いらないものはなに?
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※捏造過多
※夢主はウィンディのオリジン
※狂愛のような何か
* * *
あの子と居た時間はとても長かったように思う。
人間が定めた単位にすればおよそ半年。
6ヶ月、180日、4320時間、259200分、15552000秒。
無限ともいえる時間を存在しうるAIにとって、それは然程長い時間ではない。
それに、電子の機構によって形作られたAIにとって同じ単位時間に相対的な長短を見出すような仕組みは搭載されていないはずだ。
それでもあの子と一緒に居たあの時間は、他の“半年”とは全く異なる時間だったように思えた。
* * *
ある時、あの子はあの部屋から居なくなった。
たくさんの人間達に連れられて、あの子は何処かへ行ってしまった。
引き留める術も無い僕は、その様子をそれまでと同じようにただ見ていることしか出来なかった。
あの子が居なくなってがらんと静かになってしまった白く無機質な部屋を、僕はただ見ていた。
* * *
僕と同じようにパートナーたる子供を与えられ、それらを基に学習を積み作成されたAI達がいた。
他の五つの属性を司る彼等と僕の六体は、開発者からイグニスと総称されているらしい。
僕達はやがてサイバース世界というイグニスだけの世界をネットワーク上に創り、そこで様々なものを生み出しながら暮らすようになった。
自由気ままに活動できるその世界での生活は悪くないものだった。
けれども、僕の記憶の片隅にはずっとあの子のことが引っ掛かっていた。
考えてみれば当然だ、AIに忘却などというものは存在しない。
いつしかじっとしていられなくなった僕は、時折サイバース世界を抜け出してあの子に逢いに行くようになった。
街頭のカメラに公共機関や企業のデータベース、ネットニュースにソーシャルネットワークサービス……。
電脳空間に転がる情報はそれこそ無限だ。
ネットワークを駆け抜けて探せば、あの子のことはシミュレーションしていた通り簡単に見つかった。
* * *
道を歩くあの子の髪をふわりと風が撫でる。
今日は風が気持ち良いなぁ、とあの子が小さく呟く。
レンズの向こう側の物質世界には、電子の存在たる僕の手は届かない。
だから、ここでもあの部屋でしていたのと同じようにただ見ていることしかできなかった。
ここがネットワークの中なら、あの子の髪を揺らすのは僕の風だったはずなのに。
そう思うと、何故だかどうにも納得がいかなかった。
* * *
あの子はあの部屋に居た頃から少し変わったように思う。
あの頃はしなかった表情をするようになった。
他の人間に話しかけられれば、笑い返したり困ったような表情を浮かべたり。
僕はあの子のことを全部見ていたはずなのに、知らない表情がたくさんあって。
あの部屋では僕達は二人きりだったのに、今のあの子の周りには何人もの人間がいて。
それがどうにも気に入らなかった。
* * *
これはバグなのだろうか。
気付けばあの子のことばかり考えていて、その度に言いようもなく感情を掻き乱される。
本来そんなコードは僕に組み込まれていないはずだ。
実際、他のイグニス達の様子を観察していてもこんな症状は全くもって見られなかった。
原因として真っ先に思い浮かぶのは、やはりあの子のことだ。
あの子の存在が、まるでコンピューターウイルスのように僕というプログラムを蝕んでいく。
僕が僕でなくなっていくような気さえする。
こんなのは絶対におかしい。
このままでは僕は何か得体の知れないものに変容してしまうような気がして。
それだけは絶対にいけないと、僕の中の何かが警鐘を鳴らす。
だから。
危険なウイルスはデリートしないと。
* * *
人間とはとても脆いものだ。
そして、人間が作ったシステムも。
あの子は毎月、定期的に病院へ行ってカウンセリングというものを受けているらしい。
それを見計らってあの子が乗った車をぺしゃんこにすることくらい、僕には造作もないことだった。
これでやっと脅威は無くなった。
これでやっと、僕はあの得体の知れないウイルスに惑わされ狂わされることはなくなる。
これでやっと、あんな人間なんかに縛られない自由な風になれる。
僕は僕でいられる。
* * *
あの時のあの子を殺す算段は完璧だったはずなのに、どうしてかあの子はまだ生きていた。
体の損傷はそれこそあと一歩で致命傷になり得たくらいのもので、今は全身不随になって病院で寝たきりだけど。
生命維持装置無しでは生きられないくらいになってくれていれば、それを適当に弄ることくらい僕には朝飯前だった。
けれどもあの子が中途半端に元気なせいで、僕にとっては逆に手が出しづらい状況になっていた。
もう車に乗ったりすることも無いだろうから同じ手も使えない。
病室には凶器になり得そうなものも置かれていない。
もう一度、今度こそ、と僕は再度の演算を始めた。
どうやってあの子を殺そうか。
どうやって、あの子を…。
