第1章 始マリノ謳
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8
『ふあぁあぁぁ…』
ベッドの上に座り込んだ麗は、欠伸をしながらグッと伸びをした。目尻に浮かんだ涙を指の腹で拭う。
そろそろこの生活にも慣れてきた…朝の鍛錬をし始めても良いかもしれない。
最初は新鮮だった朝寝坊にも飽きたし、このままでは感覚どころか身体まで麻痺してしまうのではないかとも思えた。
ベッドから降りた麗は、部屋に備え付けられたバスルームでシャワーを浴びた。
濡れた身体をタオルで拭き、パチンと指を鳴らせば一瞬で髪は乾く。
簡単なもの…と言うか、日常的に使っていたものの感覚は戻ってきたな。
『今日は…ルーンと薬学、防衛術、呪文学か』
後はプラス裏があるから…一回荷物を取りに帰って来なきゃ駄目だな。
小さく唸った麗は、手早く制服に身を包むとリビングへと出て隣の部屋の扉を押し開いた。
そっとベッドの端に腰掛けて、中々起きない部屋の主に優しく声を掛ける。
『御早う翡翠、朝よ』
=悪戯薬局=
編入した日の宴の時も思ったが、ホグワーツの食事は結構美味しい。量が異様に多いのが難点だが…それを除けば問題は無いだろう。
『洋食…和食…中華…』
そう小さく口にしながら麗は唸った。
後で蒼に食事を持って行くなり作るなりしなくてはならない。部屋でお腹を空かせて待っていてくれている筈だ。
今日のメニューは何にしようかな…
「はい麗、ジュースだよ」
『有難う、ジェームズ』
ジェームズがジュースを差し出し、麗がそれを受け取ったその瞬間、大広間には沢山の梟が慌ただしく雪崩れ込んで来た。梟便の時間だ。
『…梟だらけね、翡翠』
「……食ったら怒るよな」
『勿論、怒るわよ』
荷物や手紙を持った大量の梟に混じって大広間の空中を舞う、見慣れた黒く大きな鷹が一匹…
「馬鹿鳥じゃねぇか…」
『蒼!!』
蒼は麗の声を聞き付け、麗の両肩に足を掛けて止まった。
嘴に小包を加えている。
『蒼、それどうしたの?』
此の世界には私に荷物を送る人等いない筈だ。
蒼は荷物を麗の膝に落とすと、嘴を麗の頬へ寄せた。
「ダンブルドアからの荷物だ」
『え?』
小声だったが私にははっきりと聞こえた。
麗は荷物を目の高さまで持ち上げると、不思議そうに見詰めた。
『何かな、コレ…後で部屋で見ようか』
「ねぇ、麗…」
“離れろ”と騒ぐ翡翠を宥めていると、リーマスが遠慮気味に声を掛けてきた。
『何?』
「その鷲は君の鷲なのかい?」
『鷲じゃなくて、鷹。この子は私の家族だよ』
そう答えた麗を見て、蒼は嬉しそうに目を細めた。
『規則違反だけど…私は身寄りがないから、ダンブルドアにお願いしてホグワーツに一緒に連れて来させてもらったの』
「なるほどな…だからお前、一人部屋なのか」
『うん…梟小屋はちょっとね…森も危ないし。それに私には長期休みに帰る場所が無いから』
そういう事にしておこう。翡翠も同室だけど、気付いてないなら言う必要も無いし…
「それにしてもデケェな…本当に鷹か?」
興味津々なシリウスが蒼を覗き込んだが、蒼はそれが嫌だったらしく、不機嫌そうに外方を向いた。しかし外方を向いた蒼は顔を落ち着ける事無く、キョロキョロと動かした。どこを向いても生徒からの視線が痛いくらいにあったからだ。
鷲の様に大きい蒼は目立ち過ぎる。結局、どこを向く事も出来ず、蒼は麗の首元に顔を埋めた。
『そんなに嫌なら部屋に持って行っておけば良かったのに…』
「…梟達が、荷物は大広間に決められた時間に届けるのが規則だから従えって…」
『あぁ…』
本職の梟達にそう言われてしまったなら…従わざるを得ないかもしれない。
『今度から部屋で大丈夫な様に梟達に“許可”は取っておくわ』
「あぁ…」
『先に部屋に帰ってても大丈夫だよ?私ももう直ぐ戻るから、そうしたら御飯にしよう』
麗が蒼の頭を撫でると、蒼は埋めていた顔を上げて麗の持つ荷物を加えて部屋へと向かって飛び去った。
