夢に落ちるその前に
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
4
『クロム』
そうローズが口にすると、クロムは黒いドレスを身に纏ったローズを横抱きにすると、屋敷の高い塀を飛び越えた。
不法侵入成功だ。
静かに庭へと着地したクロムに地に降ろされ、回していた腕を解いて離れたローズは、クロムの帯を直すと手渡された仮面を付けた。
右目のみが隠れるタイプの仮面で、ローズの蒼色の左目は紫色へと姿を変えた。
『いやね、お金臭いパーティー』
庭から見えるホールでのパーティーの様子に、ローズは“人の事言えないけど”と小さく漏らした。
「祝い事の物以外は大抵そうだろ」
『でもこのパーティーは特に…裏で闇オークションでもしてそうね』
「あぁ、それは‥」
真顔で“あるな”と言い切ったクロムに思わず笑ってしまった。
『気を付けてね、クロム』
「お前もな、ローズ」
『大丈夫よ、私はパーティーに潜り込むだけだもの』
「男は狼、女はハイエナだ」
『あら、失礼な人…でも私は大丈夫よ。貴方が見付かった時はホールで目一杯暴れてあげるわね』
作戦なんていつも無い。
全てその場の判断で乗り切るのが私達のやり方だった。
『人が来るわ、始めましょう』
“行って”と言うと、私の額にキスを落としたクロムは一瞬で消え去り、私は唯そこに立ち尽くした。
「どうかなさいましたか?」
そう声を掛けられて振り返ると、金髪に蒼い瞳の優しそうな青年が立っていた。
近付いて来ていたのはこの子か…
『涼んでました。素敵なお庭ですね』
「ありがとうございます。薔薇を植えようと思ってるんですよ」
『薔薇ですか…大変ですよ』
「そう言いますね」
『あれは頑固で繊細でひねくれ者です』
育てるのに最初は苦戦したものだ。
クロムと二人で沢山の薔薇を駄目にしてしまった。
「御指導いただきたいですね」
『……私の薔薇園に今度御招待しますわ』
「是非。招待状、お待ちしてますよ」
ニッコリと微笑んだローズに、青年はそっと手を差し出した。
「僕と踊っていただけますか?」
彼は知らない…私が何なのかを。
彼は知らない‥
『えぇ‥喜んで』
私が誰なのかを——…‥
=ドレス=
三ヶ月前——…
「此の学園は、知性と品性を兼ね備えた淑女を育成する事を基本方針としています」
役職と名前だけという簡単な…良く言えば簡潔で覚え易いシンプルな自己紹介を口にした次の瞬間、そう喋り出したミズ・リーに連れられて辿り着いた部屋は随分と狭かった。
机のセットとベッドとクローゼットが二つずつ‥
そしてローズが着ているのと同じ、制服のアオザイを着たブルネットの髪の少女が一人立っていた。
この広さなら一人部屋で良いんじゃないかしら?
