サンジ過去編
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そろそろバラティエの頻度を下げる。そう告げられたのは、ナマエが来るようになった三ヶ月後のこと。同じ頃から買い出しの船についてくるようになる。そのまま買い出し先の街でパフォーマンスするらしい。特に断る理由もないので好きに乗船させた。今日の往路ももうすぐ終わる。となりのナマエは、だんだんと近づく陸を見渡していた。
「一度の買い出しに二日はかかる計算だぞ。もう少し陸の近くでやらねェのか」
早朝の市場で調達するため、必ず前日入りする。鮮魚は、契約している漁船が隔日でバラティエに届けてくれるが、他の食材は実際に足を運んで自分の目で吟味する。これも副料理長の大切な役目だ。
「うちは海のどまんなかでやるから意味がある。そのつもりであの船も設計した」
「おまえ、最初からあそこで働いているのか」
「ああ。一番の古株だ」
ぽかんと口を開けた顔がおかしくて仕方がない。
「あの店、いつからだ」
「八年」
もう八年。やっと八年。まだ八年。自分の人生が始まって十年。
「なら、一緒に創業したのは」
「クソジジイとおれの二人だ」
ナマエがそろりと視線を外す。ふたたび陸を望んだ。
「そうか」
なにを考えているのか。じっと待つ。
「おまえの足技、料理長仕込みだったりするのか」
なぜだか肯定したくない。
「どうだかな」
「ああ、いや、深い意味はない。ただ、手合わせするとき、妙に見られている気がするから。最初だって痛いところ突かれたし」
手を抜くな。つまり、ナマエが本気でないと見抜いていた。
「『本気になれ』ってことは、『礼儀をつくし、真摯に向き合え』と言われたも同然だ」
頭が追いつかない。あの短い一喝をそんな風に解釈していたとは。
「なんだろうな。別に直接言われたわけじゃねェが。料理長はおまえに目をかけているんだろうなあ、って」
反応できずにいると、目が合う。カラリと歯を見せた。
「さあ、着いたぞ。とりあえず宿でも探すか?」
船着き場から街の中心部へ向かう。すでに夕刻。たいていは同じ宿に行き、別の部屋をとる。お互い、行動時間が異なるのだ。ナマエは夕方から深夜にかけてマジックショーを行い、明け方に宿へ戻る。自分は早々に寝付き、翌朝の市場で買い出しをする。陸に上がったあとは、ほとんど顔を合わせない。たまに夕食を共にするくらいだ。
「今日は混んでいるな」
気だるげに鍵をもてあそびながら、ナマエと階段をのぼる。今日は空きが一室しかなかった。二人部屋だったので一緒に泊まることに。部屋に入り、まっさきに目についたのはベッド。ひとつしかない。
「あの主人。やけに料金が安いと思ったら」
すぐにナマエは出ていった。数分後に戻ってくるも、首を横に振る。
「だめだ。ツインは埋まっている。ここが本当の本当に最後のひと部屋だ」
窓の外を眺める。他に宿はあるはず。どうするか。
「明日は祝祭日らしい。だから、どの宿も混んでいるんだとさ」
背後でナマエが椅子に腰かけた。こちらを見上げてくる。
「まあ、この椅子もあるし。おれが戻ってくるのは、早くて二時だ。この鍵を持っていっていいなら、おれは別に構わないが」
自分は四時に起きる。重なる時間帯はわずか二時間。今日は諦めるか。
「おまえが女を連れ込むなら、おれは花街で夜を明かす」
勢いよく振り返ってしまう。憎たらしく歯を見せてきた。
「何が言いたい」
「おれが気づいていないとでも? わかってる。陸にしか女はいねェからな」
まさか。どこで見られたのか。
「いつからだ」
「さあ? 女のにおいはよく残る」
香水? 買い出し後、バラティエへ帰る間際にすれ違ったことは何度かある。そのときか。
「今日はそういう気分じゃねェ。鍵は持ってけ」
「本当にいいのか? 我慢はよくないな」
きつく睨めば、さらに口角を上げる。即座に一発ぶち込んだ。ベッドのスプリングで体をはねさせ、難なくかわされる。
