burrasca
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33
——良いかい、子供達…
良い事が続くって事は‥
自分を人造人間だと信じてやまなかった。
そんなまだ小さかったあの頃‥
俺達四人にばあさんが教えた事の一つを俺はそんな事は無いと否定した。
「一羽ばあさんが連絡したんだってな、クロア」
『これから会いに帰るんだ』
「じゃあ俺も後から行くわ」
『紅茶入れて待ってるよ』
「……他に‥何かあったのか?」
『来週昇格試験があるんだ』
「そっか‥頑張れよ!」
『あったり前よ!』
俺はばあさんの教えを否定した。
でも全てを失ったクロアを見て、ばあさんは間違って無かったんじゃないかと思った…
——良い事が続くって事は‥
悪い事が起きる…
その予兆なんだよ——…‥
=どこまでも=
書斎全体に飛び散った夥しい量の血、虚ろな目で眠りへと付いた祖母…
私はそこで狂った様に笑い続けているのを後から家へ来た暁に発見された。
青い顔をして表情を歪めた暁に押さえつけられる様に抱き締められ、制する様に抱き締められて、漸く私は笑うのを止めた。涙はもう出なかった。
見せしめの様に斬り刻まれたその体の所為で、マスコミはある事ない事をオーバーに書き立てた。幸か不幸か…ばあちゃんの知人達にはちゃんとしたアリバイがあった。
取材依頼の電話が殺到する中、電話線を引き抜いた私は書斎へと向かった。
お爺が“預かっていた”と言って渡しに来た手紙に“F-5”と書いてあったからだった。書斎の本棚の番号だった。
血を落としてない…赤いインクを零した様な書斎に足を踏み入れた瞬間、吐き気がした。
冷や汗を拭って指定された棚を片っ端から調べると、一冊だけ中がくり抜かれた本があった。
くり抜かれた所には折り畳まれた一枚の紙が入っていた。
紙を開くと、見慣れた字が並んでいた。
一羽ばあちゃんの字だった…
《心葉…貴女がこれを読んでいるという事は、私は貴女に真実を告げずに死んでしまったのでしょう。心葉、貴女に大切な話があります》
『大切な‥話』
紙を口に加えて梯子をスルスルと下りると、書庫にある唯一の椅子に腰掛ける。
一度深く息を吐くと、続きに目を通した。
《まず、貴女の父親の家名はウィルソンではありません。それは私の母…貴女の曾祖母にあたる人の旧姓です。私はアークを捨てる事は出来無かったけど、貴女に本当の名前を名乗らせる訳にはいかなかった。
貴女の父親は“ヴィンセント・アイル・ヴァータジアーク”地球のセキュリティーを管理会社の二代前の総代です。かつて私の夫であり、貴女の祖父であるディーリックがアイルに跡目を継がせたのは、アイルが二十歳の時でした。
アイルは大変優秀な子で、夫がアイルを良く連れ回って自慢していた気持ちが良く分かります。でも私達に娘がいる事を夫は気にも止めて無かった。
私達の娘、ジェシカは決して優秀では無かったとは言いません。でも夫は、彼女を見ようとはしなかったし、私も…それを咎めようとはしなかった。そもそもジェシカが兄と同等に扱ってもらう事を願っていたなんて思いもしなかった。ジェシカは父に認めてもらいたくて、きっと必死だった。
でもいくら彼女が頑張っても、そこには欠点など何一つ無い…越えられない兄がいる。
いつ壊れてしまったのか分からない…もしかしたら最初から壊れてしまっていたのかもしれない。
ジェシカは、心葉‥貴女が産まれた三日後に婚約者と共謀して強行に出ました。
殺し屋を雇って夫とアイル…そして貴女の母親であるクロンティアを抹殺した。
私は侍女達に助けられて、まだ名前も無い貴女を連れて火星 に逃げ込むと、家名を隠し貴女に母親と同じ“クロンティア”を名付けました。
今会社はジェシカとその夫“ローランド・ハドルトソン”が総括しています。
分かりますね、心葉?私は勿論、貴女も命を狙われている。
だから私は貴女を鍛え、世間への露出の多い水先案内人 という職に反対し、向こうが下手に手を出せない警察に勤める様に言った。十分用心なさい、心葉。
貴女が唯一の…全てを継承出来る“ヴァータジアーク”なのだから》
『ハドルト…ソン‥』
両親が叔母に殺された‥私は助けられた…?
——駄目…絶対に駄目よ‥水先案内人 だけは絶対に…
『私が…一羽ばあちゃんを殺した‥?』
——月刊ウンディーネには…
私が余計な事をしたから一羽ばあちゃんの居場所がバレた‥?
流れに逆らったから…
水先案内人 になったから…
——うちは結構大きな会社を経営していて…‥
『…ジョン・ハドルトソン…?』
——クロア…‥
ジョンが敵の息子…?
