ドレスローザ原作沿い・悲恋・女主
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未来を斬り開く
3/3
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店の窯は奇跡的にイトの被害から免れた。町では着々と復興作業が進む。建設資材が足りない。人手が足りない。家庭のキッチンが破壊されてろくに料理もできない。だから店長はピザを焼きつづけた。街へ、郊外へ、ひまわり畑の王宮へ。ひたすら足を動かして配達する。
「ルーシーはどうしてるんだろうな」
王宮の避難所では同じ会話が聞こえる。麦わらの一味の消息を皆が気にしていた。
「ナマエ、こっちれす」
避難所の隅でレオたちが手をふっていた。注文のピザを届ける。
「おうおう、いい匂いがすると思ったら」
そばで目を閉じていた海賊が立ち上がった。こちらへ近づき、勝手にピザ箱を開ける。
「ちょっと、これはレオたちの──」
「ああ?」
ぐいと顔をのぞきこまれる。鼻輪に鋭い牙。いかにもガラの悪そうな外見に、一瞬身じろぎしてしまう。このひとも緑髪。そういえば、ゾロは今、どこに。
「ニワトリさん、ピザは一人一枚れすよ。ぼくらも大人間と同じだけ食べますから」
「わかってる、わかってる」
急にニワトリさんの口調がやさしくなった。他の海賊もピザへ手をのばす。このひとたち、よく見れば、コロシアムに出場していた戦士だ。
「ん? その顔。ぼくのサイン待ちだな。仕方がない、今回はサービスだ。どこがいい。キャップか、背中か。ちなみに今のトレンドは手の甲だ」
となりに立った男がスラスラ言葉を並べていく。ブロンドの巻き髪が揺れてまぶしい。ペンのキャップを外し、こちらを笑顔で見つめてくる。サイン。このひとは誰。空気が異様に重い。ちょうど目が合ったウィッカに助け舟を、
「正直に言ってやれ。てめェのサインなんざお断りだ、ってな」
ニワトリさんに肩をつかまれる。サインの男が顔をゆがめた。
「邪魔するな。おまえこそ、図々しくピザを二枚食べた分際で。ぼくのファンを攻撃するな」
「余った分を食ったまでだ。だいたいな、女とちょっと目が合っただけでファン呼ばわりしやがって。おまえこそ図々しいべ。ここの噂を聞いただろ。いまの時代は麦わらの一味だ。ルフィ先輩の激闘。ゾロ先輩の一刀両断。ウソップ先輩の伝説──」
まって。いま、
「ゾロ先輩?」
「おう。麦わらの一味副船長の呼び声高き大剣豪、その方こそ海賊狩りのロロノア・ゾロ! あまりに恐れ多くて、おれは『ゾロ先輩』と呼ばせてもらってる」
なぜ「ゾロ」の言葉に反応したのか、自分でもよくわからない。じっとニワトリさんの顔を見つめていると、彼が目を丸めた。
「もしかして、おめェもゾロ先輩の?」
の?
「ナマエは昨日、ゾロランドを道案内したのれすよ」
ウィッカが肩に乗った。いつもの声を聞けて、ほっと息をつく。
「おい、それは何時の話だ」
急にニワトリさんの顔が険しくなる。彼の勢いに押されて、おとなしく質問に答えていった。街で声をかけて、ひまわり畑へ。そしてコロシアム前で別れた。
「あとは──」
「まだあんのか!?」
王宮でピーカと闘うのを目撃した。空にスクリーンが映ったとき、麦わらの一味も一緒にいたこと。巨岩のピーカを倒した瞬間、台座の上で見ていた。そして、
「一緒に鳥カゴを? 武装色を直々に教わった!?」
すでに両肩をがっしりとつかまれていた。顔が近い。
「そんな都合のいい話があるか」
「でも、教わったのは本当で」
「じゃあやってみろ。いますぐにだ」
ニワトリさんやサインの男以外にも、巨人や足長族と目が合う。このひとたちはコロシアムで粘り強く生き残っていた。強い。素直に従おう。まずはゾロの言葉を思い出す。意識を尖らせて。大将は「さらなる先を見ろ。芯を洗練させろ」と。今の目的は、強気で。この場の全員を倒すつもりで。
「おめェ。マジなのか」