「あいつ荷物持ってっちまったぞ」
『大丈夫だよ、シリウス。直ぐ帰るって分かったから持って行ってくれたの…あの子は賢いから』
賢いというか…こう“知っている”と言った方が正しいが、蒼を唯の鷹だと思っている人達には必要無いだろう。
『さて、帰るかな』
そう言って伸びをした麗は瞬間、先程ジェームズに貰ったジュースを一気に飲み干した。
「あ!麗、駄目、それ一気に飲んだら…!」
『何?翡翠、帰るわ…よ…?』
「おい、麗?!」
喋ってる最中に何故か声が少し高くなったと思ったら、翡翠の声がやたらと頭に響いた。いや、上から降ると言った方が良いかもしれない。
視界が変だ…物が大きい…
反対側に座ってるシリウス、リーマス、ピーターが呆然としてる。それに隣に座ってる翡翠とリリーも……兎に角何もかもが大きい…これは…
『………………………これは…何かしらね、ジェームズ?』
「えっと…縮み薬入りジュースかな☆」
怖いくらいにニッコリと微笑む麗に、ジェームズは冷や汗を流しながらエヘッとぎこちなく笑って見せた。それが悪かった。
「死にてぇようだな、餓鬼…」
そう青筋を立てた翡翠がジェームズの胸倉を掴んだ。
「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待った、翡翠!!」
「あはは、想像通り」
「いやいや、笑ってる場合じゃないよリーマス!!」
「だってこうなる事は分かってたろうに」
「なら止めてよ、全力で!!!」
「ごちゃごちゃ煩ぇな…」
「ああぁあぁあのさ翡翠、僕はただ麗の小さな姿を見たかっただけで…ほらコレ身体に悪いとかじゃ無いし!」
「あぁ?関係無ぇよ、そもそも有害だったらもう殺されてんぞ」
『翡翠…』
「第一、小せぇ麗なんぞ俺が知ってれば充分だ」
『論点ズレてるわよ、翡翠』
「麗…」
『ジェームズを離して、翡翠』
翡翠の迫力に涙目になっていたジェームズは、嬉しそうに止めに入った麗に駆け寄った。
「麗、ありが…」
『私が倍…三倍返しするわ』
麗の言葉に、ジェームズはリリーに引き摺られながら“人生もうお終いだ”と思った。
『全く…困った人ね』
麗はジェームズを怒鳴り続けるリリーを見て苦笑すると、自分の姿を再度確認した。
見た目は五歳くらいだろうか…
ブカブカの服…ローブは床に落ち、本来の役目を果していない。
服のサイズを合せたいが、蒼が小包と一緒に荷物や杖を部屋に運んで行ってくれたから持っていない。杖無しで魔法なり術なりを使うのは…非常に拙いし。
直ぐ戻るにしても、杖を一緒に持たせてしまったのは拙かった。と言うより本来あってはならない事だ。
ここは魔法を学ぶ所であり、魔法を使うには杖が必要なのだから。
杖を常に携帯する癖をつけないといけない。
取り敢えずワイシャツの釦を全部とめてずり落ち無い様にする。
引っ張り上げてウエスト部分を何回か折るが、浮き輪の様な布の塊ができるだけで、裾はズルズルと床にずったままだ。
そして何より拙い事は…
下着だ。
サイズが合わなすぎて気持ち悪い。
特にブラジャーの方が合わなすぎてこう…
『翡翠…』
麗が見上げれば、翡翠は何故か困った様に眉を寄せて麗の頭をガシガシと荒く撫でた。
『ぇ…ちょ』
ボサボサになった髪を手で梳かしながら撫で付けていると、翡翠が杖を取り出して振った。
それに合わせて麗は小さく呟いた。
「麗、大丈夫かい?」
瞬間、席を回って側に来たリーマスが、洋服を押さえながらベンチの上に立つ麗の前に膝を付いた。
“大丈夫”と言って服を脱ぎ出した麗にリーマス達は慌てたが、脱ぎ捨てた洋服の下からは和服が現れた。
「え、お前そんなの着込んでたのか?」
「馬鹿だね、シリウス。翡翠の魔法だろう?」
まぁ、翡翠は杖を振っただけで私の仕業だけど。
「麗、凄く可愛いよ」
ニッコリ笑ったリーマスに抱き上げられ、麗は文句を言う翡翠を宥めながら微笑んだ。
