色の瞳が妖しく輝き、左手で地に手を付いたアイリーンの右手が振り上げられた。
『“目覚めろ”』
少女の姿からは想像も出来無い低い声がもれたと同時にその右手は振り下ろされる。
そう思ってた。
でも“そう”はならなかった。
困った様に微かに笑ったアイリーンと言う名の少女の様なおばさんの口端からポタポタ…と垂れた何かが私の頬を濡らした。
異変の理由を捜そうと視線を動かすと、おばさんの腹部から口よりも大量に…ボタボタと垂れたそれが私の白いドレスを赤く染めていた。
思わずニヤリと口角が上がる。
『死ぬの、おばさん?』
『…っ…不覚、だったわ』
小さくそう口にしたおばさんの声は弱々しく、私を拘束していた影は“影”へと戻って行った。
力を保てなくなった。本当に保てなくなった。
じゃあ、これが最後だ。
じゃあ…
『首を焼いてあげるね』
シャールと同じ様に焼いて上げる。
気を失わないうちに…微かでも生きているうちに。
レイは腕を伸ばす。
自由になった腕で、弱りきった…ノアでもないクセに化け物みたいに強い少女の様な女の首を焼く為に。
大切な家族の一員であったシャールと同じ苦しみを与える為に。
私達以外を殺す為に。
しかし私の手がおばさんの首を掴む事は無かった。
スルリとすり抜ける様におばさんは私の脇に倒れた。
力が切れた為に幼い姿を保てなくなったおばさんの姿は、エクソシストの服はそのままに、元へと戻った。
幼い表情は艶やかに…短い銀髪も長くなる。
思っていた“終わり”とは違く、少し物足りない感じはしたが、殺せるならいい。
そう思ったが、隣に横たわったおばさんに手を出す事は出来無かった。
おばさんが倒れた後の開けた視界の先に私は“それ”を見てしまった。
そこには小さな少女が立っていた。
リボンの付いた肩までの金髪に蒼眼、白いワンピースの右腕を血で真っ赤に染めた少女だった。
私の
“異物”だ。
「だれかはわからないけど…ごめんね、おねぇちゃん」
『お前、一体…』
「そのこ…殺されちゃうとこまるのよ」
だから、ごめんね──…