「ローズ・ゴルドシュミット、こちら同室のジェーン・ミッシェルです」
そうミズ・リーが口にすると、ブルネットの少女、ジェーン・ミッシェルは一礼するとニッコリと微笑んだ。
「分からない事があったらジェーンに聞きなさい。ジェーン、後は頼みましたよ」
「はい、分かりました」
再度ニッコリと微笑んだジェーンを一瞥したミズ・リーは、直ぐにさっさと部屋を出て行った。
暫く黙り込んだままでピクリとも動かなかったジェーンは、廊下に響くカツカツというヒールの音が遠くなると、小さく息を漏らし、力が抜けた様に自分のベッドに腰掛けた。
「つっっっかれたぁ!!」
そう叫んだジェーンは“顔が引き吊るっつの”と呟くと、今度はニカッと人懐っこそうに歯を見せて笑った。
「ジェーン・ミッシェルよ、よろしくねローズ」
『よろしく‥』
どうやら猫を被っていた様だ。
ローズは手にしていた唯一の荷物であるトランクケースを部屋の右側に割り振られた自分のベッドの上にそっと置くと、隣に腰掛けた。
「あなたも部屋では気ぃ抜くと良いわ」
『いや、私は…』
「あの人は私達一人一人の本質を見てるわけじゃないわ。外面しか見ない人にはニャンコ被って淑女 だけ見せりゃ良いのよ」
ジェーンの言っている事に間違いは…まぁ、無いと言えば無い。
ローズは“そうね”と口にしながらトランクケースを開けて荷物をクローゼットに移し始めた。
沖縄を離れたローズは、直ぐにクロムが集めていた情報を頼りに、ベトナムにあるここ“リセ・ドゥ・サンクフレシュ”に編入した。
ファミリーネームを“ゴルドシュミット”にする事で良い挑発になったと思ったが…今の所は相手に特に動きは無い。
「あなた、荷物少なくない?」
『これで十分なの‥足りなかったら送ってもらえば良いわ』
下着類の必要な物と数冊の本、そして沖縄で購入した洋服が一着…ここにある物以外で私が持っている物は年代物過ぎる。ドレスばっかりだし…
必要な物があったら休みの日にこっそりクロムと買い物に行けば良い。
それだけの話だし、そもそもそんなに長くここに居るつもりは無い。私達はディーヴァを探しているだけだ。
敷地内にそれらしきモノが無ければ次に行く。
ディーヴァのシュヴァリエは今の所、全員で六人…
どこに隠されているか分からないまだ眠っているであろうディーヴァを探す為、ローズとクロムは六人に関係のある屋敷や施設を片っ端から回っていた。
勿論、五人に気付かれない様にこっそりと‥
「ローズ、そろそろ行くよ」
そうジェーンに声を掛けられて顔を上げたローズは、小さく首を傾げた。
『どこに?』
「どこにって‥教室よ、教室!今日もこれから授業があるのよ」
『授業‥』
「あなたと私は部屋も学年もクラスも一緒、このジェーン様に何でも聞きなさい!」
そう言って笑うジェーンに手を引かれて向かった教室で、私は初めて授業を受けた。
小さな部屋で三十人近い女の子が、皆で同じ服を着て、同じ方向を見て、同じ椅子に座って、綺麗に並べられた同じ机に向かって、同じ事を学んでいる。
その事が酷く気持ち悪かった。
静かな教室‥
板を擦って字を書く音と一人分の声だけが響く空間。
長机に皆で並んで食べる同じメニューの食事。
私を囲む影。
重なる楽しそうな彼女達の声…
全てが気持ち悪くて、愉快で、新鮮で‥
酷く楽しかった。
月明かりの差し込む薄暗い部屋で、布団に入った状態で天井を見付めていたローズは、ジェーンが眠るのを待つと、ゆっくりと起き上がった。
着ていた物をベッドに脱ぎ捨て、トランクケースの底に隠しておいた黒いジャケットとズボンを着込み、ブーツに足を通す。
すると、そっと部屋を抜け出した。
長い廊下を突き進み、庭に出ると、そこにはクロムが待ちかまえていた。
『あら、庭師の格好じゃないのね』
