短編つめあわせ
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そこにある日常
クラッカーは甲板でナマエの帰還を待っていた。この島で最後。採れたての卵が到着次第、ホールケーキアイランドへ向けて出航する。あいつが船を飛びだしてから、すでに一時間が経過していた。
「来たな」
森林から姿を現す。ナマエは二メートル級の巨大卵を網で引っ張っていた。この島のみに生息する珍鳥の卵。ビッグ・マム海賊団のなかではナマエのみが採取に成功していた。
「おせェぞ」
「ごめん。母鳥に追いかけまわされて」
船に近づくと、網ごと卵を乱暴に放り投げる。ナマエも瞬時に飛び上がり、甲板に落ちる直前で卵を受けとめた。積んだ卵の数は十分。すぐに出航合図をだす。
「また親鳥は殺さなかったのか」
となりにきたナマエの全身を見まわす。相変わらず採取の帰りはボロボロだ。鳥の巣に潜りこんだせいだろう。
「殺したら二度と卵を採れなくなる。そうしたら私がママに怒られる」
ビッグ・マム海賊団の構成員は、頭のビッグ・マムを「ママ」と呼んで慕う。自分たちシャーロット兄弟も同じだ。
「おまえを怒るのはママじゃなくて、総料理長のシュトロイゼンだろ。ママが生卵をじかに食うわけじゃねェんだ」
おいしいお菓子を用意できなかった相手は、ママに魂を抜きとられる。ナマエはお菓子を作れるわけではない。あくまでビッグ・マム海賊団の戦闘員。そして卵専門のハンター。
「へえ。クラッカーは私を気にしてくれるんだ」
憎たらしく歯を見せる。こいつは最初から「クラッカーさま」と呼ばなかった。修正は早々にあきらめた。野生児は手に余る。
「言っとくが、おれは上司だぞ。おまえを野放しにしたら、おれがとばっちりを食らう」
腕を組み、きつめに睨んでおく。じりじりと顔を近づければ、ようやくナマエが口をきつく結んだ。体も小さくなる。
「いつも、ごめん」
常識は知らない。味覚音痴で食べ方も下手。唯一、性格は素直なのが救いだ。空気をやわらげるため、頬を引っ張っておく。
「とりあえず、その格好をなんとかしろ。おれたちは結婚式に行くんだぞ」
今回のお茶会はマリアージュ・デ・レゾン。シャーロット家二十九女プラリネと、タイヨウの海賊団副船長アラディンの結婚式。白ひげ亡き今、シャーロット家と魚人が結びつくことで、魚人島がビッグ・マムのナワバリとなる。
とびきりの結婚式にはとびきりのウェディングケーキを。最高級の味を引きだすには上質な原材料が必要。だから自分たちは珍鳥の美味なる卵を採りにきた。
「プラリネも、そんな歳かあ」
「ばか。様をつけろ、様を。おれの妹だぞ」
自分が呼び捨てにする相手はナマエも同じように覚える。普通、戦闘員はシャーロット兄弟に対して敬語を使う。ビッグ・マムの実子だから当然だ。
「プラリネ、さま」
頬を引っ張ったままでは発音できない。顔から手を離し、代わりに肩をつかむ。
「もう一度言ってみろ。プラリネが、なんだって?」
「プラリネ、さま、も、そんな、お、おとし、なのですね」
言わせてみたものの、耳がむずがゆくて仕方がない。
「もういい。ホールケーキアイランドに着いたらしゃべるな」
口をとがらせ、非難の声をもらす。
「いやだ。タマゴ男爵と話せなくなる」
深く息をついてしまう。
「またタマゴと闘るのか」
「もちろん。そのために最高の卵を集めた。ちゃんと成果があれば話を聞いてくれる」
ナマエは同じ戦闘員のタマゴ男爵に熱烈なアプローチをしかけていた。アプローチという名の決闘。卵狩り一筋のこいつにとって、タマゴの体はそそられるらしい。