『一羽ばあちゃん‥嘘だって…嘘だって言ってよ』
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ‥
——俺、水先案内人 になりたい…‥
『嘘だぁぁぁ!!』
もう嫌だ、こんなのって無い…
床にうずくまって泣き叫びながらそう思った。
これじゃ一羽ばあちゃんが言った通りだ…良い事が続いて終わりなわけは無い。そこにはちゃんと悪い事が待ってる。
ジョンを信じたいのに…
信じたかったのに‥
弱い私は信じられなかった。
手紙を見付けた次の日、私は一羽ばあちゃんが殺されて以来休んでいたARIAカンパニーを辞めた。と言っても、秋乃さんに直接会ってしまうと決意が折れてしまいそうだったので、失礼だとは思ったが辞表を郵送した。
“これで良いんだ”
そう自分に刻みつける様に、辞表の入った封筒をポストに入れたその足で、私は警察へと向かった。
皆を護りたかった。
もう大切な人を亡くしたく無かった。
だから警察へ行った。警察へ身を置く事で‥
私は…私は…‥
「聞いたよ、クロア!追跡に回されたって?」
『‥はい』
警察に入った私は早々に追跡に回された。理由は分かっていた。
「一番若手だってぇのにもう昇進か‥お前も頑張れよ」
「そりゃあクロアは回されますよ‥強いし、操舵も上手いんですら」
そう、舟 を速く漕げたからだ。犯人を追い詰めるには警察としては欲しい能力…それがクロアだった。
「舟 かぁ…どうして水先案内人 を辞めちまったんだ?」
『護りたいものがあったので』
“そうか”と呟いた先輩は、ゴツゴツした大きな手で優しく私の頭を撫でてくれた。
「俺は水先案内人 のお前さんの舟に乗りたかったよ、クロア」
先輩は優しかった。皆も優しかった‥唯一人の女である私を素直に受け入れて、色んな事を皆で教えてくれた。彼等が大好きだった。
彼等が付けてくれた“天空の戦士 ”という名も大好きだった。護りたい物の一つだった。
だから先輩の願いを叶えたかったけど…
それは叶わない幻だ。
私はここを辞める事は無い。
辞める時は…
死ぬ時か殺される時だと‥
私は思っていた。
「斬りつけられたと聞いた時はどうなるかと思ったが…失明は免れた」
『はい、ドクター』
任務中に逃走犯に斬りつけられた私の右目は、奇跡的に眼球は傷付かなかったが、瞼がすっぱりと切れてしまった。
『不幸中の幸いでしょう』
「そうとも言えんよ…斬りつけられた右目の視力が異常に上がっている」
縫い合わせ、完治を待って包帯を取ると、蒼色の瞳は灰色に‥視力は格段に上がっていた。
異様とも言える程に。
「こんな症状…見た事は勿論、聞いた事も無い。私には原因が分からない…体に負担が掛かるから多用するのは止めなさいとしか言えんよ」
『この目の理由はどうあれ、分からないのでは仕方ありません』
「痛みがあるようなら鎮静剤を処方する。後は知り合いの医者達に協力を頼むよ‥私にはそれしか出来ん」
『それで問題ありませんよ、ドクター…念の為鎮痛剤をお願いします。ドクター達からの情報収集も‥』
「勿論」
『くれぐれも宜しくお伝えください』
「あぁ、分かったよ」
『手を尽くしていただき有難う御座います』
「いやしかし良かったな、クロア!失明しなくて良かった、良かった!」
「良くないわ、馬鹿者!人の話を聞いてたのか、脳筋め!」
いつも冷静なドクターがそう声を上げ、思わず笑ってしまった。
『まぁまぁ、ドクター‥』
「君が甘やかすからコイツがつけあがる」
「でも少し残念だ…失明したら娶ろうと思ったんだが」
「は?!」
「年離れた先輩んとこより俺んとこ来るよな~、クロア~」
「あんま年離れて無いんだからオッサン言うなよ!」
「いや、言ってねぇっすよ」
「…クロア、君の周りは馬鹿しかいないのか?」
『ふふ、楽しいでしょう? ドクター』
優しい同僚達やドクターはいつでも私を気遣ってくれる。それが静かに私を苦しめた。私は彼等に何もしてやれない。
でも私を一番苦しめたのは‥
目の傷が完治して暫く経ってからだった。
右目を使い過ぎない様に眼帯を付けて行う生活や武術や操舵に慣れた頃、私は倒れた。
休憩中の事で、先輩達が私を病院へ運んでくれた。そしてまだ私が若いからとドクターに許可をとって、身寄りの無い事になっている私の保護者として付き添ってくれた。今思えば遠慮した方が良かったと思う…
先輩が聞いてさえいなければ、私には“嘘を吐く”という選択肢があったのだから…
「病に侵されている。直ぐに警察の仕事を辞めなさい」
「やま…い…‥」
私よりも先輩が驚いていた。
