第三十一話 動き出す、
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『アヤナミ様、こちらの書類にサインをお願いします』
「ああ」
『アヤナミ様、次の会議の資料です。目を通しておいてください』
「ああ」
『アヤナミ様、コーヒーをお淹れしましょうか?』
「今はいい」
『アヤナミ様、頼まれていた第6区の地図と鳥瞰写真です』
「ああ」
『アヤナミ様、お疲れではないですか?肩をお揉みしましょうか?』
「必要無い」
「なんか最近のルゥたん張り切ってるねぇ~」
私とアヤナミ様の様子を、少し離れた所で机に頬杖をつきながら見ていた少佐が呟いた。
「そうですね。少佐にも見習っていただきたいものです」
それを受けて、彼の元に新たな書類を渡しに来ていたコナツさんが言う。
それほど大きくない声でなされている二人のやり取りは、私とアヤナミ様が居る所までは聞こえてこなかった。
「絶対アレのせいだよね」
自らの部下の諫言は聞き流し、ヒュウガ少佐はそう言ってつい最近新たにここで働くようになった双子と御曹司に目を向ける。
「でもアヤたんはルゥたんをクビになんてしなそうだし、あそこまでやらなくてもいいと思わない?なんて言うかルゥたんは、こう、本妻の余裕ってものを持ってどっしり構えとけばいいじゃん」
「はあ……」
呆れた表情を浮かべる彼の部下からは、そんな肯定とも否定ともつかない返事しか出てこなかった。
しかし、そのくらいのことは彼にとっては日常茶飯事だ。
今更その反応にめげるわけもなく、少佐はコナツさんの様子は特に気にせずに席から立ち上がった。
「ねーねールゥたーん」
自分の席へ帰る途中で、私はこちらへ向かって来た彼に呼び止められる。
「そんなに頑張らなくても大丈夫じゃないの?」
『何がです?』
何の脈絡も無く掛けられた言葉に、私は首を傾げた。
そんな私の様子を見て、少佐はニコニコと笑顔を浮かべ歩み寄ってくる。
「アヤたんの所に新しいベグライターが来てやきもきしてるんでしょ?オレだったらそうやってルゥたんを不安にさせたりなんてしないよ。だから、アヤたんのベグライターなんてやめてオレのベグライターに……――」
背後から腰に手を回し、包み込むように私の身体を抱き寄せて、耳元でそう囁く。
私は突然のことに驚いて一瞬硬直したが、すぐに彼の手を振りほどいてそこから抜け出そうとした。
その時。
殺気を孕んだザイフォンが飛んできて、私のすぐ横を掠めた。
ちょうどその射線上に居たヒュウガ少佐が悲鳴を上げてそこから飛び退く。
「ア、アヤたん、今明らかにオレの顔狙ったでしょ!!当たったらどうすんの!?」
「何だ、何か問題でもあるのか?」
「あるに決まってんじゃん!!」
そんな言い争いが聞こえる中、解放された私の頬を冷や汗が伝った。
――今のザイフォンすぐ横に飛んできたよね!?狙われたのは少佐かも知れないけど私もすごく危険だったよね!?
一歩間違ったら私の人生が終了してましたよね?
