外国名の方が話の都合上良いかと思います。
タンザナイトの見る先
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船が風を切り、そして波が船体にあたる音に混じって、誰かの鼻歌が聞こえた。
「えらくご機嫌だな〜、ドフィ」
船頭に立つ桃色の背中に向かってトレーボルは話しかけた。
べたべたと粘着性のある液体を撒き散らしながら移動するものだから、後ろにいる清掃係の下っ端が一生懸命汚れたそばからモップで綺麗にしていく。
なんせ役に立たない下っ端の命は、幼児を前にした蟻よりも軽い。
トレーボルの言葉が聞こえないかのように、ドフラミンゴは鼻歌を続ける。
口角を耳に届きそうなほど吊り上げて、指先を空中に踊らせながら歌われるその音色は少しアップテンポで、そのことに気づいたトレーボルはサングラスの奥でその目を僅かながら見開いた。
———これは、本当に珍しい。
トレーボル以外の船員たちは、そんな我らが船長の様子に心中首を傾げながらも各々の仕事を続ける。
ドフラミンゴの指の動きは何も知らない者から見れば、いつものように能力を発動させているのだろうと思ってしまうが、彼をよく知る幹部たちからすれば一目で違うと分かった。
ドフラミンゴの指先は、目に見えぬ空想のピアノの鍵盤を弾いていた。
海賊でピアノを弾ける者は、その船の音楽家を除いてはそう多くない。
そもそもこの世界でピアノを弾ける者は大体が貴族か裕福な家の生まれだ。
つまり、見るものが見れば分かってしまう彼の出自を匂わせるようなことを、いくら自身の船員の前といえどするのは本当に珍しいことだった。
おまけにその曲はアップテンポ。予想をつけるに、ワルツあたりだろう。
ドフラミンゴは派手な見かけによらず、低くゆったりとした、それこそ夜想曲のようなものを好む。
破滅主義のくせにこの男、案外ロマンチストなのだ。
何か面白いことでもあったのだろうか、と考えるも思いつかない。
この船旅が始まる前だって何一つ変わったことはなかった。
いつも通り幹部同士で食事を取り、こちらを馬鹿にする者を磔にし、取引を踏み倒した奴らを殺して見せ物にした。
普段となんら変わらない海賊にありふれた日常。
いや、変わったことといえば一つあったか。
今回の取引はいつもより少し大きいものの、トレーボル一人で事足りるものだったのだが、出発の数日前にドフラミンゴがいきなり同行するとヴェルゴを通して言ってきたのだ。
そのことに気づいたトレーボルは、大方ヴェルゴがドフィの気にいる話でもしたのだろうと結論づけ、自分の部屋へと戻る。
先程の思考から頭を切り替えてこれから行う取引でどうしたらより自分たちが利益を得られるのか考えながら。
自分はドンキホーテ海賊団の参謀。覇者への道を切り開くのが自分の使命だ。
いつかその道の先で、今のように機嫌良く笑う我らがキングが不敵に王座の席に座る姿を想像して、トレーボルはべへへと鼻水を垂らしながら笑った。
鼻歌を歌いながらドフラミンゴは目の前の海を見つめる。
今回の取引相手はとても慎重、言い換えればとても臆病な男であるため取引物の受け渡しは海上で行うことに決まっていた。
指定された所に着くのももうあと一時間もないといった所だろう。
ドフラミンゴはもう待ち遠しくて仕方がなかった。
取引ではない。この船に乗ることになった決定打の『船狩り』と出くわすことが堪らなく楽しみだった。
何故こんなにも待ち遠しいのか、ドフラミンゴ自身もよく分かっていない。
ただ、確信はあるのだ。運命にも似たような感覚が、『船狩り』と出会うことで己の何かが変わる確信が。
今までの人生で起こった変化は、彼にとって悪いものばかりだった。
十年以上経った今でさえ、そのことを思うと地獄の業火のように憎しみが燃え上がる。
でも、今回はいつもとは違うような気がするのだ。
勘なんぞに振り回されるなど全くもって自分らしくはないが、ドフラミンゴは本当に『船狩り』に会うのが楽しみだった。
性別も、名前も、能力も、経歴も、思想も。
相手のことはヴェルゴから聞いた以上の何も知らないというのに、どんな奴なのだろうと考えるだけで戦う時のような高揚感が湧き上がる。
その感覚につれて、ドフラミンゴの指の動きがより一層速くなる。
「う、うわあ!体が、急に!」
「フッフッフッフッフッ」
それでもこの衝動になんだかもう堪らなくなって、ドフラミンゴは振り返って偶然目に入った船の床を必死にモップで磨いている船員に糸を伸ばし、モップ相手に躍らせた。
