番号のないサンプル
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大通りを海賊が闊歩しても騒がれない。店の者も商魂たくましく、いかにも観光地らしい。野郎どもに言われるがまま、屋台を練り歩く。ふと、陳列品の一点が目にとまる。
「いらっしゃい」
店主のセールストークを右から左へ聞きながし、品物を注視する。鼈甲の髪飾り。海洋生物由来なので浸水しても問題ない。額も確認せずに購入。まわりからとやかく言われる前にポケットへ突っ込んだ。なぜこんなものを買ったのか。判然としない。以降、ポケットの中身を忘れるよう努める。はしゃぐ野郎どもを引き連れ、大通りを抜けることだけを考えた。
電伝虫が鳴る。船番からだ。開口一番に耳をつんざくような叫び声がひびいた。
『ナマエが! さらわれた!』
とにかく走る。まずは状況報告を。ポーラータングを停めた岩場に海賊船が出現。網を放ち、海面から顔を出していたナマエを捕らえた。
「海賊船はどこにいる。見失ってねェだろうな」
頭のなかでは最悪の状況が走馬灯のように駆けめぐった。岩場まで一キロメートル。なりふり構わず地を蹴る。
『レーダーで捉えている。あのタイプは速度が出せねェはずだ。ポーラータングが本気を出せばすぐに追いつく』
船番の言葉を信じる。後方から全員付いてきていた。数人遅れているので、大声を張り上げる。
「いそげ! 乗り遅れたやつは置いていくぞ!」
ポーラータングに飛び乗る。海賊船はキューカ島から離れていた。船を発進。船番から海賊の特徴を聞く。
「ひとり能力者がいた。バカでかい網を出したのもそいつだ。手配書も見つけた。四千万」
テーブルに海賊の手配書が叩きつけられる。こいつが船長。顔を記憶。
「帆は全部たたんでいたから、おれたちがハートの海賊団だとは気づいてねェはずだ」
現在、自分についている額は九千万。最近ようやく名を認識されるようになった。つまり、オペオペの能力も向こうは把握していない。五分後。海賊船に追いついた。ポーラータングを真下につけて一気に浮上。外へ出るまえに船員へ指示を。
「いいか。ナマエを売買するなら傷は付けないはずだ。倉庫、船長室、宝部屋。水場も調べろ。おれは頭を潰す。ROOMで一気にケリをつけるぞ。巻き込まれるなよ」
最後の言葉は冗談ではない。半数が小さく悲鳴を上げた。海賊船に乗りこむ。まずはROOMを。甲板の全員をバラし、扉という扉を探す。上階の広い一室へ飛びこんだ。予感は的中。四千万の男が椅子から立ち上がる。
「取引って顔じゃねェな」
酒瓶を片手に、何を悠長に。ナマエはどこだ。
「わるいが、どんなに金を積まれても人魚は売れねェな。こいつはオークション行きだ。とんでもねェ額がつくぞ」
悲鳴が届く。男の足もとに布袋が。動いた。あの大きさ。まさか、あの中に、
「うるせェ。だまれ」
すでにROOMは張っていた。感情に身を任せ、加減もせずに鬼哭を振りまわす。相手も網を出すが、すべて斬った。口を封じるため、まっさきに顔をバラす。ついでに部屋もぶった切れたがどうでもいい。
「てめェみてェな野郎がいるからだ」
絶対に近づかなかった陸に、なぜナマエが来てしまったのか。
「こいつに手ェだすな!」
全身を均等にバラし、心臓を海へ投げる。足早に袋へ近づいた。
「ナマエ。おれだ。ローだ」
袋を切り開く。中のナマエは口をふさがれていた。すでに涙がこぼれている。
「じっとしてろ。全部ほどいてやる」
抵抗は止んだが、体が小刻みにふるえる。ロープを外し、口のひもを切る。問答無用で抱え上げた。
「遅くなって悪かった」