な、何て怖いんだ……。
背筋を凍らせながらもちらりとアヤナミ様の方に視線を遣ると、虫の居所の悪そうな彼と目が合ってしまい、私は逃げるようにして自分のデスクへ戻る。
アヤナミ様に恐れをなしたらしい少佐も巫山戯ることに懲りて仕事に戻り、執務室は静かになった。
*
「ルフィアー、これ出来たぞー」
『はいはーい』
シュリからお呼びがかかったので、彼の元へ向かって記入済みの書類を受け取る。
本当は自分で提出しに行ってくれると有り難いのだけれど、文句を言って反発されても困るので大人しく従っておくのが吉だ。
シュリは一部では散々バカ呼ばわりされていたが、こうして書類を仕上げているのを見るとどうやら仕事は出来ないわけではないらしい。
実際に飽きっぽくはあるのだが、性格に難がありすぎるだけで、それなりの能力はあるようだった。
威張るだけのことはある、と言えるほど優秀でもないけれど。
まあ一応士官学校も卒業できたみたいだし……確かにそれくらいは出来てくれないと困るだろう。
「ねーねー、なんか面白そうな調査依頼があるよー」
書類を回収して戻ろうとした時、何かめぼしいものを発見したらしいヒュウガ少佐がそう声を上げた。
「貴方は黙って仕事ができないんですか…」
そんな彼にコナツさんが若干鬱陶しそうな視線を向ける。
しかしそれが逆効果だったのか、少佐は手に持っていた一枚の書類を指し示して話し始めた。
「だってー!ほら見てよコナツー。なんか堕天使?を信仰してる変な団体があるから調べてこいって」
『……!』
それまでは私も彼等の会話を適当に聞き流していたのだが、少佐が発した言葉に思わずピクリと肩が跳ねた。
「えーっと……昔々、闇を生み出してフェアローレンに殺されて、人間界に堕ちてきた天使を崇めてるんだって。しかもその天使がすっごい美人さんらしいよ!……まーよくある作り話なんだろうけど、面白いこと考える人達もいるもんだねー」
書類の記載事項と思われる文面が、感想混じりに読み上げられていく。
他の人達はそれほど興味が無さそうだし、私もそんな様子を装ってはいるが、内心では彼の話す内容にばかり頭が行っていた。
「でも何でこんなのがオレ達の所に来たんだろう?調査とかって他の部署の仕事じゃなかったっけ」
「さあ…?またいつもの上層部の嫌がらせでは?」
「そういったことは前にも幾度かあったろう」
ここで、何故かアヤナミ様もその会話に割って入る。
「ごく少数ではあるが本来バルスブルグ帝国民が信仰すべき教えから外れ、死神、使い魔、闇徒等を……聞いた限りではその調査対象は女神信仰や堕天使信仰といった要素も持っているようだが、そういったものを信奉する異端者は時々現れる。しかしそれは国にとって都合が悪い。信仰の相違が帝国への反逆に繋がることも少なくないからな…。質の悪いものは排除する。そこで、異端には異端を、というわけだ」
「あ、だから黒法術師部隊であるオレ達に回ってきたわけねー」
なっとくー!と少佐が感心した様子で言う。
何やら彼等の話が盛り上がりを見せている一方で、私の表情は暗く硬くなってきていた。
先程から、動悸が収まらない。
――だって、それってどう考えても……。
でも、だとしたら少々不思議な点もある。
そんな話を知っている者など、この世には居ないに等しいはずなのに…。
偶然にしても、それはやけに私の知る“過去"に似通っている。
一体、どうして……。
「ルフィア?なんか顔色悪くない?」
何時の間にか目の前に立っていたクロユリ君が、私の顔を覗き込んでそう首を傾げた。
クロユリ君が来ていたことに全く気付いていなかったこともあって、少し驚きつつも、
『え、そ、そうですか?気のせいですよ』
あはは……と笑ってその問いへの答えを誤魔化す。
「そう?……じゃ、これもよろしくー」
『了解です』
クロユリ君からも追加の提出書類を受け取って、私は執務室を出て行った。
その後も、どうにも先程のことが気に掛かっていた。
目の前の書類に集中しなければ、とは思うのだけれど、どうにもあの話が頭の隅にちらついて集中できない。
「報告します!」
そんな中、執務室に一人の兵士がやって来た。
アヤナミ様の所へ歩いて行き、何かを告げる。
それだけを終えて一礼した兵士が去っていくと、アヤナミ様は席から立ち上がった。
「ルフィア、出掛けるぞ」
『は、はいっ!』
「そこの資料を持って来い。それと、ホークザイルの準備を」
『はい!』
先程の報告と何か関係があるのだろうか。そう指示を受けて、私は素早く彼の言葉に従う。
一緒に連れて行くのか、アヤナミ様はユキ君とスズ君にも何やら声を掛けていた。
前世にはラグスの方に住んでいた人も居たものの、私にはラグス語は分からないので彼等のやり取りの詳細は把握できないけれど。
「では、ホークザイルの方は私が手配しておきますね」
そう私に言ったのは、いつの間にか隣に来ていたカツラギ大佐だ。
『あ、ありがとうございます。お願いします…!』
大佐……これがデキる人というものか……!!