「冗談だ。おれが鍵を締めるなら、今からめしを済ませないとな。行くか」
ナマエはすでに歩きだしていた。いまだ窓際から睨んでいると、手招きされる。
「今日はおれのおごりだ。この辺よく知っているんだろ? 副料理長おすすめの店、連れていってくれ」
こういうときだけ「副料理長」と連呼する。調子のいい野郎だ。もうひと蹴りを確実に背中へお見舞いしたあと、ともに部屋を出た。
物音で意識が浮上する。うっすら目を開けて室内を確認。ナマエが帰ってきた。そばの腕時計を探る。三時。少し遅い。いや、あえて遅く帰ってきた。五時間は寝た。ひとりでダブルは快眠を得られるのだと実感する。ここに長椅子はない。あの小さな椅子に、今から、あいつが、
「悪い。起こしちまった」
上体を起こそうとするも、肩を押され、逆戻りする。
「おれの仕事は終わった。おまえの仕事はこれからだ。あと一時間、ちゃんとベッドで寝ろ」
耳になじむ。やわらかい音。どうにか目を開けるが、まぶたに手を置かれ、視界が遮られる。暗い。意識が波打ち、しだいに遠のいていった。
目覚まし音。一瞬で止める。まだ外は暗い。わずかに水平線が明るい程度。慎重にベッドから足をおろす。ナマエは椅子でうずくまっていた。眼鏡を外し、髪も下ろしている。体を横に向け、自身のジャケットをかけていた。シーツも一人分しかないのだ。やはり、野郎ふたりでひと部屋は無理がある。物音を立てぬよう仕度をととのえる。あとは出かけるだけ。空のダブルベッド。目の前でうずくまるナマエ。寝付いてから一時間も経過していない。あと四、五時間は起きないだろう。十分に考え抜いた。背中、膝の裏に手を差し込んだ瞬間、体がまわった。顔を床に打ちつける。うつ伏せで背中に両腕を固定された。
「おはよう、サンジ」
あくびまじりの、気の抜けた声。まちがいなくナマエだ。上から体重をかけられる。抵抗できない。
「それで。何の真似だ」
両腕を押さえこむ力は強い。声も鋭くなってきた。
「おれは、ただ、おまえをベッドに寝かせようと」
圧迫感が消える。腕を引っ張られ、ベッドに放り投げられた。
「なら、普通に起こせばいいだろ。そういう紛らわしいのは判別できねェんだ。勘弁してくれ」
ベッドのそばに立ち、見下ろされる。光量がないため細部まではわからないが、明らかに怒っていた。素直に謝ろう。
「悪い」
深く息をついた音。ベッドサイドランプが灯る。うっすらと室内が照らされた。髪をおろしたナマエと目が合う。わずかに顔をゆがませ、そっと目を伏せる。
「いや、こっちこそ。どうしてもこれは。抜けないんだ」
ぐっと拳をつくる、その仕草が妙に引っかかる。チクリと胸が痛んだ。
「せっかく仕度も終わっていたのに」
テーブルのブラシをとり、ベッドに身を乗りだす。上体を起こした自分に近づいてくる。床に伏せて汚れた箇所をていねいにブラッシングされた。いつもの自分ならブラシを取り上げるはず。そう気づいた頃には、すでに汚れが落ちていた。
「ほら。急がないと。市場の時間だ」
テーブルの煙草、財布、ライターを、内ポケット、胸ポケットへ。所定の場所に押しこまれ、そっと腕を引かれる。ベッドから立ち上がり、今度は背中を押され。扉へ向かう途中、とっさに部屋の鍵をつかんだ。扉の前で振り返る。
「あとでまた来る」
こちらを見つめながら、こてっと首を傾げた。体もふらついている。相当眠そうだ。
「買い出しが終わったあと、七時か八時に戻ってくる。朝めしを届けてやる」
一瞬、渋い顔になる。
「別に、いいのに」
「ここの市場限定の、うまい朝めしがあるんだ。おまえが起きてくる頃には売り切れる」
まだ表情は変わらない。頬をつねり、口角を上げさせ、無理やり笑顔をつくった。
「食わねェと後悔するぞ」
じりじりと距離を詰める。鼻先がふれあう直前で目をそらされた。
「あり、がとう」
頬を引っ張ったままだったので、ふにゃふにゃな音が返ってきた。つい吹き出してしまう。
「笑うな」
胸元を押され、頬の手も振り払われてしまった。とりあえず、いつもの空気だ。