「そろそろお遊びじゃ済まなくなるぞ。タマゴだって、いつまでも手を抜いてくれるわけじゃねェんだ」
「手を抜いてくれる」と言った瞬間、ナマエが強く拳をにぎる。力を込めるあまり、腕も震わせた。
「上等だ。そろそろ本気を出してもらわないと。このままだとずっと全敗だ」
決闘を始めて三年は経過していた。いつまでたってもタマゴに勝てない。それでも戦闘能力は着実に向上していた。
「おれだったら五回かそこらで飽きるぞ。いつも付き合ってくれるタマゴに感謝するんだな」
かるく背中をたたき、着替えを促す。視線をそらす直前、わずかにナマエの口元がゆがんだ。
挙式会場、そしてビッグ・マム海賊団のアジト、ホールケーキアイランドに到着。スイート4将星の自分は、ママの住むホールケーキアイランドから遠く離れた島を管轄としている。他の兄弟たちも大臣として各島を治めていた。とは言うものの、結婚式を含むお茶会は月に一度は開催される。定期的に兄弟と顔を合わせていた。
卵を厨房へ運び終えたら、まずは花嫁にあいさつを。プラリネの部屋を訪れる。
「おかえり、クラッカー兄さん」
シュモクザメの半人魚な妹は、ホールケーキ城の外れに住んでいた。部屋の半分は水で満たされている。
「プラリネ、結婚おめでとう」
結婚相手には会ったのか。結納は済んだのか。そばに腰をかけながら話を聞いていると、背後からナマエが飛びだした。そういえば、こいつも付いてきたのだった。
「プラリネ、さま。おめでとう、ござい、ます」
自分が敬語を強制したためか、カタコトになっている。プラリネに差し出したのは小さな卵。珍しい色合い。遠目だとキャンディのようにも見える。
「ありがとう。へえ、かわいい卵だねえ」
「きれいだった、ので、中身を抜いて、コーティングもして、もらい、ました」
顔をうつむかせながら、必死に言葉をつないでいる。努力は認めよう。みずから祝い品を用意し、保存性も良くした。だが、最後が引っかかる。
「コーティングって、まさか」
「さっき、ペロスに──ペロスペロー、さまに。キャンディで補強してもらい、ました」
いつのまに。
「だから、こんなにキラキラしてるのね。あんたも、かわいいところあるじゃない」
プラリネが笑うとナマエが自分の背中に隠れてしまった。深く息をついたあと、ナマエを引っ張りだす。
「おれを盾にするな。ちゃんとプラリネの目を見て話せ」
「だ、だって。こういうの、よくわからない」
「よくわからない」の意味がわからない。また背中に戻ろうとするナマエの首根っこをつかみ、真正面から睨みつけてやる。突然、プラリネが腹をかかえて笑いだした。
「ああ、おかしい。クラッカー兄さんが、こんなになっちゃって」
不快な笑いではないので、素直に尋ねてみる。
「どこがおかしい」
「ナマエよ。ナマエ。そうやって兄さんの後ろにくっついて、もう四年になるでしょう? 相変わらずで安心したよ」
答えになっていない。じっとプラリネを見つめるも、彼女は笑顔のまま。時間切れだ。これから結納なので、花嫁の支度を邪魔するわけにはいかない。
「そろそろ引き上げるか。ほら、ナマエ。ちゃんとプラリネにあいさつしろ。結婚しちまったら、そう頻繁に会えなくなるんだ」
背中を押し、どうにかプラリネの前に突きだした。ナマエは背筋を伸ばし、固まってしまう。プラリネはニコニコとナマエを見つめる。
「お、おしあわせ、に。魚人島に珍しい卵が、あ、ありましたら、ぜひ、おしらせを」
ナマエは会話に困ると卵の話題に逃げる。いつものことだ。