しかし仕方無い事だった。
私は自分の体の異変に気付いていたのだから‥
でもまさか辞めろと言われるとは思っていなかった。
「君のその右目と何か関わりがあるかもしれない…君もそう思うだろう、クロア?」
『…確かに目の痛みと連動しています』
「だったら直ぐに‥」
『辞めません』
「クロア!」
「…警察の仕事は負担が掛かり過ぎる。君の命に関わる事だ‥」
『私は大切なものを護る為に生きると決めました。だから別に構いません』
大切なものを護る。それは“ハドルトソン”を殺せば済む話だった。
けど私には殺す勇気が無い。彼等を殺す事で、誰かが私の様に悲しむかもしれないから…
だから私の所為で大切なものが傷つけられない様に護り続けるしか無かった。
その為には警察を辞める事等出来無い。
『私は‥』
「お前はクビだ、クロア」
一瞬、発せられた言葉の意味が分からなかった。
『そんな権限…ッ、貴方には無い筈だ!!』
「いや、あるな」
『無いだろう!!貴方は私の同僚であり先輩ではあるが、上官では無い!上は‥あの人達は私の体など心配しない‥私が辞職するまで手は出さない筈だ!!』
「上はな。だが俺は口を出す」
『だから貴方に権利は‥』
「俺はお前が入った時に教育係として全てを引き受けた。お前が組織に入った当初、使えん様なら直ぐにクビにしろと上から命令された。上は忘れているだろうが、その権限は解除されず生きている。つまり引っくり返せば、俺にはお前が危険ならばクビにする権限があるという事だ」
『そんな‥』
そんなの嫌だ。
そんなのってない…
『私は…護らなきゃいけないのに…‥警察に居れなくなったら私は‥私はッ!!』
「お前が大切なものを護る様に、俺達にも大切なお前を護らせろよ…なぁ、クロア」
嫌だ…
嫌だ、嫌だ、嫌だ‥
もう‥聞きたくない…
「お前はクビだ‥クロンティア・心葉・ヴァータジアーク」
何でこう…
とことんついてないんだろう。
『…嫌…‥嫌です‥』
怪我を負って、病に冒され、原因も分からず、自分や皆を護る為に必要な場所さえ失った。
何をやってるんだろう…私はどれだけのものを無くせば良いんだろう。
そう思ったら涙が次々溢れた。
そんな私を優しく抱き締めてくれた先輩が温かくて、もっと涙が溢れて…止まらなくなった。
「あらまぁ、泣き虫さんね」
そう懐かしい声が響いたのは暫く経ってからだった。
顔を上げれば、見知った顔が記憶通りに微笑んでいた。
随分久しぶりに見た顔だった。
『ッ、秋乃さ‥ん』
秋乃はゆっくりとクロアに歩み寄ると、頬にそっと手を触れた。
『何でここに』
「こんなに目を赤くして‥貴女まるで兎みたいよ、クロア」
私の声を遮ってそう口にした秋乃さんは、私の頭を抱き込む様に私を抱き締めた。
「もう良いのよ…帰ってらっしゃい、私の星屑」
秋乃さんの一言に少しの間だけ救われたんだと思う。私は糸が切れたマリオネットの様に崩れ、気を失った。
次に目を開けた時には、もうそこは病院ではなく…そこはARIAカンパニーの私の部屋だった部屋だった。
ゆっくりと体を起こして辺りを見回すと、異変を覚えた。
ここは“私の部屋だった”んじゃない…
“まだ私の部屋”なんだ。
室内は、一羽ばあちゃんの家へ出掛けたあの日から何一つ変わっていなかった。
『良い人過ぎるよ…秋乃さん』
そう呟くと、眼帯で塞がれた右目をそっと撫でた。
痛みは引かない…連動する様に体の不調も引く事無く続いている。
あぁ、憎い‥憎くてたまらない。
不安定な体が…痛む目が‥
私を斬りつけた逃走犯が…
避けられ無かった私が…
一羽ばあちゃんを殺した奴が‥
侍女の手を汚した奴が、両親を殺した奴が。
何も知らず‥
唯、護られ続けていた私が…
憎くて堪らない。
私はいつだって無知で無力でどうしようもなく護られ続けていた。
護りたいと言いながら何も護れていなかった。
『…ッ』
涙はもう出無かった。自分に呆れて溜め息しか出無い。
ギュッと拳を握り締めると、爪が食い込んで血が滲み出た。
「おやおや、止めないか‥綺麗な手が傷付いてしまうよ」
急に響いた声に身を縮めたクロアは、扉の前に立つ男を睨み付けた。
金髪が綺麗な美丈夫だった。
『誰だ』
「何だ、その醜い獣の様な目は…まぁ、良い。その内戻るだろ」
失礼な男だ。勝手に入って来て質問にも答えずにベラベラと…
「この市販のありきたりな眼帯は似合わないな」
そう言ってクロアの頬に触れようとする男の手をクロアは払い退けた。
『誰だと聞いている』
「忘れたか…‥追跡中の君に何度か会ったんだが‥」
追跡中‥任務中に会った?
