第2章 秘密ノ謳
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54
『ッ…ゴホゴホ…ッ!!』
深夜…息が詰りそうになり咳き込んだ麗は、口元を押さえた手を見て目を見開いた。
『時間が…無いという事か…』
手を真っ赤に染めた大量の血…麗は困った様に眉を寄せると、喉元と胸元に手を当て魔法を使う。
少しでも長く保たせなくてはならない…
『帰らな…きゃ、いけないの…に』
息が上手く出来無い。
脂汗でベタつく…気持悪い……
『死ぬ事…は…許され、ないのに』
麗は更に眉間に皺を寄せると、馬鹿にした様に笑った。
嫌だな、全く…自分に腹が立つ。
『アタシだってこんな所で終わる訳にはいかねぇんだ』
死んでたまるか。
ここで、こんな所で止まってる暇は──…
『畜生…こんな下らねぇ所で止まってなんかいられねぇんだ…御願いだから保って…』
こんな事で止まってる時間は…
私 には無い──…
=迷子の約束=
リリーは薬学の教科書をペラペラ捲り、ブツブツ文句を言いながら麗と二人、廊下を進む。
「全く…スラグホーンはしつこいわね。私達はあの集には興味無いって何度も言ってるのに」
『ホラスはああいう…コレクションが好きだから』
ホラスのそういう所は嫌いじゃないけど…何だろう……苦手だ。
「それより麗は今回結局、誰とホグズミードに行く事にしたの?」
『蒼達と行こうかと思ってる。まだ家族だけで行って無いし』
翡翠達は元からだが、蒼も中々良い性格をしているので、そろそろ拗ね出す頃だ。
「あら、残念。シーラやリザ達と女だけで行こうって話してたのに」
女だけ…とても興味をそそられるけど…
『また今度ね』
「リリー!麗!!」
そう元気な声が廊下に響き振り返ると、両手をブンブン振ったジェームズが皆を連れてこっちへ歩いて来ていた。
珍しくアレンも一緒で、翡翠と何か話している。
「ゲッ…」
ゲッ…って、リリー…貴女、仮にも恋人に向かってゲッて…
麗はジェームズに返す為、片手を上げて軽く手を振った。
『ジェーム…ッ!』
「麗?」
上げた手が重力に従いだらしなく降りたが、そんな事に気を使っていられ無かった。
どうしよう…声が出せない。上がってくる咽せ返る鉄の味はよく知っている。
「ッ、やだ…麗?!」
リリーの顔色が段々真っ青になっていくのが見えた。
リリーに心配掛けてる…そう思ったが、どうしようも出来無かった。膝から崩れ落ちながら喉を掴み、胸元に手を当てる。
『グ……ゴボ…ッ』
生徒達に力の事を気付かれても致し方無い。しかし無永唱ならもしかしたら誤魔化せるかもしれない。そう思って実行した時には遅かった…
ボタボタと溢れる血、支える力さえも失った膝立ちの身体がゆっくりと床に向かって倒れていく。
あぁ…駄目だ…
処置が遅かった。廊下のモノがスローで見える。リリーの顔は更に真っ青になっていた。
偶然居合わせた他の生徒も驚いている。
リリー…驚かせて…
『…御免…ね』
「麗!!」
翡翠の焦った声がするからまだ意識はあるのだろう…床に当たった衝撃が無いから翡翠が受け止めてくれた筈だ。
「麗…おい、麗!!」
翡翠の声が遠くなる中、歪んだ視界の先に、真っ青になりながら私の口から溢れた血を拭いとる翡翠が見えた。
駄目…意識を手放したら翡翠が…ダメ、駄目よ…
駄目……駄…目…
あぁ…私は無力だ──…
『ァ、グ……』
相変わらずここは暗い。
ここは全てが黒いから、周りは何処までも続く、長く高い本棚と本の山…そして大量の鏡。
何で私はここにいるんだろう…
「麗…」
麗は弱々しく呼吸を繰り返しながら目だけを使い、辺りを見回した。
『…月…影……』
名前を呼ばれた月影は、地に横になっている麗の横に座り込むと手を取り、握り締めた。
