サンジ過去編
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買い出しを終え、すべて船に積みこんだ。朝七時のローグタウンはもう人が出歩いている。聞かされた番地を探す。ここの最上階。角部屋。強めに扉をノックする。一分は待った。もう一度ノックするか、と手をかざせば、ようやく扉が開く。目をこすりながらナマエが顔を出した。
「さんじ?」
この疑わしい声。さては忘れたな。
「ほら。朝めしだ。昨日おまえが頼んだんだろ」
先日、別の街で朝めしを届けてやったところ、珍しく気に入っていた。「ローグタウンの市場にもうまいやつがある」と教えれば、さらに興味を示す。昨日ナマエと自分はバラティエからローグタウンに来た。さっそく「朝めし配達」を提案したところ、ここの住所を教えられたのだ。
「ああ、そうだった、かも。さんきゅ」
袋を受けとり、さらに扉を開ける。互いに静止したまま、目を合わせるだけ。
「どうした」
どうしたと言われても。意味がわからない。
「ここで食べていくんだろ、それ」
ナマエが指差した先は自分が持つ袋。同じ朝めしを買っていた。
「入れよ」
言われるがまま部屋に上がる。思った以上に広いが、どうしてもベッドに目が行ってしまう。テーブルに誘導されるので、おとなしく席につく。
「いただきます」
眠そうな顔がへにゃりとゆるむ。どこで買ったのか。いくらだったのか。他愛もない会話。そのあいだも部屋のあちこちを見まわしてしまう。ひとり暮らしとは、こういうものなのか。
「さっきからどうした」
食べ終えたナマエはすっかり目覚めていた。まだ髪は下ろし、眼鏡もかけていない。
「陸で暮らしている奴は、そう会わねェからな」
自分と同じように部屋を見まわす。最後にベッドを注視した。
「おまえ、ひとり暮らしなんだよな?」
「イエス。悠々自適なひとり旅の、ひとり暮らし」
そろりと目を合わせて確認。嘘をついている顔ではない。
「なら、あれか。夜だけふたり暮らししてるってか?」
おどけた表情をつくり、ベッドへ視線を流す。ナマエも同じ方向を見たあと、盛大にため息をついた。
「信じられねェなら、どうとでも勘ぐればいいさ」
「まだ身の潔白を主張するのか? おれたちの仲だろ。男同士、何をそんなにもったいぶる必要がある」
ダブルどころではない。あのサイズを何と言ったか。適当に単語を並べていく。
「セミダブル」
潔白野郎は静かに首を横に振る。
「キング」
また横に。
「ならダブルか?」
「クイーンだ」
ようやく答えた。
「と言っても、おれも確証はない。キングサイズにサイズアップした奴から、お下がりで押し付けら──もらった分だ。それ以上でもそれ以下でもない」
つまり、自分で買ったのではない。
「どうりでアンバランスなわけだ」
かろうじて椅子ふたつとテーブル。そしてクイーンサイズ。部屋自体はそこそこゆとりがあるはずなのに。ベッドの存在感がでかすぎる。
「よく部屋に入ったな」
「そこの窓を外せば何でもいける」
道に面した、ベランダへ続く二枚のガラス。頭では理解できるが。できる、が、
「この五階に、アレを上げたのか」
「そういうことだ。ごちそうさま。おまえの評判どおり、うまかった」
すぐに立ち上がる。強制的に話を切り上げられてしまった。自分はまだコーヒー一杯が残っている。背後のナマエを振り向きながら、カップに口をつけた。
「早起きは三文の徳。昔からそう言うだろ。ここの市場は楽しいぞ。朝はいつもパンなのか。その袋」
クローゼットを開けた彼が顔だけを動かす。自分が指差した先にはベーカリー屋の紙袋。まだ中身が入っているのか、きつめに袋の口が折ってある。
「ローグタウンには良いベーカリーが多いからな」
「もし、できたてほやほやの朝めしが食えるなら、どうする」
目が合う。もう少し説明を。
「キッチンがあると、どうしてもな。そこにいい包丁が見えたもんだから。つい目が行っちまう」
決して広くはない。道具も多くない。凝るタイプではなさそうだ。それでも包丁はよく手入れされている。使ってみたい。
