毒も過ぎれば
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私は魔術師見習いである。
師匠に師事し、様々な研究や薬の調合などを手伝いながら魔術の知識を学んでいる。
今も熱心に多種多様な薬品や素材を調合しているその師匠はデカラビアと言い、私と然程年齢は変わらないはずなのに何処か超然とした不思議な雰囲気を持つ青年だった。
魔術師としての腕は確かなので彼を師匠と仰ぐことに抵抗は無いのだけれど、人格に問題が無いかと言われると弟子としては大変返答に困ってしまったりする。
そんな師匠が、完成だ、と一言呟いて液体の攪拌を終えた。
この世のものとは思えない色の薬品が入ったガラス製の容器を持ち上げて、おもむろにこちらへ掲げて見せてくる。
「アリス、これを飲みたまえ」
『師匠……あの、いつにも増してヤバい色してませんかね……』
「なぁに、気にするな」
『気になりますよ!?』
私がそう叫んでも師匠はまるで意に介する様子は無い。
それどころか、クックック、と喉を鳴らして楽しげにこちらを見ている。
おそらくこの人は弟子のことをちょっと頭が良くてお手伝いもできる便利なモルモット程度にしか思っていないのだ。
『今日という今日は絶対嫌ですからね!?そもそも飲んだらどうなるんですかこれ…!!』
「それは秘密だ。効能を言ってしまったのでは興が削がれる」
『師匠の興とかどうでもいいんですよ私の生死が懸かってるんです』
「やれやれ…。安心するといい、これはおまえの生命活動に悪影響を及ぼすようなものではない」
『でもどう見ても悪影響の塊みたいな色してるじゃないですかあ…』
「色など些末なことだろう。いいから飲め」
『飲みませんってば!!』
そんなこんなで、こちらににじり寄ってくる師匠から研究室中を逃げ回ること数分。
机や椅子を利用して必死に距離を置き続けていると、とうとう師匠は立ち止まって溜息を吐いた。
ようやく諦めてくれたか、と安堵しかけた刹那。
「全く、おまえが自発的に飲んでくれれば楽に済んだのだがな……。仕方ない、拘束して直接静脈に注射するとしようか……」
『えっ』
「俺は医者ではないから注射には慣れていないが、まあ何とかなるだろう。ああそうだ、他にも人体実験をしておきたい薬が三つほどあったか……折角の機会だ、ついでにあれらも試してみよう」
悪魔然とした邪悪な笑みを浮かべた師匠と目が合う。
「まあ、当初の予定通りアリスが素直に飲んでくれるなら、これ一つだけで許してやるが?」
片手に持ったビーカーを軽く揺らして示しながら師匠が言う。
今日という今日はモルモットにはならないと宣言したにも関わらず、結局私は毎度の如くこうして師匠の脅迫に屈してしまうのだった。
こうやって毒薬を飲ませてヴィータの一人や二人大地に還していてもおかしくない。
今のところは、私が飲まされた薬は彼が事前に言っていた通りどれも結果的には人体に無害なものだったけれど、そうやって油断させておいて今回こそは毒薬かもしれないのだ。
それを幾つも飲まされるなんて、あまつさえ注射されるだなんて死んでも嫌だ。
死ぬならせめて大願を全うしてから死にたい。
一つ飲むのだって本当は嫌だけど、背に腹は代えられない。
ニヤニヤという擬音がよく似合う表情と共に差し出されたそれを恐る恐る受け取り、意を決して薬をぐいっと飲んだ。
……不思議なことに、毒々しい見た目とは裏腹にただの水のように無味無臭だ。
その意外性に私は目をぱちくりとさせる。
「クックック……良い子だ」
空になった容器を眺めていると、そんな声と共に頭を撫でられる感覚がした。
師匠は褒める時はこうして褒めてくれる人だ。
普段──例えば調合が上手くいった際にそうしてもらった時はとても嬉しいし、やる気も何倍にもなるというものだが、今は正直それどころではない。
両手を動かしてみたり、脈を確認してみたり、知覚できる異常がないか意識を巡らせてみる。
一応まだ死んではいないようだ。
「それで、どうだ。何か変化は?」
『…………いえ、特には』
「俺のことをどう思う?」
『どうって…………いつも通りの師匠だと』
「チッ、また失敗か」
返答を聞くと途端に師匠は露骨に不機嫌な顔になった。