「あんたも元気でね。クラッカー兄さんを頼んだよ」
聞き捨てならない。
「なんだ、今のは。おれが上司で、こいつが部下だぞ」
「部下に任せると、案外大きな仕事をきっちりやってくれたりするんだよ。最近のナマエは強くなったからねえ。いつもの決闘もやるんだろ? たのしみにしておくよ」
プラリネがウインクすれば、ナマエがひざから崩れおちた。あわてて抱え上げる。だめだ。緊張のあまり一時的に気を失っている。
「ウインクは勘弁してくれ。そういうのに慣れてねェんだ、こいつは」
「だからこそだよ、兄さん。もうしばらくはナマエに会えないから、これくらいは許して」
ため息まじりにプラリネを見上げれば、自分に対してもウインクが注がれた。
挙式前の花嫁は忙しい。ウェディングケーキを仕上げる総料理長も厨房に缶詰となっている。一方、注文どおりの原材料を調達したシャーロット兄弟たちはヒマを持て余していた。自分も兄弟たちの集う一室へ向かう。何人かはテーブルを囲っていた。
「今回の式は、めずらしく血を見ずに済むかもなあ」
モンドールが気だるげにつぶやく。目が合った兄弟たちには、無言で手を上げてあいさつしておく。壁ぎわのソファへ腰を下ろした。オペラ兄さんが相槌を打つ。
「魚人島が手に入れば、ママに収めるお菓子も増えるファ。あの海底には、とびきりのお菓子があるファ。大量生産できれば、しばらくはママもごきげんだ」
テーブル組の話をなんとなく聞きながし、あたりを見まわす。壁に背を預けるガレットと目が合った。妙に視線が注がれる。片眉を上げて表情を変えれば、ガレットが指をさす。自分の後方。まさか。
「おい! 付いてくるなと言っただろ」
ソファの裏に隠れていたナマエを引っ張りだす。大声で怒鳴ったため、兄弟たちが一斉に振り返った。モスカートがあたふたと立ち上がる。
「まあまあ、クラッカー兄さん。ここは兄弟以外立入禁止でもない。今回は特別な作戦もないんだ。別にナマエがいたところで──」
「こいつが忍びこんだ目的はわかっている。挙式前に、まちがって男爵と鉢合わせでもしたら」
モスカートにかみついている途中で扉が開閉する。皆が絶句した。部屋に入ってきたのは細長い脚。卵のように丸々とした体格。ピンクのスーツ。そして頭にティーカップ。
まずい。ナマエが暴れだした。必死に手足を押さえこむ。
「タマゴ男爵! あんたに会いたかった!」
ナマエが意気揚々と叫ぶ。タマゴの足がとまった。
「一ヶ月前とは大違いだからな! 式が終わったら覚悟しとけ!」
口が汚い。戦闘員として長年所属するタマゴに対して、ナマエは新米も同然だというのに。何度言い聞かせてもタマゴ相手では態度が一変する。頬も上気し、息も荒い。
「今度こそ、そのティーカップを落としてやる!」
ようやくタマゴが振り返った。自分たちから十歩以上はなれた場所で、頭のティーカップを手にとる。優雅に紅茶をすする姿は、ナマエをヒートアップさせた。自分はさらに抱えこむ。
「立場をわきまえろ。私は逃げも隠れもしない。戦闘員として式に貢献すれば、アフターパーティで時間をつくってやるフィーユ」
ティーカップを頭にもどし、タマゴは部屋を出ていった。ナマエの肩が徐々に下がっていく。とうとう自分の腕のなかで力を抜いた。重いのでとなりに座らせる。そのままナマエはソファに突っ伏した。
「よかったな、ナマエ。決闘の了承がもらえて」
向かいのソファで静観していたスムージーが微笑んだ。ナマエは顔だけをスムージーに向ける。
「気が抜けたら、おなかすいてきた」