甲板へ出れば、残党と船員がやりあっていた。見せしめのために、バラした頭の一部を海賊どもへ投げつけてやる。すでに頭は死んでいた。能力者の心臓を海へ投げたのだ。手下どもは武器を落とし、ひざを着く。決着はついた。目に付いた宝と食料をポーラータングへ運び、海賊船を離れる。あえて船は破壊しなかった。断片が海を漂流すれば、ナマエと遭遇しかねない。キューカ島へもどった。
ナマエを自室のベッドに寝かせる。傷はロープの摩擦くらいだが、また鱗が大量に剥がれてしまった。先日の分がまだ再生していないため、残った鱗は数えるほどしかない。処置を終えたが、無言で立ち去る気にはなれない。横になるナマエのそばで腰を下ろし、無心で顔を見つめる。涙は止まっていたが、なかなか目が合わない。意図的にそらされていた。我慢しきれず、声をかけてしまう。
「のどは渇いたか」
ナマエは首を横にふるだけ。
「腹は」
ノー。
「眠いか」
これもノー。質問が尽きた。船員に話をしにいきたいが、このまま部屋に放置していいのか。
「すこし、あらい、たい」
途切れがちにこぼれる。
「どうした」
まだ目は合わない。
「真水でいいから。せっけんで」
となりに浴室はある。先に蛇口をひねり、バスタブに水を張っておく。慎重にナマエを抱き上げた。まだこちらを見ない。
「これでいいか」
水風呂に入れて、石鹸を渡す。受け取ったものの、一向に手は動かない。泡立たせる気配もないので、しびれを切らし、石鹸を奪いあげる。できあがった泡を彼女の手にのせた。
「おれがいると邪魔だろ。時間も気にしなくていい。ゆっくり浸かれ」
そのくらいの分別はついている。立ち上がったところで呼び止められた。
「ごめんなさい。手が、うごかない」
バスタブそばでひざを着く。目線の高さも合わせた。しかし自分を見ない。さけられていた。
「無理に洗わなくていい。ロープの痕はさっき消毒した」
だからこそ、どこを洗おうとしているのか。
「ちがうの。まだ、消毒できていない、ところが」
涙が一筋こぼれた。瞬間、悪寒が走る。あいつ、何をした。
「わかった。無理するな。どこを消毒すればいい」
消毒液を持ってくるか。いや、石鹸のほうが。ふつふつと怒りが込み上げる。もっとバラすべきだった。
「ここと、ここ」
指さしたのは胸もと。そして首筋。彼女の手にのせた泡をすくい取り、考える。素手ではなくタオルに泡を。こすらない程度にタオルを滑らせていく。念のため、肩口と背中、うなじも洗う。
「ここで、最後」
くちびる。あの下衆な顔が目に浮かび、腸が煮えくり返る。売買するから傷をつけないだと? どの口がほざいた。なんて浅はかだ。奪われたら奪い返す。相手を斬ればいい。今まで、宝なら問題なかった。だが彼女は生きている。意思がある。傷を負う。心にも、体にも。
「口の中も洗うか」
まさかとは思うが。彼女が小さくうなずく。ちょうど口内洗浄液があるので手渡し、口をすすぐ様子を見守る。最後に指を突っ込み、吐きはじめた。どれだけ続いたか。もう見ていられない。手首をつかみ、こちらを振り向かせる。きつく抱きこんだ。
「おちつけ。もう全部吐いた。もう、大丈夫だ」
むせているので背中をさすってやる。五分は経過した。乱れていた呼吸も収まってくる。まだ腕をゆるめる気にはなれない。
「こわ、かった」
小さな音。今の今まで聞いていなかった言葉。
「ああ。こわかったな」
「ほんとうに、こわくて。もう、ぜんぶ、めちゃくちゃに、なるって」
「ナマエ」
すべて聞かなくては。
「ずっと、こわかった、のに。こわかった、から、陸も、船も、ぜんぶ、さけていたのに」
おれのせいだ。
「だから、みんな、海の底に、いるんだ。だから、みんな、たいようを、あきらめて」
悪かった。
「こんなに、つらい、なら、もう、もう」
嗚咽が。涙が。ただ強く抱き寄せるしかない。震えが止まるように、きつく、きつく。
「船長は強いから。この場所ならナマエも大丈夫だ」
シャチの言葉が何重にも頭で響く。何もかも楽観視していた。相手を斬ればいい。奪い返せばいい。その度にナマエの心身は削れていく。