「済まない…命は…命は治せないんだ…」
月影の哀しそうな顔を見た麗は、握られた手を持てる力を全て使い、握り返し、そして微笑んだ。
しかしその力はとても弱々しく、月影は眉を寄せた。
『大…丈夫……ありが…とう、月影…』
まだ…まだ駄目なのだ。
まだやる事が…
「麗」
月影とは違う低く張りのある落ち着いた声…これも大好きな声だった。
『……楓…』
楓は満足そうに微笑むと、月影とは逆の麗の横に片膝を付いて座り込んだ。
「麗…加減はどうですか?」
麗は苦笑すると、目を閉じた。
力を集中しないと、もう話している事さえ出来無い。
『見て…の通り…力が…制、御出来な……困ったもの、ね……でも…直ぐ、に良くなる筈…いや、治して…みせる、わ』
楓は麗の手を取ると月影と目を合わせた。
「…何だ」
「時間が無い。今からする事に口出しも手出しもするな」
「は?」
意味が分からない…と、眉を寄せる月影を無視した楓は、目を閉じたまま荒い息を繰り返している麗を見据えた。
「麗…」
『ん…』
楓の唇が麗のそれと優しく重なった。
永く…永く…
何かを断ち切り、そして刻む様に…
再び強い眠気に襲われる中、渚の声を聞いた気がした。
何で…渚が──…
楓…
…楓──…
目覚めた先は医務室だった。
視界は見慣れた白で埋め尽くされていた。
麗はふらつく身体をゆっくりと起こした。
「麗!!」
「「「麗?!!」」」
目覚めた麗に一早く気付いた紙園は麗に抱き付くと力一杯抱き締めた。
温かくて心地良い…
『紙園…』
周りには翡翠、蒼、仕掛人達もシーラ、リザ、アレン、リリーもいるし、私の中では騎龍や砕覇達、家族が心配してくれていた。
その中で麗は違和感を感じていた。
何かが足り無い。
何かが私の中から消えている。ある一部が空白になった様な…穴が空いた感覚がする。
そこだけ何かが…
何かが…何が…無い──…
「麗…」
いつもとは違く、生気が無い様な低い声が耳に響いた。
『翡翠……ッ!!』
翡翠と目が合った瞬間、頭を駆け巡った懐かしい記憶に、麗は目を見開いた。
イナイ。
『楓がイナイ』
「麗…?」
紙園は身体を離すと、麗の顔を覗き込んだ。
『楓が居ないの…気を感じ無い…呼び掛けても何時もみたいに返事をしてくれない』
「麗…」
『楓は絶対に応えてくれるのに』
麗は唇を噛み締めると、布団をきつく握り締めた。
『楓が…楓が笑ってクレナイの──…』
何時もなら直ぐに返してくれる。何時もなら“どうした?”って笑いかけてくれるのに…
私が不安な時は真っ先に気付いて声を掛けてくれて…それから姿を現して優しく抱き締めてくれるのに…返事さえしてくれ無い。
私の中 に楓が居る感覚が無い──…
「楓はお前の糧になった」
『何故止め無かった!!』
ベッドを蹴って飛び上がった麗から出た衝撃波の様なモノを蒼が盾になり魔法で弾いたが、範囲が及ばなかったリザとシーラ、そして紙園があてられて倒れた。
その事に気付か無いまま、離れた所に立っていた翡翠に飛び付いて胸倉を掴んだ麗の瞳が紅く、髪は銀に染まった。
『何故逝かせた!!』
怒りで何をしているかも良く解ら無くなってきた。
ひたすら翡翠に怒りをぶつける。
『何で…何で!!』
自分に腹が立つ…何故こうなった?
麗の暴走した力が辺りの空気を重くし、壁や床に亀裂が走る。態勢が崩れた翡翠がその場に座り込む様に倒れ、麗も馬乗りに翡翠の上に倒れた。
『答えろ、翡翠!!!』
「…あれが最悪の事態を回避する最善の方法だった」
翡翠の答えを聞いた麗は、馬鹿にした様に笑った後、翡翠の胸倉を掴む手に力を込めた。
『最善…これが?楓を犠牲にするのがお前の最善か!!』
「“俺達”の最善だ!!!」
『何が俺達の最善だ!!犠牲の上に立つもの等無い!』
何で…
何で…何で……
何でこれが最善なの?