『ありがとう、リーマス』
「ぁ、麗…コ、コレ…」
ピーターが床に落ちていたジャケットを拾い、シリウスがそれを受け取る。
「ジャケットはどうすんだ?」
『有難う、ピーター…翡翠、お願い』
「あぁ」
「みんなブカブカだもんな…こりゃ無理だ」
そう、全てにおいてサイズが合わない。故にブラジャーは消してしまったのだが…誰も下着については言ってこないので助かった。
まぁ、言ったら言ったで…こんな人の多い所で女性に何を言うのか…というか話でもあるが。
『翡翠、ブーツもお願いね』
「あぁ」
シリウスはジャケット以外の洋服も全て魔法で綺麗に畳んで、翡翠に手渡した。
魔法ってやっぱり便利…私は術の方が性に合ってるけど…何より手慣れているし。
『さてと…』
そう呟いた麗はキョロキョロと忙しく辺りを見回した。
『居ないわね…』
「誰を捜してるんだい?」
『ちょっと…ね』
麗はリーマスに軽く返事を返すと、床へ飛び降りた。
『翡翠、ちょっと出てくるから蒼のご飯貰ってきて』
「でも…」
『戻ってから作ってたら時間掛かるから、私の代わりにキッチンに行って来てちょうだい。冷たい物がいいわ』
「…分かった」
『そうだ…ジェームズ』
「は、はい…」
『覚悟しときなさい?』
「リ…リリー、シリウス、た、助け…」
「自業自得だわ」
「自業自得だな」
「だ…だだ、大丈夫だよ、ジェームズ!麗は…や、優しいから」
「……何か虚しい」
優しいピーターが何を言っても、説得力は皆無だ。
『じゃあ、ちょっと出てくるから』
「どこへ?僕も付き合うよ」
『駄目。大人しく皆で一緒に居て』
“良いわね?”と念を押され、リーマスは困った様にはいはいと口にした。
麗は一人、皆に見られながら大広間を出て行った。
「麗…ど、どこに行ったんだろう」
「さぁな」
「セブルスの所だろ」
「あぁ…もう!出来心で麗をターゲットにするんじゃなかった!!何されるか分かったもんじゃないよ……ハニー、僕達も帰ろうか」
「だから自業自得だって言ってるでしょう?」
「全くだよ、間抜けだなぁ」
「リーマスだって知ってて止めなかったじゃないか!」
「だって小さい麗、見たかったし…僕は何もしてないから怒られないし?」
「君はとんだ策士だよ」
すっかり恐怖に怯え、肩を落としたジェームズをピーターが心配そうに覗き込んだ。
「だ、大丈…夫?」
麗が居なくなった事により、興味を無くして紅茶を啜っていたシリウスがふと顔を上げた。
「おい、ちょっと待てよ。翡翠、お前セブルスって言ったか?」
「言ったな」
「セブルスってまさか…」
「あぁ、スネイプか!!!」
「麗のやつ何でスネイプなんかの所に!」
シリウスはティーカップを乱暴に置くと、大広間を出るべく出口に向かって歩き出した。それにジェームズとリーマス、服やブーツ等を持った翡翠の腕をグイグイと引きながらピーターが続いた。
「戻る薬が必要なんだからセブルスだろ。今頃飛び回ってる」
鼻で笑う翡翠を後ろにシリウスは唯歩き続け、リーマスは気味が悪い程ニッコリとジェームズに向かって微笑んだ。
「それだったら僕が作るのに…ねぇ、ジェームズ?」
「悪戯仕掛人に薬盛られたのに同じ仕掛人に戻る薬作ってもらう訳ねぇだろ」
「じゃあ先生とか」
「んな事したらお前ら罰則だぞ。スラグホーンならそれもなさそうだが…麗がスラグホーンの所に行くとは思えないしな…それに薬学に一番詳しいのはセブルスだ。じゃあな、俺はキッチン行きだ」
「ぁ…ぅ、うん、また後でね!」
翡翠が立ち去り、リーマスはピタリと歩みを止めた。
「リーマス?」
「……覚悟は良いかな…?」
「リ、リーマス?!ギ…ギャアァァァァ!!」
「馬鹿な人達…」
大広間に残っていたリリーは、ジェームズの叫び声を聞きながらそう呟き、紅茶を口に運びながら日刊予言者新聞に目を向けた。
一方、朝食の時間で誰もいないホグワーツの廊下を麗は、呼び寄せた蒼の脚に掴まって飛ぶ。自分の力で飛びたいが、それを生徒に見られては困る。まぁ、この状況も少し困るんだけど…