「おまえ、料理するんだな」
「気が向いたら、な。遠征が多い今はめっきりだ」
「そういや、いつからここに住んでいるんだ?」
「もう半年は過ぎた」
思わず部屋を見まわす。たしかに家具は少ない。荷物も多くない。いま開いているクローゼットにはスーツが五着ほど。
「半年? 四ヶ月、いや、五ヶ月前か? あのときだって、何年もローグタウンに住み着いているって顔だったぞ」
一瞬目を丸くさせたあと、顔をゆがませ吹き出した。クローゼットからスーツ一式を取りだし、ベッドへ投げおく。
「そんな風に見えていたのか。たしかに、住み着く前に何回も来ていたからな。ある程度の情報は仕入れていた」
ならば、以前は何をしていたのか。どこにいたのか。どこで生まれたのか。口を開くも、思いなおしコーヒーを飲み干す。聞けば聞きかえされる。自分はどこにいたのか。どこで生まれたのか。今までだって誰にも明かさなかった。分が悪い。深入りはやめておこう。
「うちのキッチンで間に合うか? 鍋もフライパンもひとつしかねェぞ。調味料だって最低限だ。申し出るまえに確認しとけ」
即座にキッチンへ向かった。収納棚を開け、在庫を把握。これだけあれば、どこまで作れるか。材料なら朝の市場でいくらでも揃う。せっかくだから鮮度にこだわって、
「やっぱり、目が変わるもんだな」
真横から声が聞こえ、ビクリと肩が跳ねてしまう。すでにナマエは着替え終わっていた。いつもの髪型、そして眼鏡。
「おどかすな」
「さっきからずっとここにいたのに、ずっと見ていたのに、いつまでたっても気づかねェから」
手元を見下ろす。調味料、道具すべてを調理台に並べていた。急に顔が熱くなる。手早く元の場所へ戻した。あらためてとなりを振り返る。まだ見ている。自分の言葉を待っていた。申し出、か。
「今度ローグタウンに来たら、ここに材料を持ってくる。なに、そう時間はかからない。バラティエとはまたひと味違うもんを食わせてやる。どうだ?」
一歩下がり、ゆるりと頭を下げる。少し低い、カタリの声が響いた。
「ぜひ、こちらこそ」
二週間後。ちょうどナマエとローグタウン滞在期間が重なった。顔を合わせるのは翌朝までとっておく。街に着いたら宿をとり、迷わず夜の街へ。新規開拓がてら、いつもより遠出してみる。繁華街を抜けて道を一本、二本。急に道幅が広くなった。店の外観も変わる。以前、酒場の店主から存在は聞いていた。ここがローグタウンの花街。ざっと端から端まで歩いたが、気を取りなおし、来た道を戻る。どうもここの空気は合わない。いつもの店で積極的なレディを探そう。
ピリリと肌に違和感。風だ。そばの街路樹を見上げるも、枝は揺れていない。慎重に花街を振り返る。日が沈んだばかりの午後七時。まだ閑散としている通りに、見慣れた髪型、背中が。五十メートルは離れているが間違いない。まっすぐ一軒に向かい、吸い込まれていった。まばたきをくり返し、自分なりに行動を縛る。店名だけを確認しよう。それ以上は悪趣味だ。
消えた場所まで来たが、看板が見当たらない。一階の壁にあるのは扉、そして風鈴のみ。二階は明るいので営業中のはずだ。両隣の外観も店らしくない。ここは花街のどまんなか。少し考え、真向かいの店に顔を出す。
「お兄さん、ここは初めてかい」
のれんをくぐって早々、店の者に話しかけられる。
「実は、さっきから様子を見させてもらってね。誰でも最初は気になるもんだ」
説明が始まる。看板はないが、向かいの建物は本当に営業中らしい。ただ、初めて店に入った客は基本的に断られる。常連客の口利きが必要。
「ここの勝手がわからんうちは、無理して入る必要もない。湯水のごとくアレが消えちまうからね」
親指と人差し指でそっと輪をつくった。金か。
「いっぱい稼いでから、またいらっしゃい」
言葉は続かない。笑顔を貼り付けている。この店も相当高いのだろう。礼を述べ、おとなしく引き下がる。頭のなかを整理しながら花街を離れた。つまり、ナマエは高級店の常連客。マジシャンでガッツリ稼いでいるのは知っていたが、まさか女につぎ込んでいたとは。