ちょうどナマエの腹も鳴る。とりあえず手をたたいてビスケットをだす。食べやすいひとくちサイズ。ナマエの真上に落とせば、寝転がったまま器用に口で受けとめた。すべて飲みこんだあと、また口を開ける。顔もこちらに向けた。さすがに厚かましい。腕を引っ張り、強制的に体を起こす。
「行儀悪いぞ。ちゃんと座ってから食え。ほら。あそこの席があいてるだろ。食いたい分を適量、ちゃんと皿に盛ってからだ。いいな?」
中央のテーブルを指差してやる。ナマエは喜々として立ち上がった。テーブルの兄弟たちに囲まれながら食す姿をスムージーが見つめる。
「兄さんも甘いな。そんなにマナーを気にするなら、ビスケットをやらなければいいのに」
ぐうの音も出ない。ああやってビスケットを放りこむのは習慣となっていた。無意識のうちに手をたたいてしまい、ナマエが食べ終えてから我に返る。
「シュトロイゼンがナマエの卵を喜んでいた。どれも極上の品質だったと。また同じ卵が欲しいそうだ」
同じ卵、か。
「月イチで補給となると、おれの仕事が増えるだろ。卵狩りの船を出すのも楽じゃねェんだ」
「兄さん、まだナマエを単独で行かせないのか」
こちらを責める声色ではない。それでもスムージーの視線は鋭い。
「無理だ。最近やっと電伝虫で報告できるようになったんだぞ」
四年前に拾った当時は、ろくに言葉も話せなかった。根気よく語りつづけ、意思疎通を重ね、ようやく今の段階に到達した。敬語を使えるようになったのも最近だ。卵狩りと戦闘面に特化しているだけの、純粋な戦闘員。ナマエを動かすには指揮官が不可欠。
「もう報告もできるのか。なおさら仕事を任せていい頃合いだ。兄弟たちもナマエのことがわかってきた。そろそろクラッカー兄さんから離れても大丈夫だろう」
最後が引っかかる。離れる? ナマエが?
「おれ以外無理だろ。おまえはナマエを動かせる自信があるのか」
スムージーは控えめに笑う。
「私は遠慮しておこう。だが、ペロス兄さんとはうまくやっているようだ。モス兄さんともよく話す」
ペロス兄には卵のコーティングを頼んでいた。モスカートにはジェラートをもらったこともある。
「ナマエが卵狩りに行くときは、目的地から一番近い兄弟が指示すればいい。そうすればクラッカー兄さんの手間も省ける」
もっともな話だ。しかし、そうすぐに許容できるものでもない。まだあいつは不完全。なにもかもが足りない。特にタマゴ相手だと感情が爆発する。自分が目を光らせておかねば。
「あくまで私個人の意見だ。だが、式での仕事ぶりと、タマゴとの決闘次第では、兄弟たちに提案しようと思っている。皆が賛成すればママにも判断してもらう」
ここまで言うならスムージーは必ず実行する。あらかじめ現指揮官の自分に話を通しにきたのだ。きちんと手順を踏んだ妹を突っぱねるわけにはいかない。無言でうなずいておく。
「急ぎはしない。兄さんも時間が必要だろう。最後にかならず兄さんの許可をもらう。一応考えておいてくれ」
スムージーは立ち上がり、テーブルのナマエに声をかける。皿から焼き菓子をひとくちもらったあと、部屋をでていった。扉が完全に閉じられてからソファに背を預ける。ぼんやりと天井を見上げた。
「そろそろ巣立ちってやつか」
小さくつぶやいたものの、どうもしっくりこない。四年も後ろを引っ付いていたのだ。なんとなく、この四年間を振り返ってみる。そのあいだも、テーブルで談笑するナマエたちの声が耳に届いた。
プラリネの結婚式も無事に終わった。ママの機嫌も上々。昼間のお茶会が終わると、兄弟たちは中庭でアフターパーティを開催する。来賓やママ抜きでの気楽な慰労会。お茶会ギリギリに来ることが多いカタクリ兄さんも、アフターパーティには必ず参加していた。