それに事故にあってから未だ力が麻痺しているのであまり術を使いたく無かった。
『御免なさいね、こんな事頼んで』
「別に構わない」
まさか縮むとはなぁ…自分が標的になるだなんて思いもしなかった。
『蒼、次の角を左に行って外にでとぅえ゙?!!』
「麗?!」
突然、変な声を上げた麗が蒼の脚から擦り抜けた…正確に言えば抜き取られた。
『痛ぁ…ッ、誰だ!!いきなり人に飛び出…飛び付いてきて!!』
腹部に肩が…地味に痛い。
「いや…済まないね。廊下を子供を掴んだ鳥が飛んでいたものだから…気になってつい」
“つい”って…しかも声が謝って無い。
『あのねぇ、貴方…』
文句を言おうと顔を上げた麗は、相手の顔を確認すると固まった。
綺麗な長いプラチナブランドを後ろに結んだ見覚えのある青年がそこにはいた。
『ルシウス・マルフォイ』
「私を知っているのかね……君は…何だか小さいが麗・皐月だろう?」
『…何で名前…』
「珍しい編入生だからな。それに珍しい日本人だ」
『そうですか』
やはり編入生は目立つ様だ。目立つのは嫌だが学校に入る為だから致し方ない。
「麗!!大丈夫か?!」
二人以外の別の声が響き、声のする方を見ると、短めの黒髪を揺らした青年が慌てて駆け寄って来ていた。
見知らぬ青年だったが、綺麗な青い瞳が誰なのかを物語っていた。
『蒼…大丈夫よ』
「そうか…」
自分を心配してくれている蒼を見て、自然と表情が緩む。蒼も微かに安心した様に微笑んでくれた。
「ほう、喋れる上に人になれるのかその鳥は…動物擬きか?」
「…ッ」
『良いでしょ』
忘却術を使おうとする蒼を止める為に、麗は少し大きめの声でそう言った。
ニッコリ微笑むとルシウスから離れ、蒼に寄り添う様に隣に立つ。
「そうだな…ところで何で小さいんだ?」
『薬を盛られたのよ』
「無様だな」
殴りかかろうとする蒼の服の裾を掴み、止める。
「仕掛たのは…阿呆共の中の…ポッターといった所か?」
『あら、正解。でも人の友達を愚弄しないでちょうだい』
「友?アレが友だと…友人は選んだ方がいいぞ」
『黙れ』
麗の瞳が緋眼に変わり、ルシウスを睨み付けるが、その色は直ぐに漆黒へと戻った。
『…ちょっと聞きたいんだけど』
「何を聞きたい?」
『トム・M・リドルを御存知?』
「……なんだと?」
『トム・M・リドル…ヴォルデモートと言った方が良いかしら?』
「麗!!」
慌てて麗の小さく細い腕を掴み、蒼が麗を止める。
『……行こう、蒼』
「あぁ」
蒼がルシウスを睨み付けていたが、麗には止める気力が無かった。
「ちょっと待て」
『何?』
「誰が帰すと言った」
『勝手に帰らせてもらう』
鷹に戻った蒼が軽く飛び上がり、麗は廊下を蹴ると、その脚に捕まった。直ぐに蒼が廊下から中庭に出て、ルシウスが届かない所まで素早く上昇する。
『それでは、また…ルシウス・マルフォイ』
「逃がすか!!!」
ルシウスは素早く杖を取り出し、麗では無く蒼に杖を向けた。
『…私の家族に…何をするの』
あぁ、駄目だ。
頭の中が真っ白になっていく…
瞬間、麗の黒眼が血の様に深く輝き、蒼みがかった黒髪が銀髪に姿を変えた。
「な…?!」
「まさか…おい、止めろ!麗!」
蒼が声を荒げて止めたが遅かった。
麗の詩が廊下に響き渡る…
「歌…?」
ルシウスは突然謳いだした麗に驚き、動きを止めた。
「髪色が変わったと思ったら歌だと…馬鹿馬鹿しい。一体何を考えて」
ルシウスがそう口にした瞬間、爆発する様にルシウスの杖が粉々に吹き飛んだ。
「ッ…何をした!!」
『…蒼、行こう』
そう言って謳うのを止めた麗の髪色が黒に…瞳も黒に戻る。
「…分かった」
麗はルシウスを完全に無視し、蒼はそんな麗をセブルスの元に連れて行く為、飛び去った。
「クク…面白いなあの娘」
麗は気付かなかった。
飛び去る瞬間、ルシウスが不適に笑った事に。