こんなの最悪でしか無い。
「俺達家族の最悪はお前が…麗が死ぬ事だ」
『そんな事…』
私の最悪だって家族を失う事だ。
楓がこんな事をしなくても私は…
「あのままではお前は死んでいた」
そう翡翠に言われ、麗は表情を歪めた。
『な…』
「お前を護る為には…誰かがお前の糧になるしか無かった」
『そんな…そんな事無い!自分で、自分で治せた!!』
今までずっとそうしてきた。ずっと、ずっと…
なのに今出来無いだなんて…肝心な時に出来無いだなんて信じたく無い。
私は出来た。
そうすれば楓は…楓は…
『私は』
「麗!!!」
そう翡翠が叫んだ瞬間、左頬に痛みが走った。直ぐに翡翠に叩かれたんだと分かった。
『何を…』
「お前には暴走した膨大な力を制御する気力も体力も残って無かっただろ!!あのままだったらお前は力に喰われて…死ぬ所か消滅してた」
『……』
そう…
本当は何も残っていなかった。
無理して呼吸を保って、無理して笑って見せて、無理して身体中から溢れる力という力全てを最小限に抑え続けた。
『でも…』
「お前は確かに強い。でもな、それが仇になってるのも理解してるだろ」
『…でも』
「お前は良くやってたよ。でもな、今のお前には無理だ」
『……でも…』
何時の間にか無表情になっていた麗の頬を涙が伝った。
『こんなのって無い』
翡翠が黙って麗を抱き締めると、麗は表情を歪め、涙を流しながら翡翠の胸元に顔を埋めた。
『こんなのって……私まだ楓と‥話したい事沢山あった。聞きたい事も…あの子私の事を私よりも……っ…約束だって…約束……約束…一杯あるんだ』
泣きながら話し続ける麗を翡翠は黙って抱き締め続けた。今は何を言ったって麗の心には届かない。
『約束…沢山…あるんだ。楓がいなくてどうするの…?約束…果たせ無いじゃない…約束…翡翠、私……約束を…』
何一つ果たせなかった、何一つ実現しなかった沢山の約束。
肝心な楓が居ないのに…
『約束をどうすれば良い?』
果たせない約束をどうすれば良い?
果たしたかった約束をどうすれば良い?
楓がいないと約束になら無い…
楓がいないと約束は守れ無い…
約束ではナクナッタこれの名は何?
約束を果たせ無い私はどうすれば良い…?
───…主…
頭に響く声は確かに渚の声だった。
この可愛らしい声…間違う筈が無い。
───楓殿に頼まれて主の記憶から楓殿を一部消しました。楓殿は“情けないから”と言っていましたが…私は主に伝えた方が良いと思いましたので、主に御返しします。主、どうか楓殿をお許し下さい…
渇ききった身体に水が染み渡る様に、失った記憶が蘇る。
そうだ…
あの時───…
楓は麗の唇から自分のそれを離すと愛しそうに微笑んだ。
麗にはそれが見え無い。
眠気で目を開ける事も喋る事もままならないからだった。
唯ひたすら楓の声を聞く…
「麗…」
楓が呟く。
月影は大人しく楓の言う事を聞き、口も手も出さなかった。
「俺、麗が好きだ…遠い昔からずっと」
遠い昔?