しかも何度も…
まさか‥
『ジョン・E・ミラージュ』
「君には“エルリック”と呼んで欲しいな」
業界一の貿易会社にして、密輸容疑で警察にマークされてる“Mirage”の社長、ジョン・E・ミラージュ…確かに任務中に何度か会った顔だった。
『何の用で来た』
「商談を持ち掛けに来た」
『商談?』
私に商談とは物好きな。
こんな片目の病持ちの小娘に…
「私の妻になれ、クロンティア」
『は‥?』
思い掛けない男の言葉に、私はそう漏らした。
「私は君を妻に欲しい。初めて目にした時にそう思った…一目惚れというやつだろう」
『そんな上から目線の告白初めてだ…そもそもそれは商談とは言わない……それとも何だ?貴方にとって結婚は商売か』
「いや、これはプロポーズだ。商談は別にある」
『プロポーズの前に告白をすべきだろう…馬鹿馬鹿しい』
何てずれた人だろう。
何だか恥ずかしくなってきた‥
「目付きが戻ったな」
そう言って私の頬を撫でた男が少し微笑んだ気がした‥
「顔色も良くなった。少しは意識しているのか?」
『ッ…、煩い!』
手を振り払う私を見て意地悪く笑った男は、私の座るベッドに腰掛けた。
「さて、商売の話だ」
そう口にした男は、背広の内ポケットから綺麗に折られた書類を取り出すと、それを広げながら話を続けた。
「クロンティア、君の生い立ちは調べさせて貰った…その上で提案を持ち掛ける」
私に広げた書類を差し出した男は、真っ直ぐに私を見据えた。
「新しい店を開かないか」
『新しい店?』
「唯の店じゃない。昼は水先案内人 の通常業務の他に要人警護と…夜は運び屋をやる特別な店だ」
運び屋をやる水先案内人 か‥
『無理だな、信用が無い。こんな私に客がつくものか』
「入社三日でシングルに昇格し、プリマ昇格寸前に警察に移り天空の戦士 と呼ばれた、天才水先案内人 にして最強の戦士…十分だと思うがね」
そう聞いて更に信用が無いのではないかと思ってしまった。
『水先案内人 を途中で投げ出して警察に移ったのに、怪我と病で警察をも辞めた堕ちた戦士…そんな私がもう一度水先案内人 をやるだなんて‥』
「君は悪い方に考え過ぎだ」
“それに”と口にした男は、ベッド脇の小さな背の高いテーブルに置いてあったパソコンを立ち上げると、ポケットから取り出したデータを開いた。
『何を‥』
「見ろ、クロンティア」
そう言って向けられた画面を見て一瞬目を見開いて驚いたクロアの表情は、直ぐに不快そうに歪んだ。
『こんな事まで調べたのか』
映し出された情報は実家である会社…そして“ハドルトソン”の物だった。
業績、経営状況、取引先の会社、顧客情報…そして現総代ローランド・ハドルトソンを始め、妻のジェシカ、二人の子供、そして…
『一羽ばあちゃん…?』
憎むべきハドルトソンの写真と一緒に、それは並んで映し出されていた。
「いや、それはジャクリーヌ・一羽・ヴァータジアークではない。祖母殿の顔へ整形させられたローランドの母親だな」
『は?』
「いきなり自分達以外が全員殺されては不審がられると思ったんだろう。まぁ、今の状態でも十分怪しいが…それでも、この女を用意する事で最悪の事態は避けたんだ」
『まさか‥』
「表舞台には一切出て来てはいないが、この女が前総代だ」
この女がばあちゃんに成り済ます事で、ローランドは特に怪しまれる事無く実権を手に入れたとでも…?
こんな単純な方法に‥誰も気付かないなんて。
…気付いても口に出せないとでも言うのか?
三人も死んでいるのに…二人も行方不明だというのに。
あぁ、ドス黒い物に支配されそうで気持ちが悪い…
「復讐しようじゃないか」
『復讐‥』
「私が会社ごとグチャグチャに潰してやろうかと思ったが…それじゃ君の気が済まないだろ」
『……復讐‥』
復讐…それは甘い響き。それはきっと…‥密の味だ。
「君の両親を殺し、祖母を殺し、地位も名誉も金も住まいも…全てを奪った奴等だ。復讐して当たり前だろう」
『殺すわけでは無いのね‥』
「殺したいのか?」
男の言葉に、クロアは小さく首を横に振った。殺してしまっては奴等と同じになってしまう。
「殺すわけでは無い、それでは君が汚れてしまう。君が“案内し、運び、護る店”を創れば、必然的にこのリストの取引先会社の重役や顧客達は店を利用する事になる。リストの八割が命を狙われている様な奴等だからな…‥奴等にしてみれば、火星 で行われる取引で目立たずして身を守るには水先案内人 であり武術の達人である君に頼むのが最適だ」
『なるほどね。奴等の客を抱き込む…それが目的か』
「自分の客が店を利用すれば、ハドルトソンは下手に君に手を出せない。客を味方に付けるという事は、情報も入り尚且つ復讐し易くなる」
ある意味、客を“人質”に取るわけだ。
この男が言う通りにした方が色々都合が良さそうだった。それに、水先案内人 として観光客を取る事も出来る。
『…貴方個人は‥何が目的なんだ』
こんなに沢山の情報を集めたり、店を始める話を持ち出したり…男が私に協力する理由が私には全く分からない。
『貴方は…』
言葉はそこで途切れた。
ふいに男に優しく抱き締められたからだった。
『な、何を』
「“昔の様に笑わせたい、歪んだ愛で縛り付けてでも”」
耳元でバリトンの優しく…でも力強い音で紡がれた正直過ぎる言葉に、一瞬感覚が麻痺した様な感じがした。
『よくそんな恥ずかしいセリフをスラスラと…』
「後…私の妻になって欲しいからな」
『……それだけの理由で同じ沼に嵌るつもりなの?』
「それだけ?何を言っているんだ、私にとっては“それだけ”では無い」
『あの人達に殺されるかもしれないんだぞ』
「クロンティアが護ってくれる」
『……ぇ‥?』
未だ嘗て私に護ってくれと言った人なんて一人もいなかった。皆、一方的に私を色んなものから護ろうとしたから…
「私の事はクロンティアが護ってくれる…‥だから」
だけどこの男なら…
「クロンティアは私が護る」
私にも護らせてくれる。
私がしたい事を無理に止めたりなんかしない。そう思った瞬間、一筋だけ涙が零れた。
『一緒に来て…エルリック』
私と一緒に堕ちて——…
.