「ナマエ」
名を呼ぶ。意味もなく呼びつづけた。
「ナマエ」
何かを隠している。本来伝えねばならない言葉を、あえてさけていた。
「ナマエ、ナマエ」
まだ強くない。ナマエの居場所をつくれるほど、自分は。
「ナマエ」
いや、強くなる。でなければ、何もたどり着けない。あのひとができなかった引き金を。
「ナマエ」
かならず強くなる。おまえの居場所をつくる。もう傷つけない。
そんな言葉ですら実行できない。音にならない。今の自分では、ナマエひとりを引き留める、実力が。なにもかも、すべてが足りなかった。
ナマエが寝付いたので、船員と現状を確認する。一度キューカ島を離れたので、記録はリセットされてしまった。さらに二日間の滞在が必要。時刻は正午。物資調達を優先させ、自分は船で待機。定期的にナマエの様子を確認。日が暮れていく。
夜空に花火が上がる。そういえば祭りがあると聞いていた。昼間の誘拐事件のこともあり、船員は揃いも揃って船にもどってきていた。めずらしく乾盃もせず、ちびちびと酒を飲んでいる。もう一度様子を見に行こうと立ち上がれば、車椅子に乗ったナマエが甲板に出てきた。野郎どもが一斉に群がる。
「外で爆発音がするから、気になって」
笑顔で受け答えする様子から、すこしは気分も落ち着いたようだ。車椅子から抱き上げて、特等席へ運ぶ。一番上の甲板へ。
「花火は見たことあるか」
首を横にふる。
「こうして見るのは初めて」
ふたりで空を見上げる。
「あの。すこし、くだらない話をしてもいいですか」
「どうした」
一応、横顔を確認。まだ花火を見ているので、自分も空へ視線をもどす。
「私の家、すこし普通ではなくて。自由に遊んだり、出かけるのも許されていませんでした」
話が読めてきたが、好きにしゃべらせる。
「特に異性との関係が。『悪い海賊に捕まる』と心配されて、ちょっと男の人と会うだけで、もう大変な騒ぎになって」
おかしくて仕方がない。悪い海賊? 一番タチの悪い野郎がここにいるというのに。水を差したくないので、懸命に笑い声を抑える。
「なので、両親が勝手に探してくるのです。その、お見合い相手、を」
笑う気分ではなくなる。
「たまたま、初めて会った方と、長いあいだおしゃべりしていました。話のついでに、と、髪飾りもいただいて」
ポケットの中身を思い出してしまう。
「実は、その方こそ、両親が探してきたお見合い相手でした。私は、お見合い相手からプレゼントを受け取ってしまった」
胸のあたりに妙な引っかかりが。
「私がプレゼントを受け取ってしまうほど相手を歓迎した、と両親は解釈してしまったようで。そのあとは、勝手に縁談が進んでしまいました。どれだけ反対しても、全然聞き入れてもらえなくて」
となりから大きなため息が。
「両親は安心したかったのだと思います。でも、我慢できなかった」
ありがちな家出理由だった。どこかで聞くような、絵に描いたようなお嬢さまで。
「急に全部が嫌になって、荷物も持たずにリュウグウ王国を飛びだしました。何も考えずに突っ走って、意識が朦朧とするなか、あなたに救われた」
そこでつながるのか。
「あなたの言うとおりでした。自力で食材も調達できない計画無しで、本当に自業自得で。だから恥ずかしかった。こんな理由で家出したなんて、なかなか話せなかった」
もし今の話を聞かなければ、花火を見ながら鼈甲の髪飾りを渡していたかもしれない。だが、彼女にとって髪飾りは見合い相手と同じ代物。同じ土俵に上がりたいわけではない。
ならば、自分はどうしたいのか。
「あなたに救われてから、たくさんのことを知りました。海藻も貝も自分で採れるようになった。食事もひとりでできます。船員のみなさんが陸のことをたくさん教えてくれた」
ナマエが甲板で日光浴をしていれば、たいてい何人かが話しかける。会話が盛り上がっていたことも知っていた。
