サンジ過去編
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「そんでよ、次の日の新聞を持ってきて、わざわざおれたちに見せてきやがったんだぞ、あいつ。『これは海軍の手柄じゃねェ、おれたちがやったんだ』ってな」
パティから一ヶ月前の新聞を取り上げる。店内をひとまわりしたあと、もう一度休憩室をのぞく。ナマエは変わらずパティの話に耳を傾けていた。
「ウエイターは徹底的におまえの特徴を暗記させられた。長い黒髪をうしろでひとつにまとめ、眼鏡をかけた若い兄ちゃん。サンジと同じ年くらいで背丈も同じ。そいつを見つけたら、すぐに副料理長へ知らせろ、と」
無性に腹が立ったので蹴りをお見舞いする。
「いってェな! こっちは昼休憩中だ。おまえはさっさと仕事に戻れ」
なぜパティではなく、自分が邪魔者扱いされなければならないのか。
「てめェがその口を閉じねェからだろ。いい加減にしろ。もう済んだ話だ」
今度はナマエを見る。彼は一瞬目をそらし、頭をかきながら苦笑いした。
「パティは悪くない。おれが頼んだんだ。話の続きを聞かせてくれ、って」
ニタリとパティが歯を見せる。うざったらしく目をパチクリさせてきやがった。さらにもう一発ぶち込んでおく。
「おまえがナマエに話さねェからだろ。別にいいじゃねェか。暇つぶしにはちょうどいいぞ」
そんなの、格好悪いからに決まってるだろ。
「だいたいな、あんなに手間かけたランチを一ヶ月も続けたこと自体──」
これ以上言わせるか。首のうしろに狙いを定め、テーブルにねじ伏せる。ようやくパティが落ちた。昼休憩の残り十分は寝て過ごせばいい。
「ちょっとパティに厳しすぎないか?」
向かいに座っているナマエが顔を引きつらせる。
「自業自得だ。大げさに誇張しやがって」
部屋の外から名を呼ばれる。今は完全にウエイター不足なのだ。自分が店内に戻らなければ。歩きだすも、背後から呼び止められる。
「サンジ。おれにも手伝わせてくれ」
振り返れば、すでにナマエが席を立っていた。
「ウエイター。経験はある。注文とったり、料理を運ぶくらいなら」
目を細めてしまう。こいつは今日バラティエに来たばかりだ。先ほど、マジシャンとしての自己紹介をジジイたちにも目撃され、とりあえずここでのショー開催日が決まった。ただそれだけ。一ヶ月も遅れたくせに、なぜここまでするのか。
「パティから聞いた。おまえをずっと待たせたから。少しでも店の力になりたい」
「だから、おれは待ってねェって言っただろ」
これでは堂々めぐりだ。過ぎたことには固執しない。もう終わった話だ。掘り返さなくていい。
「サンジ」
途端に彼の目つきが鋭くなる。空気も張りつめた。
「おまえの料理は本当にうまかった」
ぐっと腹に力を入れてしまう。
「うまかったから、また食いたい。ウエイターとして働いたら、給料代わりに食わせてくれ」
くしゃりと頬をゆるめ、歯を見せた。ぞわりと背中がむず痒くなり、なんとなく目をそらす。
「わかった。ただし、賄い料理だ。働いた分だけ豪華にしてやる」
すぐに背を向ける。急ぎ足で休憩室を出た。賄い分の仕込みは済んでいるが、あとでもう一品つくろう。ウエイターとして手足を動かしながら、頭のなかでメニューを組み立てる。視界の端に映る彼は、そつなく接客をこなしていった。
はじめはボランティアとしてマジックショーが行われた。百花のマジシャン、カタリがバラティエに出没したとの情報を聞きつけ、次第に客が増えてくる。カタリ目当ての客が無駄足にならないよう、事前にショー開催日を決めることに。ジジイが許可したこともあり、チケット販売も始まった。「はじめが肝心だから」と、ナマエは隔週でバラティエに訪れるようになる。ウエイターが足りない日は、空き時間にバイトを名乗りでるのも日常となっていった。
そんな、ある日のこと。
店内に戻ってくると違和感に気づく。客の様子がおかしい。皆の視線の先にはナマエが。そばに大男が倒れていた。海賊。両者に外傷はない。
「何が起きた」
こちらへ振り返ることなくナマエは手を動かす。手早く男の両手足を縛り上げた。
「店を壊そうとするから、丁重にサービスしてやった」
男のふところから銃、剣、小刀。次々と武器を取り出し、こちらに手渡す。まだ大男は起きない。自分が店内を不在にしていたあいだ、妙な音は聞こえてこなかった。
「過剰防衛はやってねェぞ、うちは。本当にこいつが手ェ出したのか?」
ようやくナマエと目が合った。少し顔をしかめる。
「外にもうひとりいる。そっちはまだ起きているから、直接聞いてみろ」
入り口の外を見る。たしかに小柄な男がひとり倒れていた。大男と同様、手足を拘束されている。近づくと、小柄な男は震えはじめた。
「うちの店、壊そうとしたんだってな?」
男のそばで立ちどまる。腹を空かしているのかどうか。最低限は確かめたい。
「し、しらねェ! おれは、頭がどうしてもって、ここを──」
背後からナイフが飛んできた。男の叫び声。顔面をかすり、床に突き刺さる。ナマエが投げたのだ。自分のとなりに立ち、男に笑顔を見せる。
「さっきと話が違うだろ? まだ嘘をつく余裕もあるのか」
また男の悲鳴。ナマエは構うことなく、男のとなりに大男──頭を転がす。