廊下の端に悪戯仕掛人の四人が隠れていて、事の次第を見ていた事に…
気付かなかった。
『ふあぁあぁぁ…』
ベッドの上に座り込んだ麗は、欠伸をしながらグッと伸びをした。目尻に浮かんだ涙を指の腹で拭う。
そろそろこの生活にも慣れてきた…朝の鍛錬をし始めても良いかもしれない。
最初は新鮮だった朝寝坊にも飽きたし、このままでは感覚どころか身体まで麻痺してしまうのではないかとも思えた。
ベッドから降りた麗は、部屋に備え付けられたバスルームでシャワーを浴びた。
濡れた身体をタオルで拭き、パチンと指を鳴らせば一瞬で髪は乾く。
簡単なもの…と言うか、日常的に使っていたものの感覚は戻ってきたな。
『今日は…ルーンと薬学、防衛術、呪文学か』
後はプラス裏があるから…一回荷物を取りに帰って来なきゃ駄目だな。
小さく唸った麗は、手早く制服に身を包むとリビングへと出て隣の部屋の扉を押し開いた。
そっとベッドの端に腰掛けて、中々起きない部屋の主に優しく声を掛ける。
『御早う翡翠、朝よ』
=悪戯薬局=
編入した日の宴の時も思ったが、ホグワーツの食事は結構美味しい。量が異様に多いのが難点だが…それを除けば問題は無いだろう。
『洋食…和食…中華…』
そう小さく口にしながら麗は唸った。
後で蒼に食事を持って行くなり作るなりしなくてはならない。部屋でお腹を空かせて待っていてくれている筈だ。
今日のメニューは何にしようかな…
「はい麗、ジュースだよ」
『有難う、ジェームズ』
ジェームズがジュースを差し出し、麗がそれを受け取ったその瞬間、大広間には沢山の梟が慌ただしく雪崩れ込んで来た。梟便の時間だ。
『…梟だらけね、翡翠』
「……食ったら怒るよな」
『勿論、怒るわよ』
荷物や手紙を持った大量の梟に混じって大広間の空中を舞う、見慣れた黒く大きな鷹が一匹…
「馬鹿鳥じゃねぇか…」
『蒼!!』
蒼は麗の声を聞き付け、麗の両肩に足を掛けて止まった。
嘴に小包を加えている。
『蒼、それどうしたの?』
此の世界には私に荷物を送る人等いない筈だ。
蒼は荷物を麗の膝に落とすと、嘴を麗の頬へ寄せた。
「ダンブルドアからの荷物だ」
『え?』
小声だったが私にははっきりと聞こえた。
麗は荷物を目の高さまで持ち上げると、不思議そうに見詰めた。
『何かな、コレ…後で部屋で見ようか』
「ねぇ、麗…」
“離れろ”と騒ぐ翡翠を宥めていると、リーマスが遠慮気味に声を掛けてきた。
『何?』
「その鷲は君の鷲なのかい?」
『鷲じゃなくて、鷹。この子は私の家族だよ』
そう答えた麗を見て、蒼は嬉しそうに目を細めた。
『規則違反だけど…私は身寄りがないから、ダンブルドアにお願いしてホグワーツに一緒に連れて来させてもらったの』
「なるほどな…だからお前、一人部屋なのか」
『うん…梟小屋はちょっとね…森も危ないし。それに私には長期休みに帰る場所が無いから』
そういう事にしておこう。翡翠も同室だけど、気付いてないなら言う必要も無いし…
「それにしてもデケェな…本当に鷹か?」
興味津々なシリウスが蒼を覗き込んだが、蒼はそれが嫌だったらしく、不機嫌そうに外方を向いた。しかし外方を向いた蒼は顔を落ち着ける事無く、キョロキョロと動かした。どこを向いても生徒からの視線が痛いくらいにあったからだ。
鷲の様に大きい蒼は目立ち過ぎる。結局、どこを向く事も出来ず、蒼は麗の首元に顔を埋めた。
『そんなに嫌なら部屋に持って行っておけば良かったのに…』
「…梟達が、荷物は大広間に決められた時間に届けるのが規則だから従えって…」
『あぁ…』
本職の梟達にそう言われてしまったなら…従わざるを得ないかもしれない。
『今度から部屋で大丈夫な様に梟達に“許可”は取っておくわ』
「あぁ…」
『先に部屋に帰ってても大丈夫だよ?私ももう直ぐ戻るから、そうしたら御飯にしよう』
麗が蒼の頭を撫でると、蒼は埋めていた顔を上げて麗の持つ荷物を加えて部屋へと向かって飛び去った。
「あいつ荷物持ってっちまったぞ」