——良いかい、子供達…
良い事が続くって事は‥
自分を人造人間だと信じてやまなかった。
そんなまだ小さかったあの頃‥
俺達四人にばあさんが教えた事の一つを俺はそんな事は無いと否定した。
「一羽ばあさんが連絡したんだってな、クロア」
『これから会いに帰るんだ』
「じゃあ俺も後から行くわ」
『紅茶入れて待ってるよ』
「……他に‥何かあったのか?」
『来週昇格試験があるんだ』
「そっか‥頑張れよ!」
『あったり前よ!』
俺はばあさんの教えを否定した。
でも全てを失ったクロアを見て、ばあさんは間違って無かったんじゃないかと思った…
——良い事が続くって事は‥
悪い事が起きる…
その予兆なんだよ——…‥
=どこまでも=
書斎全体に飛び散った夥しい量の血、虚ろな目で眠りへと付いた祖母…
私はそこで狂った様に笑い続けているのを後から家へ来た暁に発見された。
青い顔をして表情を歪めた暁に押さえつけられる様に抱き締められ、制する様に抱き締められて、漸く私は笑うのを止めた。涙はもう出なかった。
見せしめの様に斬り刻まれたその体の所為で、マスコミはある事ない事をオーバーに書き立てた。幸か不幸か…ばあちゃんの知人達にはちゃんとしたアリバイがあった。
取材依頼の電話が殺到する中、電話線を引き抜いた私は書斎へと向かった。
お爺が“預かっていた”と言って渡しに来た手紙に“F-5”と書いてあったからだった。書斎の本棚の番号だった。
血を落としてない…赤いインクを零した様な書斎に足を踏み入れた瞬間、吐き気がした。
冷や汗を拭って指定された棚を片っ端から調べると、一冊だけ中がくり抜かれた本があった。
くり抜かれた所には折り畳まれた一枚の紙が入っていた。
紙を開くと、見慣れた字が並んでいた。
一羽ばあちゃんの字だった…
《心葉…貴女がこれを読んでいるという事は、私は貴女に真実を告げずに死んでしまったのでしょう。心葉、貴女に大切な話があります》
『大切な‥話』
紙を口に加えて梯子をスルスルと下りると、書庫にある唯一の椅子に腰掛ける。
一度深く息を吐くと、続きに目を通した。
《まず、貴女の父親の家名はウィルソンではありません。それは私の母…貴女の曾祖母にあたる人の旧姓です。私はアークを捨てる事は出来無かったけど、貴女に本当の名前を名乗らせる訳にはいかなかった。
貴女の父親は“ヴィンセント・アイル・ヴァータジアーク”地球のセキュリティーを管理会社の二代前の総代です。かつて私の夫であり、貴女の祖父であるディーリックがアイルに跡目を継がせたのは、アイルが二十歳の時でした。
アイルは大変優秀な子で、夫がアイルを良く連れ回って自慢していた気持ちが良く分かります。でも私達に娘がいる事を夫は気にも止めて無かった。
私達の娘、ジェシカは決して優秀では無かったとは言いません。でも夫は、彼女を見ようとはしなかったし、私も…それを咎めようとはしなかった。そもそもジェシカが兄と同等に扱ってもらう事を願っていたなんて思いもしなかった。ジェシカは父に認めてもらいたくて、きっと必死だった。
でもいくら彼女が頑張っても、そこには欠点など何一つ無い…越えられない兄がいる。
いつ壊れてしまったのか分からない…もしかしたら最初から壊れてしまっていたのかもしれない。
ジェシカは、心葉‥貴女が産まれた三日後に婚約者と共謀して強行に出ました。
殺し屋を雇って夫とアイル…そして貴女の母親であるクロンティアを抹殺した。
私は侍女達に助けられて、まだ名前も無い貴女を連れて
今会社はジェシカとその夫“ローランド・ハドルトソン”が総括しています。
分かりますね、心葉?私は勿論、貴女も命を狙われている。
だから私は貴女を鍛え、世間への露出の多い
貴女が唯一の…全てを継承出来る“ヴァータジアーク”なのだから》
『ハドルト…ソン‥』
両親が叔母に殺された‥私は助けられた…?
——駄目…絶対に駄目よ‥
『私が…一羽ばあちゃんを殺した‥?』
——月刊ウンディーネには…
私が余計な事をしたから一羽ばあちゃんの居場所がバレた‥?
流れに逆らったから…
——うちは結構大きな会社を経営していて…‥
『…ジョン・ハドルトソン…?』
——クロア…‥
ジョンが敵の息子…?