「あんなの着ていられるか」
『似合ってたわよ?似合ってたし、新鮮で、私は大好き』
微笑むローズを横抱きにしたクロムは、壁の小さな凹凸を足場に、敷地内で一番高い塔の頂上の高見台に飛び上がった。
そしてそっとローズを降ろす。
『結構広いわね』
塔からリセを見下ろしたローズはそう呟いた。
巨大なホールのある校舎は勿論、寮舎に書物庫、教会、薔薇園や貯蔵庫…さらには地下まである。
『今までで一番広いわね‥どれくらいで回りきれるかしら』
「昼間は庭師の爺が引っ付いてて動けない」
『私も休み時間毎に回るのは‥ジェーン達がいるし無理がありそうよ。夜に二人掛かりで回るしかないわね』
昼間に無理に回るよりは夜に余裕を持って回った方が良い。
邪魔なモノは大抵眠っているだろうし‥
『問題は“ファントム”よ』
リセ・ドゥ・サンクフレシュに伝わる伝説“ファントム”
もしファントムが存在するなら、多分それはディーヴァのシュヴァリエだ。
『ディーヴァのシュヴァリエ全員の顔が分かっている訳ではない今、リセの中にシュヴァリエが居るかさえ分からない』
「だから“ゴルドシュミット”なんだろ?」
『えぇ、存在が分からないなら向こうから仕掛けてもらうのを待つしか無いもの。逆に何も手を打たないで油断している所を襲われても嫌だし』
「そんな事を考えていたのか」
そう第三者の声が響いた瞬間、ローズは弾かれた様に声のした方を振り向き、同じく振り返ったクロムは、ローズを庇う様にローズの前へ右腕を出した。
二人の視線の先には蝙蝠を象った仮面を付け、マントを羽織った長髪の男が立っている。
『…気配を消すのが上手いのね』
背後をとられたのに全く気付かなかった。
勘が相当鈍っているのか…それとも‥
「ふざけた格好だ。役者 のつもりか?」
『クロム‥』
確かに物語に出てきそうな風貌の男だが、ある意味良く似合っている。
私達に忍び寄った時のあの人間離れした能力…彼は“ファントム”だ。
『貴方、シュヴァリエね?』
そう口にすれば、男はニヤリと口角を上げて笑った。
やっぱりね…
『ディーヴァのシュヴァリエ…貴方の』
「ずっと捜していたんだよ、小夜」
そうローズの言葉を遮って発せられた男の言葉‥
ローズは一瞬で男の前に立つと、男の襟元を掴んで顔同士がぶつかりそうなくらい自分に引き寄せた。
そして目を見開いた男をそのオッドアイで睨み付ける。
『小夜姉様は緋色の瞳の美人よ、私なんかと一緒にしないで』
「お前‥」
『私は姉様と』
「ローズ」
静かに響いたクロムのお落ち着いた声に反応して、ローズはその不機嫌そうな目だけをクロムの方に向けた。
『……何、クロム』
「お前達は三つ子だ、忘れるな」
三つ子…私と二人は‥
私は…
「それと‥」
『何?』
「離れろ」
『…そうね』
小さくクスリと笑ってそう呟いたローズは、男と距離をとる様に静かに後ろへ飛び退いた。
『貴方、ディーヴァのシュヴァリエね?』
「あぁ、そうだ」
そう言って男が仮面を外し、その顔を見たローズは目を見開いた。
『貴方、理事長‥』
仮面の下の男はここ、リセ・ドゥ・サンクフレシュの理事長だった。
ローズは溜め息を吐くと、チラリとクロムに目を向けた。
誘い出すどころか…私の編入を許可した人がシュヴァリエとは、何だか‥馬鹿みたい。
『私の編入手続き書見たでしょ?私はローズ…小夜の妹で、ディーヴァの姉よ』
「小夜の妹…ディーヴァの姉?花嫁が二人いるだなんて聞いてない」
『だとしたらディーヴァが話して無いんだわ…きっとディーヴァのシュヴァリエの中で私を知ったのは貴方が初めてよ』
小夜姉様とこんな関係になったのに私の存在をシュヴァリエ達に話していないだなんて…どういう事?まだ秘密を護ってるのかしら?
『貴方…名前は?』
「カール」
ベトナム支社のカール!