ニワトリさんがぽかんと口を開ける。奥で座りこむ男に睨まれたので、あわてて武装色を解除した。となりで寝ているのはベビー5。なぜ彼女が。
「これで信じてくれた?」
「ルフィを信じろ」
ゾロの声が急によぎって、
「これは、信じるしかないようだな」
サインの男がため息まじりにつぶやく。すでにペンはしまっていた。
「おめェな。それの意味、ちゃんとわかってんのか?」
ニワトリさんは表情がコロコロ変わる。ガンを飛ばされて、フォローもされた。強い口調で質問攻めにあい、今度は神妙な顔で問いかけてくる。
「あんなギリギリの状況で、普通、武装色なんざ教える余裕ねェべ? しかも初めて顔を合わせてから、まだ二三回目の女相手にだぞ。おれならまっぴらごめんだ」
うまく言葉をのみこめない。その一方で体はじりじりと熱を帯びてくる。耳があつい。
「ウィスキーピークの百人斬り。エニエス・ロビーで前代未聞の滅多斬り。あの三刀流で数々の伝説を生み出した、ルフィ先輩の右腕。昨日だって、何万人の命を救ったか」
エニエス・ロビーは政府の司法島。あのひとは三刀流で有名な人だった。
「ルフィ先輩の夢、知ってるか」
それは、
「海賊王って、ゾロが」
「んだんだ。つまりゾロ先輩は、将来海賊王になる男の、右腕だ」
頭がまっしろになる。ゾロは一人ではない。ただの剣豪ではない。あのひとは海賊団のメンバー。麦わらのルフィ率いる一味の一人。点と点がつながった。
「どうだ。ちょっとはゾロ先輩の凄さを実感できたか」
ニワトリさんの言葉どおりなら、たしかに武装色をわざわざ教えた理由がわからない。
「おめェは運がいい。そんな経験、人生で二度とねェべ?」
「あんたに必要なのは経験だ。こんなところで終わるタマじゃねェ」
大将の言葉。そして師を探すのもいい、と。
「わたし、私は」
あのとき、とっさに名刺を押し付けてしまった。それ以降、注文表に「ゾロ」の字を探してしまう。届け先にゾロがいないか見回してしまう。
「実は、まだ」
遠ざかる鳥の上で、大きく手をふってくれたのは侍の二人だけ。ゾロは名刺を見たまま。目も合わなかった。
「ゾロにお礼を言えてない。わざわざ武装色を教えてくれたのに、お礼を、まだ」
大変なことをしてしまった。
「ピザ屋の名刺を渡したから、注文をもらったついでに会って、お礼できたらと思っていた。でも、ゾロからまだ注文がこなくて」
「ピザの注文、ねえ」
腕を組んだニワトリさんが、レオと目を合わせた。レオは押し黙ったまま。よく見れば、全員が自分から目をそらしていた。あんなにジロジロ見られていたのに。
「ウィッカ。ゾロがどこにいるか知ってる?」
自分の手に乗っていたウィッカの肩が跳ねた。キョロキョロ目をそらして、ぐっと口を結ぶ。
「レオは?」
「し、知らないれすよ! これは極秘任務なのれ──」
ニワトリさんがレオの口をふさいだ。なんとなく状況を察する。
「ごめん、変なこと聞いて。次の配達があるから、それじゃ」
皆に背を向けて走りだす。胸がざわつくなか、一度もふり返らずに王宮を抜け出した。
配達先は南海岸。二十枚の大口注文はトンタッタ以外で受けたことがない。緊張して向かうと、見覚えのある人が立ち上がった。
「大将さん、こんにちは。注文のピザです」
彼から話を聞く。「酒場とどこかを掛け持ちバイトしている、足の速い子」について町の人々に尋ねたところ、うちのピザ屋に行き着いたという。
「すみません。このあいだは、ろくに名乗りもしないで」
「なに、あっしの勝手な思いつきだ。あんたは何も悪かねェ」
ピザが海兵へ分配されていく。
「このあいだ迷惑をかけた酒場には、上が支払ったと聞きやした。しかし、肝心の修復作業がままならんようで。資材も人手も足りねェ。こればかりは時間がかかる。国全体がごった返しているなか、せめて金回りのいい注文ができればと、ピザを」
一枚を食べ終えた大将がテーブルにサイコロを出した。こちらに差し出す。
「どれ、ちょっくら運試しでも。昔ながらの古い遊びでやして」
海兵の一人があわてて駆けてくる。
