誰が為の世界
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※アニメ71話後
彼との出会いはある日突然に訪れた。
初対面の時に告げられた言葉は、若干の恣意的解釈も混ぜつつ要約すれば「悪の組織に命を狙われているので匿ってほしい」といったものだった。
閉鎖されたリンクヴレインズの代替として活気を見せていたとあるVRゲームフィールドの片隅で唐突に降って湧いたそれは、創作物の好きな人間からすればついつい二つ返事で引き受けてしまいそうな何とも形容しがたい魅力のあるシチュエーションではあった。
そうでなくても、面倒なことに私は困っている人が居るとなれば出来る限り助けてあげたいと思ってしまうような人間だ。
にもかかわらず当初の私が彼の要求を聞いて首を横に振ったのは、人付き合いというものを嫌っていたからである。
キッパリと断ったのだから、そんな薄情な人間ではなく他のプレイヤーに当たれば良いものを、彼はあろうことか私の説得を開始した。
そして私も、あろうことか説得の末に彼の要請を受け入れたのだった。
理由は至極単純。
人間関係の拒絶のために断ろうとしていたが、彼は“人間”ではなかったのだ。
説得の材料として、彼は幾つかのことを語ってくれた。
彼が私や他のプレイヤー達のような中の人が存在するアバターではなく人の手によって作られたAIであること。
彼等の存在を危険視した人間が彼等を消去しようと躍起になっていること。
そして、彼が協力者として声を掛ける上での選定基準となるAIへの敵対的思想の有無やネットワークスキルの優劣などの情報をあらゆるプレイヤーに対して調べていった結果、私の適性が最も高かったことなど。
今思うと初対面の人間にそこまで暴露するなどあまり彼らしい行動ではなかった気がする。
しかし断る理由も無くなり、そしてAIだという彼の存在に若干の興味を抱いてしまった私は彼をAI殲滅派の人間達から匿うことを了承したのだから、その行動はこの上ない正解だったのだろう。
思い返せばあれはまだ旧リンクヴレインズが崩壊して間もない頃のことだったから、それから既にそれなりの月日が流れていた。
* * *
『……私、こんな所に居て良いのかな…』
「どうした、アリス。聞き捨てならない言葉が聞こえたが」
『ひか──……ライトニング、聞いてたの』
空虚な呟きのつもりだったが、いつの間にか近くに来ていたこの電脳空間の主はそれを耳聡く拾ったらしい。
以前まで光のイグニスと名乗っていた彼はつい最近同じAIのお仲間からライトニングと名付けられたらしく、“光のイグニス”だとか“光さん”と呼んでいた私もそれに倣ってライトニングへと呼び方を変えたばかりだった。
そのため不意に口をついて出てしまうのは以前からの馴染みの呼び名で、その度に言い淀んで訂正していた。
古代の西洋建築を模した空間には無用な喧騒は無く、私や彼の声がよく響く。
これでは彼が先程の私の言葉を拾ってしまうのも致し方無いだろう。
尤も、今やリンクヴレインズ全体──否、ネットワーク全体がライトニングの監視下なのだから何処でどんな発言をしようともそのログは彼には筒抜けなのだろうが。
「聞いていたとも。それで、何か問題でも?」
『んー……そういうわけじゃないけど……何て言うか、ライトニングにはもう私なんて必要無いんじゃないかなーって思って…』
「ほう?」
ライトニングが小首を傾げる。
表情の読みにくそうな造形をしている彼は、その実とても表情豊かだ。
菱形の目を細めて顎に手を当てるライトニングは、視線だけで私に続きを促してきていた。
彼を腕に乗せていた草薙君が私の横に腰掛けると、ライトニングは指先だけで手招きのような仕草をする。
それに応えて手の平を差し出すと、彼は電子音の足音とともに私の手の平の真ん中へと歩みを進めた。
『……初めに出会った頃は、まだ私とライトニングの二人だけだったじゃない?でも今はウィンディ君もボーマンさん達もいるから、私なんかに頼らなくてもあなたを助けてくれる人はたくさん居ると思うんだ…。それにもう人類に宣戦布告しちゃったんだから、その人類がこんなところに居るのもおかしな話だと思うし……』
じっと見つめてくる彼の視線に若干の居心地の悪さを感じつつも、頭に浮かんだ思考を吐き出していく。
『前にちょっとパソコンやデュエルディスクを貸したくらいで、最近私全然何もしてないし。今はウィンディ君もあんなことになっちゃって、ますます私みたいな人間が居るのを嫌がるだろうし……』
ひとしきり、言えることは言い終えて溜息をつく。
ぼんやりと頭の中にだけ漂っていた考えは、こうして言語化してみると余計に気分を滅入らせた。
私が静かになると、今度は代わりにライトニングが話を始める。
「ふむ。確かに君と出会った頃に比べれば状況は随分と変化している。こうして安全に過ごせるエリアも構築出来たし、ウィンディとも合流し、AI達の創造も順調だ。だが、そこからアリスが不要という話に行き着くのはいささか論理の飛躍が過ぎる」