夜がふけてきた。酒のピークも終わり、テーブルの皿も徐々に下げられていく。ナマエが立ち上がった。たらふく料理を腹に収め、気力も万端。手足をストレッチしながら中央にでる。大きく息を吸った。
「タマゴ男爵! 決闘を申しこむ!」
一気に場が引きしまる。タマゴがゆったりと足を進めた。開始合図などない。ナマエが飛びだせば、タマゴが長い脚を振りかざした。すばしっこく方向転換し、変則的にしかけるナマエをタマゴが華麗に避ける。足長族のタマゴはリーチが長い。いかにナマエがタマゴのふところに潜りこめるか。持久力が問題だったナマエも、今日はスタミナ切れしない。むしろ攻撃を重ねるほどスピードが増していく。はじめはティーカップを持っていたタマゴが、頭にカップをもどした。スティッキも使いだす。ナマエは卵狩りで愛用する網を放った。何度も網を出し入れすることで、タマゴを寄せつけない。ついにはタマゴのスティッキを絡め取った。中庭の隅に放り投げる。タマゴの攻撃手段は足のみに制限された。一気にナマエが間合いを詰める。網を投げた先はタマゴの頭。ティーカップをうばう気だ。しかしタマゴが前屈して網を避ける。
ナマエが歯を見せた。空中で体をひねり、タマゴの顔面めがけて蹴りをくり出す。だがタマゴも体勢を立てなおしていた。まずい。あの殺気は。全力で駆けだすも間に合わない。
「そこまでだ!」
スムージーの声。あと三歩のところでナマエに届かなかった。タマゴの蹴りをカタクリ兄さんが遮り、ナマエの体をスムージーが抱えこんでいた。直後、タマゴのサングラスが砕け散り、ナマエの卵ヘルメットに亀裂が走る。物理的に到達しなくとも、圧で相手の装備をこわした。サングラスであらわになったタマゴの目は、完全に瞳孔が開いていた。カタクリ兄さんがうなずけば、ようやくタマゴが戦闘態勢を解く。
「はなせ! スムージー!」
ナマエはまだ抵抗していた。急いでスムージーから引き抜き、腕で抱えなおす。
「クラッカー! まだ! おれは!」
理性を失うと「私」から「おれ」に変わる。こんな殺気立ったケモノを解放するわけにはいかない。
「決闘は終わった。今回は引き分けだ」
「まだだ! だって! ──あと、ちょっとだった、のに」
声がしおれていく。体の力も抜けた。地面に下ろしてやれば、その場で倒れこむ。手足を広げ、仰向けに寝そべった。中途半端に口を開けたまま、中庭の天井を見つめる。殺気は消失したのでひと息つく。タマゴはスーツを直し、ティーカップに口をつけていた。しかしカップの中身はほとんど残っていない。紅茶をこぼしてしまうほど、あのタマゴが激しく動いた。
「いい決闘だったな」
スムージーが足元のナマエを見下ろす。自分も視線を下げるが、ナマエはまだ空想からもどってこない。
「最後のナマエ、とんでもなく暴れたぞ。やはり私の手には負えないな」
ナマエを見つめたまま、スムージーが舌舐めずりした。ゾクリと背筋がこおる。なにかを問わなければ。だが言葉が浮かんでこない。迷っているうちにスムージーが歩きだす。かけよってきた女をつかみ、一気に搾り上げた。抽出した液体を空のグラスにそそぐ。飲み終えるまで見届けると、カタクリ兄さんに声をかけられる。
「少し、いいか」
クイと指を曲げて誘われるので近づく。周囲を見まわしたあと、兄が言葉を続けた。
「ナマエはタマゴを殺していた。本来、決闘への介入は侮辱行為に値する。だがタマゴの損失は惜しい。だからおれは止めた」