「とにかく寝ろ。鍵は締めておく」
こくりと無言でうなずく。小さく手を振られたので、とっさに声が出た。
「いってくる」
振っていた手が止まる。扉を開けて待っていると、ぎこちない音が空気に溶けた。
「いって、らっしゃ、い」
「一度の買い出しに二日はかかる計算だぞ。もう少し陸の近くでやらねェのか」
早朝の市場で調達するため、必ず前日入りする。鮮魚は、契約している漁船が隔日でバラティエに届けてくれるが、他の食材は実際に足を運んで自分の目で吟味する。これも副料理長の大切な役目だ。
「うちは海のどまんなかでやるから意味がある。そのつもりであの船も設計した」
「おまえ、最初からあそこで働いているのか」
「ああ。一番の古株だ」
ぽかんと口を開けた顔がおかしくて仕方がない。
「あの店、いつからだ」
「八年」
もう八年。やっと八年。まだ八年。自分の人生が始まって十年。
「なら、一緒に創業したのは」
「クソジジイとおれの二人だ」
ナマエがそろりと視線を外す。ふたたび陸を望んだ。
「そうか」
なにを考えているのか。じっと待つ。
「おまえの足技、料理長仕込みだったりするのか」
なぜだか肯定したくない。
「どうだかな」
「ああ、いや、深い意味はない。ただ、手合わせするとき、妙に見られている気がするから。最初だって痛いところ突かれたし」
手を抜くな。つまり、ナマエが本気でないと見抜いていた。
「『本気になれ』ってことは、『礼儀をつくし、真摯に向き合え』と言われたも同然だ」
頭が追いつかない。あの短い一喝をそんな風に解釈していたとは。
「なんだろうな。別に直接言われたわけじゃねェが。料理長はおまえに目をかけているんだろうなあ、って」
反応できずにいると、目が合う。カラリと歯を見せた。
「さあ、着いたぞ。とりあえず宿でも探すか?」
船着き場から街の中心部へ向かう。すでに夕刻。たいていは同じ宿に行き、別の部屋をとる。お互い、行動時間が異なるのだ。ナマエは夕方から深夜にかけてマジックショーを行い、明け方に宿へ戻る。自分は早々に寝付き、翌朝の市場で買い出しをする。陸に上がったあとは、ほとんど顔を合わせない。たまに夕食を共にするくらいだ。
「今日は混んでいるな」
気だるげに鍵をもてあそびながら、ナマエと階段をのぼる。今日は空きが一室しかなかった。二人部屋だったので一緒に泊まることに。部屋に入り、まっさきに目についたのはベッド。ひとつしかない。
「あの主人。やけに料金が安いと思ったら」
すぐにナマエは出ていった。数分後に戻ってくるも、首を横に振る。
「だめだ。ツインは埋まっている。ここが本当の本当に最後のひと部屋だ」
窓の外を眺める。他に宿はあるはず。どうするか。
「明日は祝祭日らしい。だから、どの宿も混んでいるんだとさ」
背後でナマエが椅子に腰かけた。こちらを見上げてくる。
「まあ、この椅子もあるし。おれが戻ってくるのは、早くて二時だ。この鍵を持っていっていいなら、おれは別に構わないが」
自分は四時に起きる。重なる時間帯はわずか二時間。今日は諦めるか。
「おまえが女を連れ込むなら、おれは花街で夜を明かす」
勢いよく振り返ってしまう。憎たらしく歯を見せてきた。
「何が言いたい」
「おれが気づいていないとでも? わかってる。陸にしか女はいねェからな」
まさか。どこで見られたのか。
「いつからだ」
「さあ? 女のにおいはよく残る」
香水? 買い出し後、バラティエへ帰る間際にすれ違ったことは何度かある。そのときか。
「今日はそういう気分じゃねェ。鍵は持ってけ」
「本当にいいのか? 我慢はよくないな」
きつく睨めば、さらに口角を上げる。即座に一発ぶち込んだ。ベッドのスプリングで体をはねさせ、難なくかわされる。
「冗談だ。おれが鍵を締めるなら、今からめしを済ませないとな。行くか」
ナマエはすでに歩きだしていた。いまだ窓際から睨んでいると、手招きされる。
「今日はおれのおごりだ。この辺よく知っているんだろ? 副料理長おすすめの店、連れていってくれ」