翌朝。前回と同じく、眠そうな顔で玄関を通される。さっそく調理にとりかかった。いつもなら適当に話を振るが、どうも口がまわらない。黙々とテーブルに皿を並べる。向かいに座り、ひたすらナマエを観察した。
「いただきまーす」
あくび混じりに手を合わせ、まずはひとくち。今日一番、目が丸くなった。すぐに表情がとける。朝めしは特に反応が良い。気が抜ければ、正直な食の感想もこぼれたりする。まっさきにフォークが伸びる品、じっくり噛みしめる品、口に入れた瞬間に目を輝かせる品。貴重なデータをつぶさに記憶する。着実に好みへ寄せているはず。だが、まだ決定打ではない。こいつの心をガツンと鷲掴みにするような、なにか。とびきりの品を、
「ごちそうさま」
声はすっかり目覚めていた。すかさずコーヒーを淹れる。ふたたび席についた。
「どうした。具合でも悪いのか」
意味がわからず、目だけを合わせると、手元の皿を指さされる。自分で作った朝めし。まだひとくちも手をつけていなかった。
「いや。ぼうっとしていただけだ」
手早くかき込む。原因はわかっている。昨夜の件が頭から離れないのだ。
「無理するな。今からひとりでバラティエに戻るんだ。寝不足なら、うちで寝ていけ」
思わずベッドを振り返ってしまう。昨日は店で女を抱いたから、このベッドは使っていない。何時に帰ってきたのか。どれくらいの頻度で通っているのか。
「平気だ。そういうおまえこそ、いつもこの時間は眠いんだろ」
ようやく完食。少々冷めたコーヒーも飲み干す。
「サンジ」
椅子に背を預け、腕を組み、じっとこちらを見つめてくる。目をそらすのも負けな気がし、手探りで煙草を一本取りだす。だが奪われてしまった。
「おい。返せ」
「いやだ。ちゃんと話すまでお預け」
自身の胸ポケットに差す。ライターもとられた。そもそも何を話すのだ。女がどうこう、直接探りを入れるほどガサツではない。でも気になってしまう。なにか、適当な話のとっかかりを。
「ちょっと立て」
そばに行き、腕を引く。目線の高さがそろった。一歩近づく。半歩下がるので、きつめに腕をつかんだ。表情が硬い。気配も澄み切っている。この距離ではわからない。まだ髪を下ろしている。服は変わったので、残っているなら、
「さ、ん」
途切れ声を聞きながら、髪をすくい、鼻を近づける。たしかに、なにかにおう。髪をさかのぼり、首筋へ──
体がまわる。後方へ飛ばされ、背中にやわらかい感触。はねた。また反転し、上から押さえつけられる。腕をとられた。以前、床で拘束されたことを思い出す。今回は白シーツが視界を占領した。
「言い訳、くらいは、聞いてやる」
息を切らした音。うつ伏せなので振り返れない。頭も押さえつけられている。
「言ってただろ。おれの時はにおいでバレた。だから、その。おまえもそういう、香水かなにかが」
「なんだよ。このあいだはズカズカ聞いてくると思ったら、今日は聞きにくいってか?」
早口でまくし立て、盛大なため息が響く。一度きつく頭をベッドに押し込まれたあと、全身が軽くなる。やんわりと仰向けに転がされた。呆然と天井を見ていれば、腕を引っ張られ、背中から起こされる。
「靴は脱げ」
勝手に靴ひもをほどかれた。胸元を押され、またベッドへ逆戻りする。すぐそばにナマエが腰を下ろす。背を向けられたため、表情はわからない。
「こうしよう。ひとつだけ答えてやる」
ひとつ、か。昨夜の件は、一度きりの質問では掘り下げられない。ここへ女を連れ込むのか。そんなことを聞いたところで何になる。なぜ、たったいま押し倒されたのか。
「おれは今、どうすればよかったんだ」
「そんなこと自分で考えろ」
即答だ。交渉決裂。もう少し言葉を選ぶべきだった。
「ただ、そうだな。いつも以上に近づいてくるときは、先に目的を言え。おれはまだ、おまえの考えていることすべてを読めるわけじゃねェんだ」
近づきすぎたから警戒された、ということか。考えてみれば、同年代の野郎とつるんだことなどなかった。少なくともナマエには見えない線引きがある。それを越えてはならない。普段どおり生活していれば気づかないだろう距離。手合わせの最中なら、接近などいくらでもあるのに。やはり女絡みか。
