短編つめあわせ
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賽は投げられた
今日は調子が悪い。先日の悪天候で流通が止まり、町のタバコ屋から葉巻が消えていた。もう手持ちは尽きかけている。葉巻のためだけに船を出すわけにもいかない。
気をまぎらわせようと外へ出れば、部下が駆けてきた。
「スモーカー准将、本部より通信です」
ようやく動いたか。先日、一億の船長を仕留めたのだ。
『今回の討伐に関しまして、勲章が送られることになり……』
そんなことはどうでもいい。本題は。
『昇格が決定しました』
わずかに肩の力が抜ける。先は長いが、確実に前進した。
『次の配属先は──』
その地名を聞いた瞬間、あやうく電伝虫を落としかけた。
深夜のアパート三階。ベルを鳴らし、待つこと一分。ゆっくりと扉が開いた。
「スモーカー」
期待をにじませた声。目もとをこすり、あくびをもらし、寝間着の上からガウンを羽織っている。
「起こして悪い」
とりあえず抱え上げてベッドへ。数ヶ月前は、この体勢さえも嫌がったものだが、いまでは大胆にも身を預けてくる。
「葉巻を取りにきた。このあいだ忘れた分だ」
ベッドに寝かせたが、また腕をのばしてくる。半分寝ている体が自分を求めている。欲している。拒絶できるはずがなかった。あらゆる見切りをつけて、ベッドに腰掛ける。
「ナマエ」
名を呼べば「スモーカー」と返ってくる。首に腕がからみつく。顔も近づき、彼女が無邪気にくちびるを重ねてきた。今日はブーツを脱ぐわけにはいかない。
「葉巻の場所だけ教えてくれ。おれが取ってくる」
一瞬、瞳がゆれた。
「そこの引き出し。上から二番目」
弱々しい音。その額にくちづけしたあと、慎重に腕をほどき、ベッドから立ち上がる。なぜ彼女が葉巻の場所を渋ったのか。理由はわかりきっていた。だからこそ、葉巻を手に入れたらすぐにベッドへ戻る。同じ場所に腰掛けた。
「ナマエ。助かった」
枕にのせた頭をなでれば、また目もとが反射する。彼女は「帰らないで」と言わない。「ずっと一緒にいて」ともこぼさない。それでも半分寝ている体は正直だ。こうして全身で感情を表現する。本人に自覚がないとわかるからこそ放っておけなかった。
「ナマエ、どうした」
知っているが、あえて聞く。言葉にできず、我慢しているのも痛いほど理解している。だが今日は無性に押したくなる。これで会うのは、最後。
「スモーカー」
出会った当時は「スモーカーさん」だった。それが、こうも甘ったるい呼び方をするように。なでていた頭から手を滑らせ、頬をさする。彼女の目もとが、ゆるりと細く。とけるように。
「わたし、ね。いま、ほんとうに、しあわせ」
つい首を振りたくなる。何もしてやれていない。この関係は秘匿しているため、二人で出かけたこともない。こちらの都合がついた時だけ、こうして彼女の家に上がりこむ。言葉を押し殺し、ともに過ごす時間さえも制限され、帰ってくる保証のない海兵を待ちつづけるなど。こんな生活がすべてではない。彼女にはもっと別の幸せがあるのでは、と何度も考えた。考えるも答えは出ない。結局、こうして足を運び、わがままを言わない彼女に甘えてきた。
「ナマエ、聞いてくれ」
無邪気なキスを受け入れていたが、ここで顔をはなす。しっかりを目を合わせた。
「異動が決まった。明日には島を出る」
言い訳しないためにも、ここで口を閉じる。彼女の目が丸くなり、やわらかい笑顔へ。
「よかった。おめでとう」
なぜ悲しまない。なぜ嫌がらない。一瞬たりとも不満な瞳を見せない。そんな、気丈な彼女だからこそ惹かれたのだ。
「ナマエ」
今日はベッドに上がらないつもりだった。最後の最後に引きずる行為など。
「おまえのいた時間は」
ならば、せめて伝えなければ。
「おれにとって」
言葉に詰まる。息をついてしまう。不安げな瞳で見上げてくる、その顔を捉えながら、彼女の手にくちづけを。
「もう二度と、替えのきかない」
言葉にすれば軽々しい響きになってしまう。胸の内に留めている感情すべてを吐く術を見いだせない。どうすれば伝わるのか。
「ナマエ」
今までにないほど重々しく息を吐いてしまう。彼女が上体を起こした。膝をついて、こちらへ近づく。手を誘導され、彼女の腰を抱きこむ。一気に熱がこみ上げる。顔も近づき、耳に吐息が。
「替えのきかない、あなたとの時間」
肩からガウンが滑り落ちる。あらわになった肌から目をはなせない。
「おねがい」
なにを願ったのか。ここは気づかぬふりを。いつもの別れ際のように、額へくちびるを寄せる。だが急に後頭部を押さえつけられ顔を伏せてしまう。瞬間、意図せず彼女の口と重なった。不本意だ。不本意だが、最後の理性が切れる。一心不乱に掻き抱いた。
起きがけにまず葉巻を手にとる。しずかにベッドを抜け出し、窓を開けて、うっすら水平線が明るい外をながめて吹かす。そんな習慣も終わる。ここで吸う最後の一本。支度も整った。彼女は深い眠りに就いている。いつもなら、適当な場所に葉巻のケースを忘れていく。
忘れものを取りにきた
そんな言い訳を並べて、何度会いにきたことか。今日も忘れるべきか。いや、期待させてはならない。新世界を目指すなら、同じ支部にもどる可能性はゼロに等しい。この部屋に自分の影を残してはならない。
落としどころが見つかり、とうとう玄関へ向かうしかなくなった。ゆっくりと歩きながら部屋の内装をながめる。彼女らしい家具、彼女らしい絵画、彼女らしいキッチン。すべてを目に焼き付けて、ドアノブに手をかけた。
「スモーカー!」
背中に衝撃。強く抱きこまれた。うまく頭が働かないなか、腕を引っ張られ、後ろを振り向かされる。ぐしゃぐしゃに泣きはらした顔が、いびつにゆがみ、
「おねがい。私も連れて行って」
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