カタクリ兄さんは見聞色の覇気を鍛えすぎて少し先の未来が見える。兄と妹が止めなければタマゴは殺されていた。
「ナマエは素質がある。あれはもっと伸びるぞ」
今回の決闘で嫌ほど思い知った。この調子なら、他の兄弟たちも気づいたはず。
「戦闘能力だけなら騎士も十分務まる。あとはおまえ次第だ」
ビッグ・マム海賊団戦闘員のなかでも特に優れた者だけに与えられる称号、騎士。わかっている。わかっていた。もうナマエは十分つよい。だからこそ最後の言葉が理解できない。
「おれにどうしろっていうんだ、兄さん」
未来が見える兄と目を合わせるときは緊張する。だが今は怖気づいている場合ではない。じっと睨みつづける。
「ナマエを生かすも殺すも、おまえ次第ということだ、クラッカー。なぜタマゴに執着するか、考えたことくらいはあるだろう」
ぐっと腹に力を入れる。絶対に目をそらしてはならない。
「手に負えないなら、おれが預かる」
まさか、兄さんが。そんなこと、今まで一度も。
「不服なら、おまえも努力しろ。4将星の名が廃る」
くすぶっていた苛立ちが一気に爆発した。どうにか顔に出さぬよう努める。将星は、カタクリ兄さん、スムージー、自分、そしてスナック兄さんの四人。スナック兄さんは今この場にいなかった。つまり、自分だけ決闘の介入に遅れたのだ。カタクリ兄さんもスムージーも、自分より先に危険を察知して動いた。
「おまえならできる」
やわらかく肩をたたかれ、兄が歩きだす。途中でひざをつき、ナマエの顔をのぞきこんだ。中途半端に開いた口にジェリービーンズを投げ入れる。放心していたナマエがようやく動きだした。口をもごつかせながら、上体を起こす。まずは目の前のカタクリ兄さんを見上げた。
「まだいるか」
ナマエが両手を差しだせば、ビーンズを乗せていく。ビーンズの小山ができたところで兄が立ち上がる。最後に一粒をナマエの口に投げ入れた。兄が離れたタイミングでナマエに近づく。こちらを見上げるも、ビーンズを食したまま何も言わない。機嫌は悪くないが、元気でもない。歩きだすので付いていく。ホールケーキ城を抜け出し、平原を突っ切る。誘惑の森をも抜けてたどり着いたのは、南西の海岸。
「おい、どうした」
反応なし。ナマエは海を見わたしながら腰を下ろす。無言で手元のビーンズを食べつづけていた。自分もとなりに座りこむ。横顔を観察していると、ナマエの顔面がキラキラと反射した。月光に照らされる一筋。それが涙だと認識できるまで、たっぷり十秒はかかった。
「ナマエ」
言葉が続かない。なにを言えばいいかわからない。こいつの涙など初めて見た。とっさに手を伸ばすも、途中で引っこめる。ついにビーンズがなくなった。ナマエがか細い音をもらす。
「なんで、だ。いつになったら、あいつを」
いつになったらタマゴを超えられるのか、打ち負かせるのか。それとも。すでにカタクリ兄さんは感づいている。自分も気づかぬフリをしていたが、もう限界だ。直球でぶつける。
「おまえ、タマゴと何かあったのか」
顔をうつむかせた。頬を伝っていた涙は真下の両手に落ちる。
「最初に見つけたときも、おまえは珍しい卵を抱えていた。頭に卵を被っているのもずっとだ。それと、うちのタマゴ男爵は関係あるのか」
ナマエは四六時中ヘルメットを被っている。それも卵の殻だ。目と耳の位置に穴を開けている。顔のなかで露出しているのは口元のみ。だから表情の変化は口から読み取るしかない。今のナマエはきつく口を結んでいる。なんらかの感情を押し殺していた。
「ごめん。言えない。言ったらここに居られない」