そんな有難い申し出もあり、そちらの作業は大佐にお任せして鞄に資料を詰め込んでいく。
そして、早くも部屋を出て行こうとしていたアヤナミ様を慌てて追いかけた。
「ルフィア、」
廊下を歩いていると、前を行くアヤナミ様に名前を呼ばれる。
『何でしょうか?』
「…………お前は私のベグライターなのだから、堂々としていればいい」
振り向かないままではあったが、彼はそう言った。
……口にした覚えはないのに、心の内のモヤモヤを見透かされたようで私としては複雑な気持ちだ。
今朝少佐にもそれらしきことを言われたし、私はそれほど分かりやすいのだろうか…。
これでも隠し事は得意だったつもりなのに。
だけど、
『っ……はい!』
そう言ってもらえたことは、素直に嬉しかった。
要塞内の発着場に行くと、既に四人乗りのホークザイルが発進できる状態で待機していた。
運転席には今回運転を任せる兵士がおり、私とアヤナミ様が後部席に乗り込むとすぐさまホークザイルは出発した。
ユキ君とスズ君は、別のホークザイルで後から追ってきている。
『第6区へ行くんですか?』
「そうだ」
鞄の中身は第6区の地図が大半だ。
朝集めたのは第6区や第2区、そしてその周辺の資料が多く、現在向かっている方角には第6区がある。
なのでそうなのではないかと思ったのだが、予想通りだったようだ。
「先日教会から姿を消したテイト=クラインの足取りが掴めたと連絡が入った」
『……!』
――テイトが……。
アントヴォルトへ向かう途中に教会の人間やテイトと接触した数日後に、そこからテイトが姿を消したということは大まかにではあるが私も聞き及んでいた。
アヤナミ様曰く、移動手段や時間の制約から第7区およびそこからの直接の移動が可能な第6区、第2区、第1区を特に重点的に捜索していたようだが、どうやら第6区で発見されたらしい。
「通行ゲートの警備も厳重にしていたはずなのだが、士官学校から脱走した時と同様、まんまとすり抜けられたようだな……」
そう呟くアヤナミ様は、少し不機嫌そうだった。
*
その後は特に会話も無く、第6区に入った。
テイトの痕跡が見つかったという場所の近くでホークザイルを降りて、私達を出迎えに来たこの区域の責任者と合流し、彼とその部下の案内でその場所へ向かう。
森の中を進んでいくと少し開けた場所に寂れた墓地が見えてきて、そのすぐ側には火を起こして食事をしたような形跡があった。
「この道の先にはハウゼン家の邸宅があり、本日午前10時頃、そこで帝国近衛兵の者がテイト=クラインと見られる少年、及びその仲間と思われる長身の男と男子児童と接触したとの報告がありました。また、この焚き火の跡に残された骨はこの付近に生息する巨大熊のものの可能性が高いとの調査結果が出ましたが、その熊は非常に凶暴で相当の手練でないと仕留めるのは不可能です」
ここまでの案内もしてくれた軍人さんが淡々と報告書に記載された事柄を読み上げていく。
しかし、そこから先は言葉の歯切れが少し悪くなった。
「それで……その……この道には警備の人間が配置されておらず…………」
「ハウゼン家から全ての港に通ずる道で検問を行うよう指示したはずだが」
「も…申し訳ございません!!」
「ハッハッハッ、こんな人喰猛獣が現れる山道を通るバカなどおりませんよ……」
その言葉の直後。
アヤナミ様の咎めも気にせず豪胆な笑い声を上げた責任者の男の脳天に、穴が空いた。
つい先程の発言を最後に地面に倒れた上司を見て、部下の人達は顔面蒼白だ。
そりゃあ、目の前でこんなことやられたら怖いだろうなぁ……。
「……丁度良い。お前達の実力を見せてみろ」
そう言って振り返った先には、控えていたユキ君とスズ君。
「テイト=クラインを追跡するのだ」
二人はアヤナミ様の言葉に頷くとホークザイルを発進させた。
彼等の後ろ姿が山道を港のある方角へと遠ざかっていくのを見送った後、
「もう此処に用は無い。帰るぞ」
アヤナミ様は踵を返して歩き出した。
私もその後を追う。
『もう帰るんですか?』
「見たところ大分時間が経っているようだった。奴等は既に遠くまで行っていることだろう。追っ手は付けた、彼等がテイト=クラインを捕捉すればじきに連絡が来る」
せっかくここまで来たのにほんの数分現場を見ただけで帰るのはどうかと思ったのだが、その言葉を聞くと反論のしようが無かった。
「それに、先に片付けておきたい用事もあるのでな」
加えて用事もあるということなら、確かにもうやる事の無い場所に留まるよりも要塞へ戻った方が遥かに有益だろう。