『一羽ばあちゃん‥嘘だって…嘘だって言ってよ』
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ‥
——俺、
『嘘だぁぁぁ!!』
もう嫌だ、こんなのって無い…
床にうずくまって泣き叫びながらそう思った。
これじゃ一羽ばあちゃんが言った通りだ…良い事が続いて終わりなわけは無い。そこにはちゃんと悪い事が待ってる。
ジョンを信じたいのに…
信じたかったのに‥
弱い私は信じられなかった。
手紙を見付けた次の日、私は一羽ばあちゃんが殺されて以来休んでいたARIAカンパニーを辞めた。と言っても、秋乃さんに直接会ってしまうと決意が折れてしまいそうだったので、失礼だとは思ったが辞表を郵送した。
“これで良いんだ”
そう自分に刻みつける様に、辞表の入った封筒をポストに入れたその足で、私は警察へと向かった。
皆を護りたかった。
もう大切な人を亡くしたく無かった。
だから警察へ行った。警察へ身を置く事で‥
私は…私は…‥
「聞いたよ、クロア!追跡に回されたって?」
『‥はい』
警察に入った私は早々に追跡に回された。理由は分かっていた。
「一番若手だってぇのにもう昇進か‥お前も頑張れよ」
「そりゃあクロアは回されますよ‥強いし、操舵も上手いんですら」
そう、
「
『護りたいものがあったので』
“そうか”と呟いた先輩は、ゴツゴツした大きな手で優しく私の頭を撫でてくれた。
「俺は
先輩は優しかった。皆も優しかった‥唯一人の女である私を素直に受け入れて、色んな事を皆で教えてくれた。彼等が大好きだった。
彼等が付けてくれた“
だから先輩の願いを叶えたかったけど…
それは叶わない幻だ。
私はここを辞める事は無い。
辞める時は…
死ぬ時か殺される時だと‥
私は思っていた。
「斬りつけられたと聞いた時はどうなるかと思ったが…失明は免れた」
『はい、ドクター』
任務中に逃走犯に斬りつけられた私の右目は、奇跡的に眼球は傷付かなかったが、瞼がすっぱりと切れてしまった。
『不幸中の幸いでしょう』
「そうとも言えんよ…斬りつけられた右目の視力が異常に上がっている」
縫い合わせ、完治を待って包帯を取ると、蒼色の瞳は灰色に‥視力は格段に上がっていた。
異様とも言える程に。
「こんな症状…見た事は勿論、聞いた事も無い。私には原因が分からない…体に負担が掛かるから多用するのは止めなさいとしか言えんよ」
『この目の理由はどうあれ、分からないのでは仕方ありません』
「痛みがあるようなら鎮静剤を処方する。後は知り合いの医者達に協力を頼むよ‥私にはそれしか出来ん」
『それで問題ありませんよ、ドクター…念の為鎮痛剤をお願いします。ドクター達からの情報収集も‥』
「勿論」
『くれぐれも宜しくお伝えください』
「あぁ、分かったよ」
『手を尽くしていただき有難う御座います』
「いやしかし良かったな、クロア!失明しなくて良かった、良かった!」
「良くないわ、馬鹿者!人の話を聞いてたのか、脳筋め!」
いつも冷静なドクターがそう声を上げ、思わず笑ってしまった。
『まぁまぁ、ドクター‥』
「君が甘やかすからコイツがつけあがる」
「でも少し残念だ…失明したら娶ろうと思ったんだが」
「は?!」
「年離れた先輩んとこより俺んとこ来るよな~、クロア~」
「あんま年離れて無いんだからオッサン言うなよ!」
「いや、言ってねぇっすよ」
「…クロア、君の周りは馬鹿しかいないのか?」
『ふふ、楽しいでしょう? ドクター』
優しい同僚達やドクターはいつでも私を気遣ってくれる。それが静かに私を苦しめた。私は彼等に何もしてやれない。
でも私を一番苦しめたのは‥
目の傷が完治して暫く経ってからだった。
右目を使い過ぎない様に眼帯を付けて行う生活や武術や操舵に慣れた頃、私は倒れた。
休憩中の事で、先輩達が私を病院へ運んでくれた。そしてまだ私が若いからとドクターに許可をとって、身寄りの無い事になっている私の保護者として付き添ってくれた。今思えば遠慮した方が良かったと思う…
先輩が聞いてさえいなければ、私には“嘘を吐く”という選択肢があったのだから…
「病に侵されている。直ぐに警察の仕事を辞めなさい」
「やま…い…‥」
私よりも先輩が驚いていた。
しかし仕方無い事だった。
私は自分の体の異変に気付いていたのだから‥
でもまさか辞めろと言われるとは思っていなかった。