『大丈夫だよ、シリウス。直ぐ帰るって分かったから持って行ってくれたの…あの子は賢いから』
賢いというか…こう“知っている”と言った方が正しいが、蒼を唯の鷹だと思っている人達には必要無いだろう。
『さて、帰るかな』
そう言って伸びをした麗は瞬間、先程ジェームズに貰ったジュースを一気に飲み干した。
「あ!麗、駄目、それ一気に飲んだら…!」
『何?翡翠、帰るわ…よ…?』
「おい、麗?!」
喋ってる最中に何故か声が少し高くなったと思ったら、翡翠の声がやたらと頭に響いた。いや、上から降ると言った方が良いかもしれない。
視界が変だ…物が大きい…
反対側に座ってるシリウス、リーマス、ピーターが呆然としてる。それに隣に座ってる翡翠とリリーも……兎に角何もかもが大きい…これは…
『………………………これは…何かしらね、ジェームズ?』
「えっと…縮み薬入りジュースかな☆」
怖いくらいにニッコリと微笑む麗に、ジェームズは冷や汗を流しながらエヘッとぎこちなく笑って見せた。それが悪かった。
「死にてぇようだな、餓鬼…」
そう青筋を立てた翡翠がジェームズの胸倉を掴んだ。
「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待った、翡翠!!」
「あはは、想像通り」
「いやいや、笑ってる場合じゃないよリーマス!!」
「だってこうなる事は分かってたろうに」
「なら止めてよ、全力で!!!」
「ごちゃごちゃ煩ぇな…」
「ああぁあぁあのさ翡翠、僕はただ麗の小さな姿を見たかっただけで…ほらコレ身体に悪いとかじゃ無いし!」
「あぁ?関係無ぇよ、そもそも有害だったらもう殺されてんぞ」
『翡翠…』
「第一、小せぇ麗なんぞ俺が知ってれば充分だ」
『論点ズレてるわよ、翡翠』
「麗…」
『ジェームズを離して、翡翠』
翡翠の迫力に涙目になっていたジェームズは、嬉しそうに止めに入った麗に駆け寄った。
「麗、ありが…」
『私が倍…三倍返しするわ』
麗の言葉に、ジェームズはリリーに引き摺られながら“人生もうお終いだ”と思った。
『全く…困った人ね』
麗はジェームズを怒鳴り続けるリリーを見て苦笑すると、自分の姿を再度確認した。
見た目は五歳くらいだろうか…
ブカブカの服…ローブは床に落ち、本来の役目を果していない。
服のサイズを合せたいが、蒼が小包と一緒に荷物や杖を部屋に運んで行ってくれたから持っていない。杖無しで魔法なり術なりを使うのは…非常に拙いし。
直ぐ戻るにしても、杖を一緒に持たせてしまったのは拙かった。と言うより本来あってはならない事だ。
ここは魔法を学ぶ所であり、魔法を使うには杖が必要なのだから。
杖を常に携帯する癖をつけないといけない。
取り敢えずワイシャツの釦を全部とめてずり落ち無い様にする。
引っ張り上げてウエスト部分を何回か折るが、浮き輪の様な布の塊ができるだけで、裾はズルズルと床にずったままだ。
そして何より拙い事は…
下着だ。
サイズが合わなすぎて気持ち悪い。
特にブラジャーの方が合わなすぎてこう…
『翡翠…』
麗が見上げれば、翡翠は何故か困った様に眉を寄せて麗の頭をガシガシと荒く撫でた。
『ぇ…ちょ』
ボサボサになった髪を手で梳かしながら撫で付けていると、翡翠が杖を取り出して振った。
それに合わせて麗は小さく呟いた。
「麗、大丈夫かい?」
瞬間、席を回って側に来たリーマスが、洋服を押さえながらベンチの上に立つ麗の前に膝を付いた。
“大丈夫”と言って服を脱ぎ出した麗にリーマス達は慌てたが、脱ぎ捨てた洋服の下からは和服が現れた。
「え、お前そんなの着込んでたのか?」
「馬鹿だね、シリウス。翡翠の魔法だろう?」
まぁ、翡翠は杖を振っただけで私の仕業だけど。
「麗、凄く可愛いよ」
ニッコリ笑ったリーマスに抱き上げられ、麗は文句を言う翡翠を宥めながら微笑んだ。
『ありがとう、リーマス』
「ぁ、麗…コ、コレ…」