確かにリストにあった名前だけど…ベトナム支社以外にリセまで担ってるなんて知らなかった。調べが甘かったか…
そうローズが小さく唸った瞬間、一瞬で飛び掛かってきたカールが義手の右腕でローズに斬り掛かり、ローズは咄嗟にその攻撃を避けた。
「ローズ!!」
体勢を立て直し、飛び退く事でカールから距離をとったローズは、片手を上げてカールに飛び掛かろうとするクロムを止めた。
「ローズ!何でこんな奴を庇」
「ローズ、私とダンスを踊ろう!」
「………は?」
カールの言葉にポカンとした表情で固まったローズは、次の瞬間、困った様に眉を寄せた。
しかしその口許は笑っている…
『それは危なそうなダンスね』
「やはり役者 気取りの狗だ」
『クロム‥』
そうローズが口にすれば、クロムは先程の様に口を閉じた。
そしてローズは、ドレスの裾を掴む様に空を撫でると、綺麗に一礼して見せ、カールに右手を差し出した。
『ドレスじゃなくて御免なさいね』
“でも”と続けたローズはニコリと微笑むと瞬間、ニヤリと小さく口角を上げて笑った。
『只のダンスではないんでしょう?』
「あぁ、勿論」
『小夜姉様の様に私も殺すのね?』
「私は同じモノを壊したいだけだ」
『同じモノ?ディーヴァと根本は同じである私を…という意味かしら?』
「違うな」
違う…じゃあどういう意味だというのかしら。
同じモノ。同じであるモノ。
何と?誰と……カールと?
「誰がヤらすと言った?」
そう二人の会話を切ったのはクロムだった。
クロムはローズがカールに向かって差し出していた手を脇から掴むと、もう片方の手で懐から細長い鋏を取り出しす。
「ローズには指一本‥髪の毛一本、触れさせやしない」
『下がってなさい、クロム』
「下がるわけないだろ。俺はお前の唯一の楯だ」
『下がっていろ』
一際低い声が響いた。
自分を見据えるローズを見て一瞬目を見開いたクロムは、次の瞬間、不機嫌そうに表情を歪めた。
「忘れていた」
『二百年振りだもの、仕方無いわ』
「だが、俺が望まないのも確かだ」
嬉しそうに微笑んだローズは、クロムに握られた右手に左手を添える様にしてクロムの手を包み、ニッコリと微笑んだ。
『私は大丈夫よ、クロム』
“それに”と続けたローズは、クロムの手を離すとカールに向き合う。
『運動不足みたいだから』
小夜姉様とハジは私とディーヴァの、ディーヴァと六人の花婿は小夜姉様と私の、私とクロムは小夜姉様とディーヴァの…
お互いの血が命取りになる私達。
逆を言えば、死の血を与えさえしなければ死なないと言う事だ。
だから丁度良いと思った。
カール相手なら遠慮しないで“リハビリ”が出来る。
そう思った。
『こんな寝起きの身体じゃ、この先危ないものね』
「あぁ‥ヤる気になっか」
ニヤリと口角を上げて笑ったカールは、手にしていた仮面を付けなおすと、再度ローズに手を差し出した。
「さぁ、ローズ!私とダンスを踊ろう」
クロムを置いて数歩踏み出したローズは、カールの手を取る様に右手を差し出すと、右目を閉じた。左目が紫色へと変化する。
『御受けするわ、私の花婿』
『見て、クロム』
月明かりの下、そうローズに声を掛けられて、クロムは振り返った。
「……何だそれは」
『貰ったの』
そう楽しそうに笑ったローズは、その場でクルクルと二・三回ると、身に纏った青いドレスの裾を摘んだ。
『何か…好かれちゃったみたいね』
“あはは”と楽しそうに笑うローズを前に、クロムは不機嫌そうに表情を歪めた。
「付き合い過ぎたんだ」
『そうね~‥その所為で調査が全然進んで無いし』
あの夜からほぼ毎日カールに付き合っていたから、全くと言って良い程何も進んで無い。
まだ廻らなきゃいけない所は沢山あるのに…
『じゃあ、そろそろ始めましょうか』
そうやって行動を起こしてから数週間後…私は漸く見付ける。
「ローズ、ここにいたのか」
『あら、いらっしゃったわ』
「殺してやりたい程、苛々する」
『クロム』
「………」
「よく似合ってるぞ、ローズ」
『ありがとう、カール』
ニッコリと微笑んだローズに対し、カールはニヤリと口角を上げて笑った。
「さぁ、ローズ‥ダンスを踊ろうじゃないか」
私の最愛の一人を——…‥
.