えぇ……と困惑する弟子を他所に、やり直しだやり直し、と呟きながら席を立って歩き出してしまった。
追いかけて問い詰める気力も無く、私は部屋を出て行く師匠の背中を無言で見送った。
あの邪悪さやら傲岸さやらを隠さない振る舞いはどうにかならないのかなぁ、なんて思いながら溜息を吐く。
でも、そんなところにさえどこか惹かれてしまうのは、惚れた弱みというものなのだろうか。
ああまったく、私はただほんの少しの知識と力が欲しかっただけなのに、こんなことになるとは想定外だった。
想定外、だったのだ。
それにしても。
『一体何の薬なんだろうなぁ』
幾度も試作を繰り返しているそれは、おそらく師匠にとってはそれなりに価値のあるものになるはずなのだろう。
以前訊いた時にも適当にはぐらかして教えてくれなかったので、どうせ人には言えないようなろくでもないものには違いないけれど。
それでもどうにも気になるので、私は静かになった部屋で一人、空っぽになったビーカーを見つめて首を捻った。
* * *
「ハァ……」
「どうしたんだ?デカラビアが溜息ついてるなんて珍しいな」
「ん?……ああ、ソロモンか」
軍団“メギド72”のアジトの広間は、この時間帯にしては珍しく人気がほとんど無かった。
年長組は昨晩の酒盛りで大半が酔い潰れたらしく個々人の部屋に引き篭っており、年少組は外から僅かな喧騒が響いてくる通り中庭に出て遊び回っているらしい。
そんな中、珍しく広間のソファーに座り、これまた珍しく物憂げに俯いていたデカラビアに、ソロモンは声を掛けたのだった。
「実は、俺としたことがどうにも上手く行かないことがあってな」
そう言って、デカラビアは掌に収めていた何やら毒々しい色を放つ怪しげな液体の入った小瓶を掲げて見せる。
ソロモンは反射的に顔を引き攣らせた。
「それ、今度は一体何を作ったんだ…」
「そうだな、おまえには教えてやっても良いだろう。これは服用者の脳神経系に作用して脳内物質のバランスを操作することによってある特定の感情を植え付ける薬……有り体に言えば、惚れ薬だ」
「惚れ薬!?!?!?」
「改良を重ねては弟子に飲ませているのだが全く効かん。困ったものだ」
ハァ、と再び溜息を零すデカラビアとは対照的にソロモンは随分と動揺した様子だ。
「弟子にそんなもの飲ませるなよ!?」
「何故だ」
「だって、大変なことになるだろそれ!?もしその惚れ薬ってやつが完成したら、弟子がお前に惚れちゃうかもしれないんだぞ!?」
「そのために作っているのだが」
「えっ」
今度は目を丸くして固まった。
感情表現が忙しないやつだな、と内心デカラビアは思う。
「そ、それは……えっ……うーん……でもそういうのって、薬の力に頼るのはどうかと思うっていうか……。もっと、ちゃんと言葉とか態度とか気持ちとか、そういうもので勝負したほうが良い……と、思う…」
真っ当な意見で諭そうとするあたり、デカラビアとは違い彼は善性に満ち溢れた少年であった。
不器用さを滲ませつつも真面目に説得する彼に、デカラビアは適当な相槌を打ちながらも一応はきちんと耳を傾けている。
「だけど、デカラビアがそんなことしてるのって何か意外だな。方法はともかく、俺は応援するからな…!」
「ほう、それは有難いことだ」
純粋に仲間の背中を押そうとするソロモンと何処か邪悪な笑みを浮かべるデカラビアの間には傍から見れば温度差が感じられそうではあったが、彼らは互いにそれには言及せずその協力関係に頷いた。
薄暗い実験室の中、デカラビアは並べた試薬を御機嫌な様子で眺めていた。
頭の中で調合のレシピを組み立てながら、一方ではそれを飲むことになるヴィータのことを思い描く。
門限だの何だのといつもあれこれ理由を付けて早々に帰ってしまう少女は既にこの部屋にはいない。
「クックックッ……。この俺がわざわざ弟子として傍に置いているのだ、手放すなど有り得ない」
小瓶を一本手に取って蝋燭灯りに翳すと、歪んだ光が中でゆらゆらと揺れた。
「これも全ては来るべき日のための下準備……。いずれ必ずお前の全てを手に入れてやろう、アリス」
そう呟き、デカラビアはまた喉を鳴らして笑う。
その口元はそれはそれは愉しそうに弧を描いていた。
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