「ずっと届かなかった太陽も見られた。家出してきて、本当によかった」
この場所にも満足しているのか。聞きたいが口は動かない。
「今だから言えるのですが。最初にポーラータングで目を覚ましたとき、私、捕まったのかと思いました。このまま奴隷として売られるかも、と」
怯えているのは分かっていた。
「でも、私の早とちりだった。あなたはすばらしい医者です。あなたに治してもらえて、本当に、感謝でいっぱいです」
こちらに視線が。適当な言葉も見つからず、帽子を深く被りなおしてしまう。
「この二週間、ほんとうに楽しかった」
おかしい。話の流れが、まるで、
「前に比べて、できることが増えました。だから、ひとりでも生活できるはず。ううん。ひとりでやってみようと思います」
待て。それは、つまり、
「まずは両親に謝ります。そして縁談の話も断る。前へ進もうと思います」
体ごと振り返る。ナマエもこちらを見ていた。なにか、何かを言わねば。
「おれは海賊だ」
「はい。手配書も見せてもらいました」
「この偉大なる航路の先に用がある」
「ええ。そこに『ひとつなぎの大秘宝』がある、と」
そう。彼女に何度も話したではないか。
「おれは、海賊だ」
まだだ。まだ言えていない。
「おまえの言う、悪い海賊だ」
彼女は笑顔になるだけ。それも、むずがゆいほどの微笑みを。
「ナマエ。おまえは、悪い海賊に捕まった」
言え。はやく言うんだ。
「今もおまえを捕まえている」
さらに笑顔が。はじけた。
「こんなにやさしくて悪い海賊、初めてです」
ちがう。ちがう。
「たくさん、いいことばかり教えてくれた。傷を全部治してくれた」
なぜ言えないのだ。おれは、
「ちょっとぶっきらぼうで、言葉も乱暴で。でも、手つきはとってもやさしい。あなたに傷つけられたことなんか、一度もなかった」
おまえを傷つけた。まさに今日、おまえを守りきれなかった。
「あなたはやさしいから私を見捨てない。だからあなたの足手まといになってしまう」
そんなことを考えていたのか。ちがう。ちがう。
「わたし、ハートの海賊団が好きです。『船員』と呼ぶあなたのことも、『船長』『キャプテン』と慕う、みなさんのことも」
「おれも好きだ。おまえが好きだ」
くすくすと笑みが。
「ありがとうございます。よかった、嫌われていなくて」
なにも伝わっていない。まるで、素通りされたかのような。
「もっと海を進んでほしい。たくさん冒険して。あなたの夢を叶えて」
「ナマエ、おれは、おまえを」
彼女が上を向く。ちょうど大型花火が上がったところだった。
「さようなら」
頬にやわらかい感触。とっさに腕をのばした。全力で抱きこむはずが、手は空を切る。指先がわずかに尾びれを捉える。だがすべて逃してしまう。海に落ちる音。船べりへ駆けて下をのぞく。だが姿形はない。ただ呆然と夜の海を見渡した。
わけも分からず自室へもどる。ナマエが寝ていたベッドには七色のきらめきが。また鱗が剥がれた。この部屋で何枚拾った。それだけナマエが傷ついたのだ。見えない傷を、何度も何度も。頭が痛い。吐きそうになりながら、すべてを拾い集める。これで百五十一枚。布に包んでいた分はシャーレに小分けしていた。これでシャーレ八個目。意識が朦朧とするなか、ナマエに関する資料を整理していく。カルテ、百五十一枚の鱗、そして、鼈甲の髪飾り。資料を保管する際は、かならずナンバリングする。どこに何を収納したか一発で見分けるため。だがカルテに書けない。シャーレに番号など。髪飾りはもってのほか。花火の音も聞こえなくなった。野郎の一人や二人、部屋に駆け込んできてもおかしくはない。それまでに整理を。記憶の整理を、ナマエの整理を。
せめてシャーレだけでも。これはサンプル。貴重な人魚のサンプル。採取した日付とナンバーを。数字の羅列を書くはずが、ペンが勝手に動く。すべてのシャーレに「ナマエ」と記し、髪飾りをポケットにもどした。