『クロム』
そうローズが口にすると、クロムは黒いドレスを身に纏ったローズを横抱きにすると、屋敷の高い塀を飛び越えた。
不法侵入成功だ。
静かに庭へと着地したクロムに地に降ろされ、回していた腕を解いて離れたローズは、クロムの帯を直すと手渡された仮面を付けた。
右目のみが隠れるタイプの仮面で、ローズの蒼色の左目は紫色へと姿を変えた。
『いやね、お金臭いパーティー』
庭から見えるホールでのパーティーの様子に、ローズは“人の事言えないけど”と小さく漏らした。
「祝い事の物以外は大抵そうだろ」
『でもこのパーティーは特に…裏で闇オークションでもしてそうね』
「あぁ、それは‥」
真顔で“あるな”と言い切ったクロムに思わず笑ってしまった。
『気を付けてね、クロム』
「お前もな、ローズ」
『大丈夫よ、私はパーティーに潜り込むだけだもの』
「男は狼、女はハイエナだ」
『あら、失礼な人…でも私は大丈夫よ。貴方が見付かった時はホールで目一杯暴れてあげるわね』
作戦なんていつも無い。
全てその場の判断で乗り切るのが私達のやり方だった。
『人が来るわ、始めましょう』
“行って”と言うと、私の額にキスを落としたクロムは一瞬で消え去り、私は唯そこに立ち尽くした。
「どうかなさいましたか?」
そう声を掛けられて振り返ると、金髪に蒼い瞳の優しそうな青年が立っていた。
近付いて来ていたのはこの子か…
『涼んでました。素敵なお庭ですね』
「ありがとうございます。薔薇を植えようと思ってるんですよ」
『薔薇ですか…大変ですよ』
「そう言いますね」
『あれは頑固で繊細でひねくれ者です』
育てるのに最初は苦戦したものだ。
クロムと二人で沢山の薔薇を駄目にしてしまった。
「御指導いただきたいですね」
『……私の薔薇園に今度御招待しますわ』
「是非。招待状、お待ちしてますよ」
ニッコリと微笑んだローズに、青年はそっと手を差し出した。
「僕と踊っていただけますか?」
彼は知らない…私が何なのかを。
彼は知らない‥
『えぇ‥喜んで』
私が誰なのかを——…‥
=ドレス=
三ヶ月前——…
「此の学園は、知性と品性を兼ね備えた淑女を育成する事を基本方針としています」
役職と名前だけという簡単な…良く言えば簡潔で覚え易いシンプルな自己紹介を口にした次の瞬間、そう喋り出したミズ・リーに連れられて辿り着いた部屋は随分と狭かった。
机のセットとベッドとクローゼットが二つずつ‥
そしてローズが着ているのと同じ、制服のアオザイを着たブルネットの髪の少女が一人立っていた。
この広さなら一人部屋で良いんじゃないかしら?