「君のその右目と何か関わりがあるかもしれない…君もそう思うだろう、クロア?」
『…確かに目の痛みと連動しています』
「だったら直ぐに‥」
『辞めません』
「クロア!」
「…警察の仕事は負担が掛かり過ぎる。君の命に関わる事だ‥」
『私は大切なものを護る為に生きると決めました。だから別に構いません』
大切なものを護る。それは“ハドルトソン”を殺せば済む話だった。
けど私には殺す勇気が無い。彼等を殺す事で、誰かが私の様に悲しむかもしれないから…
だから私の所為で大切なものが傷つけられない様に護り続けるしか無かった。
その為には警察を辞める事等出来無い。
『私は‥』
「お前はクビだ、クロア」
一瞬、発せられた言葉の意味が分からなかった。
『そんな権限…ッ、貴方には無い筈だ!!』
「いや、あるな」
『無いだろう!!貴方は私の同僚であり先輩ではあるが、上官では無い!上は‥あの人達は私の体など心配しない‥私が辞職するまで手は出さない筈だ!!』
「上はな。だが俺は口を出す」
『だから貴方に権利は‥』
「俺はお前が入った時に教育係として全てを引き受けた。お前が組織に入った当初、使えん様なら直ぐにクビにしろと上から命令された。上は忘れているだろうが、その権限は解除されず生きている。つまり引っくり返せば、俺にはお前が危険ならばクビにする権限があるという事だ」
『そんな‥』
そんなの嫌だ。
そんなのってない…
『私は…護らなきゃいけないのに…‥警察に居れなくなったら私は‥私はッ!!』
「お前が大切なものを護る様に、俺達にも大切なお前を護らせろよ…なぁ、クロア」
嫌だ…
嫌だ、嫌だ、嫌だ‥
もう‥聞きたくない…
「お前はクビだ‥クロンティア・心葉・ヴァータジアーク」
何でこう…
とことんついてないんだろう。
『…嫌…‥嫌です‥』
怪我を負って、病に冒され、原因も分からず、自分や皆を護る為に必要な場所さえ失った。
何をやってるんだろう…私はどれだけのものを無くせば良いんだろう。
そう思ったら涙が次々溢れた。
そんな私を優しく抱き締めてくれた先輩が温かくて、もっと涙が溢れて…止まらなくなった。
「あらまぁ、泣き虫さんね」
そう懐かしい声が響いたのは暫く経ってからだった。
顔を上げれば、見知った顔が記憶通りに微笑んでいた。
随分久しぶりに見た顔だった。
『ッ、秋乃さ‥ん』
秋乃はゆっくりとクロアに歩み寄ると、頬にそっと手を触れた。
『何でここに』
「こんなに目を赤くして‥貴女まるで兎みたいよ、クロア」
私の声を遮ってそう口にした秋乃さんは、私の頭を抱き込む様に私を抱き締めた。
「もう良いのよ…帰ってらっしゃい、私の星屑」
秋乃さんの一言に少しの間だけ救われたんだと思う。私は糸が切れたマリオネットの様に崩れ、気を失った。
次に目を開けた時には、もうそこは病院ではなく…そこはARIAカンパニーの私の部屋だった部屋だった。
ゆっくりと体を起こして辺りを見回すと、異変を覚えた。
ここは“私の部屋だった”んじゃない…
“まだ私の部屋”なんだ。
室内は、一羽ばあちゃんの家へ出掛けたあの日から何一つ変わっていなかった。
『良い人過ぎるよ…秋乃さん』
そう呟くと、眼帯で塞がれた右目をそっと撫でた。
痛みは引かない…連動する様に体の不調も引く事無く続いている。
あぁ、憎い‥憎くてたまらない。
不安定な体が…痛む目が‥
私を斬りつけた逃走犯が…
避けられ無かった私が…
一羽ばあちゃんを殺した奴が‥
侍女の手を汚した奴が、両親を殺した奴が。
何も知らず‥
唯、護られ続けていた私が…
憎くて堪らない。
私はいつだって無知で無力でどうしようもなく護られ続けていた。
護りたいと言いながら何も護れていなかった。
『…ッ』
涙はもう出無かった。自分に呆れて溜め息しか出無い。
ギュッと拳を握り締めると、爪が食い込んで血が滲み出た。
「おやおや、止めないか‥綺麗な手が傷付いてしまうよ」
急に響いた声に身を縮めたクロアは、扉の前に立つ男を睨み付けた。
金髪が綺麗な美丈夫だった。
『誰だ』
「何だ、その醜い獣の様な目は…まぁ、良い。その内戻るだろ」
失礼な男だ。勝手に入って来て質問にも答えずにベラベラと…
「この市販のありきたりな眼帯は似合わないな」
そう言ってクロアの頬に触れようとする男の手をクロアは払い退けた。
『誰だと聞いている』
「忘れたか…‥追跡中の君に何度か会ったんだが‥」
追跡中‥任務中に会った?
