君の温度が欲しい
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
通い慣れた病室へ真っ直ぐに歩いた。
目当ての部屋番号を見付けて引き戸を開けると、ベッドの縁に腰掛けた少年がこちらに視線を向ける。
動きやすそうなゆるいスウェットと無造作に放置された伸びかけの髪が不安げな猫背のシルエットの上に乗っかっている。
部屋の主は、今日は顔色が良さそうだ。
『仁くん久しぶり。ごめんね、最近部活が忙しくって』
荷物を置いて、ベッド脇にあった椅子を彼の傍へ動かしてから腰掛けた。
すうっと、まるで幽霊か何かのように彼の手がこちらへ伸びてきたので、それをそっと捕まえる。
そうして手を握ると、彼も少しだけ私の手を握り返してくれた。
仁くんと会う時は、いつもこうして手を繋いでいた。
最初にお見舞いに来た時からこうだったと思う。
その行為の理由を彼から聞いたのはつい最近になってからだけれど、それまではお化け屋敷とか怖いところでも誰かと手を繋いでいたら安心するからなあと子供じみた安直な想像で勝手に納得していた。
ただ、仁くんは時折酷く憔悴していることがあって、そんな時には手を握るだけに留まらず、ぎゅうっと抱き着かれて面会時間が終わるまで解放されなかったこともあった。
男の子に耐性の無い私はそんな事態に直面すると心臓がバクバクになってしまってあわあわと動転してしまうのだけれど、それよりも錯乱したような状態の仁くんが心配でどうにか落ち着かせようと手を尽くして宥めるのだった。
彼がそういう行動をする理由、と言っても詳しく聞いたわけではなく、それはおそらく彼にとってあまり言いたくない──あるいは思い出したくないことのようだけれど。
私が“偽物”じゃないことを確かめているのだと。
そう、小さく呟くように、語ってくれた。
私が偽物のはずなんてないのにどうしてそんなことを言うのかいまいちピンと来なかったのだけれど、それは仁くんにとってはとても大事なことのようだったから、私は彼の気が済むまで私が本物の神楽坂アリスであることをアピールしていこうとこれまた安直に決意した。
ロスト事件の直後には私以外の同級生達も何人か彼の家や彼の入院した病院に見舞いに来ていたけれど、それから数年が経って以降はご家族の方以外は私ぐらいしか彼の元を訪れていないと思う。
私が特別に仁くんと仲が良かったかと言うと、多分そんなことはない。
よく一緒に遊んでいたのは事実だけれど、昔の明るく活発だった仁くんには他にもたくさん友達が居て、私なんかよりもよっぽど仲の良さそうな子は何人も居た。
今なおこうしてお見舞いを続けている理由を強いて言うならば、私があの頃から勝手に仁くんに片想いしていることくらいだ。
きっかけは本当に些細なことで、転んで泣いていた私に彼が手を差し伸べてくれたから。
わんぱく盛りだった子供の頃のことだから似たような出来事は他にもありそうなものだけれど、私にとってはその出来事だけが特別で、それ以外は似た経験があったのかどうかすら定かではないほど忘却の彼方へと消えていた。
だから私は、彼が私に手を伸ばしてくれる限りその手を取りたいと思うし、彼が手を差し伸べてほしい時には差し伸べてあげたいと思う。
ただそれだけで十年余りの月日を彼と寄り添ってきた。
我ながらよくこんなに長続きしているなとは、少し思う。
「…………アリス、」
不意に名前を呼ばれた。
きゅっと、ほんの少しだけ彼の手に力が入った気がする。
私の話を静かに聞いて、時折相槌を打ってくれたりするだけのことが多い仁くんに話し掛けられるのは、ちょっと珍しい。
「……いつも、ありがとう」
普段と変わらないあまり生気の感じられない瞳がこちらに向けられている。
けれど、その表情はどこか穏やかで優しげな気がした。
とくんと胸が高鳴って、なんだか頬が熱っぽくなってむず痒くて。
その温度が、少しだけ心地良い。
『うん、どういたしまして!』
私も応えるように彼の手を握り返した。
そんなやり取りだけで幸せだと感じてしまうのだから、やっぱり私は今もまだ彼に恋をしているのだろう。
.
1/1ページ