「ローズ・ゴルドシュミット、こちら同室のジェーン・ミッシェルです」
そうミズ・リーが口にすると、ブルネットの少女、ジェーン・ミッシェルは一礼するとニッコリと微笑んだ。
「分からない事があったらジェーンに聞きなさい。ジェーン、後は頼みましたよ」
「はい、分かりました」
再度ニッコリと微笑んだジェーンを一瞥したミズ・リーは、直ぐにさっさと部屋を出て行った。
暫く黙り込んだままでピクリとも動かなかったジェーンは、廊下に響くカツカツというヒールの音が遠くなると、小さく息を漏らし、力が抜けた様に自分のベッドに腰掛けた。
「つっっっかれたぁ!!」
そう叫んだジェーンは“顔が引き吊るっつの”と呟くと、今度はニカッと人懐っこそうに歯を見せて笑った。
「ジェーン・ミッシェルよ、よろしくねローズ」
『よろしく‥』
どうやら猫を被っていた様だ。
ローズは手にしていた唯一の荷物であるトランクケースを部屋の右側に割り振られた自分のベッドの上にそっと置くと、隣に腰掛けた。
「あなたも部屋では気ぃ抜くと良いわ」
『いや、私は…』
「あの人は私達一人一人の本質を見てるわけじゃないわ。外面しか見ない人にはニャンコ被って
ジェーンの言っている事に間違いは…まぁ、無いと言えば無い。
ローズは“そうね”と口にしながらトランクケースを開けて荷物をクローゼットに移し始めた。
沖縄を離れたローズは、直ぐにクロムが集めていた情報を頼りに、ベトナムにあるここ“リセ・ドゥ・サンクフレシュ”に編入した。
ファミリーネームを“ゴルドシュミット”にする事で良い挑発になったと思ったが…今の所は相手に特に動きは無い。
「あなた、荷物少なくない?」
『これで十分なの‥足りなかったら送ってもらえば良いわ』
下着類の必要な物と数冊の本、そして沖縄で購入した洋服が一着…ここにある物以外で私が持っている物は年代物過ぎる。ドレスばっかりだし…
必要な物があったら休みの日にこっそりクロムと買い物に行けば良い。
それだけの話だし、そもそもそんなに長くここに居るつもりは無い。私達はディーヴァを探しているだけだ。
敷地内にそれらしきモノが無ければ次に行く。
ディーヴァのシュヴァリエは今の所、全員で六人…
どこに隠されているか分からないまだ眠っているであろうディーヴァを探す為、ローズとクロムは六人に関係のある屋敷や施設を片っ端から回っていた。
勿論、五人に気付かれない様にこっそりと‥
「ローズ、そろそろ行くよ」
そうジェーンに声を掛けられて顔を上げたローズは、小さく首を傾げた。
『どこに?』
「どこにって‥教室よ、教室!今日もこれから授業があるのよ」
『授業‥』
「あなたと私は部屋も学年もクラスも一緒、このジェーン様に何でも聞きなさい!」
そう言って笑うジェーンに手を引かれて向かった教室で、私は初めて授業を受けた。
小さな部屋で三十人近い女の子が、皆で同じ服を着て、同じ方向を見て、同じ椅子に座って、綺麗に並べられた同じ机に向かって、同じ事を学んでいる。
その事が酷く気持ち悪かった。
静かな教室‥
板を擦って字を書く音と一人分の声だけが響く空間。
長机に皆で並んで食べる同じメニューの食事。
私を囲む影。
重なる楽しそうな彼女達の声…
全てが気持ち悪くて、愉快で、新鮮で‥
酷く楽しかった。
月明かりの差し込む薄暗い部屋で、布団に入った状態で天井を見付めていたローズは、ジェーンが眠るのを待つと、ゆっくりと起き上がった。
着ていた物をベッドに脱ぎ捨て、トランクケースの底に隠しておいた黒いジャケットとズボンを着込み、ブーツに足を通す。
すると、そっと部屋を抜け出した。
長い廊下を突き進み、庭に出ると、そこにはクロムが待ちかまえていた。
『あら、庭師の格好じゃないのね』