しかも何度も…
まさか‥
『ジョン・E・ミラージュ』
「君には“エルリック”と呼んで欲しいな」
業界一の貿易会社にして、密輸容疑で警察にマークされてる“Mirage”の社長、ジョン・E・ミラージュ…確かに任務中に何度か会った顔だった。
『何の用で来た』
「商談を持ち掛けに来た」
『商談?』
私に商談とは物好きな。
こんな片目の病持ちの小娘に…
「私の妻になれ、クロンティア」
『は‥?』
思い掛けない男の言葉に、私はそう漏らした。
「私は君を妻に欲しい。初めて目にした時にそう思った…一目惚れというやつだろう」
『そんな上から目線の告白初めてだ…そもそもそれは商談とは言わない……それとも何だ?貴方にとって結婚は商売か』
「いや、これはプロポーズだ。商談は別にある」
『プロポーズの前に告白をすべきだろう…馬鹿馬鹿しい』
何てずれた人だろう。
何だか恥ずかしくなってきた‥
「目付きが戻ったな」
そう言って私の頬を撫でた男が少し微笑んだ気がした‥
「顔色も良くなった。少しは意識しているのか?」
『ッ…、煩い!』
手を振り払う私を見て意地悪く笑った男は、私の座るベッドに腰掛けた。
「さて、商売の話だ」
そう口にした男は、背広の内ポケットから綺麗に折られた書類を取り出すと、それを広げながら話を続けた。
「クロンティア、君の生い立ちは調べさせて貰った…その上で提案を持ち掛ける」
私に広げた書類を差し出した男は、真っ直ぐに私を見据えた。
「新しい店を開かないか」
『新しい店?』
「唯の店じゃない。昼は
運び屋をやる
『無理だな、信用が無い。こんな私に客がつくものか』
「入社三日でシングルに昇格し、プリマ昇格寸前に警察に移り
そう聞いて更に信用が無いのではないかと思ってしまった。
『
「君は悪い方に考え過ぎだ」
“それに”と口にした男は、ベッド脇の小さな背の高いテーブルに置いてあったパソコンを立ち上げると、ポケットから取り出したデータを開いた。
『何を‥』
「見ろ、クロンティア」
そう言って向けられた画面を見て一瞬目を見開いて驚いたクロアの表情は、直ぐに不快そうに歪んだ。
『こんな事まで調べたのか』
映し出された情報は実家である会社…そして“ハドルトソン”の物だった。
業績、経営状況、取引先の会社、顧客情報…そして現総代ローランド・ハドルトソンを始め、妻のジェシカ、二人の子供、そして…
『一羽ばあちゃん…?』
憎むべきハドルトソンの写真と一緒に、それは並んで映し出されていた。
「いや、それはジャクリーヌ・一羽・ヴァータジアークではない。祖母殿の顔へ整形させられたローランドの母親だな」
『は?』
「いきなり自分達以外が全員殺されては不審がられると思ったんだろう。まぁ、今の状態でも十分怪しいが…それでも、この女を用意する事で最悪の事態は避けたんだ」
『まさか‥』
「表舞台には一切出て来てはいないが、この女が前総代だ」
この女がばあちゃんに成り済ます事で、ローランドは特に怪しまれる事無く実権を手に入れたとでも…?
こんな単純な方法に‥誰も気付かないなんて。
…気付いても口に出せないとでも言うのか?
三人も死んでいるのに…二人も行方不明だというのに。
あぁ、ドス黒い物に支配されそうで気持ちが悪い…
「復讐しようじゃないか」
『復讐‥』
「私が会社ごとグチャグチャに潰してやろうかと思ったが…それじゃ君の気が済まないだろ」
『……復讐‥』
復讐…それは甘い響き。それはきっと…‥密の味だ。
「君の両親を殺し、祖母を殺し、地位も名誉も金も住まいも…全てを奪った奴等だ。復讐して当たり前だろう」
『殺すわけでは無いのね‥』
「殺したいのか?」
男の言葉に、クロアは小さく首を横に振った。殺してしまっては奴等と同じになってしまう。
「殺すわけでは無い、それでは君が汚れてしまう。君が“案内し、運び、護る店”を創れば、必然的にこのリストの取引先会社の重役や顧客達は店を利用する事になる。リストの八割が命を狙われている様な奴等だからな…‥奴等にしてみれば、
『なるほどね。奴等の客を抱き込む…それが目的か』
「自分の客が店を利用すれば、ハドルトソンは下手に君に手を出せない。客を味方に付けるという事は、情報も入り尚且つ復讐し易くなる」
ある意味、客を“人質”に取るわけだ。
この男が言う通りにした方が色々都合が良さそうだった。それに、
『…貴方個人は‥何が目的なんだ』
こんなに沢山の情報を集めたり、店を始める話を持ち出したり…男が私に協力する理由が私には全く分からない。
『貴方は…』
言葉はそこで途切れた。
ふいに男に優しく抱き締められたからだった。
『な、何を』
「“昔の様に笑わせたい、歪んだ愛で縛り付けてでも”」
耳元でバリトンの優しく…でも力強い音で紡がれた正直過ぎる言葉に、一瞬感覚が麻痺した様な感じがした。
『よくそんな恥ずかしいセリフをスラスラと…』
「後…私の妻になって欲しいからな」
『……それだけの理由で同じ沼に嵌るつもりなの?』
「それだけ?何を言っているんだ、私にとっては“それだけ”では無い」
『あの人達に殺されるかもしれないんだぞ』
「クロンティアが護ってくれる」
『……ぇ‥?』
未だ嘗て私に護ってくれと言った人なんて一人もいなかった。皆、一方的に私を色んなものから護ろうとしたから…
「私の事はクロンティアが護ってくれる…‥だから」
だけどこの男なら…
「クロンティアは私が護る」
私にも護らせてくれる。
私がしたい事を無理に止めたりなんかしない。そう思った瞬間、一筋だけ涙が零れた。
『一緒に来て…エルリック』
私と一緒に堕ちて——…
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