月灯りに消える
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幼い頃から何度か鬼に狙われた。
運の良いことに、その度に鬼を狩る剣士達に寸手のところで命を救われた。
剣士が言うには、私の血肉は鬼にとっては大層貴重で美味なものらしい。
すなわち、生きている限りいずれまた私を喰らおうとする鬼に襲われる。
それがやって来るのをただ怯えて待ち、鬼に襲われ生死の境に立たされては誰かに助けてもらう……なんていうことを繰り返しているわけにはいかなかった。
私には自分の身を守るための力が必要だったのだ。
師匠に出会い、剣を習い、選別を受けて、私も鬼狩り達の集団──鬼殺隊に入った。
そして始まったのは、人々を喰い殺さんとする鬼と戦う任務に明け暮れる日々。
そんな中のある夜のこと。
月の綺麗な夜のことだった。
『……い、や…………死にたく、ない……』
地面に投げ出された身体に鞭を打ち必死に起き上がろうともがく。
致命傷にこそ達していないものの深く負ってしまった幾つもの傷と、連戦の疲労。
とどめは先程地面に叩き付けられた衝撃。
こんなはずではなかった。
手強い鬼が棲み着いていると聞かされ、数人の隊員と共に討伐に来た。
多少の苦戦はしたものの、私達はその鬼を倒したのだ。
そこまではいつもと変わらない任務だった。
──更なる鬼が現れるまでは。
苦戦した鬼よりも数段も強かったその鬼との戦闘で即席の部隊は壊滅した。
ただ一人生き残った私は命からがら奴の目の届かない所まで逃げおおせ、張り詰めた緊張の糸が解けた頃にがくりと膝から地面へ崩れ落ちた。
そのまま意識まで手放してしまいそうになった時、一つの足音が聞こえた。
かろうじて視線を上げると、這い蹲った私を冷たい瞳で見下す洋装の男。
──先程戦ったのとはまた別の鬼だ。
ああ、なんという不運だろう。
通りかかったのが普通の人間だったらよかったのに。
鬼と出会ったからには、それもこんな満身創痍の状態で遭遇してしまったからにはきっと殺される。
まだ死にたくはない。
こんなところで、こんな形で惨めに死にたくはない。
あの喉元を掻き斬れば、逃げ延びることが、勝つことが…………生き残ることができるのに。
普段は身体の一部のように扱っていた刀すらも、今は鉛のように重くて持ち上げられない。
『……どうして、こうなるの…………稀血なんかに生まれたくなかった……何度も、殺されかけて…………生き残るために、戦う術を得て、鬼殺隊に入ったのに…………余計に鬼と戦わされるようになって……挙句の果てが、こんな、なんて…………』
口から出てくるのはそんな恨み言ばかり。
鬼殺隊の者達は皆誇りや信念を持って戦っていた。
誰かを守るために戦っていた。
先程も、仲間の一人が私を庇って倒れていった。
それに比べて、私はこの期に及んでも尚、自分のことばかりで。
ああ、なんて醜いのだろう。
けれども、そんな彼等も今はもういない。
脈や呼吸を確かめるまでもなく、先程まで共に戦っていた仲間達は既に事切れていることが見て取れるような惨状だった。
「──生きたいか?」
男が不意に口を開いた。
低い声が、脳髄に響く。
紅く朱く、夜の闇に煌々と映えるその瞳に魅入られる。
片手で首筋を掴まれ、起き上がることすらままならなかった身体が易々と持ち上げられた。
爪先まで宙に浮き、掌から滑り落ちた刀が音を立てて地面に転がる。
苦しい。
鬼の握力と自らの重みで気道が塞がれ、呼吸すらもままならない。
「死にたくはないのだろう?」
問われ、ただ無心に頷いた。
こんな状態で頷くという行為ができていたのかは分からない。
けれども、私の意思は伝わったらしい。
「ならば私を受け入れるがいい」
首に掛けられた手に力が篭る。
鋭い爪の先がつぷりと肌を突き刺して、灼けるような痛みが身体の芯まで染み込んでくる。
『……ぅ……あ゛…ぁ…………っ』
得体の知れない何かが流れ込んでくる感覚がする。
まるで自分が自分でなくなっていくかのよう。
耐え難い苦痛にただひたすらに身悶えする。
見開いた目の先には、綺麗な満月が煌々と輝いていた。
『鬼に怯えて生きる暮らしが終わったのは良いけれど、今度は日の光と鬼殺隊に怯えながら生きないといけないなんて……人生っていうのは皮肉なものですね』
足元の石ころを蹴飛ばしながら呟いた。
五体満足で不調など何一つ無い。
健康そのもの、元気そのものの身体を興味深く動かして回る。
「人間などに殺されないよう強くなれば良い。人を喰らって、強く」
傍らに立っている男、鬼舞辻無惨が私の言葉に応える。
何か興味深いことでもあるのか、彼は先程からこちらにじっとりと視線を向けていた。
まあ、良くも悪くも奇異の目には慣れている。
あの子は災いを呼ぶ忌子だと、幼い頃によく言われていた。
『今までだって鬼に殺されないよう強くなろうとしていたのだから、笑えるくらい変わり映えがしませんね』
そう返して、言葉通りに自嘲する。
「……お前のように人間だった頃のことを饒舌に話す鬼は珍しい。もしかすると、いずれは強い鬼になるかもしれないな」
『そうなのですか』
鬼の将来性とか、何が普通で何が珍しいかなど私にはよく分からない。
それなりの数の鬼を殺してきたけれど、対峙した相手の能力や戦闘力以外のことを知るような機会は無かったし、興味も関心も無かった。
私はただ、私が生き残ることだけで精一杯だった。
「お前が私の役に立つ限りは、配下として使ってやろう」
その言葉でようやく、纏わりつく視線は私を値踏みしているのだと気付く。
鬼舞辻の血を与えられた時から既に、──否、ある意味では彼と出会うよりずっと前から、私の命は彼の掌の上だったのだ。
「ただし、間違っても私に逆らおうなどとは考えるな。私に刃を向けることは許さない」
凍てつく視線に、心の奥深くまで突き刺される。
重く絡み付く言葉はまるで呪いのよう。
『言われずともそんなことはしませんよ。私だって、死にたくはありませんから』
「……それで良い」
そう言ったのを最後に、鬼舞辻は踵を返して歩き出した。
その場に放置された私は、一瞬の逡巡の後、彼を追って駆け出した。
今の私には帰る場所も行く宛もなく、あまつさえ人ですらなくなってしまったのだ。
ならば、彼に付き従うより他に無い。
どんな形であれ私は今も生きているのだから、やるべきことは本質的には変わらない。
いつか誰かに殺されるその時まで、ただひたすらにこの生にしがみつくだけだ。
だって私は、ただそれだけで生きてきたのだから。
月灯りのせいだろうか。
暗く静かな闇夜の世界は、いつもより色鮮やかに見えた。
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