「いらっしゃい」
店主のセールストークを右から左へ聞きながし、品物を注視する。鼈甲の髪飾り。海洋生物由来なので浸水しても問題ない。額も確認せずに購入。まわりからとやかく言われる前にポケットへ突っ込んだ。なぜこんなものを買ったのか。判然としない。以降、ポケットの中身を忘れるよう努める。はしゃぐ野郎どもを引き連れ、大通りを抜けることだけを考えた。
電伝虫が鳴る。船番からだ。開口一番に耳をつんざくような叫び声がひびいた。
『ナマエが! さらわれた!』
とにかく走る。まずは状況報告を。ポーラータングを停めた岩場に海賊船が出現。網を放ち、海面から顔を出していたナマエを捕らえた。
「海賊船はどこにいる。見失ってねェだろうな」
頭のなかでは最悪の状況が走馬灯のように駆けめぐった。岩場まで一キロメートル。なりふり構わず地を蹴る。
『レーダーで捉えている。あのタイプは速度が出せねェはずだ。ポーラータングが本気を出せばすぐに追いつく』
船番の言葉を信じる。後方から全員付いてきていた。数人遅れているので、大声を張り上げる。
「いそげ! 乗り遅れたやつは置いていくぞ!」
ポーラータングに飛び乗る。海賊船はキューカ島から離れていた。船を発進。船番から海賊の特徴を聞く。
「ひとり能力者がいた。バカでかい網を出したのもそいつだ。手配書も見つけた。四千万」
テーブルに海賊の手配書が叩きつけられる。こいつが船長。顔を記憶。
「帆は全部たたんでいたから、おれたちがハートの海賊団だとは気づいてねェはずだ」
現在、自分についている額は九千万。最近ようやく名を認識されるようになった。つまり、オペオペの能力も向こうは把握していない。五分後。海賊船に追いついた。ポーラータングを真下につけて一気に浮上。外へ出るまえに船員へ指示を。
「いいか。ナマエを売買するなら傷は付けないはずだ。倉庫、船長室、宝部屋。水場も調べろ。おれは頭を潰す。ROOMで一気にケリをつけるぞ。巻き込まれるなよ」
最後の言葉は冗談ではない。半数が小さく悲鳴を上げた。海賊船に乗りこむ。まずはROOMを。甲板の全員をバラし、扉という扉を探す。上階の広い一室へ飛びこんだ。予感は的中。四千万の男が椅子から立ち上がる。
「取引って顔じゃねェな」
酒瓶を片手に、何を悠長に。ナマエはどこだ。
「わるいが、どんなに金を積まれても人魚は売れねェな。こいつはオークション行きだ。とんでもねェ額がつくぞ」
悲鳴が届く。男の足もとに布袋が。動いた。あの大きさ。まさか、あの中に、
「うるせェ。だまれ」
すでにROOMは張っていた。感情に身を任せ、加減もせずに鬼哭を振りまわす。相手も網を出すが、すべて斬った。口を封じるため、まっさきに顔をバラす。ついでに部屋もぶった切れたがどうでもいい。
「てめェみてェな野郎がいるからだ」
絶対に近づかなかった陸に、なぜナマエが来てしまったのか。
「こいつに手ェだすな!」
全身を均等にバラし、心臓を海へ投げる。足早に袋へ近づいた。
「ナマエ。おれだ。ローだ」
袋を切り開く。中のナマエは口をふさがれていた。すでに涙がこぼれている。
「じっとしてろ。全部ほどいてやる」
抵抗は止んだが、体が小刻みにふるえる。ロープを外し、口のひもを切る。問答無用で抱え上げた。
「遅くなって悪かった」
甲板へ出れば、残党と船員がやりあっていた。見せしめのために、バラした頭の一部を海賊どもへ投げつけてやる。すでに頭は死んでいた。能力者の心臓を海へ投げたのだ。手下どもは武器を落とし、ひざを着く。決着はついた。目に付いた宝と食料をポーラータングへ運び、海賊船を離れる。あえて船は破壊しなかった。断片が海を漂流すれば、ナマエと遭遇しかねない。キューカ島へもどった。
