過去拍手その②
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『ねぇ…………私が幽霊だって言ったら、貴方は驚く?』
私の目の前に立つ彼女は、唐突にそう言って悲しそうに笑った。
『別に、信じてくれても信じてくれなくてもいいんだけどね』
風が吹いてきて、彼女の綺麗な髪がゆらゆらと揺れる。
少しだけ細められた目。
吸い込まれてしまいそうな不思議な色を湛えたその瞳に私の姿は映っていなかった。
「…………信じますよ」
そう言うと、彼女はほんの少し目を見開いた。
ようやく彼女の瞳に私が映る。
『そう、コナツさんって意外に物好きなのね』
彼女はくすりと笑った。
確かに、普通はそんな事を言われて、はいそうですかと信じる人はいないだろう。
だけど、私はその言葉をーー自分でも驚くくらいーーすんなりと受け入れることができた。
出会った時から、彼女の纏う空気というか、雰囲気というか、そういったものが普通の人とは違うと感じていたから。
達観しているようにも、全てをただ傍観しているようにも見える彼女は、まるで私達とは別の世界で生きているようだった。
きっと、幽霊でなくても、神とか天使だと言われていても信じていただろう。
だけど、儚くて、脆そうで、触れたらすぐに消えてしまいそうな彼女を見ていると、幽霊というのがぴったりだと感じた。
そして、その危うい美しさに、私はたぶん惹かれている。
『貴方は現実主義者(リアリスト)だと思っていたのだけれど、実は空想好きなのかしら?』
「……たぶん、現実主義者で合ってます」
『あら、ならどうして?』
「………………貴女だから、でしょうか」
私がそう言うと、彼女は面白い事を言うのね、と言って鈴の音のような笑い声を上げる。
…………正直、今の台詞を言うのには多少……いや、結構な勇気を必要としたというのに。
複雑な私の心境などまるで知らない彼女はまだ笑い続けている。
「そんなに笑わなくても……」
ふて腐れたように言うと、彼女はようやく笑うのを止めた。
『ごめんなさいね。まさかコナツさんの口からそんな面白い言葉が出て来るとは思っていなかったものだから』
空を見上げて、彼女はそんな事を口にする。
彼女は私をどんな人間だと思っているのか……。
少しだけ想像を巡らして、何だか空しくなってきたのですぐに考えるのを止めた。
きっと、彼女は私の事も《大勢の人間》の中の一人くらいにしか思っていないのだろう。
こうして話しているのが私ではなくても、彼女は全く同じように喋り、笑い、空を見上げるのだろう。
彼女はたぶん、そういう人だから。
私は、彼女の“特別”にはなり得ないのだろう。
彼女にとって、全ては等しく価値の無い物なのだから。
この会話だって、きっとただの暇潰し。
ただ退屈さえ紛らわすことが出来れば、相手は私でなくたって構わないのだ……。
『ねぇ、』
急に、彼女は何か思い詰めたように呟く。
『貴方は……また、ここに来てくれる…?』
躊躇いがちに発せられた言葉。
何故彼女はこんな事を訊くのだろう……。
今までにこんな事を言われたことは無かったから、少し不思議に思った。
そして、初めて見る彼女の寂しそうな瞳に気付いて、私は息を呑む。
「……もちろんですよ」
私にはそれしか言えなかった。
でも彼女はその返答を気に入ってくれたらしい。
『そう』
短い言葉だけだったが、嬉しげな笑顔が垣間見えた。
彼女の笑った顔を見ると、私も嬉しくなる。
そんな自分はもう末期なのだろうか、なんて思って、彼女には見えないように自嘲した。
♪〜♪〜
静かな空間に、突然場違いな機械音が鳴り響く。
私がその音に驚いたのと同じように、彼女も少し目を丸くしていた。
一瞬遅れて、その音が自分の携帯電話から鳴っていることに気付く。
すみません、と彼女に謝罪して、少し離れた場所に置いてある自分の荷物から携帯を取り出す。
ディスプレイに表示されている発信者の名前を見て若干顔を顰めたが、無視するわけにもいかず、嫌々ながら通話ボタンを押した。
《もっしもーし?》
電話の向こうから聞こえてくる憎たらしいほど能天気な声に更に顔を顰める。
「……何の用ですか、少佐」
《あっれー?どうしたのぉ?怒ってる?》
「別に」
《そう?……ま、いっか。何かね、急に仕事が来たらしいからすぐに集合だってさ。酷いよねー、せっかく今日の午後は休みだったのにぃ…》
「……そう、ですか。すぐに向かいます」
《ゴメンねー》
「いえ、大丈夫です。それでは失礼します」
ブチ、と通話終了ボタンを押して携帯を閉じる。
正直に言うと、少佐の“せっかく休みだったのに”云々には激しく同意したい。
だが、一介の軍人である自分に拒否権は無いのだ。
「すみません……急用が入ってしまって…。今日はこれで帰らないと……」
かなり不本意ではあるが、彼女に別れを告げる。
『そう。……コナツさんも大変ね』
苦笑する彼女にまた今度、と挨拶をしてその場所を後にした。
数歩歩いて振り返った時、彼女が私に手を振ってくれていたのが、小さなことではあるが妙に嬉しかった。
* * *
あれから数週間が過ぎた頃のこと。
また私はこの場所へ足を運んでいた。
またというよりは、暇さえあればいつでも、なのだが。
そこは、この地区の片隅にある、洒落た造りの小さな無人教会。
その裏の、海の見える小高い丘の上。