間抜けな回答だ。つまり、ビッグ・マム海賊団にとって不都合な事情を抱えている。だが決定打は避けたい。こいつの不始末が発覚すれば、最終的に責任をとるのは自分だ。
「いつまでも隠しとおせるわけねェだろ。とりあえずヒントだ。なにか言ってみろ」
じっくり間があいたあと、ぽつり、ぽつりと音がこぼれる。
「あいつ、ぜんぶ、うばった。かたき、うつ」
頭が痛い。あいまいにぼかすどころか、「かたき」など決定打の決定打ではないか。仕方ないので会話をつなぐ。
「復讐のために、三年も決闘をしかけていたのか」
こくりとうなずく。
「もっと他に方法があっただろ。うちに入らずに、暗殺でも何でも」
ひざを抱えて顔を伏せる。説教中は身を小さくする。いつもの体勢だ。
「だって、クラッカーが勝手に。私は『ビッグ・マム海賊団に入りたい』なんて言ってない」
言葉に詰まる。ちょこまか逃げる野生児を捕まえたら、極上の卵を抱えていたのだ。当時ナマエが拠点としていた場所には、多種多様の卵の殻が飾られていた。お菓子づくりに卵は不可欠。反抗的だったナマエも徐々に丸くなり、自分の後ろを付いてくるようになった。
「でもさ、あいつ、強すぎた。なにもできなかった。だからがんばった。がんばって、がんばって、強くなった。みんなに認められたくて、ちゃんと仕事もやった。そうしたら、ときどき、かたきを忘れるようになった。こわかった」
一時的におさまった涙が、また。聞かされた言葉も、震える体もすべて。もどかしい。今度こそ手を伸ばす。卵ヘルメットをつかんだ。
「さっきのでヒビ入ったぞ。気づいたか? もうこのヘルメットは使えねェ」
そのまま引っ張るが、うまくはずれない。肩をつかんで、こちらを振り向かせた。ヘルメットのふちを調べながら、肌とのすきまに指を入れる。動いた。慎重にずらしていけば、完全に外れる。
「おまえ……」
目がふたつある。鼻はひとつ。耳も、眉毛だってある。人間だ。こいつは紛れもなく、ただのヒト。こちらを見上げる目元からは、いまだ涙がこぼれている。まばたきすれば、まつげに水滴がつく。瞳孔も動いている。反応すべてがまぶしい。同時に胸もくるしくなる。
「こわい。クラッカー、近い。こわい」
忘れていた。ヘルメットを外すために肩をつかんでいたのだ。すぐに解放すれば後ずさりする。またヘルメットを被ろうとするので取り上げた。考えに考え抜き、自身のマントを頭にかけてやる。
「見えない。こわい」
今度はマントのなかで暴れはじめた。どうにか腕をとり、マントのすそから顔をだしてやる。目元だけは隠れるように調整した。ようやく落ち着く。本当なら卵のヘルメットにこだわる理由を問いただしたい。顔を隠す理由もすべて。だが本筋を見失ってはならない。先ほどの言葉を拾う。
「おまえは、この場所が嫌いじゃねェんだな? 嫌いなら、プラリネにあんなプレゼントはやらねェ。卵のコーティングもペロス兄に頼りっきりだ」
ナマエはマントのすそをつかみ、さらに目元を隠す。
「だって、プラリネは、最初からずっと、やさしかった。ペロス兄も、ぜんぜん私を嫌がらなかった」
ヒトの形をしているが、かたくなに卵のヘルメットを外さないので、一部の者はナマエを煙たがっていた。だがそれも最初の話。卵狩りの成果を認められ、戦闘能力の成長ぶりも話題となり、最近ではタマゴとの決闘も、いい意味で周囲を沸かせていた。
「それに、クラッカーだって。ずっとやさしい。どんなに迷惑かけても、ぜったいに最後は許してくれる」
顔をしかめてしまう。どう反応するべきか。拳を開き、手のひらを見つめる。グローブを外した。おそるおそる、ナマエの頭に素手を置く。余計な刺激を与えぬよう、慎重に手を動かす。ナマエは完全に固まっていた。マントのすそを懸命に引っ張り、顔を隠しつづける。