ナマエを自室のベッドに寝かせる。傷はロープの摩擦くらいだが、また鱗が大量に剥がれてしまった。先日の分がまだ再生していないため、残った鱗は数えるほどしかない。処置を終えたが、無言で立ち去る気にはなれない。横になるナマエのそばで腰を下ろし、無心で顔を見つめる。涙は止まっていたが、なかなか目が合わない。意図的にそらされていた。我慢しきれず、声をかけてしまう。
「のどは渇いたか」
ナマエは首を横にふるだけ。
「腹は」
ノー。
「眠いか」
これもノー。質問が尽きた。船員に話をしにいきたいが、このまま部屋に放置していいのか。
「すこし、あらい、たい」
途切れがちにこぼれる。
「どうした」
まだ目は合わない。
「真水でいいから。せっけんで」
となりに浴室はある。先に蛇口をひねり、バスタブに水を張っておく。慎重にナマエを抱き上げた。まだこちらを見ない。
「これでいいか」
水風呂に入れて、石鹸を渡す。受け取ったものの、一向に手は動かない。泡立たせる気配もないので、しびれを切らし、石鹸を奪いあげる。できあがった泡を彼女の手にのせた。
「おれがいると邪魔だろ。時間も気にしなくていい。ゆっくり浸かれ」
そのくらいの分別はついている。立ち上がったところで呼び止められた。
「ごめんなさい。手が、うごかない」
バスタブそばでひざを着く。目線の高さも合わせた。しかし自分を見ない。さけられていた。
「無理に洗わなくていい。ロープの痕はさっき消毒した」
だからこそ、どこを洗おうとしているのか。
「ちがうの。まだ、消毒できていない、ところが」
涙が一筋こぼれた。瞬間、悪寒が走る。あいつ、何をした。
「わかった。無理するな。どこを消毒すればいい」
消毒液を持ってくるか。いや、石鹸のほうが。ふつふつと怒りが込み上げる。もっとバラすべきだった。
「ここと、ここ」
指さしたのは胸もと。そして首筋。彼女の手にのせた泡をすくい取り、考える。素手ではなくタオルに泡を。こすらない程度にタオルを滑らせていく。念のため、肩口と背中、うなじも洗う。
「ここで、最後」
くちびる。あの下衆な顔が目に浮かび、腸が煮えくり返る。売買するから傷をつけないだと? どの口がほざいた。なんて浅はかだ。奪われたら奪い返す。相手を斬ればいい。今まで、宝なら問題なかった。だが彼女は生きている。意思がある。傷を負う。心にも、体にも。
「口の中も洗うか」
まさかとは思うが。彼女が小さくうなずく。ちょうど口内洗浄液があるので手渡し、口をすすぐ様子を見守る。最後に指を突っ込み、吐きはじめた。どれだけ続いたか。もう見ていられない。手首をつかみ、こちらを振り向かせる。きつく抱きこんだ。
「おちつけ。もう全部吐いた。もう、大丈夫だ」
むせているので背中をさすってやる。五分は経過した。乱れていた呼吸も収まってくる。まだ腕をゆるめる気にはなれない。
「こわ、かった」
小さな音。今の今まで聞いていなかった言葉。
「ああ。こわかったな」
「ほんとうに、こわくて。もう、ぜんぶ、めちゃくちゃに、なるって」
「ナマエ」
すべて聞かなくては。
「ずっと、こわかった、のに。こわかった、から、陸も、船も、ぜんぶ、さけていたのに」
おれのせいだ。
「だから、みんな、海の底に、いるんだ。だから、みんな、たいようを、あきらめて」
悪かった。
「こんなに、つらい、なら、もう、もう」
嗚咽が。涙が。ただ強く抱き寄せるしかない。震えが止まるように、きつく、きつく。
「船長は強いから。この場所ならナマエも大丈夫だ」
シャチの言葉が何重にも頭で響く。何もかも楽観視していた。相手を斬ればいい。奪い返せばいい。その度にナマエの心身は削れていく。
「ナマエ」
名を呼ぶ。意味もなく呼びつづけた。
「ナマエ」
何かを隠している。本来伝えねばならない言葉を、あえてさけていた。
「ナマエ、ナマエ」