堪らず笑いが漏れて、頭の中では壮大な協奏曲が流れる。
やはり愚者が踊るときは、踊る者が弱くあればあるほど曲は力強く、壮大で、畏怖を感じるものでなければならない。
自分も操られたくはない、といったように船員たちが避けていくのも気にせずドフラミンゴは踊らせ続ける。
暫く踊らせていると、急に糸を解いてドフラミンゴは海の先を見据えた。
清掃係の彼は急に支配権を戻された自分の身体に驚いて、べしゃりと床に倒れ込む。
慣れないことを数十分もさせられたため、汗をびっしょりかいてはその汗が床を汚すのを見て、また掃除し直しだと彼は泣きそうになった。
「おい。トレーボルに先に行ってるって言っとけ」
「え、え、あの、はい!」
近くにいた船員にそう言い捨てて、ドフラミンゴは雲に糸を伸ばして体を浮かし、そのまま空を飛んで取引場所のある方角へと飛んでいってしまった。
残された船員はそんな船長の姿が小さくなるまでしばし茫然としていたが、はっと意識を取り戻すと急いでトレーボルの元へと伝言を伝えに走った。
風に桃色のコートを揺らしながら、空を飛んでいく。
その顔には常の何倍も凶悪な笑みが張り付いていて、大の大人でさえも逃げ出してしまうくらいの恐ろしさだ。
———匂いがした。
風に乗って僅かにではあるが、自分たちが取引場所としている場所だろうところから、匂いがしたのだ。
その匂いは、平穏に生きていれば死ぬまで感じることのない、海賊である自分には慣れ切った、
———硝煙と、炎と、血の匂いがした。
もしドフラミンゴの予想が正しければ、この先にいるはずだ。
待ちに待った、『船狩り』が。
取引場所となっているところに着けば、そこに広がっていたのは轟々と燃え盛る炎と元はさぞや立派な船だったのだろうと予想できる、ぷかぷかと浮かんだ木片。
そして普通の海賊船より二回りほど小さい木造の船だった。
ドフラミンゴはその船に降り立とうとして、何か悪寒が走ったので近くの一等大きな木片の上に降りた。
うめき声が聞こえて足元を見てみると、自分が乗っている木片に今回の取引相手だった男が血みどろでしがみついている。
もう声も出せないようで、口をはくはくと動かしながら —助けてとでも言っているのだろう—こちらに手を伸ばす。
それがとてつもなく不愉快で、もう取引もできないだろうしとドフラミンゴはその男の指を切り落として海へと突き落とした。
「てめえ如きが俺に手を伸ばすな」
「ずいぶんと、らんぼうな方ね」
男が溺れていくさまにそう言い捨てると、後ろから突然声がした。
反射的に勢いよく振り返れば、自分のちょうど真後ろにある木片の上に一人の女が立っている。
その姿を見とめた瞬間、ドフラミンゴは背筋に電流が走ったような衝撃を感じた。
女と言ってもいいのだろうか。少女のような幼さも残った、成人もしていなさそうな女である。
髪は月光に揺らぐ水面のように黒く艶やかで、肌は新雪のように深い白色だ。
身につけている衣服は身体の形に沿ってぴったりとした形のドレスで、黒地一色であるにも関わらず野暮ったさを感じさせないデザイン、そして布地も一目で上等なものだと分かるほどに滑らかであることから、女が相当裕福な育ちなのは明らかだった。
顔以外の全てを漆黒で包んだその女の周りは、太陽が真上に昇っている真昼間だというのにも関わらず、夜の気配があまりにも濃厚だ。
何かを憂いているような目元では、泣いているような睫毛の間から翡翠色の瞳がのぞいては、ドフラミンゴを射抜く。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
そう声をかければ、女の目が驚いたように丸く見開いた。
そして誰もが見惚れるような微笑みを浮かべたあと、真紅に色づいた唇から女にしては少し低い、穏やかな声で言葉が紡がれる。
左の口元にある小さな黒子が話す度に揺れて、人形のような美貌に生気を宿していた。
「こんにちは、紳士的なひと」
ドフラミンゴは大声で笑い出しそうになるのを我慢する。
やっぱり、来て正解だった。
「お嬢ちゃんの名前は?」
「ヴィル。ヴィル・アダムズよ。あなたは?」
「ファーストネームが先とは珍しいな。俺はドンキホーテ・ドフラミンゴ」
「そう。それで、ミスター・ドンキホーテ。わたしになんのよう?」
微笑みを浮かべていながらも、彼女、ヴィルの瞳は相変わらずなにも映していない。
瞳は光を反射するばかりで何の感情も灯さず、綺麗なビイドロのようだった。
そのくせ何か力強い欲望は感じるのだから、ああ、面白い!
