第二十三話 過去との邂逅
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過去というものは、否応なしに私に付き纏う。
永遠に離れることなく後ろをついてくる影のように。
逃れようとしても、その存在を記憶から追い出そうとしても、それは確かに私の傍に居て。
そしてまた、私はその闇に飲み込まれていくのだろうか――…
* * *
目が覚めると、そこは薄暗い部屋の中だった。
光源は、柵の嵌められた曇りガラスの小さな窓だけ。
薬の効果が残っているのか未だに朦朧とする頭を押さえながら、上半身を起こしてみる。
部屋の中には、特に何も無かった。
ベッドと、大きなクローゼットと、本棚と、水道。
横の小さなドアの向こうは……確かお手洗いと浴室。
ただそれだけ。
床に寝かされていたらしい私も、ろくに拘束もされていないし、目の前の半開きのドアは私が逃げる事を拒もうとはしていない。
あるのは、私の右の足首と近くの柱とを繋ぐ鎖だけ。
そして、その風景には見覚えがあった。
思い出したくなんてないのに。
悪夢なら、早く終わってほしいと思うのだが……。
床の冷たさも重たい鎖の感触も、全て現実のもののようで。
一体何故こんな所に居るのだろうと、まだうまく回転してくれない頭で考える。
だが、当然答えは見付からない。
…………そして。
足音が聞こえてきた。
遠くからこちらへ近付いている。
周りが静かだから、その音だけが嫌に響いていた。
やがて、その足音の主がドアを開いてこの部屋の前に立ち、
「もう起きていたのか……。
久しぶりだな、化物」
しわがれた声でそう言った。
* * *
(アヤナミside)
「ルフィアが居ない……だと?」
「そうなんだよアヤたん!!部屋にも居ないし、食堂とか倉庫とかルゥたんが行きそうな所は全部捜したのに何処にも居なくて…」
「…………少佐、倉庫は行かないと思いますけど……」
今朝、ルフィアは姿を現さなかった。
普段彼女は遅刻などしなかったので皆珍しがっていたが、昨日の書類処理で疲れたのだろうとあまり深刻には考えていなかった。
そして、本来の出勤時間から少し時間が経った頃、ヒュウガが――どうせサボりの口実だったのだろうが――ルフィアを起こしてくると言い出して執務室を出て行き……。
帰ってくるなり、ルフィアが居ないと騒ぎ立てたのだ。
「ねぇどうしようアヤたん!!ルゥたんよく迷子になるって聞いたけどさ、またどこかで迷子になってたらどうしよう!!」
「……落ち着けヒュウガ。
今までルフィアは普通に出勤してきていたのだ。今日突然迷子になるなどありえない」
「だ、だったら……ルゥたんは何処に…?」
柄にもなく心配そうな顔をしてヒュウガが言う。
「…………それは、本人に聞けばはっきりするだろう」
「それじゃあ…」
「さっさと探して連れて来い」
そう吐き捨てると、普段は滅多にそんな事はしないくせに、ピシッとした敬礼をして駆け足で部屋を出て行ってしまった。
しかも、私はヒュウガだけに言ったつもりだったのだが、他の面々まで彼の後を追うようにして部屋を出て行き……。
あっという間に、この執務室に残っているのは私だけとなってしまった。
「まったく、あいつらは…………。
しかし、ルフィアが無断欠勤の上失踪したとは…………帰って来たら、きつい灸を据えてやらねばな…」
言って、読んでいる途中だった書類に再び目を通し始める。
…………が、どうにも集中出来ない。
文字を読んでいてもそれが全く頭に入って来ない。
彼女の事が、頭の片隅から離れない…。
そういえば、数日前もそうだった。
ルフィアが居ないとどうにも調子が狂う。
しかも今回は、失踪の原因が分からない分余計に気に掛かる。
「…………仕方ない、私も探してやろう」
そう呟いてペンを置き、結局私も執務室を後にした。
* * *
(ルフィアside)
「…………しかし……やはりお前は生きていたか……」
『……何の話ですか。というか誰ですか』
私が訝しげな視線を向けると、彼はむすっとした表情に変わった。
「俺の事も覚えてねぇのか…。過去の事なんてすっぱり忘れて、お前だけのうのうと楽しく暮らしてるっていうのかよ」
彼の瞳に怒りの色が宿る。
しかし、怒られる意味が分からない。
「だが、この部屋のことは覚えているだろう?悪魔の娘……ロレンシア=アイリス」
『……!!』
ビクッと肩が震えた。
『……何でその名前を……』
知っている人間はもう居ないはずだった、十年前に捨てた名前。
