第一話
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『今日の帰りは足元に気をつけてくださいね。穴には近付かないようにしないと落ちてしまいますよ。
それから、明日の昼はうっかり口を滑らせて貴方の上司の悪口を言ってしまわないよう注意してくださいね』
「いやぁ、本当に助かります。これ、少ないですけど、どうぞ」
『ふふ……ありがとうございます』
「今度来た時にも頼みますよ」
去っていく客の後ろ姿を見送ってから肩の力を抜く。
それから、今日の売り上げを数える。
『(今のところは1000ユースか。上々だね)』
その数字にいくらか気分を良くして、エルーは空を見上げた。
裏路地から見える空は歪な形に切り取られているが、他の場所と変わらない青色をしていた。
時々白い雲が横切る。
エルーは占い師をしている。
一部ではよく当たると評判で、常連客もそれなりに居る。
中には軍の上層部の人間や司教なども居るというから驚きだ。
この仕事を始めてからもう5年近くになるが、今のように安定した収益を上げられるようになるまではとても苦労した。
家を飛び出してから、自分の特技を生かして収入を得るために占い師になった。
しかし、住居も無く、客の信用もまだ無かった頃は収入もほとんど無い状態だった。
裏路地での商売というのも危険が多く、色々な所を転々とした。
現在は格安アパートに落ち着く事ができ、商売も軌道に乗ったので、なかなか良い生活を送る事が出来ていた。
* * *
カツ、カツ、と足音が聞こえた。
客だろうか。
エルーは背筋を伸ばし、今ではもうすっかり板に付いた営業スマイルを浮かべて足音の主を待った。
姿を現したのは、ラフな格好をした黒髪の青年だった。
客の年齢層としては珍しい方だ。
「君が噂の占い師?」
青年が問う。
エルーは否定とも肯定ともつかない笑みを浮かべるばかり。
青年も返答を期待しているわけでは無いらしく、そのまま言葉を続ける。
「アヤたんの命令なんだ。一緒に来てもらうよ」
そう言ってエルーの細い腕を掴む。
普通の客でない事は明白だった。
占い師は、しかし、動じる事無く青年の顔を見上げた。
『占い以外は承っておりませんが』
「そう言われてもねー…」
『離していただけます?』
「んー、ダメ☆」
青年の瞳はサングラスの奥に隠れて見えない。
しかし口元は楽しそうに歪んでいた。
『なら、占って差し上げましょうか』
「へぇ、出来るの?」
『占い師ですから。今日は、職場へ帰る前にコーヒー豆を買っておけば上司の怒りを軽減できますよ』
「ふーん。それはどうもっ♪」
言い終わる前に、青年の姿はエルーの前から消えていた。
瞬間、エルーは後頭部に一撃を食らい、意識を手放した。
崩れ落ちる体を青年が支える。
「ゴメンねー。でも、こっちも急いでるから」
ひとりごちてから、彼女を横抱きにして抱える。
そのまま青年は裏路地を後にした。
* * *
「何やってたんですか、ヒュウガ少佐。随分遅かったじゃないですか」
馬車の中から呆れた口調の声がした。
ヒュウガ、と呼ばれた青年はその声に適当な返事を返して、女性を抱えたまま馬車に乗り込んだ。
馬車の中には、軍服を着た蜂蜜色の髪の少年が居た。
彼は、帝国軍の少佐であるヒュウガのベグライター(幹部補佐)をしている。
名前はコナツだ。
馬の啼き声が聞こえ、馬車が動き始めた。
――職場に帰る前にコーヒー豆を――
不意に、ヒュウガの脳裏に占い師の言葉が蘇る。
ホーブルグ要塞に大分近付いた頃に、彼は馬車を止めさせた。
不思議そうに視線を投げかける部下に眠る彼女を預けて、ヒュウガは近くの店に入っていった。
暫しの時間を置いてから戻ってきた彼に、コナツが問い掛ける。
「何か買ってきたんですか?」
「うん。コーヒー豆」
ヒュウガが右手に持った袋を掲げて示した。
「何でコーヒー豆なんですか……?」
理解出来無い、という目でヒュウガを見る。
そんなコナツには特に返事をせずに、
「ほら、もうすぐ着くよ」
ヒュウガは既に間近に迫っていた要塞に視線を転じた。
* * *
「ただいま~アヤたん♪」
「遅い」
彼が所属している参謀部直属部隊――ブラックホーク――の執務室のドアを開けたヒュウガを待っていたのは、その短い言葉と上司の鞭だった。
更にもう一発、と振り上げた上司の腕が途中で止まる。
「…………ヒュウガ、その袋は何だ」
どうやら、ヒュウガが片手に持っていた袋に気付いたらしい。
「コレ?中身はコーヒー豆だよ」
「……そうか」
そう言うと、アヤナミ――ヒュウガの上司であり、彼が“アヤたん”と呼ぶ人物――は、彼の席へ戻ってしまった。
入れ代わりに、穏やかな笑みを浮かべる中年の男性が小走りでヒュウガの元へやって来た。
「実は、先程コーヒー豆を切らしてしまいまして…。そのせいでアヤナミ様の機嫌を損ねてしまっていたんです。
貴方が買ってきてくださって助かりました」
小声でそう言ってから、ヒュウガが持っていたコーヒー豆を勝手に奪い取って給湯室へ去っていった。
呆然とそれを見送ったヒュウガに、コナツが話し掛ける。
「どうしてコーヒー豆を切らしていた事を知っていたんですか?
……まさかアヤナミ様とのテレパシー!?愛の力ですか!?」
「テレパシーって何!?」
アヤナミのような人物とテレパシーで通信出来たところでちっとも嬉しくなどない。
むしろ嫌だろう。
「(まぁ、似たような事は出来ちゃうんだけどね)」
心の中で苦笑いする。
ただ、“愛の力”というのは全力で否定したい。
「誤解しないでねーコナツ」
喋りながら、コナツが抱えたままだった女性を受け取り、近くのソファーに寝かせる。
「――この子が教えてくれたんだよ」
普段は何発も続くアヤナミの制裁が今日は一発で済んだ事に心の内で感謝しながら、彼女の柔らかい髪に指を通した。
「ヒュウガ、さっさと軍服に着替えて来い」
「はーい」
アヤナミの声に自身がまだ私服だった事を思い出し、ヒュウガは執務室を後にした。
ちら、と振り返った時に見えた彼女は、未だ自分の置かれた状況を知らずに、穏やかな顔で眠っていた。
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