Episode-2
夢小説設定
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あくる日――
私は彼の職場であるホーブルグ要塞へ来ていた。
この声は、貴方に届かない
「アリス、何かあったの?」
朝、ベッドから出て朝食の用意されたダイニングに向かうと、そう母に問われた。
父と共に小さな喫茶店を営んでいる彼女は、温かい飲み物の入ったカップを手際よくテーブルに並べながらこちらを見る。
『別に、何もないよ?』
普段通りを装って、私は席についた。
…………“あんなこと”があったなんて、言えるはずもなかったから。
いただきますと手を合わせて、バターの乗った食パンを口に含む。
正直に言うとあまり美味しさを感じることはできなかったけれど、とりあえず全て平らげて、いつもより早く席を立った。
『お母さん。私、ちょっと出掛けてくるね』
それだけ言って、彼女の返事も待たずに自室へ戻る。
身支度を整えた私は、家を出て第一区の中心部へと向かった。
「申し訳ありませんが、本日はアリス様をお通しすることは出来ません」
要塞へはやって来たものの、私は入口付近で足止めを食らっていた。
いつもは彼が居る執務室まで案内をしてくれたりもしていた受付係――なのだろうか?――の人が、そう言って深々と頭を下げた。
『あの……どうしてですか…?』
「生憎、参謀長官はお忙しいので」
…………まぁ、そう言われることは想定の範囲内ではあった。
普段から仕事に追われていてあまり頻繁には会えなかったのだから、突然押しかけてきても断られるだろうということは簡単に想像がついた。
――けれど、それでも会いたかった。
会ってもう一度話がしたかった。
未練なんて、無いはずがない。山よりも高く海よりも深いくらいの未練が私の心の中には横たわっている。
むしろ、昨日の事は全部夢なのではないかとさえ思ってしまう。
とにかく私は現実を受け入れることができていなかった。受け入れたくなかった。
会って話せば、何か変わるのではないかと。
そう思った。
しかし実際には会う事すら叶わない。
入るなと言われているのに要塞に入っていけるほどの力は私には無いのだから。
待っていれば彼が来るなんていう望みもほとんど無い。
結局私には、諦める以外の選択肢は用意されていなかった。
肩を落として、踵を返して帰ろうとした時、
「あら、貴女はアリスさんではありませんか!」
私の名を呼ぶ声がした。
振り向くと、高級そうなコートに身を包んだ女性が挑発的な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。
彼女には嫌というほど見覚えがある。
エリザ=カース。アヤナミさんに一方的な片想いをしていて、私に事あるごとにちょっかいを出してくる、カース家という中流貴族のお嬢様だ。
「どうかしたのですかぁ?そんな辛気臭い顔をして。空気がジメジメしていて菌類が繁殖しそうですわよぉ?」
疑問系の語尾を中途半端に延ばす独特の話し方と周囲をはばからない大声で話す彼女。
だが、正直、今の私はこの人に構っていられるほどの心の余裕を持っていなかった。
彼女が話すのを止めると、私達二人の間には沈黙が下りる。
しばらく彼女は私のことを奇妙なものでも見るような目で見つめていたが、やがて濃い赤に塗られた唇の両端をつり上げて笑った。
「そういえば、こんな噂を耳にしましたわ。
貴女、アヤナミ様にフラれたんですってね!」
……一体どこからそんな情報を仕入れてきたのだろうか。
私が否定しないのを見ると、彼女はますます饒舌に話し始めた。
「まぁ、当然といえば当然の結果ですわね!貴女のような一般人がアヤナミ様とつり合うはずが無かったのですから。
アヤナミ様にふさわしいのは貴女ではなくてこのわたくしなのですわ!」
オーッホッホッホ、と典型的すぎる高飛車な笑い声が響く。
反論する気力も無く、何でこの人はいつも元気なんだろうと思いながら空虚な瞳で彼女をただ見つめる。
しばらく笑っていた彼女は、そんな私に気付くと居心地が悪そうに顔をそむけた。
「ま、まぁ、いずれ貴女の前にも良い殿方が現れますわ。せいぜい頑張ることね」
何故か励ますようなことを言って彼女は私に背を向ける。
そして、あまり落ち込んでいると本当に菌類が繁殖しますわよぉ?という台詞を残して去っていった。
――そろそろ帰らないと…。
彼女の登場で、せっかく帰ろうとしていたのに足止めされてしまった。
今度こそここを去ろうと足を踏み出す。
一瞬後ろを振り返りそうになって、すぐに思い止まった。
振り返ったらいけないと思った。全ては過去の出来事で、私はそれを忘れるべきなのだ。
――もうここを訪れることも無いのだろう。
ほんの少しの感慨にふけりながら、私は一度も振り返る事無く足早にそこを立ち去った。
* * *
「アヤたん、いいの?」
ホーブルグ要塞内の一室。
サングラスを掛けた黒髪の青年――ヒュウガがニコニコしながら言う。
「何がだ」
それに、軍帽を目深に被った銀髪の男――アヤナミが返す。
「何って…。今日アリスちゃん来てたみたいじゃん。何で追い返しちゃったわけ?」
「…………そんなことを気にしている暇があるなら仕事をしろ」
懐に忍ばせてある鞭をチラつかせると、ヒュウガは大慌てで自らのデスクへ戻っていった。
それを見送ると、アヤナミは誰にも聞こえないよう小さくため息を吐いた。
常日頃から変わらない無表情で窓の外を見遣る。
そして、
――これで、良いのだ。
彼は心の内で、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
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