なのに、何故こいつは……。
「俺はこの家の使用人だったんだよ」
『嘘……だって、一人残らず殺されたはず……』
「運良くあの時は休暇中だったんだ」
――そんな馬鹿な…。
軍がそんなヘマをするはずがない。
……それとも、何も知らないような末端の使用人の生死などどうでもよかったのだろうか…。
「十年前……ラグス戦争終結直後のあの日、この家に居た者は皆殺しにされた。この家の――アイリス家の者はもちろん、当時働いていた使用人達も全員。
しかしお前の死体だけは出て来なかった。世間には公表されていない娘だったのだから他の者は何も思わなかっただろうが……。
だが俺は、俺だけは、お前がまだこの世の何処かに居るのではないかと思っていた。そして実際、お前は生きていた」
少し遠い目をしながら、彼は思い出話をし始めた。
「そう、生きていた。瞳の色も名前も変えて、一人だけ生き残っていた。だが…………お前は、生きてるべきじゃないんだよ、化物」
言いながら、何故か彼は部屋を出て行って、そしてすぐに戻ってきた。
たくさんの刀剣類をその手に抱えて。
それを一旦床に下ろし、一本だけ持って鞘から抜く。
「どうだ、すごいだろう?この日のためにわざわざ集めたんだよ。どれも切れ味の良い一級品だ」
わざとらしい様子で私にそれを見せつけてくる。
そして、
「使い道は、分かるだろ?」
その切っ先を私に向けて、
「お前を殺すためだよ」
ぐさりと私の左肩に突き刺した。
*
『っああぁっ!!』
焼けるような激しい痛みが走り、思わず悲鳴が漏れた。
刺された所から生暖かい血が溢れ出すのが感じられる。
「はっ、化物でも血は赤いのかよ」
彼はそんな事を言いながら更に深く剣を刺して、ぐりぐりと傷口を広げる。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
でも、痛みのおかげで朦朧としていた意識がはっきりしたような気がする。
反撃するべく、何とか空いている方の手でザイフォンを出して投げ付ける。
しかし、少し掠っただけで避けられてしまった。
「ちっ、危ねぇじゃねーか!……そうか、こっちの手も封じておいた方がいいのか」
そう言うと彼はもう一本剣を拾ってきて、今度は右腕を刺される。
そして、
「足も使い物にならねぇようにしとくか。逃げられたら困るし」
両太股にも剣を突き刺された。
その度に痛みで悲鳴が上がる。
「はははっ。痛いか?痛いだろ?でもそう簡単には殺してやらないぜ。お前は苦しみながら死んでいけばいいんだ!」
狂気に満ちた笑顔を浮かべてそんな言葉を叫び始めた。
『………………私を殺して、どうすんの……』
痛みをこらえて喋る。
すると彼は得意げに答えた。
「決まってんだろ。復讐だ」
『……私が、何をしたって言うの』
「は?何言ってんだよ。お前のせいで皆死んだんじゃないか。とぼけんなよ!」
腹を蹴られ、刺されるのとは違う鈍い痛みに襲われる。
――随分酷い八つ当たりじゃないか…。
『……私は、何もしてない。そんな力なんか、私には無い。全部…あいつらの自業自得じゃん』
そう。そんな力なんて無いはずなんだ。
私の“運命”に周りを巻き込んだりなんて、しないはずなんだ。
私は関係無い。きっと私がこの家に生まれてなくてもこうなっていた。
しかし。
「黙れ!!」
そんなのは認められないとばかりに彼は叫ぶ。
「全部お前のせいだろ?この家はお前のせいで呪われた!だから皆死んだんだ!
当主様だったバルチカ=アイリス様もその妻のリサ様もそれはそれは素晴らしいお方だった。なのに……何故あのお二人も死ななければならなかったんだ?!」
どうやら彼は随分とその二人を敬愛しているらしかった。
そして私を彼等の仇だと思っている。
しかし、
――嫌な名前を思い出させないでよ…。
私にとってそれは、この世で一番嫌いな人達の名前だった。
『…………』
「お前が居るだけで災厄が撒き散らされて、周囲の人間は皆不幸になるんだ!お前はこの世に居るべきじゃない!だから俺が殺してやる!!
――そうだろう?お前が居て喜ぶ人間なんていないんだ」
『…………そんなこと、ない』
「は?」
――ブラックホークの皆さんは…
『…………私のことを、“仲間”だと言ってくれる人達が、居るんだから……』
「どうせ、そんなの嘘だろ」
『っ、違う!そんなこと無い!!』
「そうに決まってるさ!お前みたいな気味の悪いガキ、誰が仲間だなんて思うんだよ?!」
『!!』
――違う。
――そんなこと無い。
違う。違う、違う、違うっ!!