「お待ちください! まさか、この子にすべてを預けるつもりですか」
「なら、あんたが振るとでも? 昨日の一度目で、海軍から名乗り出る者は誰一人いやしなかった」
海兵の顔が青ざめる。顔をうつむかせて下がっていった。大将がサイコロのそばに小さな器を逆さに置く。
「これは『麦わらのルフィを捕まえるか、見逃すか』という賭けごと。昨日は『見逃す』が出た。今日はあんたに振ってもらいたい」
まず、聞かなくては。
「なぜ私に?」
ピザの代金はすでに受け取った。「次の配達」を理由に、いつでもここから抜け出せる。しかし自分は足を止めていた。
「海賊狩りのゾロは、その後、息災で?」
このひとは海軍大将。一度自分が「ゾロ」と口を滑らせた。だから気づいたのだ。鳥カゴのイトを押すあいだずっと、ゾロが居合わせていたことを。
「わかりません。会っていないので」
「そいつは少々誤算だ。あんたの覇気が洗練されているもんで、てっきり海賊狩りが修行をつけたかと」
まったく身に覚えがない。兄やニワトリさんの前で武装色を見せたくらいしか。
「会ってねェなら、なおさらサイコロを振りやすいでしょう。遠慮せんでいい。あっしが結果の責任をとるんで」
一応ルールを聞く。サイコロの一の目が出たら「見逃す」、それ以外なら「捕まえる」。
「なにか、躊躇してしまう理由でも?」
りゆう。サイコロを振れない理由。あのときの会話を思い出す。
「ドレスローザで一番強い、伝説の剣闘士が言っていました。麦わらの一味は強くて信用できる、と」
キュロスの言葉。
「そして、すくなくとも海軍よりは信用できる、とも」
大将の表情は変わらない。目が合うわけでもない。不思議とこわくはなかった。
「だから、私は……ほしくありません」
テーブル席に一人座る大将だけに聞こえるように。小さく声がすり切れた。
「つかまえて、ほしくありません」
サイコロと器を彼の前へ持っていく。
「すみません」
彼には見えないのに、つい頭を下げてしまう。周囲の海兵がざわつくが、気にする余裕はない。じっと言葉を待った。
「顔を上げなさい、お嬢さん」
大将の顔は笑っていた。
「たしか、あんたのお兄ィさんは自衛軍でやしたかね」
そう言ってサイコロを上に投げた。落下中に器をかぶせてテーブルにたたきつける。そうっと器を上げた。中のサイコロは一の目。
「お嬢さん、何の目が出やしたか」
「一です」
「こいつは。今日も気長に大目付を待ちやしょうか」
周りの海兵が一喜一憂する。全員が全員、嫌な顔をしているわけではない。
「長居させてすまねェ。また注文するときは、よろしく頼みます」
さきほどは気づかれたので、今度も頭を下げる。歩きだした矢先、また呼び止められた。
「修行相手は、お兄ィさんですかい?」
きちんと大将の顔を見て、首も横にふる。
「いえ。兄は復興作業に忙しいので。いまは誰にも教わっていません」
「あんたには経験が必要だ」
それは。前にも同じことを。
「こんなところで終わるタマじゃねェ」
これも。ぎゅっと胸がくるしくなる。
「次の配達があるので。失礼します」
今度は急ぎ足で海軍をはなれた。妙に鼓動が速い。頭のなかでは同じ顔が、同じ声が。鋭い瞳に捉えられる。名刺を渡して二日が過ぎた。彼からの注文はまだ、一度も。
「どうした。その話、さっきも聞いたぞ」
急に視界が広がる。テーブルの向かいでは兄が苦笑していた。いまは午後七時、ひさしぶりに兄と夕食を。
「さっきと同じ?」
「ああ。ピーカの岩を真っ二つにした、海賊狩りのゾロだろ? おまえに武装色を教えた」
ぱちくりまばたきして、手もとのスープを見つめる。全然気づかなかった。
「疲れているのさ。今日ははやく寝なさい」
すでに兄は皿を空にしていた。まだ自分は半分も食べ終えていない。
「ねえ、兄さん」
「どうした」
兄の笑顔がやさしくて、つい口が滑ってしまう。
「あんたはここで終わるタマじゃねェ、って言われたらどうする?」
兄の眉間にしわが寄る。いそいで言葉を続けた。