「悪かった。気をつける」
ようやく振り返った。じっと見下ろされる。
「食後の一服。欲しいか?」
胸ポケットの煙草を取りだし、目の前でかざしてくる。ニタつく笑い方が妙に腹立たしい。文句のひとつやふたつ言おうと口を開くと、煙草を突っ込まれた。無理やり上体を起こされる。
「ベッドは禁止。ベランダかキッチン」
「靴がねェ」
「それで。どっちだ」
無言の圧力を感じ、ベランダの方へ視線を流す。
「向こうに座れ」
背中を押され、ベッドの端へ。ナマエが靴を持ってきた。するりと靴ひもが結ばれる。靴以外も何でも、こいつは着替えが速い。
「いい天気だ」
ぐいぐい腕を引っ張られ、ふたりしてベランダの柵にもたれかかる。ナマエは胸ポケットのライターを取りだし火をつけた。片手で火を覆い、目の前に差し出してくる。目を合わせつづけたまま煙草を近づける。満足げな表情。こちらの胸ポケットにライターが戻される。
「そういえば今度、定期市が復活するらしい。ようやく再開の目処がついたそうだ」
街を見渡すので、自分も景色を眺める。
「復活に五ヶ月もかかったのか」
「警備隊がなかなかしぶとくてさ。ようやく海軍の実力を認めたらしい」
前回は警備隊が海賊を押さえきれなかったのが原因だった。
「毎度あんな騒ぎになるなら、出店も減るだろうしな。警備が強化されるなら安心か」
「たぶん、近いうちに連絡がくると思う。定期市側からおまえへ、直々のお誘いが」
思わず振り返る。ナマエはニヤリと歯を見せた。
「あの実演販売が相当な評判だったってわけだ。人気店がくるなら、いい宣伝にもなる」
評判。自分の耳に届いていない評判を、こいつは知っている。なぜ教えてくれなかったのだ。
「ちょうど一ヶ月後だ。おまえが出ないなら、今度はおれが全部持っていくが?」
全部、持っていく? 冗談ではない。
「うるせェ。てめェの独擅場にさせてたまるか」
「ふたりして出るなら、となり同士になる可能性が高い。あそこが一番通路広いからな」
あの強烈な悲鳴を思い出し、一瞬身じろぎしてしまう。だがすぐに振り払った。五ヶ月も開こうが客は味を覚えているはず。今度も絶対に成功させてやる。こちらから拳を突き出せば、こつりと重なった。
「上等だ」
「さんじ?」
この疑わしい声。さては忘れたな。
「ほら。朝めしだ。昨日おまえが頼んだんだろ」
先日、別の街で朝めしを届けてやったところ、珍しく気に入っていた。「ローグタウンの市場にもうまいやつがある」と教えれば、さらに興味を示す。昨日ナマエと自分はバラティエからローグタウンに来た。さっそく「朝めし配達」を提案したところ、ここの住所を教えられたのだ。
「ああ、そうだった、かも。さんきゅ」
袋を受けとり、さらに扉を開ける。互いに静止したまま、目を合わせるだけ。
「どうした」
どうしたと言われても。意味がわからない。
「ここで食べていくんだろ、それ」
ナマエが指差した先は自分が持つ袋。同じ朝めしを買っていた。
「入れよ」
言われるがまま部屋に上がる。思った以上に広いが、どうしてもベッドに目が行ってしまう。テーブルに誘導されるので、おとなしく席につく。
「いただきます」
眠そうな顔がへにゃりとゆるむ。どこで買ったのか。いくらだったのか。他愛もない会話。そのあいだも部屋のあちこちを見まわしてしまう。ひとり暮らしとは、こういうものなのか。
「さっきからどうした」
食べ終えたナマエはすっかり目覚めていた。まだ髪は下ろし、眼鏡もかけていない。
「陸で暮らしている奴は、そう会わねェからな」
自分と同じように部屋を見まわす。最後にベッドを注視した。
「おまえ、ひとり暮らしなんだよな?」
「イエス。悠々自適なひとり旅の、ひとり暮らし」
そろりと目を合わせて確認。嘘をついている顔ではない。
「なら、あれか。夜だけふたり暮らししてるってか?」
おどけた表情をつくり、ベッドへ視線を流す。ナマエも同じ方向を見たあと、盛大にため息をついた。
「信じられねェなら、どうとでも勘ぐればいいさ」