そんな叫びが喉元まで込み上げてくる。
しかし、それは言葉になる事無く消えていってしまった。
心が揺らいでしまったから。
もしかしたら、こいつの言っていることが本当なんじゃないかって、思ってしまって……。
こんな奴の話なんて信じる必要は無いと、分かっているのに。
なのに。
彼の刃が私の身体を貫くように、彼の言葉が私の心を貫く。
涙が、溢れてゆく……。
「やっと分かったか、化物。お前に生きている価値は無い。孤独と絶望と苦しみの中で死んでいくのが、お前にはお似合いなんだよ」
――何で、そんな事言うの…?
何も知らないくせに…。
分かったような事、言わないでよ。
『――……貴方に、何が分かるって言うの…』
私を見下ろしている彼を、きつく睨み据えて言う。
『孤独も、絶望も、苦しみも、私が――“私達”が、何度味わってきたと思ってるの』
思い出すのはたくさんの前世達の記憶。
そのほとんどが、幸福とは言えない一生で。
そしてそれは“神”に嫌われた代償。
天から堕とされた“天使”の末路。
しかし……そんな運命を、甘んじて受け入れるのはもう……。
『もう嫌なの!私は、今度こそ幸せな人生を送りたいの!やっと掴めそうな気がしていたの!なのに…………あんたなんかに、それを邪魔されたくない!!』
叫んだ瞬間、その声に呼応するように周囲の影が急速に膨張して、沢山の闇徒が現れた。
『私はまだ死にたくない!!』
その闇徒が鋭く尖って、彼に狙いを定める。
「やっ、やめろっ!!穢れた化物のくせに…っ!!」
急に彼の顔色が変わった。
先程までの余裕と嘲笑は消え、恐怖がその顔に張り付いている。
でも、そんな事はどうでもよかった。
まだ死にたくない。
――私にはまだ、やらなきゃいけない事があるんだから。
そして、
闇徒が、彼を貫いた。
*
彼が床に崩れ落ちていく。
それを見て、頭に上っていた血が少しずつ引いていった。
この部屋に溢れていた闇徒達も徐々に去っていって、残ったのは私だけ。
“……大丈夫か?”
慣れ親しんだ声が聞こえて、急に現実に引き戻されたような気がした。
終わったんだな、という奇妙な安心感が私の心を包み、誰に向けた訳でもなく微笑む。
『……多分、大丈夫』
“……ルフィア、すまない。こういう時、オレは何も出来ないから…”
『大丈夫だってば。……だから、ルークが…そんな風に思ったり、しないで』
“あんまり喋るな、傷に響くだろ”
――うん…。
珍しく元気の無い声を出す彼。
何だか申し訳無くなる。
――……ごめんね、ルーク。
“何がだよ”
――あんな事言ったけど、やっぱり駄目かも知れない…。
四肢も満足に動かない。
これではここを出るどころか、歩く事も、立ち上がる事すら不可能だろう。
こんな状態では力を使うのも無理そうだし…。
それに、傷口からもぱっと見ただけでヤバそうなくらいの量の血が流れ出していて、床に大きな水溜まりを作っている。
闇徒が傷口に巻き付いて血を止めようとしているけれど、もう遅いだろう。
血を流し過ぎたせいでまた意識が朦朧としてきた。
“大丈夫だよ!あいつらが……ブラックホークの奴等が助けに来てくれるって!”
――そう、かな…?
そうだったらいいなぁ……なんて思うけど、来ないんじゃないかという諦めも頭をよぎる。
来てくれたとしても、もしかしたら間に合わないかも知れないし…。
――あと…もう一つ、ごめんね。“約束”、ダメにしちゃうかも知れないから…。
“そんな事気にするなよ!”
――でも、それじゃあルークが……。
“馬鹿かお前は!そんなの今はどうでもいいだろ?!オレの心配なんかより自分の心配しろよ!!”
ルークが声を荒らげるが、その叫びもだんだん遠退いていく。
瞼が重くなってきて、ちょっと気を抜いたらすぐに意識を手放してしまいそうだ。
……でも、最後に一つだけ…。
――…ねぇルーク、
“何だよ…?”
――私が死んだら、皆は悲しむのかな…?
“……悲しむに決まってるだろ、馬鹿”
――……そっか…。
それだったら、私が生きてた意味もあったのかな…。
そう思うと何だか穏やかな気持ちになれて、私はゆっくりと目を閉じた。
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