「海賊王になりたいって、そんな人がいたら。一緒に夢を追いかけたい、のかな」
手もとを見つめる。仕事の合間に意識をコントロールしつづけた結果、容易に武装色を出せるようになった。
「この海は広いんだって。私はドレスローザしか知らないから」
兄の肩が下がる。声も低くなった。
「ナマエ。おまえはこの五年間、ひとりで生活できていた。町のみんなが、おまえをよく知っている。ピザ屋の店長さんにもたくさん礼を言われた。いまの自分に、もっと自信を持て」
そうか。ひとりでできていたんだ。
「だから、この国にこだわる必要はない。おまえは自由だ」
兄が笑う。ぼやけていた未来が一瞬、あかるくなった。
早朝。窓をたたく音。ここは二階なのに。目をこすって体を起こせば、小さな青髪の、
「ウィッカ、おはよう。今日はどうしたの」
ベッドにウィッカがのぼってきた。子電伝虫を手渡される。
「ちょっと待っててくらさい。ナマエ宛てにかかってくるので」
彼女はしきりに時計を気にしている。なんだろう。胸がざわつく。数分後に電伝虫が鳴った。
『こちらバルトロメオ。いま、本人にかけてるはずだ。名前を言え』
王宮の避難所で聞いた声。あのニワトリさん。ウィッカと目が合うと、彼女は静かにうなずいた。
「私はナマエ」
『ああ、ナマエだったな。よし、今から一度だけ言うべ。よく聞けよ』
南海岸に海軍の援軍が到着した。今すぐにでも海軍が動くはず。麦わらの一味はバルトロメオたちが用意した船でドレスローザを脱出する予定。
『先輩方が乗る船は東の港にある。これが最後のチャンスだ』
さいごの、チャンス。
『おまえがどうするかは自由。グズグズしてるヒマはねェべ。これで先輩方の居場所を黙っていた分はチャラだ』
居場所をだまっていた。だからあのとき、みんな自分から目をそらしたのだ。
「バルトロメオ、教えてくれてありがとう」
『おう。感謝しとけ。そこにいるチビ助たちにもな』
通話が切れた。ウィッカに頭を下げられる。
「ナマエに隠しててごめんなさい」
すっと胸が軽くなる。
「私のほうこそ、ウィッカに気を遣わせてごめん。ありがとう」
顔を上げた彼女はニッと笑顔を見せた。頭をなでると、足早に窓へもどっていく。
「やることがあるので、さきに行ってるれす。ナマエも急いでくらさい」
窓が閉じた。そうと決まれば支度を。兄への置き手紙を書いて、家を飛びだした。まだわからない。でも、もしかしたら。もう二度とこの家には。
東のカルタは家から一番遠い。街の中心地を通れば、すでに噂が広まっていた。
「海軍の元・元帥さんが南海岸に」
「王宮へ向かっているそうよ」
「ルーシーはどうなっちまうんだ」
海兵が異様に多い。半分は王宮へ、もう半分は別の方向を目指している。東のほうが暗い。煙が立ちのぼる。あれは、空に瓦礫が。海兵が逆走してくる。
「徹底、撤退だ」
「イッショウさんが国中のガレキを持ち上げたらしい」
イッショウは、あの大将さん。まずい。急がないと。
港への階段をかけおりる。大きな船が並んでいた。まだ出航していないはず。空の瓦礫も浮いたまま。前方に人影が。「正義」のコート。藤色。あれは、
「イッショウさん!」
減速してから気づく。このひとは海軍大将。あの瓦礫を浮かしている張本人なのに。
「その声は。申し訳ねェ。今日はピザを注文できそうにねェんだ」
「あの、ちがうんです。ええっと」
言うか、言わないか。
「捕まえたのですか、あのひとたちを」
彼が口を閉じた。これは、まさか、
「おねがいです。一度だけ会わせてください。わたし、まだ、まだ」
感情があふれて、うまく言葉にできない。
「あのひとにお礼を、言えてないのです。まだ」
「お嬢さん、しっかりしなさい」
腕を引っ張られる。このとき、自分がしゃがみかけていたことさえ気づかなかった。
「あっしは何も、誰もここで見ちゃいねェ」
彼が、連なる船のほうを見上げた。
「礼を言いたい相手は、あんたに武装色を教えた、あの、おとなりのおとなりさんのことですかい?」