「あんなの着ていられるか」
『似合ってたわよ?似合ってたし、新鮮で、私は大好き』
微笑むローズを横抱きにしたクロムは、壁の小さな凹凸を足場に、敷地内で一番高い塔の頂上の高見台に飛び上がった。
そしてそっとローズを降ろす。
『結構広いわね』
塔からリセを見下ろしたローズはそう呟いた。
巨大なホールのある校舎は勿論、寮舎に書物庫、教会、薔薇園や貯蔵庫…さらには地下まである。
『今までで一番広いわね‥どれくらいで回りきれるかしら』
「昼間は庭師の爺が引っ付いてて動けない」
『私も休み時間毎に回るのは‥ジェーン達がいるし無理がありそうよ。夜に二人掛かりで回るしかないわね』
昼間に無理に回るよりは夜に余裕を持って回った方が良い。
邪魔なモノは大抵眠っているだろうし‥
『問題は“ファントム”よ』
リセ・ドゥ・サンクフレシュに伝わる伝説“ファントム”
もしファントムが存在するなら、多分それはディーヴァのシュヴァリエだ。
『ディーヴァのシュヴァリエ全員の顔が分かっている訳ではない今、リセの中にシュヴァリエが居るかさえ分からない』
「だから“ゴルドシュミット”なんだろ?」
『えぇ、存在が分からないなら向こうから仕掛けてもらうのを待つしか無いもの。逆に何も手を打たないで油断している所を襲われても嫌だし』
「そんな事を考えていたのか」
そう第三者の声が響いた瞬間、ローズは弾かれた様に声のした方を振り向き、同じく振り返ったクロムは、ローズを庇う様にローズの前へ右腕を出した。
二人の視線の先には蝙蝠を象った仮面を付け、マントを羽織った長髪の男が立っている。
『…気配を消すのが上手いのね』
背後をとられたのに全く気付かなかった。
勘が相当鈍っているのか…それとも‥
「ふざけた格好だ。
『クロム‥』
確かに物語に出てきそうな風貌の男だが、ある意味良く似合っている。
私達に忍び寄った時のあの人間離れした能力…彼は“ファントム”だ。
『貴方、シュヴァリエね?』
そう口にすれば、男はニヤリと口角を上げて笑った。
やっぱりね…
『ディーヴァのシュヴァリエ…貴方の』
「ずっと捜していたんだよ、小夜」
そうローズの言葉を遮って発せられた男の言葉‥
ローズは一瞬で男の前に立つと、男の襟元を掴んで顔同士がぶつかりそうなくらい自分に引き寄せた。
そして目を見開いた男をそのオッドアイで睨み付ける。
『小夜姉様は緋色の瞳の美人よ、私なんかと一緒にしないで』
「お前‥」
『私は姉様と』
「ローズ」
静かに響いたクロムのお落ち着いた声に反応して、ローズはその不機嫌そうな目だけをクロムの方に向けた。
『……何、クロム』
「お前達は三つ子だ、忘れるな」
三つ子…私と二人は‥
私は…
「それと‥」
『何?』
「離れろ」
『…そうね』
小さくクスリと笑ってそう呟いたローズは、男と距離をとる様に静かに後ろへ飛び退いた。
『貴方、ディーヴァのシュヴァリエね?』
「あぁ、そうだ」
そう言って男が仮面を外し、その顔を見たローズは目を見開いた。
『貴方、理事長‥』
仮面の下の男はここ、リセ・ドゥ・サンクフレシュの理事長だった。
ローズは溜め息を吐くと、チラリとクロムに目を向けた。
誘い出すどころか…私の編入を許可した人がシュヴァリエとは、何だか‥馬鹿みたい。
『私の編入手続き書見たでしょ?私はローズ…小夜の妹で、ディーヴァの姉よ』
「小夜の妹…ディーヴァの姉?花嫁が二人いるだなんて聞いてない」
『だとしたらディーヴァが話して無いんだわ…きっとディーヴァのシュヴァリエの中で私を知ったのは貴方が初めてよ』
小夜姉様とこんな関係になったのに私の存在をシュヴァリエ達に話していないだなんて…どういう事?まだ秘密を護ってるのかしら?
『貴方…名前は?』
「カール」
ベトナム支社のカール!