「まだ身の潔白を主張するのか? おれたちの仲だろ。男同士、何をそんなにもったいぶる必要がある」
ダブルどころではない。あのサイズを何と言ったか。適当に単語を並べていく。
「セミダブル」
潔白野郎は静かに首を横に振る。
「キング」
また横に。
「ならダブルか?」
「クイーンだ」
ようやく答えた。
「と言っても、おれも確証はない。キングサイズにサイズアップした奴から、お下がりで押し付けら──もらった分だ。それ以上でもそれ以下でもない」
つまり、自分で買ったのではない。
「どうりでアンバランスなわけだ」
かろうじて椅子ふたつとテーブル。そしてクイーンサイズ。部屋自体はそこそこゆとりがあるはずなのに。ベッドの存在感がでかすぎる。
「よく部屋に入ったな」
「そこの窓を外せば何でもいける」
道に面した、ベランダへ続く二枚のガラス。頭では理解できるが。できる、が、
「この五階に、アレを上げたのか」
「そういうことだ。ごちそうさま。おまえの評判どおり、うまかった」
すぐに立ち上がる。強制的に話を切り上げられてしまった。自分はまだコーヒー一杯が残っている。背後のナマエを振り向きながら、カップに口をつけた。
「早起きは三文の徳。昔からそう言うだろ。ここの市場は楽しいぞ。朝はいつもパンなのか。その袋」
クローゼットを開けた彼が顔だけを動かす。自分が指差した先にはベーカリー屋の紙袋。まだ中身が入っているのか、きつめに袋の口が折ってある。
「ローグタウンには良いベーカリーが多いからな」
「もし、できたてほやほやの朝めしが食えるなら、どうする」
目が合う。もう少し説明を。
「キッチンがあると、どうしてもな。そこにいい包丁が見えたもんだから。つい目が行っちまう」
決して広くはない。道具も多くない。凝るタイプではなさそうだ。それでも包丁はよく手入れされている。使ってみたい。
「おまえ、料理するんだな」
「気が向いたら、な。遠征が多い今はめっきりだ」
「そういや、いつからここに住んでいるんだ?」
「もう半年は過ぎた」
思わず部屋を見まわす。たしかに家具は少ない。荷物も多くない。いま開いているクローゼットにはスーツが五着ほど。
「半年? 四ヶ月、いや、五ヶ月前か? あのときだって、何年もローグタウンに住み着いているって顔だったぞ」
一瞬目を丸くさせたあと、顔をゆがませ吹き出した。クローゼットからスーツ一式を取りだし、ベッドへ投げおく。
「そんな風に見えていたのか。たしかに、住み着く前に何回も来ていたからな。ある程度の情報は仕入れていた」
ならば、以前は何をしていたのか。どこにいたのか。どこで生まれたのか。口を開くも、思いなおしコーヒーを飲み干す。聞けば聞きかえされる。自分はどこにいたのか。どこで生まれたのか。今までだって誰にも明かさなかった。分が悪い。深入りはやめておこう。
「うちのキッチンで間に合うか? 鍋もフライパンもひとつしかねェぞ。調味料だって最低限だ。申し出るまえに確認しとけ」
即座にキッチンへ向かった。収納棚を開け、在庫を把握。これだけあれば、どこまで作れるか。材料なら朝の市場でいくらでも揃う。せっかくだから鮮度にこだわって、
「やっぱり、目が変わるもんだな」
真横から声が聞こえ、ビクリと肩が跳ねてしまう。すでにナマエは着替え終わっていた。いつもの髪型、そして眼鏡。
「おどかすな」
「さっきからずっとここにいたのに、ずっと見ていたのに、いつまでたっても気づかねェから」
手元を見下ろす。調味料、道具すべてを調理台に並べていた。急に顔が熱くなる。手早く元の場所へ戻した。あらためてとなりを振り返る。まだ見ている。自分の言葉を待っていた。申し出、か。
「今度ローグタウンに来たら、ここに材料を持ってくる。なに、そう時間はかからない。バラティエとはまたひと味違うもんを食わせてやる。どうだ?」
一歩下がり、ゆるりと頭を下げる。少し低い、カタリの声が響いた。
「ぜひ、こちらこそ」