まだ強くない。ナマエの居場所をつくれるほど、自分は。
「ナマエ」
いや、強くなる。でなければ、何もたどり着けない。あのひとができなかった引き金を。
「ナマエ」
かならず強くなる。おまえの居場所をつくる。もう傷つけない。
そんな言葉ですら実行できない。音にならない。今の自分では、ナマエひとりを引き留める、実力が。なにもかも、すべてが足りなかった。
ナマエが寝付いたので、船員と現状を確認する。一度キューカ島を離れたので、記録はリセットされてしまった。さらに二日間の滞在が必要。時刻は正午。物資調達を優先させ、自分は船で待機。定期的にナマエの様子を確認。日が暮れていく。
夜空に花火が上がる。そういえば祭りがあると聞いていた。昼間の誘拐事件のこともあり、船員は揃いも揃って船にもどってきていた。めずらしく乾盃もせず、ちびちびと酒を飲んでいる。もう一度様子を見に行こうと立ち上がれば、車椅子に乗ったナマエが甲板に出てきた。野郎どもが一斉に群がる。
「外で爆発音がするから、気になって」
笑顔で受け答えする様子から、すこしは気分も落ち着いたようだ。車椅子から抱き上げて、特等席へ運ぶ。一番上の甲板へ。
「花火は見たことあるか」
首を横にふる。
「こうして見るのは初めて」
ふたりで空を見上げる。
「あの。すこし、くだらない話をしてもいいですか」
「どうした」
一応、横顔を確認。まだ花火を見ているので、自分も空へ視線をもどす。
「私の家、すこし普通ではなくて。自由に遊んだり、出かけるのも許されていませんでした」
話が読めてきたが、好きにしゃべらせる。
「特に異性との関係が。『悪い海賊に捕まる』と心配されて、ちょっと男の人と会うだけで、もう大変な騒ぎになって」
おかしくて仕方がない。悪い海賊? 一番タチの悪い野郎がここにいるというのに。水を差したくないので、懸命に笑い声を抑える。
「なので、両親が勝手に探してくるのです。その、お見合い相手、を」
笑う気分ではなくなる。
「たまたま、初めて会った方と、長いあいだおしゃべりしていました。話のついでに、と、髪飾りもいただいて」
ポケットの中身を思い出してしまう。
「実は、その方こそ、両親が探してきたお見合い相手でした。私は、お見合い相手からプレゼントを受け取ってしまった」
胸のあたりに妙な引っかかりが。
「私がプレゼントを受け取ってしまうほど相手を歓迎した、と両親は解釈してしまったようで。そのあとは、勝手に縁談が進んでしまいました。どれだけ反対しても、全然聞き入れてもらえなくて」
となりから大きなため息が。
「両親は安心したかったのだと思います。でも、我慢できなかった」
ありがちな家出理由だった。どこかで聞くような、絵に描いたようなお嬢さまで。
「急に全部が嫌になって、荷物も持たずにリュウグウ王国を飛びだしました。何も考えずに突っ走って、意識が朦朧とするなか、あなたに救われた」
そこでつながるのか。
「あなたの言うとおりでした。自力で食材も調達できない計画無しで、本当に自業自得で。だから恥ずかしかった。こんな理由で家出したなんて、なかなか話せなかった」
もし今の話を聞かなければ、花火を見ながら鼈甲の髪飾りを渡していたかもしれない。だが、彼女にとって髪飾りは見合い相手と同じ代物。同じ土俵に上がりたいわけではない。
ならば、自分はどうしたいのか。
「あなたに救われてから、たくさんのことを知りました。海藻も貝も自分で採れるようになった。食事もひとりでできます。船員のみなさんが陸のことをたくさん教えてくれた」
ナマエが甲板で日光浴をしていれば、たいてい何人かが話しかける。会話が盛り上がっていたことも知っていた。
「ずっと届かなかった太陽も見られた。家出してきて、本当によかった」
この場所にも満足しているのか。聞きたいが口は動かない。