こういうときだけ「副料理長」と連呼する。調子のいい野郎だ。もうひと蹴りを確実に背中へお見舞いしたあと、ともに部屋を出た。
物音で意識が浮上する。うっすら目を開けて室内を確認。ナマエが帰ってきた。そばの腕時計を探る。三時。少し遅い。いや、あえて遅く帰ってきた。五時間は寝た。ひとりでダブルは快眠を得られるのだと実感する。ここに長椅子はない。あの小さな椅子に、今から、あいつが、
「悪い。起こしちまった」
上体を起こそうとするも、肩を押され、逆戻りする。
「おれの仕事は終わった。おまえの仕事はこれからだ。あと一時間、ちゃんとベッドで寝ろ」
耳になじむ。やわらかい音。どうにか目を開けるが、まぶたに手を置かれ、視界が遮られる。暗い。意識が波打ち、しだいに遠のいていった。
目覚まし音。一瞬で止める。まだ外は暗い。わずかに水平線が明るい程度。慎重にベッドから足をおろす。ナマエは椅子でうずくまっていた。眼鏡を外し、髪も下ろしている。体を横に向け、自身のジャケットをかけていた。シーツも一人分しかないのだ。やはり、野郎ふたりでひと部屋は無理がある。物音を立てぬよう仕度をととのえる。あとは出かけるだけ。空のダブルベッド。目の前でうずくまるナマエ。寝付いてから一時間も経過していない。あと四、五時間は起きないだろう。十分に考え抜いた。背中、膝の裏に手を差し込んだ瞬間、体がまわった。顔を床に打ちつける。うつ伏せで背中に両腕を固定された。
「おはよう、サンジ」
あくびまじりの、気の抜けた声。まちがいなくナマエだ。上から体重をかけられる。抵抗できない。
「それで。何の真似だ」
両腕を押さえこむ力は強い。声も鋭くなってきた。
「おれは、ただ、おまえをベッドに寝かせようと」
圧迫感が消える。腕を引っ張られ、ベッドに放り投げられた。
「なら、普通に起こせばいいだろ。そういう紛らわしいのは判別できねェんだ。勘弁してくれ」
ベッドのそばに立ち、見下ろされる。光量がないため細部まではわからないが、明らかに怒っていた。素直に謝ろう。
「悪い」
深く息をついた音。ベッドサイドランプが灯る。うっすらと室内が照らされた。髪をおろしたナマエと目が合う。わずかに顔をゆがませ、そっと目を伏せる。
「いや、こっちこそ。どうしてもこれは。抜けないんだ」
ぐっと拳をつくる、その仕草が妙に引っかかる。チクリと胸が痛んだ。
「せっかく仕度も終わっていたのに」
テーブルのブラシをとり、ベッドに身を乗りだす。上体を起こした自分に近づいてくる。床に伏せて汚れた箇所をていねいにブラッシングされた。いつもの自分ならブラシを取り上げるはず。そう気づいた頃には、すでに汚れが落ちていた。
「ほら。急がないと。市場の時間だ」
テーブルの煙草、財布、ライターを、内ポケット、胸ポケットへ。所定の場所に押しこまれ、そっと腕を引かれる。ベッドから立ち上がり、今度は背中を押され。扉へ向かう途中、とっさに部屋の鍵をつかんだ。扉の前で振り返る。
「あとでまた来る」
こちらを見つめながら、こてっと首を傾げた。体もふらついている。相当眠そうだ。
「買い出しが終わったあと、七時か八時に戻ってくる。朝めしを届けてやる」
一瞬、渋い顔になる。
「別に、いいのに」
「ここの市場限定の、うまい朝めしがあるんだ。おまえが起きてくる頃には売り切れる」
まだ表情は変わらない。頬をつねり、口角を上げさせ、無理やり笑顔をつくった。
「食わねェと後悔するぞ」
じりじりと距離を詰める。鼻先がふれあう直前で目をそらされた。
「あり、がとう」
頬を引っ張ったままだったので、ふにゃふにゃな音が返ってきた。つい吹き出してしまう。
「笑うな」
胸元を押され、頬の手も振り払われてしまった。とりあえず、いつもの空気だ。
「とにかく寝ろ。鍵は締めておく」
こくりと無言でうなずく。小さく手を振られたので、とっさに声が出た。
「いってくる」
振っていた手が止まる。扉を開けて待っていると、ぎこちない音が空気に溶けた。
「いって、らっしゃ、い」