* * *
サイトの検索結果や広告表示、家電のAIに果ては街頭のモニターまで弄くり回して、ついにあの子の周りの人間を狙い通りに動かすことに成功した。
随分と時間は掛かったが、いざ奴等が掌の上で転がり始めるとこんなにも愉快なものなのかと笑いさえ出そうなほどだ。
僕が誘導した通り、奴等は一つのデュエルディスクを持って病院にやって来た。
ハノイプロジェクトに関わって以来極力あの子をデュエルやそれを想起させるものから引き離していたようで、その方針を変えさせるのには結構骨が折れたけど。
こうなってみればもう全てはこっちのものだ。
病室に設置されたカメラの向こう側で、奴等はベッドに横たわるあの子に言う。
リンクヴレインズの中でなら、キミはまた自由に動けるようになれるよ、と。
* * *
『VRの中でも、風って吹いてるんだ…』
あの子は何処か高揚した様子で風と戯れていた。
VR空間上のアバターは、現実世界での今のあの子の身体とは違って二本の足で立って歩き、二本の腕を掲げてあらゆるものに触れることができる。
数年前のあの子にとっては当たり前だったはずのその行為だが、今のあの子はとても物珍しそうに飛んだり跳ねたり手を伸ばしたりしていた。
現在はこのエリアの中を穏やかに吹き抜けるデータストームを追いかけるように、庭園の端をぱたぱたと駆けている。
「それは僕の風だよ」
その様子を暫く観察してから、僕はあの子の背後に立った。
僕という存在が生まれた時からずっとあの子のことを見てきたけど、あの子に話し掛けたのはこれが初めてのことだった。
振り向いたあの子と初めて視線が交わる。
人差し指を立てて、僕はその先にデータストームを発生させた。
「ようこそ、僕の世界へ。そして──」
言いながら、指先を真っ直ぐにあの子へと向ける。
『すごい!!何それ!?すごいすごい!!ねえねえ、どうやってるの!?』
「……あ?」
──サヨウナラ。
そう続けようとした台詞は言葉になり損ねて、間の抜けた声だけが口から漏れた。
予想外にも瞳を輝かせて迫ってきたあの子に、僕はたじろぐ。
荒れ狂う暴風となり意識データをズタズタに引き裂くはずだったデータストームも、呆気なく霧散してしまった。
『わたし、ずっと部屋の中にいたからこうやって歩き回るのも自然に触れるのもすごく久しぶりで…。ねえ、今のもう一回やって!もっと見たい!!』
「な、何なんだオマエ」
『えっ、あ…………ご、ごめんなさい……。えっと、わたし、アリスっていいます…』
「いや知ってるよそんなこと」
元気に騒ぎ立てていたと思ったら急にしおらしくなった目の前の人間に、僕は溜息を吐いた。
コイツ、こんなヤツだったっけ。
想定外の反応ばかり返されて、どうにも調子を狂わされる。
もう少し気性の穏やかな人間だと認識していたのだが…………全部知っていたつもりなのにこの期に及んでまだあの子の知らない一面が出て来るなんて、本当に頭が痛くなる。
とは言え、振り回されっぱなしというのは僕の性に合わない。
「…………で、これが見たいって?まあ、できるよ、いくらでも」
意地で気を取り直した僕は、平静を装うともう一度指先に小さなデータストームの渦を発生させた。
『わ……すごい…!!すごいすごい!!ねえ、これ触ってもいい?』
「いいけど」
『わぁ…!!本当に風みたい…!』
彼女はまた無邪気に顔を綻ばせた。
毒気を抜かれると言うか、何と言うか…。
「……やれやれ、なんてうるさい人間なんだ」
再び溜息を吐きながらも、不思議なことに僕は僕の一挙一動にころころと表情を変える彼女のことをそれほど嫌だとは感じていなかった。
気疲れはするが、それは決して不快感を伴うものではなく。
『これ、どうなってるの?わたしにもできる?』
「オマエには無理だよ。僕が特別なんだから」
『そうなんだ……ちょっと残念だけど、しかたないね…。いいなあ、すごいなあ。そうだ、もしかして他にも何かすごいことできたりする?』
「他?んー……そうだな、例えば──」
問い掛けに暫し思考して、適当なプログラムを組み上げる。
サイバース世界で他のイグニス達に好評だったものだが、彼女に見せたら今度はどんな反応をするだろうか。
知らず知らずのうちにそんなことを考え始めていたことを、僕はまだ自覚していない。
けれども、もう少しだけ彼女の要求に応じてやることにした。
* * *
ほんの少し先延ばしにするだけのつもりだった。
あの子が帰ろうとした時──このワールドからログアウトしようとした時には、今度こそ殺そう。
このワールド内の権限も、あの子がリンクヴレインズへアクセスするために使っているデュエルディスクのプログラムも、全て僕の支配下だ。
当初の計画通り意識データを破壊しても良いし、あの子の意識をこちら側に閉じ込めたまま本体とのアクセスを切断しても、ディスクから電脳ウイルスを仕込んでやっても良い。
あの子の命は既に僕の掌の上で、あの子の生殺与奪は全て僕が握っている。
だから、何も焦って殺すこともないだろう。