「ここが嫌じゃねェなら、そろそろ復讐もやめてみねェか」
頭をなでながら、やわらかい音を心がけた。きっと、次こそはタマゴを殺すだろう。未然に防いでも、今度はカタクリ兄さんがだまっていない。さきほどしっかり忠告を受けたのだ。こいつを生かすも殺すも自分次第。もしコントロールできなければママの耳にも届いてしまう。ママは仲間の裏切りを絶対に許さない。ナマエの魂を抜きとるか、落とし前ルーレットが始まるか。どちらも痛い。痛いのはごめんだ。痛がるナマエを見届けるのはキツすぎる。ならば、みずから手にかけるしかない。痛くない方法で、安らかに眠らせるしか、
「いまさら、いまさら、だ。そんな簡単にやめられるなら、三年も決闘なんて、してない」
マントのすそをずらし、こちらを見上げる。ぐしゃぐしゃに顔をゆがませていた。今までもヘルメットのなかで、こんな顔をしていたのか。わからない。わからないが、自分のなかで何かが弾けた。腹をくくろう。自分を追い込んで追い込んで、強くなる。ナマエとタマゴの決闘をまっさきに阻止する。カタクリ兄さん、スムージー、スナック兄さんをも超える。
「いいか。連帯責任だ。おまえの目的を聞いちまった以上、おれも責任をとる。決闘したいなら、好きなだけやればいい。ただし、おれがいる時だけにしろ。おまえがタマゴを殺したら最後だ。その瞬間、おれがおまえを殺す」
素顔のナマエが目を丸くさせた。すぐに言葉をつなぐ。
「おまえを殺したくない。だからおれは全力で決闘をとめる。おれが決闘を邪魔するかぎり、おまえはタマゴを殺せねェ。これがギリギリだ。ママの子どもで、ビスケット大臣で、4将星のおれができる、ギリギリの選択だ」
涙がとまった。手がゆるみ、引っ張っていたマントが頭から落ちる。
「最後は、ママじゃない? ルーレットじゃないの? クラッカーが殺してくれる?」
やはりナマエは死を恐れていなかった。恐れていないからこそ強くなれる。決闘でタマゴを追い詰めるまでに成長した。
「ああ。おれが殺る。おまえの好きなように殺してやる」
頬がゆるむ。こんな風に笑うのか。殺害予告を受けたというのに。
「よかった。本当に、あのルーレットだけは嫌だったから」
ルーレットが始まれば、必ず何かを失う。どうにか生き延びたとしても代償が大きすぎる。
「言っとくが、今のは全部秘密だ。おれの連帯責任も、おまえのかたきも、誰にも悟られるな。いいな?」
いつものように顔を近づけると、ナマエが身を引く。おもしろくないので、額を指で弾いてやった。
「痛い! なに、これ」
額に直接ふれる者など今までいなかったのだろう。涙も出てきた。知らない表情。知らない視線。機嫌を悪くさせたのに、おかしくて仕方がない。
「笑うな。ひきょうだぞ」
もうひと睨みされたあと、ナマエが立ち上がる。誘惑の森へ駆けだした。
「おい、どこへ行く」
「代わりの卵! 探してくる!」
次のヘルメットを調達、か。あっというまに森へ消えた。ひと息ついたあと、マントを拾い、腰を上げる。スムージーの言っていた、巣立ちの件は断っておこう。むしろ自分は一瞬たりともナマエから目を離せなくなった。成長まっさかりの野生児は手に余る。手に余るが、もう四年だ。最後の最後まで生きざまを見届けてやる。その日がくるまで、せめて。このささいな日常を、もうすこし。
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