こくりとうなずく。声で伝えていないのに、イッショウはニコリとほほえんだ。
「まだ間に合う。いまから言うのは、海賊より信用ならねェ海軍の言葉だ。あんたには響かねェかもしれねェが」
真正面へ向き直る。彼がわずかに目を細めた。ゆっくりと口が動く。
「最初で最後だ。一度だけでいい。このあっしを信じてくれ」
間に合う、と。きっと、連なるあの船のどこかに。
「イッショウさんを、信じます」
彼が小さく息をつく。
「ありがとう。酔わねェよう、目は一方向を見といたほうがいい」
体が浮いた。空気が重い。真正面からの風が肌に刺さる。高く高く浮いて、猛スピードで船の上を一隻、二隻。一番大きな船が見えてきた。徐々に高度が下がっていく。甲板に大勢の海賊が。あれは巨人。サインの人、バルトロメオも。自分が落ちていく先には麦わら帽子。そして、あれは緑髪の、
「おい、誰か落ちてくるぞ」
ひまわり畑の階段ですれちがった大男が叫んだ。ゾロもこちらを見上げる。どうしよう。スピードを落とせない。まっすぐゾロへ向かっている。受け身をとらないと、
「あぶねェ!」
軽い衝撃。体をがっしり包み込まれる。甲板を滑る音。ようやく止まった。こわくて目を開けられない。思いきり体重をかけてしまった。
「けがは、ねェか」
耳もとで声が。息が切れている。彼が上体を起こしたので、自分も顔を上げる。意を決して視界を広げた。ゾロが。ゾロに。ゾロの腕が。まだゾロに乗っているのに。体が動かない。
「ったく。あいつに何をされた」
手のひらをまじまじと見つめられる。マンシェリー姫のおかげで、イトですり切れた痕は完全に消えていた。
「ゾロの知り合いか?」
頭上から声が。麦わらのルフィと目が合った。対するゾロは、嫌そうに口をひん曲げる。
「おれに構うな。おまえはさっさと盃の話をつけろ」
そのまま抱え上げられる。ゴッドや侍、バルトロメオにジロジロ見られるなか、ゾロによって甲板の端まで運ばれた。ようやく両足で立つ。
「もう一度聞く。あの大将に何をされた」
腕を組んで、ギロリと睨まれる。正直に言おう。
「イッショウさんに頼んで、ここまで運んでもらった。どうしてもあなたに、言いたいことがあって」
感情が先走る。後悔したくない。
「武装色を教えてくれてありがとう。バルトロメオからいろいろ聞いた。あなたがどんな海賊か。強い剣士さんに教えてもらえて、うれしかった」
彼の表情は変わらない。もっと言わないと。前へ進みたい。
「あれからずっと考えていた。私は生まれてからずっと、ドレスローザしか知らない。島の外、海の先なんて考えたことなかった。でも今はちがう。ドレスローザも平和になった。兄さんも背中を押してくれた」
深く息をつく。声がふるえてきた。
「私も変わりたい。自分で未来を斬り開きたい。もっと強くなりたい。自分の手でつかみたい」
頭を下げる。腹に力を入れた。
「私の師匠になってください。おねがいします」
沈黙が長い。心臓もうるさくて、緊張のあまり、指先がしびれそう。どうか。
「顔を上げろ」
目を合わせる。彼の表情は変わらず厳しい。
「おまえの夢は何だ。海へ出て何がしたい」
「そ、それは」
「まだ何もねェんだな?」
「でも、強くなりたいから。修行して、一人前になって」
「ここは新世界だ。そんな甘い考えで、てめェの命を簡単に投げ出すつもりか」
しん、せかい。
「おれたちはこれから四皇と戦う。一億、三億の賞金首はザラにいる世界だ。誰かをおんぶだっこで守る余裕はねェ。てめェ一人で五億、十億の海賊を相手するしかなくなる」
十億!? そんな。むちゃくちゃだ。
「いま、少しでもビビったか」
図星だ。わずかに身じろぎしてしまう。
「第一、うちは船長の命令が絶対。海賊は加入も脱退も命がけだ。バイト仲間とは訳がちがう」
一歩近づいてくる。顔が近い。思わず目を閉じた。
「こっちを見ろ。目をそらすな」
上を向かされる。さっきからずっと睨まれていた。
「今のおまえに海賊は無謀だ」
サッと血の気が引く。視界もぼやけてきた。