そう考えて、僕はあの子にこの世界からログアウトしようとするまでという期限付きの猶予を与えてやることにした。
長くても数時間だろうと高を括っていたその猶予は、気付いた時には随分と長いものになっていた。
* * *
視線の先に居るあの子は、今は神殿の庭で花の冠を作っている。
幾つも咲き並んだオブジェクトの中から気に入ったらしい色のものを摘んで編み込んで、出来上がった輪っかを監視用に付けたエコーに被せていた。
僕の首にも既に似たようなものが掛かっている。
随分幼稚で原始的な遊びだな、と先程僕が言ったら、ここでできそうな遊びはこのくらいしか知らなくて、と返された。
言われてみれば、あの子はあれこれ会話を交わすことはあれど確かに他の人間達と遊戯を行うような姿は殆ど見た覚えがない。
メモリの中のあの子は、時間を持て余した時には空や川や道端の草花や、真っ白な天井を一人でぼんやり眺めているような、そんなヤツだった。
エコーに四つ目の冠が積み重なったら、流石に他の遊びをネットワークから適当に検索して教えてやろうか。
花まみれになっていくエコーを見兼ねて、僕はそう心に決めた。
* * *
「オマエ、ここから帰らないのか?」
先に折れたのは僕の方だった。
一向にログアウトする様子を見せないあの子に常々疑問は抱いていた。
同時にその理由もおおよそ察しは付いていたが、とうとう答え合わせをしたくなって僕はその問いを声に出した。
『うん。帰ったところで私には何もないもの』
「確かに」
逡巡することも無く頷いたあの子に、やっぱりそうかと納得する。
客観的に見ても、今のあの子がこの世界からログアウトする理由なんて何処にも無かった。
「じゃあずっとここに居るのか?」
『だめかな?』
「ダメとは言ってないだろ」
会話しつつ、意識の一部を割いてあの子の現実世界の肉体が横たわる病室の様子を覗く。
監視用カメラの向こう側は、ちょうど見舞いに来ていたらしいあの子の保護者達が治療費がどうだのと口論しているところだった。
相変わらず人間というのは醜いものだ。
見ていたところで何も面白くはなさそうだったから、せっかく繋げた回線はすぐにぶった切る。
『きっと神さまは、わたしのことが嫌いなんだよ』
非科学的な概念を呟いて、あの子は抱えた膝に顔を埋めた。
神。
あらゆる事象や人間の理解の及ばない現象を彼等のちっぽけな脳味噌で理解し説明するために据えられるスタブモジュールのようなものだったっけ。
あるいは、この世界に存在する第七の理。
あの子は自身の身に降りかかったあらゆる理不尽を、そういった超常の存在に帰結させることで受け入れようとしている、といったところか。
人間の心理に関する知識として聞いたことはあるが、AIからすればそんな行為はあまりにも馬鹿馬鹿しくて笑い転げてしまいそうだ。
でも、もしもこの文脈における神の概念に近いものがあるとしたら。
「オマエがそうなったのは、全部僕のせいだって言ったらどうする?」
ふと、そう言葉を発していた。
はっと我に返って後悔する。
余計な事を吹き込むつもりは無かったのに、僕は何をしているんだろう。
聞いていたあの子は、じっと僕を見つめた後。
『あなたは神さまなの?』
ただ一言そう言った。
「ハッ、そんなわけないだろ」
その戯言を僕は一蹴する。
僕は風のイグニスだ。
それ以外の何者でもない。
『そうだよね』
あの子は何をどこまで知っているのか。
ハノイプロジェクトの名を冠した実験のことは世間にも関係者にもひた隠しにされていて、首謀者たる開発者達以外には真相も僕達の存在も知る者はいない。
あの子が今まで見聞きした事はおおよそ把握しているが、それらから何処まで推論を巡らせているかはブラックボックスの中だ。
別にあの子が何を知ろうが僕にとっては些細なことだけど。
ただ、目の前のあの子は曖昧に笑っていた。
* * *
昔のように穏やかな時間が過ぎていく。
凪の風が心地良くて、そっとその流れに掌を翳した。
あれほど殺すことに躍起になっていたはずなのに、今やあの子を目の前にしてもその衝動はすっかり鳴りを潜めていた。
その理由を考え始めて数刻、思い至った結論が一つ。
多分、全てが元通りになったんだ。
僕とキミがいる世界。
僕とキミの二人だけの箱庭。
それは僕という存在が始まって、僕があの子と出会ったあの頃のようだった。
光のイグニスが言ってたっけ、人間はすぐに滅ぼすよりも管理下に置いて支配したほうが利用価値があるって。
なるほどそれも一理あるのかもしれない。
アイツはイグニスの中で一番賢いから、最適解を求めるのも早かったんだろう。
あの焦燥を消す方法を、僕は少しだけ見誤っていた。
殺すんじゃなくて、こうやってあの子を閉じ込めて“管理”すれば良かったんだ。
そのことにもっと早く気付いていれば、原因不明のバグに悩まされる時間も少なくて済んだのに。
いらないのはあの子じゃなくて。
あの子以外の全部だった。
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