ドフラミンゴはヴィルに向かって糸を伸ばし、こちらへと移動させる。
少し驚いたような様子だったが、敵意がないことを分かっているのか、ヴィルは何の抵抗もしなかった。
そのままドフラミンゴの顔を真っ直ぐ見上げるが、暫くしたあと顔を顰めてこう言った。
「すこしかがんでくださる?くびがいたいわ」
「…フッフッフッ!そりゃあすまねえな」
確かにヴィルはドフラミンゴの半分くらいの背丈しかなかった。
顔を合わせるとなると、真上を向かなくてはならない。
そうまでして顔を合わせて話そうとするとは礼儀正しいことだ。余程親の教育が良かったのだろう。
言われた通りドフラミンゴは背中を丸めて屈む。
「悪いが、ミス・アダムズ。これだと俺の方が首が痛え。アンタのことを抱えてもいいか?」
「あら、まあ。そうね。ごめんなさい。どうぞおすきになさってちょうだい」
許可を取り、彼女を片腕で抱える。
普段ならば初めて会った異性に体を触れさせるなど絶対にしないが、きちんと挨拶をして、敬称もつけて呼んでくれる、いわゆる『ちゃんとした人』にこの世界で初めて会ったため、思わず許してしまった。
いや、そうでなくともきっと自分はこの男が自身の身体に触れることを許しただろう。
先程の糸のようなものだって、敵意がないとはいえ避けるべきだったし、実際簡単に避けることができた。
でもそうしなかったのは何故だろう、自分でもよく分からなかった。
それでもこの男と話をしていればその理由が分かる気がして、ヴィルは彼と話を続ける。
「わたしとなにが話したいの?」
「いや、話がしてえってわけじゃねえ。一つ頼みたいこと、いや、聞いて欲しいことがある」
「はじめて会ったわたしに?」
「あァ、そうだ。いいか?」
ヴィルは困ったように眉を寄せてから、すこし唸って、ないようによるわ、と答えた。
それにドフラミンゴはますます笑みを深くして、彼女の耳元に口を寄せて囁いた。
「俺の、家族になってくれねえか」
++++++
突然取引に同行すると言い出し、機嫌よく鼻歌を歌っていると思ったらこれまた突然船を飛び出し、勝手に取引場所に向かった我らが船長が、女を連れて戻ってきた。
挙げ句の果てには「新しい家族だ」とのたまっている。
「どういうことだ?!誰だ?!取引は?!金は?!」
自分勝手なのも突飛な行動ももう十年以上の付き合いだ。慣れている。
だが、慣れているのであって、許せるわけじゃない。トレーボルの怒りも困惑も至極真っ当なものである。
「取引相手は俺が着いた時にはもう死んでた」
「はあ?!」
「ごめんなさい、わたしがころしちゃったわ」
「はあ?!?!?!」
ねばあと粘着性のある液体を感情のままに飛び散らせながら、二人に近づく。
近づいた分だけ「寄りすぎだ。べたべたが付く」と女を抱えたままドフラミンゴが遠ざかった。
我がボスながら大変ムカつく態度である。
「おいおい、今回の取引はそこそこデカかったの分かってるだろ?!金は!どうするんだ!」
「フッフッフッ!そう怒るな、トレーボル」
「まあ、あの方たちドフィのおしごと相手だったのね。わるいことしちゃったわ」
「『ドフィ』?!?!?!」
「気にするな、ヴィル。あんな金、お前に比べたら端金だ」
「『気にするな』?!?!?!」
もう何がなんやらである。
初対面だろう女がドフラミンゴのことを彼が親しい者にのみ許す愛称で呼び、ドフラミンゴも幹部以外だったら絶対に殺しているだろう女の所業を許している。
オウムのように自分たちの言葉を繰り返すトレーボルにドフラミンゴが顔を顰めた。
「なんだ、うるせえぞ」
思わずお前のせいだと叫びたくなったが、すんでのところでその言葉を飲み込んだ。
そこでヴィルは心底申し訳ないというような顔をして、トレーボルに話しかける。
「あの、ミスター・トレーボル。そのとりひきでえられる予定だったきんがくはいくらくらいかしら?」
「金額?多分三億ベリーくらいはあったはずだ」
「さんおく…。だいたい35万がりおんくらいかしら。かわりにわたしがお支払いするわ」
「支払うっつったって、荷物一つも持ってねえじゃねえか。んねーっ」
「ヴィル、払わなくていいっつってんだろ」
「わたしのきがすまないのよ。ドフィにめいわくかけたくないの」
「フッフッフッ…健気なヤツだ…」
「人の話を聞け!!!」
もうトレーボルは倒れたかった。この数十分で一年分くらいの大声を出している気がする。
心なしか、一気に老け込んだような気さえして、30代もはじめだというのに腰と胃が痛くなってきた。
だから、次の瞬間ヴィルが空中を切り裂いて、その裂き目から大きめの旅行かばんと小さめのかばんを一つ出したのを見て、これは夢だな、とらしくもなく現実逃避をしそうになった。
そしてその小さなかばんから、明らかに容量と全く釣り合っていない山ほどの金貨を出し始めたのを見て、変なクスリでも飲んだのかもしれない、と自分を疑った。
「これくらいでいいかしら?」
「いいも何も…ヴィル、今のはなんだ?」
「くうかんまほうよ。くうかんのていぎをかばんにおきかえてつかってるの」
「魔法…?能力じゃねえのか?」
「のうりょく…?それがなにかはしらないけど、わたしがつかったのはまほうよ」
わたし、まほうつかいなの。
トレーボルは今度こそ気絶した。
彼にしては珍しい、キャパオーバーによる気絶である。