「忠告したぞ。それでも首を突っ込むか」
口を引き結んで、ぐっと涙をがまんする。わかっていた、はずなのに、
「やっぱり、だめ、だった」
彼が大きく息をつく。さらに目が細くなった。
「なら、断られるとわかって、なぜここへ来た」
「だって、もう一度」
もういちど、わたしは、
「あなたに、会いたかった」
一筋こぼれてしまった。すぐにまばたきして、彼を見上げる。さっきと表情がちがう。でも原因はわからない。
「会いたいだけか。それであの大将に頼んで、こんな無茶したのか」
「いま会わなかったら、きっと後悔する。だって」
もう二度と会えない気がしたから。
「わがまま言って、ごめん」
言えない。二度と会えないなど、そんな悪い予感なんて。
「ああ、散々だ。おまえのおかげで船も出せねェ」
船の外を見る。まだ桟橋がそばにあった。
「ごめんなさい。もう降りるから」
ぐいと腰から引かれる。近いどころではない。背中に腕がまわされて、一歩も動けない。逃げられない。
「おまえの修行に、一番重要なアドバイスをしてやる」
彼の左ピアスがゆれた。
「イッショウはやめろ。海軍入隊は論外」
今度は両手で頬を包み込まれる。もう何も。ゾロしか見えない。
「次に会うのは、おまえが夢を見つけたときだ。いいな」
コクコクとうなずく。
「忘れるな。おれの名はロロノア・ゾロ。世界一の剣豪になる男だ」
世界一の、剣豪。
「ほら。いまのを言ってみろ」
勝手に口が動く。
「あなたはロロノア・ゾロ。世界一の剣豪になるひと」
ここに来て、はじめて彼がわらった。
「上出来だ、ナマエ」
桟橋に座りこみ、遠ざかる船を見つめる。コツコツと杖の音が聞こえてきた。
「礼は言えやしたか」
座ってから、ずっと涙がとまらない。
「言えました。でも、置いていかれました」
船の方からレオたちが飛んできた。こちらへ近づいてくる。
「あんたを泣かすとは、ひでェ野郎もいたもんだ。あっしは少々、気に食わねェですが」
レオが手をふっている。いそいで涙をぬぐった。
「ナマエ! ただいまれす」
トンタッタたちは最初、イッショウを警戒した。しかし、彼が「何もしない」と約束したため、この場に降りてきてくれた。船で行われた宴の様子を聞かせてくれる。
「ナマエを降ろしたあと、みんながゾロランドを怒ったのれすよ。でも、ルフィランドは笑っていたので、仲直りしたみたいれす」
レオは自分に気を遣ってくれているのだ。
「私は平気。自分の意志で船を降りたから」
言いながら、すこし胸がくるしい。結局、ゾロに断られたのには変わりないのだから。
「あんたがここに帰ってくるなら、言おうと思っていたことがありやして。ちょいと耳を貸してもらっても?」
立ち上がり、イッショウを見上げる。もう涙はとまった。
「あんたに必要なのは経験だ。こんなところで終わるタマじゃねェ」
何度も聞いた言葉。何度もこの言葉に励まされた。
「うちに入って訓練すれば、覇気の高みを目指せる。あっしの目に狂いはねェ」
海軍入隊は論外。
「海兵にならんでもいい。あっしの元で修行でも」
イッショウはやめろ、とも。
「お気持ちはうれしいです。でも、ごめんなさい」
こんなに早く実行するなんて。
「ゾロと約束したのです。イッショウさんや海軍のところには行かない、と」
彼が目を丸めた。クツクツと笑いだす。
「こいつはやられた。あんたを置き去りにしておいて、ずいぶんタチが悪い」
置き去り、か。
「でも、自分の夢を見つけたら会いにいきます。これも約束しましたから」
「ナマエ、海賊になるのれすか! ぼくらもさっき、海賊になったばかりなのれすよ」
子分盃の話を聞く。すでにイッショウは歩きだしていた。「あっしには何も聞こえやせんが」と背を向ける。麦わらのルフィには何百人、何千人の子分ができた。これから彼らは新世界のさらなる先へ進む。未来は斬り開かれた。
Fin.
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