「今だから言えるのですが。最初にポーラータングで目を覚ましたとき、私、捕まったのかと思いました。このまま奴隷として売られるかも、と」
怯えているのは分かっていた。
「でも、私の早とちりだった。あなたはすばらしい医者です。あなたに治してもらえて、本当に、感謝でいっぱいです」
こちらに視線が。適当な言葉も見つからず、帽子を深く被りなおしてしまう。
「この二週間、ほんとうに楽しかった」
おかしい。話の流れが、まるで、
「前に比べて、できることが増えました。だから、ひとりでも生活できるはず。ううん。ひとりでやってみようと思います」
待て。それは、つまり、
「まずは両親に謝ります。そして縁談の話も断る。前へ進もうと思います」
体ごと振り返る。ナマエもこちらを見ていた。なにか、何かを言わねば。
「おれは海賊だ」
「はい。手配書も見せてもらいました」
「この偉大なる航路の先に用がある」
「ええ。そこに『ひとつなぎの大秘宝』がある、と」
そう。彼女に何度も話したではないか。
「おれは、海賊だ」
まだだ。まだ言えていない。
「おまえの言う、悪い海賊だ」
彼女は笑顔になるだけ。それも、むずがゆいほどの微笑みを。
「ナマエ。おまえは、悪い海賊に捕まった」
言え。はやく言うんだ。
「今もおまえを捕まえている」
さらに笑顔が。はじけた。
「こんなにやさしくて悪い海賊、初めてです」
ちがう。ちがう。
「たくさん、いいことばかり教えてくれた。傷を全部治してくれた」
なぜ言えないのだ。おれは、
「ちょっとぶっきらぼうで、言葉も乱暴で。でも、手つきはとってもやさしい。あなたに傷つけられたことなんか、一度もなかった」
おまえを傷つけた。まさに今日、おまえを守りきれなかった。
「あなたはやさしいから私を見捨てない。だからあなたの足手まといになってしまう」
そんなことを考えていたのか。ちがう。ちがう。
「わたし、ハートの海賊団が好きです。『船員』と呼ぶあなたのことも、『船長』『キャプテン』と慕う、みなさんのことも」
「おれも好きだ。おまえが好きだ」
くすくすと笑みが。
「ありがとうございます。よかった、嫌われていなくて」
なにも伝わっていない。まるで、素通りされたかのような。
「もっと海を進んでほしい。たくさん冒険して。あなたの夢を叶えて」
「ナマエ、おれは、おまえを」
彼女が上を向く。ちょうど大型花火が上がったところだった。
「さようなら」
頬にやわらかい感触。とっさに腕をのばした。全力で抱きこむはずが、手は空を切る。指先がわずかに尾びれを捉える。だがすべて逃してしまう。海に落ちる音。船べりへ駆けて下をのぞく。だが姿形はない。ただ呆然と夜の海を見渡した。
わけも分からず自室へもどる。ナマエが寝ていたベッドには七色のきらめきが。また鱗が剥がれた。この部屋で何枚拾った。それだけナマエが傷ついたのだ。見えない傷を、何度も何度も。頭が痛い。吐きそうになりながら、すべてを拾い集める。これで百五十一枚。布に包んでいた分はシャーレに小分けしていた。これでシャーレ八個目。意識が朦朧とするなか、ナマエに関する資料を整理していく。カルテ、百五十一枚の鱗、そして、鼈甲の髪飾り。資料を保管する際は、かならずナンバリングする。どこに何を収納したか一発で見分けるため。だがカルテに書けない。シャーレに番号など。髪飾りはもってのほか。花火の音も聞こえなくなった。野郎の一人や二人、部屋に駆け込んできてもおかしくはない。それまでに整理を。記憶の整理を、ナマエの整理を。
せめてシャーレだけでも。これはサンプル。貴重な人魚のサンプル。採取した日付とナンバーを。数字の羅列を書くはずが、ペンが勝手に動く。すべてのシャーレに「ナマエ」と記し、髪飾りをポケットにもどした。
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