確かにリストにあった名前だけど…ベトナム支社以外にリセまで担ってるなんて知らなかった。調べが甘かったか…
そうローズが小さく唸った瞬間、一瞬で飛び掛かってきたカールが義手の右腕でローズに斬り掛かり、ローズは咄嗟にその攻撃を避けた。
「ローズ!!」
体勢を立て直し、飛び退く事でカールから距離をとったローズは、片手を上げてカールに飛び掛かろうとするクロムを止めた。
「ローズ!何でこんな奴を庇」
「ローズ、私とダンスを踊ろう!」
「………は?」
カールの言葉にポカンとした表情で固まったローズは、次の瞬間、困った様に眉を寄せた。
しかしその口許は笑っている…
『それは危なそうなダンスね』
「やはり
『クロム‥』
そうローズが口にすれば、クロムは先程の様に口を閉じた。
そしてローズは、ドレスの裾を掴む様に空を撫でると、綺麗に一礼して見せ、カールに右手を差し出した。
『ドレスじゃなくて御免なさいね』
“でも”と続けたローズはニコリと微笑むと瞬間、ニヤリと小さく口角を上げて笑った。
『只のダンスではないんでしょう?』
「あぁ、勿論」
『小夜姉様の様に私も殺すのね?』
「私は同じモノを壊したいだけだ」
『同じモノ?ディーヴァと根本は同じである私を…という意味かしら?』
「違うな」
違う…じゃあどういう意味だというのかしら。
同じモノ。同じであるモノ。
何と?誰と……カールと?
「誰がヤらすと言った?」
そう二人の会話を切ったのはクロムだった。
クロムはローズがカールに向かって差し出していた手を脇から掴むと、もう片方の手で懐から細長い鋏を取り出しす。
「ローズには指一本‥髪の毛一本、触れさせやしない」
『下がってなさい、クロム』
「下がるわけないだろ。俺はお前の唯一の楯だ」
『下がっていろ』
一際低い声が響いた。
自分を見据えるローズを見て一瞬目を見開いたクロムは、次の瞬間、不機嫌そうに表情を歪めた。
「忘れていた」
『二百年振りだもの、仕方無いわ』
「だが、俺が望まないのも確かだ」
嬉しそうに微笑んだローズは、クロムに握られた右手に左手を添える様にしてクロムの手を包み、ニッコリと微笑んだ。
『私は大丈夫よ、クロム』
“それに”と続けたローズは、クロムの手を離すとカールに向き合う。
『運動不足みたいだから』
小夜姉様とハジは私とディーヴァの、ディーヴァと六人の花婿は小夜姉様と私の、私とクロムは小夜姉様とディーヴァの…
お互いの血が命取りになる私達。
逆を言えば、死の血を与えさえしなければ死なないと言う事だ。
だから丁度良いと思った。
カール相手なら遠慮しないで“リハビリ”が出来る。
そう思った。
『こんな寝起きの身体じゃ、この先危ないものね』
「あぁ‥ヤる気になっか」
ニヤリと口角を上げて笑ったカールは、手にしていた仮面を付けなおすと、再度ローズに手を差し出した。
「さぁ、ローズ!私とダンスを踊ろう」
クロムを置いて数歩踏み出したローズは、カールの手を取る様に右手を差し出すと、右目を閉じた。左目が紫色へと変化する。
『御受けするわ、私の花婿』
『見て、クロム』
月明かりの下、そうローズに声を掛けられて、クロムは振り返った。
「……何だそれは」
『貰ったの』
そう楽しそうに笑ったローズは、その場でクルクルと二・三回ると、身に纏った青いドレスの裾を摘んだ。
『何か…好かれちゃったみたいね』
“あはは”と楽しそうに笑うローズを前に、クロムは不機嫌そうに表情を歪めた。
「付き合い過ぎたんだ」
『そうね~‥その所為で調査が全然進んで無いし』
あの夜からほぼ毎日カールに付き合っていたから、全くと言って良い程何も進んで無い。
まだ廻らなきゃいけない所は沢山あるのに…
『じゃあ、そろそろ始めましょうか』
そうやって行動を起こしてから数週間後…私は漸く見付ける。
「ローズ、ここにいたのか」
『あら、いらっしゃったわ』
「殺してやりたい程、苛々する」
『クロム』
「………」
「よく似合ってるぞ、ローズ」
『ありがとう、カール』
ニッコリと微笑んだローズに対し、カールはニヤリと口角を上げて笑った。
「さぁ、ローズ‥ダンスを踊ろうじゃないか」
私の最愛の一人を——…‥
.