色とりどりの小さな花が咲き乱れるその場所には、古びた金属製のベンチがあって。
彼女はいつもそこに居た。
ただ、いつもと違うのは私の心境。
今日、私は彼女に、自分の想いを伝えようとしていた。
心臓の鼓動の音がやけに煩い。
緊張する。
握り締めた手の平がジットリ湿っているのが分かる。
体中が熱っぽい。
ーーだけど、今日こそは。
決意を新たにするように頷いて、私はその場所へ足を踏み入れた。
「……こんにちは、」
『あら、こんにちは。二日振りね』
彼女の背後から声を掛けた。
すると、彼女も微笑みながらこんにちはと返してくれる。
いつもと同じ。
普段ならこのままずっと、時間の許す限り他愛もない会話をして、別れる。
ーーだけど、今日は…。
『……どうかしたの?何だか変よ?』
私の様子が普段と違うのに気付いたのか、彼女はベンチから立ち上がって、不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
彼女の髪が柔らかい風に吹かれてふわりとなびく。
「あ、あの…っ、」
彼女の瞳が私を捉える。
出そうとする言葉が、あと少しの所で止まってしまって。
心臓がバクバク言っている。
顔が熱い。
こんなに熱いのだから、私の顔は赤くなっているかも知れない。
……ああ、情けない。
こんな姿を見せるつもりではなかったのに。
彼女はまだ私を見つめている。
だけど、私の方は緊張で言葉が詰まって出て来ない。
私の心情も知らずに首を傾げる彼女に、完全にペースを乱されている。
このままの状態では本題に入れそうもなくて。
それを打開するため、私は目の前に立つ彼女の腕を引いて、その華奢な身体をぎゅうっと抱きしめた。
ひゃぁ、と驚いたような声が彼女から漏れた。
でも今は、そんな事は気にしていられない。
「……私は……貴女のことが、好きです」
ようやく絞り出せた言葉。
少しかすれて、震えていたような気もするけれど。
「貴女のことを、愛してます」
ちゃんと彼女に届くように。
一つ一つの言葉を噛み締めるようにして。
『…………嬉しい』
小さな声が、聞こえた。
少しだけ腕の力を緩めると、自分より少し背の小さい彼女が私を見上げて微笑んでいた。
『ありがとう、私も…………私も、コナツさんが好き』
彼女も頬が仄かに紅くなっている。
その姿に、彼女の言葉に、胸が高鳴った。
玉砕という結果も覚悟していたし、そうなる可能性は高いと思っていたから、内心少し驚いていた。
でも、それ以上に嬉しかった。
『……私、今とても幸せよ。こんな気分は初めてだわ。胸がすごく暖かくて……満たされてる……』
そう言って私の胸に頬を寄せた彼女の声は、本当に幸せそうだった。
私の心まで暖かくしてくれる。
今という瞬間がいつまでも続けばいいとさえ思ってしまうほどに、満ち足りた時間。
しかし、それは小さな違和感によって呆気なく終わりを告げた。
私はそれに気付いてしまった。
……彼女の指先が、僅かに透けていた。
まるで空気に溶けるように。
そしてその時、私は悟ってしまったのだ。
私が犯した失態を。それが導く結末を。
『本当に……ありがとう』
「ま、待ってください!!まだ…っ!!」
彼女の身体を抱き締めるのを一旦止めて、彼女の両手をぎゅうっと力強く握る。
そうすれば、これを止められるのではないかと思った。少なくとも、時間くらいは稼げるのではないかと。
だけどそれは、穴が開いた袋から漏れ出る水を必死に手で押さえて止めようとするような、空しい努力でしかない。
ーーまだ、貴女と一緒に居たいのに。
その想いとは裏腹に、彼女の身体は徐々に空気に侵食されていく。
『……そんな悲しそうな顔をしないで』
彼女が言う。
『私は、貴方に逢えて良かったわ。本当はもっと、ずっと貴方と一緒に居たいの。でも……もう時間みたい』
ーー嫌だ。
そんな言葉は聞きたくないのに。
『……私をこの世に縛り付けていた未練が消えてしまえば、私はもうここには留まっていられないの』
そう言って、彼女は少し切なそうに微笑んだ。
『だから、もしも……もしも私が生まれ変わったら……また、私と出会ってくれないかしら?』
控えめな言葉。
不安げな瞳が私を映す。
ーー私の答えは決まっている。
「もちろん、です…!」
もし本当に、彼女がまたこの世に生まれるなら。
また彼女と出逢えるなら。
きっと私は必死になって探し求めるだろう。
たとえ世界がどれほど広くても、
「絶対……また貴女に会いに行きますから…っ!!」
『ええ、ありがとう……』
ーーああ、なんて綺麗なんだろう。
彼女の心底嬉しそうな笑顔。徐々に透き通っていくその身体。私を見つめる双眸。
もうほとんど失くなりそうな彼女のしなやかな手が、ゆっくりと私の頬に触れる。
その手に温度は無かったけれど、太陽の光のような不思議な温かさがあった。
私も、そっと彼女の身体を抱き寄せて。
どちらともなく、口づけを交わした。
ーーまたね。
そんな言葉が、耳のすぐ横で響いた気がした。
目を開いた時には、既に彼女の姿は無かった。
心地好い風が吹いてきて、白い花弁が辺りを舞う。
遠くから聞こえてくるのは微かな潮騒の音。
ひとりきりになった丘の上で。
私は、ただ空を見上げていた。
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