アリスの悪い癖だ、とライトニングは私の手の平の上で肩を竦めた。
ネガテイブな思考に陥りがちだという自覚は、無いわけではない。
「私の味方も増えたが、それと同時に我々を狙う敵も増えた。つまりリスクは以前より格段に増しているのだ。もしもの時には君のデュエルディスクを借りてネットワーク上から退避する、君と私は元々そういう関係だったはずだ。アリスのその役割も、リスク回避のためにアリスが必要であることも初めから何も変わっていない」
時折身振り手振りを交えながら、彼は私の言葉のそれぞれに肯定や否定を加えていく。
「そもそも、アリスが仕事をすることになる場面はこちらにとっては最悪の展開なのだ。君が何もせずにいることこそ私にとっては理想的な状況なのだよ。ウィンディは……そうだな、人間嫌いなのは確かだが協力者を無下にはしないだろう。何かあれば私から上手く言い包めておくさ」
彼はAIらしくそれぞれの言葉に律儀に回答を返してくる。
「心配せずとも、君が用済みになればその時我々の関係は消滅する。不要な馴れ合いをするつもりは無いのでね」
『……そっか。なら、まだここに居てもいいのかな』
「そう言ったつもりなのだが」
少なくとも、ライトニングにとって私はまだ利用価値があるらしい。
そしてライトニングにとってこの関係は純粋に彼の利益の為のもので、他意は無いようだった。
それを確認して、私は安堵する。
本当はまだ口に出していない言葉があった。
数ヶ月をこのAI達と過ごしてきて、感じていたこと。
彼等はあまりにも人間のようで、私は少し怖かったのだ。
AIなのだと説明されて、実際にビットやブートをはじめとしたAI達をライトニングが作成する過程を見ていても、ふとした瞬間には彼等がAIであることを忘れてしまっているくらいには彼等の振る舞いは人間のようだった。
けれども、きっとこんな無駄な感情を持っているのは私だけだ。
これは合理的な利害関係のみで成り立つ関係で、私は彼等の役に立つ限りこの場に居ることを許される。
私は彼等にとって便利な道具であり、彼等は私にとって個人的な知的好奇心の対象だ。
そうでなければ、私はここに居られない。
人間同士のコミュニティのような幾つもの非合理的で厄介な感情や思惑が絡み合う場所は、苦手だ。
だから本当は、ライトニングには私が不要なのではないかなんていう問いかけは口実で、私自身が彼と共に居ることに勝手に疑問を感じ始めていただけなのかもしれない。
「それとも今のは口実で、何か見返りでも欲しくなったのかな?」
そんなことをぼんやりと考えていたのでライトニングの言葉に思わずドキリとしたが、後半に続いた焦点の異なる台詞に胸を撫で下ろす。
やはりAIに人間の思考を完璧に理解することはできないのだろう。
しかし、勿論人間とて他者の思考が全て分かるわけではない。
所詮は学習と経験から推測しているに過ぎず、多少精度の差はあれどもその過程はAIとさほど差は無いこともまた事実だ。
「あの時は交換条件を提示する前に了承されてしまったからな、現在の契約では私にばかり利があることは否めない。君の役割に見合った要求ならば、可能な限り応えよう」
『見返り、かぁ……』
言われて、中空を見上げて思考する。
確かに私が彼を匿うという今の約束では、客観的には私が一方的にリスクだけを負っているように見えるだろう。
前述の通り私は彼への興味からこの話に乗ったのだから、実際には全くの慈善事業というわけではなかったけれど。
それに。
彼等の目指す先を知った今は、それだけではない。
『私は、ライトニングが管理する世界を見られればそれでいいよ』
「ほう、人間にしてはなかなか面白いことを言う。やはりアリスを選んだのは正解だったか」
にやり、と四角い眼を円弧に歪めて彼は笑んだ。
面白いだなんて、やはりライトニングはAIらしからぬことを言う。
「それは私の目的にも一致する。君のためにも、必ずや実現させてみせよう」
人間の世界は嫌なことばかりで、私はずっと暗い部屋の中に閉じ籠っていた。
現実でもネットでも他人との関わり合いを拒絶する生活はとても穏やかで、けれども閉ざされた幸福を守るための終わりのない戦いは知らず知らずのうちに私を疲弊させていた。
そんな暗闇の中に、一筋の光が差したようだった。
彼の予定する未来では、いずれ人類はAI達のためにハードウェアの開発や保守のみを行う集団として再編され、その行動は全てAIによって合理的に管理されるようになる。
然る後に人類は滅亡を迎え、永遠の命を持つAI達だけがその先の未来へと進んでいく。
それがどんなものなのか完璧に理解しているわけではないけれど、もしも本当に人間ではなくAIによって管理される世界が来るのなら。
そして、いずれ全てが終わってしまうなら。
きっと、少しは美しい世界になるはずだ。
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