二週間後。ちょうどナマエとローグタウン滞在期間が重なった。顔を合わせるのは翌朝までとっておく。街に着いたら宿をとり、迷わず夜の街へ。新規開拓がてら、いつもより遠出してみる。繁華街を抜けて道を一本、二本。急に道幅が広くなった。店の外観も変わる。以前、酒場の店主から存在は聞いていた。ここがローグタウンの花街。ざっと端から端まで歩いたが、気を取りなおし、来た道を戻る。どうもここの空気は合わない。いつもの店で積極的なレディを探そう。
ピリリと肌に違和感。風だ。そばの街路樹を見上げるも、枝は揺れていない。慎重に花街を振り返る。日が沈んだばかりの午後七時。まだ閑散としている通りに、見慣れた髪型、背中が。五十メートルは離れているが間違いない。まっすぐ一軒に向かい、吸い込まれていった。まばたきをくり返し、自分なりに行動を縛る。店名だけを確認しよう。それ以上は悪趣味だ。
消えた場所まで来たが、看板が見当たらない。一階の壁にあるのは扉、そして風鈴のみ。二階は明るいので営業中のはずだ。両隣の外観も店らしくない。ここは花街のどまんなか。少し考え、真向かいの店に顔を出す。
「お兄さん、ここは初めてかい」
のれんをくぐって早々、店の者に話しかけられる。
「実は、さっきから様子を見させてもらってね。誰でも最初は気になるもんだ」
説明が始まる。看板はないが、向かいの建物は本当に営業中らしい。ただ、初めて店に入った客は基本的に断られる。常連客の口利きが必要。
「ここの勝手がわからんうちは、無理して入る必要もない。湯水のごとくアレが消えちまうからね」
親指と人差し指でそっと輪をつくった。金か。
「いっぱい稼いでから、またいらっしゃい」
言葉は続かない。笑顔を貼り付けている。この店も相当高いのだろう。礼を述べ、おとなしく引き下がる。頭のなかを整理しながら花街を離れた。つまり、ナマエは高級店の常連客。マジシャンでガッツリ稼いでいるのは知っていたが、まさか女につぎ込んでいたとは。
翌朝。前回と同じく、眠そうな顔で玄関を通される。さっそく調理にとりかかった。いつもなら適当に話を振るが、どうも口がまわらない。黙々とテーブルに皿を並べる。向かいに座り、ひたすらナマエを観察した。
「いただきまーす」
あくび混じりに手を合わせ、まずはひとくち。今日一番、目が丸くなった。すぐに表情がとける。朝めしは特に反応が良い。気が抜ければ、正直な食の感想もこぼれたりする。まっさきにフォークが伸びる品、じっくり噛みしめる品、口に入れた瞬間に目を輝かせる品。貴重なデータをつぶさに記憶する。着実に好みへ寄せているはず。だが、まだ決定打ではない。こいつの心をガツンと鷲掴みにするような、なにか。とびきりの品を、
「ごちそうさま」
声はすっかり目覚めていた。すかさずコーヒーを淹れる。ふたたび席についた。
「どうした。具合でも悪いのか」
意味がわからず、目だけを合わせると、手元の皿を指さされる。自分で作った朝めし。まだひとくちも手をつけていなかった。
「いや。ぼうっとしていただけだ」
手早くかき込む。原因はわかっている。昨夜の件が頭から離れないのだ。
「無理するな。今からひとりでバラティエに戻るんだ。寝不足なら、うちで寝ていけ」
思わずベッドを振り返ってしまう。昨日は店で女を抱いたから、このベッドは使っていない。何時に帰ってきたのか。どれくらいの頻度で通っているのか。
「平気だ。そういうおまえこそ、いつもこの時間は眠いんだろ」
ようやく完食。少々冷めたコーヒーも飲み干す。
「サンジ」
椅子に背を預け、腕を組み、じっとこちらを見つめてくる。目をそらすのも負けな気がし、手探りで煙草を一本取りだす。だが奪われてしまった。
「おい。返せ」
「いやだ。ちゃんと話すまでお預け」
自身の胸ポケットに差す。ライターもとられた。そもそも何を話すのだ。女がどうこう、直接探りを入れるほどガサツではない。でも気になってしまう。なにか、適当な話のとっかかりを。
「ちょっと立て」
そばに行き、腕を引く。目線の高さがそろった。一歩近づく。半歩下がるので、きつめに腕をつかんだ。表情が硬い。気配も澄み切っている。この距離ではわからない。まだ髪を下ろしている。服は変わったので、残っているなら、
「さ、ん」