ピーターが床に落ちていたジャケットを拾い、シリウスがそれを受け取る。
「ジャケットはどうすんだ?」
『有難う、ピーター…翡翠、お願い』
「あぁ」
「みんなブカブカだもんな…こりゃ無理だ」
そう、全てにおいてサイズが合わない。故にブラジャーは消してしまったのだが…誰も下着については言ってこないので助かった。
まぁ、言ったら言ったで…こんな人の多い所で女性に何を言うのか…というか話でもあるが。
『翡翠、ブーツもお願いね』
「あぁ」
シリウスはジャケット以外の洋服も全て魔法で綺麗に畳んで、翡翠に手渡した。
魔法ってやっぱり便利…私は術の方が性に合ってるけど…何より手慣れているし。
『さてと…』
そう呟いた麗はキョロキョロと忙しく辺りを見回した。
『居ないわね…』
「誰を捜してるんだい?」
『ちょっと…ね』
麗はリーマスに軽く返事を返すと、床へ飛び降りた。
『翡翠、ちょっと出てくるから蒼のご飯貰ってきて』
「でも…」
『戻ってから作ってたら時間掛かるから、私の代わりにキッチンに行って来てちょうだい。冷たい物がいいわ』
「…分かった」
『そうだ…ジェームズ』
「は、はい…」
『覚悟しときなさい?』
「リ…リリー、シリウス、た、助け…」
「自業自得だわ」
「自業自得だな」
「だ…だだ、大丈夫だよ、ジェームズ!麗は…や、優しいから」
「……何か虚しい」
優しいピーターが何を言っても、説得力は皆無だ。
『じゃあ、ちょっと出てくるから』
「どこへ?僕も付き合うよ」
『駄目。大人しく皆で一緒に居て』
“良いわね?”と念を押され、リーマスは困った様にはいはいと口にした。
麗は一人、皆に見られながら大広間を出て行った。
「麗…ど、どこに行ったんだろう」
「さぁな」
「セブルスの所だろ」
「あぁ…もう!出来心で麗をターゲットにするんじゃなかった!!何されるか分かったもんじゃないよ……ハニー、僕達も帰ろうか」
「だから自業自得だって言ってるでしょう?」
「全くだよ、間抜けだなぁ」
「リーマスだって知ってて止めなかったじゃないか!」
「だって小さい麗、見たかったし…僕は何もしてないから怒られないし?」
「君はとんだ策士だよ」
すっかり恐怖に怯え、肩を落としたジェームズをピーターが心配そうに覗き込んだ。
「だ、大丈…夫?」
麗が居なくなった事により、興味を無くして紅茶を啜っていたシリウスがふと顔を上げた。
「おい、ちょっと待てよ。翡翠、お前セブルスって言ったか?」
「言ったな」
「セブルスってまさか…」
「あぁ、スネイプか!!!」
「麗のやつ何でスネイプなんかの所に!」
シリウスはティーカップを乱暴に置くと、大広間を出るべく出口に向かって歩き出した。それにジェームズとリーマス、服やブーツ等を持った翡翠の腕をグイグイと引きながらピーターが続いた。
「戻る薬が必要なんだからセブルスだろ。今頃飛び回ってる」
鼻で笑う翡翠を後ろにシリウスは唯歩き続け、リーマスは気味が悪い程ニッコリとジェームズに向かって微笑んだ。
「それだったら僕が作るのに…ねぇ、ジェームズ?」
「悪戯仕掛人に薬盛られたのに同じ仕掛人に戻る薬作ってもらう訳ねぇだろ」
「じゃあ先生とか」
「んな事したらお前ら罰則だぞ。スラグホーンならそれもなさそうだが…麗がスラグホーンの所に行くとは思えないしな…それに薬学に一番詳しいのはセブルスだ。じゃあな、俺はキッチン行きだ」
「ぁ…ぅ、うん、また後でね!」
翡翠が立ち去り、リーマスはピタリと歩みを止めた。
「リーマス?」
「……覚悟は良いかな…?」
「リ、リーマス?!ギ…ギャアァァァァ!!」
「馬鹿な人達…」
大広間に残っていたリリーは、ジェームズの叫び声を聞きながらそう呟き、紅茶を口に運びながら日刊予言者新聞に目を向けた。
一方、朝食の時間で誰もいないホグワーツの廊下を麗は、呼び寄せた蒼の脚に掴まって飛ぶ。自分の力で飛びたいが、それを生徒に見られては困る。まぁ、この状況も少し困るんだけど…