妖かしである楓が言う遠い昔って…
「だから麗が居ないと困るんだ…
麗が居ない日々を過ごす気は俺には無いから。だから…だから生きて、麗。他人の命を糧にある命なんて、麗は嫌がると思うけど…でも少し我満して俺を麗の命の源にさせて…」
何言ってるの…
止めてよ…
「愛してる、麗」
楓…止めて。御願いだから…
「麗といれて幸せだった。これからも俺を幸せにしてくれ、麗…俺の愛を受け取って」
楓がそっと麗を抱き締めると、楓の身体は光を帯びながら麗に溶け込んでいった。
「愛してる、麗。千五百年待ち続けて良かった」
麗は流れ続ける涙を止める事無く、翡翠に抱き付いたまま何か小さく呟いた。
涙で霞んでもう前が見えない…
命なんか要らない。
唯側に居てほしかった…
それだけが、今も昔も変わらない。私のたった一つの望みだった。
皆で一緒に…
ずっと…ずっと…
だから…
何時もみたいに微笑 って見せて──…
『ッ…ゴホゴホ…ッ!!』
深夜…息が詰りそうになり咳き込んだ麗は、口元を押さえた手を見て目を見開いた。
『時間が…無いという事か…』
手を真っ赤に染めた大量の血…麗は困った様に眉を寄せると、喉元と胸元に手を当て魔法を使う。
少しでも長く保たせなくてはならない…
『帰らな…きゃ、いけないの…に』
息が上手く出来無い。
脂汗でベタつく…気持悪い……
『死ぬ事…は…許され、ないのに』
麗は更に眉間に皺を寄せると、馬鹿にした様に笑った。
嫌だな、全く…自分に腹が立つ。
『アタシだってこんな所で終わる訳にはいかねぇんだ』
死んでたまるか。
ここで、こんな所で止まってる暇は──…
『畜生…こんな下らねぇ所で止まってなんかいられねぇんだ…御願いだから保って…』
こんな事で止まってる時間は…
=迷子の約束=
リリーは薬学の教科書をペラペラ捲り、ブツブツ文句を言いながら麗と二人、廊下を進む。
「全く…スラグホーンはしつこいわね。私達はあの集には興味無いって何度も言ってるのに」
『ホラスはああいう…コレクションが好きだから』
ホラスのそういう所は嫌いじゃないけど…何だろう……苦手だ。
「それより麗は今回結局、誰とホグズミードに行く事にしたの?」
『蒼達と行こうかと思ってる。まだ家族だけで行って無いし』
翡翠達は元からだが、蒼も中々良い性格をしているので、そろそろ拗ね出す頃だ。
「あら、残念。シーラやリザ達と女だけで行こうって話してたのに」
女だけ…とても興味をそそられるけど…
『また今度ね』
「リリー!麗!!」
そう元気な声が廊下に響き振り返ると、両手をブンブン振ったジェームズが皆を連れてこっちへ歩いて来ていた。
珍しくアレンも一緒で、翡翠と何か話している。
「ゲッ…」
ゲッ…って、リリー…貴女、仮にも恋人に向かってゲッて…
麗はジェームズに返す為、片手を上げて軽く手を振った。
『ジェーム…ッ!』
「麗?」
上げた手が重力に従いだらしなく降りたが、そんな事に気を使っていられ無かった。
どうしよう…声が出せない。上がってくる咽せ返る鉄の味はよく知っている。
「ッ、やだ…麗?!」
リリーの顔色が段々真っ青になっていくのが見えた。
リリーに心配掛けてる…そう思ったが、どうしようも出来無かった。膝から崩れ落ちながら喉を掴み、胸元に手を当てる。
『グ……ゴボ…ッ』
生徒達に力の事を気付かれても致し方無い。しかし無永唱ならもしかしたら誤魔化せるかもしれない。そう思って実行した時には遅かった…
ボタボタと溢れる血、支える力さえも失った膝立ちの身体がゆっくりと床に向かって倒れていく。
あぁ…駄目だ…
処置が遅かった。廊下のモノがスローで見える。リリーの顔は更に真っ青になっていた。
偶然居合わせた他の生徒も驚いている。
リリー…驚かせて…
『…御免…ね』
「麗!!」
翡翠の焦った声がするからまだ意識はあるのだろう…床に当たった衝撃が無いから翡翠が受け止めてくれた筈だ。
「麗…おい、麗!!」
翡翠の声が遠くなる中、歪んだ視界の先に、真っ青になりながら私の口から溢れた血を拭いとる翡翠が見えた。
駄目…意識を手放したら翡翠が…ダメ、駄目よ…
駄目……駄…目…
あぁ…私は無力だ──…