途切れ声を聞きながら、髪をすくい、鼻を近づける。たしかに、なにかにおう。髪をさかのぼり、首筋へ──
体がまわる。後方へ飛ばされ、背中にやわらかい感触。はねた。また反転し、上から押さえつけられる。腕をとられた。以前、床で拘束されたことを思い出す。今回は白シーツが視界を占領した。
「言い訳、くらいは、聞いてやる」
息を切らした音。うつ伏せなので振り返れない。頭も押さえつけられている。
「言ってただろ。おれの時はにおいでバレた。だから、その。おまえもそういう、香水かなにかが」
「なんだよ。このあいだはズカズカ聞いてくると思ったら、今日は聞きにくいってか?」
早口でまくし立て、盛大なため息が響く。一度きつく頭をベッドに押し込まれたあと、全身が軽くなる。やんわりと仰向けに転がされた。呆然と天井を見ていれば、腕を引っ張られ、背中から起こされる。
「靴は脱げ」
勝手に靴ひもをほどかれた。胸元を押され、またベッドへ逆戻りする。すぐそばにナマエが腰を下ろす。背を向けられたため、表情はわからない。
「こうしよう。ひとつだけ答えてやる」
ひとつ、か。昨夜の件は、一度きりの質問では掘り下げられない。ここへ女を連れ込むのか。そんなことを聞いたところで何になる。なぜ、たったいま押し倒されたのか。
「おれは今、どうすればよかったんだ」
「そんなこと自分で考えろ」
即答だ。交渉決裂。もう少し言葉を選ぶべきだった。
「ただ、そうだな。いつも以上に近づいてくるときは、先に目的を言え。おれはまだ、おまえの考えていることすべてを読めるわけじゃねェんだ」
近づきすぎたから警戒された、ということか。考えてみれば、同年代の野郎とつるんだことなどなかった。少なくともナマエには見えない線引きがある。それを越えてはならない。普段どおり生活していれば気づかないだろう距離。手合わせの最中なら、接近などいくらでもあるのに。やはり女絡みか。
「悪かった。気をつける」
ようやく振り返った。じっと見下ろされる。
「食後の一服。欲しいか?」
胸ポケットの煙草を取りだし、目の前でかざしてくる。ニタつく笑い方が妙に腹立たしい。文句のひとつやふたつ言おうと口を開くと、煙草を突っ込まれた。無理やり上体を起こされる。
「ベッドは禁止。ベランダかキッチン」
「靴がねェ」
「それで。どっちだ」
無言の圧力を感じ、ベランダの方へ視線を流す。
「向こうに座れ」
背中を押され、ベッドの端へ。ナマエが靴を持ってきた。するりと靴ひもが結ばれる。靴以外も何でも、こいつは着替えが速い。
「いい天気だ」
ぐいぐい腕を引っ張られ、ふたりしてベランダの柵にもたれかかる。ナマエは胸ポケットのライターを取りだし火をつけた。片手で火を覆い、目の前に差し出してくる。目を合わせつづけたまま煙草を近づける。満足げな表情。こちらの胸ポケットにライターが戻される。
「そういえば今度、定期市が復活するらしい。ようやく再開の目処がついたそうだ」
街を見渡すので、自分も景色を眺める。
「復活に五ヶ月もかかったのか」
「警備隊がなかなかしぶとくてさ。ようやく海軍の実力を認めたらしい」
前回は警備隊が海賊を押さえきれなかったのが原因だった。
「毎度あんな騒ぎになるなら、出店も減るだろうしな。警備が強化されるなら安心か」
「たぶん、近いうちに連絡がくると思う。定期市側からおまえへ、直々のお誘いが」
思わず振り返る。ナマエはニヤリと歯を見せた。
「あの実演販売が相当な評判だったってわけだ。人気店がくるなら、いい宣伝にもなる」
評判。自分の耳に届いていない評判を、こいつは知っている。なぜ教えてくれなかったのだ。
「ちょうど一ヶ月後だ。おまえが出ないなら、今度はおれが全部持っていくが?」
全部、持っていく? 冗談ではない。
「うるせェ。てめェの独擅場にさせてたまるか」
「ふたりして出るなら、となり同士になる可能性が高い。あそこが一番通路広いからな」
あの強烈な悲鳴を思い出し、一瞬身じろぎしてしまう。だがすぐに振り払った。五ヶ月も開こうが客は味を覚えているはず。今度も絶対に成功させてやる。こちらから拳を突き出せば、こつりと重なった。
「上等だ」