それに事故にあってから未だ力が麻痺しているのであまり術を使いたく無かった。
『御免なさいね、こんな事頼んで』
「別に構わない」
まさか縮むとはなぁ…自分が標的になるだなんて思いもしなかった。
『蒼、次の角を左に行って外にでとぅえ゙?!!』
「麗?!」
突然、変な声を上げた麗が蒼の脚から擦り抜けた…正確に言えば抜き取られた。
『痛ぁ…ッ、誰だ!!いきなり人に飛び出…飛び付いてきて!!』
腹部に肩が…地味に痛い。
「いや…済まないね。廊下を子供を掴んだ鳥が飛んでいたものだから…気になってつい」
“つい”って…しかも声が謝って無い。
『あのねぇ、貴方…』
文句を言おうと顔を上げた麗は、相手の顔を確認すると固まった。
綺麗な長いプラチナブランドを後ろに結んだ見覚えのある青年がそこにはいた。
『ルシウス・マルフォイ』
「私を知っているのかね……君は…何だか小さいが麗・皐月だろう?」
『…何で名前…』
「珍しい編入生だからな。それに珍しい日本人だ」
『そうですか』
やはり編入生は目立つ様だ。目立つのは嫌だが学校に入る為だから致し方ない。
「麗!!大丈夫か?!」
二人以外の別の声が響き、声のする方を見ると、短めの黒髪を揺らした青年が慌てて駆け寄って来ていた。
見知らぬ青年だったが、綺麗な青い瞳が誰なのかを物語っていた。
『蒼…大丈夫よ』
「そうか…」
自分を心配してくれている蒼を見て、自然と表情が緩む。蒼も微かに安心した様に微笑んでくれた。
「ほう、喋れる上に人になれるのかその鳥は…動物擬きか?」
「…ッ」
『良いでしょ』
忘却術を使おうとする蒼を止める為に、麗は少し大きめの声でそう言った。
ニッコリ微笑むとルシウスから離れ、蒼に寄り添う様に隣に立つ。
「そうだな…ところで何で小さいんだ?」
『薬を盛られたのよ』
「無様だな」
殴りかかろうとする蒼の服の裾を掴み、止める。
「仕掛たのは…阿呆共の中の…ポッターといった所か?」
『あら、正解。でも人の友達を愚弄しないでちょうだい』
「友?アレが友だと…友人は選んだ方がいいぞ」
『黙れ』
麗の瞳が緋眼に変わり、ルシウスを睨み付けるが、その色は直ぐに漆黒へと戻った。
『…ちょっと聞きたいんだけど』
「何を聞きたい?」
『トム・M・リドルを御存知?』
「……なんだと?」
『トム・M・リドル…ヴォルデモートと言った方が良いかしら?』
「麗!!」
慌てて麗の小さく細い腕を掴み、蒼が麗を止める。
『……行こう、蒼』
「あぁ」
蒼がルシウスを睨み付けていたが、麗には止める気力が無かった。
「ちょっと待て」
『何?』
「誰が帰すと言った」
『勝手に帰らせてもらう』
鷹に戻った蒼が軽く飛び上がり、麗は廊下を蹴ると、その脚に捕まった。直ぐに蒼が廊下から中庭に出て、ルシウスが届かない所まで素早く上昇する。
『それでは、また…ルシウス・マルフォイ』
「逃がすか!!!」
ルシウスは素早く杖を取り出し、麗では無く蒼に杖を向けた。
『…私の家族に…何をするの』
あぁ、駄目だ。
頭の中が真っ白になっていく…
瞬間、麗の黒眼が血の様に深く輝き、蒼みがかった黒髪が銀髪に姿を変えた。
「な…?!」
「まさか…おい、止めろ!麗!」
蒼が声を荒げて止めたが遅かった。
麗の詩が廊下に響き渡る…
「歌…?」
ルシウスは突然謳いだした麗に驚き、動きを止めた。
「髪色が変わったと思ったら歌だと…馬鹿馬鹿しい。一体何を考えて」
ルシウスがそう口にした瞬間、爆発する様にルシウスの杖が粉々に吹き飛んだ。
「ッ…何をした!!」
『…蒼、行こう』
そう言って謳うのを止めた麗の髪色が黒に…瞳も黒に戻る。
「…分かった」
麗はルシウスを完全に無視し、蒼はそんな麗をセブルスの元に連れて行く為、飛び去った。
「クク…面白いなあの娘」
麗は気付かなかった。
飛び去る瞬間、ルシウスが不適に笑った事に。
廊下の端に悪戯仕掛人の四人が隠れていて、事の次第を見ていた事に…
気付かなかった。