『ァ、グ……』
相変わらずここは暗い。
ここは全てが黒いから、周りは何処までも続く、長く高い本棚と本の山…そして大量の鏡。
何で私はここにいるんだろう…
「麗…」
麗は弱々しく呼吸を繰り返しながら目だけを使い、辺りを見回した。
『…月…影……』
名前を呼ばれた月影は、地に横になっている麗の横に座り込むと手を取り、握り締めた。
「済まない…命は…命は治せないんだ…」
月影の哀しそうな顔を見た麗は、握られた手を持てる力を全て使い、握り返し、そして微笑んだ。
しかしその力はとても弱々しく、月影は眉を寄せた。
『大…丈夫……ありが…とう、月影…』
まだ…まだ駄目なのだ。
まだやる事が…
「麗」
月影とは違う低く張りのある落ち着いた声…これも大好きな声だった。
『……楓…』
楓は満足そうに微笑むと、月影とは逆の麗の横に片膝を付いて座り込んだ。
「麗…加減はどうですか?」
麗は苦笑すると、目を閉じた。
力を集中しないと、もう話している事さえ出来無い。
『見て…の通り…力が…制、御出来な……困ったもの、ね……でも…直ぐ、に良くなる筈…いや、治して…みせる、わ』
楓は麗の手を取ると月影と目を合わせた。
「…何だ」
「時間が無い。今からする事に口出しも手出しもするな」
「は?」
意味が分からない…と、眉を寄せる月影を無視した楓は、目を閉じたまま荒い息を繰り返している麗を見据えた。
「麗…」
『ん…』
楓の唇が麗のそれと優しく重なった。
永く…永く…
何かを断ち切り、そして刻む様に…
再び強い眠気に襲われる中、渚の声を聞いた気がした。
何で…渚が──…
楓…
…楓──…
目覚めた先は医務室だった。
視界は見慣れた白で埋め尽くされていた。
麗はふらつく身体をゆっくりと起こした。
「麗!!」
「「「麗?!!」」」
目覚めた麗に一早く気付いた紙園は麗に抱き付くと力一杯抱き締めた。
温かくて心地良い…
『紙園…』
周りには翡翠、蒼、仕掛人達もシーラ、リザ、アレン、リリーもいるし、私の中では騎龍や砕覇達、家族が心配してくれていた。
その中で麗は違和感を感じていた。
何かが足り無い。
何かが私の中から消えている。ある一部が空白になった様な…穴が空いた感覚がする。
そこだけ何かが…
何かが…何が…無い──…
「麗…」
いつもとは違く、生気が無い様な低い声が耳に響いた。
『翡翠……ッ!!』
翡翠と目が合った瞬間、頭を駆け巡った懐かしい記憶に、麗は目を見開いた。
イナイ。
『楓がイナイ』
「麗…?」
紙園は身体を離すと、麗の顔を覗き込んだ。
『楓が居ないの…気を感じ無い…呼び掛けても何時もみたいに返事をしてくれない』
「麗…」
『楓は絶対に応えてくれるのに』
麗は唇を噛み締めると、布団をきつく握り締めた。
『楓が…楓が笑ってクレナイの──…』
何時もなら直ぐに返してくれる。何時もなら“どうした?”って笑いかけてくれるのに…
私が不安な時は真っ先に気付いて声を掛けてくれて…それから姿を現して優しく抱き締めてくれるのに…返事さえしてくれ無い。
「楓はお前の糧になった」
『何故止め無かった!!』
ベッドを蹴って飛び上がった麗から出た衝撃波の様なモノを蒼が盾になり魔法で弾いたが、範囲が及ばなかったリザとシーラ、そして紙園があてられて倒れた。
その事に気付か無いまま、離れた所に立っていた翡翠に飛び付いて胸倉を掴んだ麗の瞳が紅く、髪は銀に染まった。
『何故逝かせた!!』
怒りで何をしているかも良く解ら無くなってきた。
ひたすら翡翠に怒りをぶつける。
『何で…何で!!』
自分に腹が立つ…何故こうなった?
麗の暴走した力が辺りの空気を重くし、壁や床に亀裂が走る。態勢が崩れた翡翠がその場に座り込む様に倒れ、麗も馬乗りに翡翠の上に倒れた。
『答えろ、翡翠!!!』
「…あれが最悪の事態を回避する最善の方法だった」
翡翠の答えを聞いた麗は、馬鹿にした様に笑った後、翡翠の胸倉を掴む手に力を込めた。
『最善…これが?楓を犠牲にするのがお前の最善か!!』
「“俺達”の最善だ!!!」
『何が俺達の最善だ!!犠牲の上に立つもの等無い!』
何で…
何で…何で……
何でこれが最善なの?