「それとルフィア、」
『はい』
「帰ったら話がある」
『?……わかりました』
――何だろう、話って…。
彼の意図を量りかねて首を傾げるが、アヤナミ様はそれ以上は何も言わなかった。
私達はホークザイルを停めていた場所に戻り、そこに乗り込んで元来た道を引き返す。
席は先程と同じく隣同士。
だけど、あの偉そうにしていたおじさんのせいかアヤナミ様からは不機嫌オーラが出ているので、気持ち離れるようにして座席に座った。
*
ホークザイルのエンジン音だけが聞こえる中で、流れていく外の景色を特に理由も無く眺める。
――アヤナミ様の話というのも気になるけど、そういえば昼頃のアレも気になるよなぁ…。
ふと、忘れかけていた気掛かりなことも思い出してしまい、つい微妙な気分になる。
しばらくそれらに思考を巡らせてみたり、要塞を出る前にアヤナミ様に言われた言葉を思い出してニヤニヤしてしまいそうになったりしているうちに、私はだんだんと眠たくなってきてしまった。
ホークザイルの適度な揺れもまた心地好い。
もう夜も遅い時間だから仕方ないといえば仕方ないだろうが、今はまだ仕事中なのだからこんな所で寝るわけにはいかなかった。
――昨日はちゃんと寝たはずなのに…。
うとうとしながらも、必死に睡魔と戦う。
寝ちゃだめ……寝ちゃだめだ……。
ひたすらそう念じてはいたものの、結局その強敵に勝つことは出来ず。
私の意識はそこで途切れてしまった。
* * *
(アヤナミside)
全くもって不愉快だ。
彼等が指示通りに動いていれば、今日テイト=クラインを捕獲することができていたかも知れないというのに…。
テイト=クラインが特権区域である第7区を出た今、奴を捕まえる手段は大幅に増えた。
今日も折角絶好の機会があったというのに、それをみすみす逃してしまったのは悔やまれる。
やはりこれからは顔も名前も知らぬ下っ端ではなく、相応の実力を持ち信頼出来る部下を動かすべきだろうか。
それに、場合によっては私自らが出向くのも悪くはない。
そんなことを考えていた時だった。
「……?」
ぽふん、という感触と共に、急に肩の辺りに重みを感じるようになった。
外に向けていた視線を戻すと、隣に座っているルフィアがこちらに凭れかかってきていた。
前髪の奥に見え隠れする目は閉じられ、規則正しい息遣いが感じられる。
どうやら彼女は眠ってしまっているらしかった。
そういえば、先程から視界の端で船を漕いでいる様子があったような気もする。
既にかなり遅い時間だから眠くなるのも仕方ないだろう。
しかし、移動中は何者かに襲われる可能性もゼロではないのだから、こんなに無防備に寝られては困るのだが…。
ハァ、と呆れ混じりに溜息を吐く。
しかし、かと言って何故か起こす気にもならず、私はただ彼女の寝顔を眺めていた。
数週間前に病院送りになった際、白いベッドに横たえられた時に見た彼女の寝顔は血の気が失せて青白かったが、今は健康的な白さをしている。
しばらくそのまま眺めた後、起こさないようにそっと彼女が居るのとは反対側の手を伸ばして顔に掛かった前髪を除けてみたり、ふにふにと柔らかい頬をつついてみたりつまんでみたり。
そうしていると不思議と先程までの苛々した気持ちは静まっていった。
元々は最近様子のおかしかったルフィアをたまには――と言ってもアントヴォルトに行ってきたばかりだが――外へ連れ出してみようかと思ったのと、ホーブルグに置いてきて私の目の届かない所で今朝のようにヒュウガなどにちょっかいを出されては困るということで、本来は大した用事も無いのに連れて来てみたのだが、予想外に役に立ったようだ。
しばらくするとホークザイルは第1区に入り、遠くに特徴的な形をした要塞が見えてくる。
――“帰ったら話がある"
ある意味では勢いに任せて言ってしまったその言葉であるが、若干の後悔もなくはない。
しかし、今のままが一番良いとは思っていても、今後のことを考えるとそうもいかないだろう。
やはりそろそろ話すべき事柄ではあった。
切り出したからには後戻りはできない。
最後にもう一度、一向に目覚める気配の無い彼女の頭を優しく撫でてから、視線を遠方へ外に向ける。
そこに存在していることを示すため幾つもの小さな赤や白の光を発して暗闇に浮かび上がる要塞は、もう随分近い所まで迫ってきていた。
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