毒を食らわば皿まで
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※「毒も過ぎれば」の続き
ドサリと音を立てて崩れ落ちた体躯を、無感動に見下ろしていた。
巻き込まれて倒れた椅子が半端に引っ掛かってカタカタと揺れ動くのを暫く眺めてからそれを起こして、ふぅ、と息を吐く。
掌の小瓶には、液体がまだ半分くらい残っていた。
ここまで来るのに随分と長い時間を浪費してしまった。
師匠は私が得たかった知識をなかなか教えてはくれなかった。
ずっとそれがもどかしくて、安易でおざなりで短絡的な計画とは言え思い通りに進まないことに幾度となく苛立ちを覚えていたはずだったのに。
師匠の工房で様々なことを教わる日々が、手放し難い思い出になっていくのを感じていた。
与えられた知識の一つ一つが私の薄暗い世界を彩って、得られた経験の一つ一つが私の狭小な世界を広げてくれた。
時には工房の爆発に巻き込まれたり、薬草採取のために山中に放り出されて遭難しかけたり、謎の薬の実験台にされたり、意地悪な師匠に散々振り回され──……いけない、これではまるで悪い思い出ばかりみたいだ。
まあ、そういう大変なことも色々ありはしたけれど、それでも私は師匠と過ごす時間が好きだった。
愉しそうに知識を語る姿も、低く落ち着いた声も、真剣に薬を調合する眼差しも、頭を撫でる手も、いつの間にか好きになっていた。
だから、そんなものが無かったなら、もっと躊躇無くこの半分を飲めたはずなのに。
どうしようもない後悔を抱きながら、ゆっくりと小瓶を傾けた。
『ッ、痛っ…!?』
唇に触れる一歩手前というところで、私はビクリと身を縮め上げた反動で小瓶を取り落とした。
つい今し方までそれを持っていた指周りの皮が、火傷をしたように突っ張ってヒリヒリと痛む。
中身を溢しては大変だと慌てて床に転がった瓶を拾おうと膝をつくと、その表面には霜が降り中の液体は傾いたまま凍りついていた。
「俺は弟子を手放す気などないぞ」
『え……師匠…!?』
どうしてここに、とか、これは師匠がやったの、とか、見られてしまった、とか。
想定外の闖入者の登場に、一瞬のうちに色々な思考が押し寄せてきて二の句が告げられなくなる。
固まってしまった私を見下ろしながらカツカツとブーツを鳴らして歩んできた師匠は、腕を伸ばした先に転がったままだった小瓶をひょいと掠め取っていった。
あ、と意味を持たない声が漏れる。
行き先を失った腕を少しだけ引っ込めて、小瓶を追いかけて師匠に視線を送る。
瓶の中の毒薬を値踏みするように見つめ、倒れた男にも一瞥を投げた後。
「ちゃんと出来ているではないか。修行の成果だな」
彼はそう言って、私の頭を柔らかく撫でた。
投げ付けられるだろうと思っていた言葉とは全く違うものが降ってきて、ただただ目を丸くする。
どうして、そんな言葉をかけられる資格なんてないのに、こんなことをしでかして、こんなことのために彼に取り入って、利用して、下手をしたら私の罪が飛び火してしまうかもしれないのに、私は。
『わたし、は……』
「お前はお前の世界に抗った。そういう奴は嫌いじゃない」
ニタリと笑みを深くする師匠に、今まで押し殺していたものが溢れそうになる。
師匠はどこまで知っているのだろう。
全部、知っていたのだろうか、最初から。
理解してくれているのだろうか、私が生きてきた世界を。
許容してくれるのだろうか、私の行いを。
「大体、ヴィータを一人殺した程度で何をそう気に病む必要があるというのだ」
まるで何でもないことのような口振りで笑い飛ばされては敵わない。
師匠が言うと本当にそうかもしれないような気持ちなってしまうから、とても困ってしまう。
「だが──」
声を出しあぐねている私のことなど意に介さずに、彼はまた言葉を繋げた。
こちらに伸びてきた指先に顎を掬い上げられ、師匠の夜空のような瞳と目が合わされる。
「どうせ捨てる命なら、俺が有効に使ってやろう。これからも俺の手足となって働くといい…………親殺しの罪人として自警団に連行されたくなければな」
拒否する選択肢などありはしないとその眼差しが暗に語っているかのよう。
その瞳に、私はとうの昔に魅入られている。
『…………はい』
悪魔の囁きに、掠れた声で頷いた。
帰るぞ、と言うと師匠は呆けたままだった私の腕を掴んで歩き出した。
大きなとんがり帽子から垂れたクリスタルがきらきらと揺れている。
そのままどれほど進んだだろうか。
幾らか時間が経った頃、思い出したように振り返ると、もう父親だった男も私の生家も見えなくなっていた。
「やれやれ、こんな手荒な手段を取るつもりでは無かったのだがな。それもこれもアリスのせいだ」
『……えっと、何か理不尽なこと言ってます?』
「まあ良い。俺はこれからヴァイガルドを滅ぼされねばならんのだ。今後はアリスも共犯というわけだな。やることは山程あるぞ」
『突然意味不明なこと言い出さないでください師匠』
「この程度で満足しているようではお前は小物のままだ。俺がもっと美しい滅びを見せてやるから楽しみにしているといい」
ハッハッハッハ、と酷く上機嫌に笑う師匠とはどうにも会話が噛み合っていない。
でも、師匠が楽しそうだからいいか、なんて思ってしまうのもまた惚れた弱みというものなのだろう。
全てが終わって空っぽになった頭で新しい始まりを受け入れるのは、存外簡単なことだった。
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