こんなの最悪でしか無い。
「俺達家族の最悪はお前が…麗が死ぬ事だ」
『そんな事…』
私の最悪だって家族を失う事だ。
楓がこんな事をしなくても私は…
「あのままではお前は死んでいた」
そう翡翠に言われ、麗は表情を歪めた。
『な…』
「お前を護る為には…誰かがお前の糧になるしか無かった」
『そんな…そんな事無い!自分で、自分で治せた!!』
今までずっとそうしてきた。ずっと、ずっと…
なのに今出来無いだなんて…肝心な時に出来無いだなんて信じたく無い。
私は出来た。
そうすれば楓は…楓は…
『私は』
「麗!!!」
そう翡翠が叫んだ瞬間、左頬に痛みが走った。直ぐに翡翠に叩かれたんだと分かった。
『何を…』
「お前には暴走した膨大な力を制御する気力も体力も残って無かっただろ!!あのままだったらお前は力に喰われて…死ぬ所か消滅してた」
『……』
そう…
本当は何も残っていなかった。
無理して呼吸を保って、無理して笑って見せて、無理して身体中から溢れる力という力全てを最小限に抑え続けた。
『でも…』
「お前は確かに強い。でもな、それが仇になってるのも理解してるだろ」
『…でも』
「お前は良くやってたよ。でもな、今のお前には無理だ」
『……でも…』
何時の間にか無表情になっていた麗の頬を涙が伝った。
『こんなのって無い』
翡翠が黙って麗を抱き締めると、麗は表情を歪め、涙を流しながら翡翠の胸元に顔を埋めた。
『こんなのって……私まだ楓と‥話したい事沢山あった。聞きたい事も…あの子私の事を私よりも……っ…約束だって…約束……約束…一杯あるんだ』
泣きながら話し続ける麗を翡翠は黙って抱き締め続けた。今は何を言ったって麗の心には届かない。
『約束…沢山…あるんだ。楓がいなくてどうするの…?約束…果たせ無いじゃない…約束…翡翠、私……約束を…』
何一つ果たせなかった、何一つ実現しなかった沢山の約束。
肝心な楓が居ないのに…
『約束をどうすれば良い?』
果たせない約束をどうすれば良い?
果たしたかった約束をどうすれば良い?
楓がいないと約束になら無い…
楓がいないと約束は守れ無い…
約束ではナクナッタこれの名は何?
約束を果たせ無い私はどうすれば良い…?
───…主…
頭に響く声は確かに渚の声だった。
この可愛らしい声…間違う筈が無い。
───楓殿に頼まれて主の記憶から楓殿を一部消しました。楓殿は“情けないから”と言っていましたが…私は主に伝えた方が良いと思いましたので、主に御返しします。主、どうか楓殿をお許し下さい…
渇ききった身体に水が染み渡る様に、失った記憶が蘇る。
そうだ…
あの時───…
楓は麗の唇から自分のそれを離すと愛しそうに微笑んだ。
麗にはそれが見え無い。
眠気で目を開ける事も喋る事もままならないからだった。
唯ひたすら楓の声を聞く…
「麗…」
楓が呟く。
月影は大人しく楓の言う事を聞き、口も手も出さなかった。
「俺、麗が好きだ…遠い昔からずっと」
遠い昔?
妖かしである楓が言う遠い昔って…
「だから麗が居ないと困るんだ…
麗が居ない日々を過ごす気は俺には無いから。だから…だから生きて、麗。他人の命を糧にある命なんて、麗は嫌がると思うけど…でも少し我満して俺を麗の命の源にさせて…」
何言ってるの…
止めてよ…
「愛してる、麗」
楓…止めて。御願いだから…
「麗といれて幸せだった。これからも俺を幸せにしてくれ、麗…俺の愛を受け取って」
楓がそっと麗を抱き締めると、楓の身体は光を帯びながら麗に溶け込んでいった。
「愛してる、麗。千五百年待ち続けて良かった」
麗は流れ続ける涙を止める事無く、翡翠に抱き付いたまま何か小さく呟いた。
涙で霞んでもう前が見えない…
命なんか要らない。
唯側に居てほしかった…
それだけが、今も昔も変わらない。私のたった一つの望みだった。
皆で一緒に…
ずっと…ずっと…
だから…
何時もみたいに