「タダめしを食いにきたらしい。『そんなメニューは用意していない』と答えたら、銃を出して『暴れるぞ』って脅してきたからシメた」
あらためて男の顔をのぞく。ナマエに怯えきっており、まともに会話も成り立たない。本当に店で暴れるつもりだったのだろう。顔はやつれている。体の震えは恐怖と空腹、か。
「たしかにうちは、タダめしメニューはねェ」
「か、カネなら船にある! おれはどうなってもいい。頭だけは助けてくれ!」
ナマエが脚を振り上げた。その意味を悟ったので、手で制する。
「なぜ止める」
「待て。早まるな。おまえはこいつらを船に戻してやれ。おれはめしを用意してくる」
今までにないほどナマエが顔をゆがませた。物言いたげなので、さらに言葉を続ける。
「カネなら後でとればいい。とりあえずめしだ。気になるなら、おまえが船を見張ってろ」
とりあえず二人分を船に持っていったが、案の定、他の船員たちももれなく空腹で倒れていた。もう一度厨房に戻り、にぎり飯を袋いっぱいに詰め込む。彼らの甲板に袋を広げれば、あの小柄男に感謝され、相応の金を受けとる。しかし、目覚めて腹を満たした頭は器用ではなかった。本人の許可なしに財宝が渡ったと知り、こちらに飛びかかってくる。ナマエが臨戦態勢になるも、今度は自分自身の脚で床に沈めた。船員たちが頭を押さえ込む。結局、海賊船は頭の出航合図を待たずしてバラティエから離れていった。
「ああいうの、前からいるのか」
財宝入りの袋を担ぎ上げ、店内に戻ろうとすると、ナマエに声をかけられる。
「うちじゃ日常茶飯事だ」
「おまえ、いつもあんな感じなのか」
答える気分ではない。代わりに、彼の接客内容に注文をつける。
「今度客が暴れたら、もっと派手に出迎えろ。異変に気づけねェと、こっちも対処できねェだろ」
今日もウエイターはナマエと自分だけだ。彼ひとりだけでまわす時さえある。一歩間違えれば手遅れになりかねない。
「悪い。他の客に迷惑だから、静かに動いた方がいいかなって」
つまり、こいつは静かに応戦できる。あの定期市では、煙幕で視界が遮られたため、ナマエの動きは見えなかった。実際にどうやって闘うのか。
「てめェひとりで片付くとは限らねェだろ。まずおれを呼べ」
彼が立ちどまった。じっと見つめられる。
「気持ちはありがたいけど」
口を開閉させるも声は出ない。ときおり目をそらしはじめた。
「なんだ。さっさと言え」
コツコツ靴音を鳴らすのも珍しい。何をそんなに躊躇うのか。
「ああ、つまりだな。ここは東の海だ。偉大なる航路じゃあるまいし」
数秒遅れて、ようやく真意を理解した。なぜだか鼻につく。
「てめェ、まるで他の海を知ってるみてェな口のきき方だな」
「他の海というより、東の海ならだいたい行き尽くしたから」
その軽い口調も引っかかる。
「この海なら敵なしってか? ずいぶん大きく出たな」
「やめてくれ。そういうのは性に合わねェ。おれは面倒ごとを避けたいだけだ」
否定しないのか。ますます気に食わない。
「なら見せてみろよ。その自信、へし折ってやる」
片眉を上げたあと、目をそらし、大げさに息をつく。なるほど、こういうのが「面倒ごと」なのか。
「へし折るって言ったって、どこでやるんだよ。まさか、客の前でか?」
「バカ言え。明日の朝イチだ。開店前にひと運動しようじゃねェか」
今度は肩をすくめてみせる。気だるげな音が返ってきた。
「わかった。どうなっても知らねェからな」
早朝。自分ひとりで足場の「ヒレ」を上げた。誰に話したわけでもないが、指定時刻にコックたちも外へ出てくる。賭け金の会話が聞こえ、なんとなく状況を理解する。
「いい足場だな。本当は何に使うんだ」
伸びをしながらナマエが歩いてきた。
「こういうときのためだ。店のなかで暴れるとクソジジイがうるせェ」
「へえ?」
彼が振り返った先には、長いコック帽。三階からこちらを見下ろしていた。つまり、全員出てきやがった。物好きな奴らだ。
「ルールはどうする」
ヒレの中央にたどり着く。十歩は開けて向かい合った。ルール、か。
「場外か『敗け』を認めたらでどうだ」
「オーケー」
気味悪く口角を上げる。そういえばこいつ、眼鏡だ。あれで動けるとは信じがたい。
「ハンデはいるか? その眼鏡くらいは考慮してやる」
途端に彼から笑顔が消えた。
「ナメられたもんだ」
一瞬の沈黙。開始合図はない。こちらの片脚をわずかに浮かせるとナマエが駆けだした。大胆にも空中高くへ飛び、頭上から攻め込んでくる。まずはひと蹴り。手ごたえはあった。しかし床に倒れ込まない。視界から姿が消える。背後だ。まわし蹴りで迎え討つ。腕で受け止められた。
「なぜ手を使わない」
彼はいったん後方に下がり、また突っ込んでくる。今度は一直線。ふところに入られるまえに蹴散らす。
「おれはコックだ。料理する手は戦闘で使わない」
「そういうのをハンデって言うんだろ!」
背中に衝撃。まわりこまれた。動きが見えなかった。
「本気でかかってこい」
拳は重くなかった。今のは軽いあいさつとでも? 気に食わない。とっとと攻めるか。正面から休みなく脚を食い込ませる。一発は深く入った。いける。いったん距離をとり、息を整える。互いに一発は相手に入れた。
「おい! この野郎! 手ェ抜くな!」
上から声が降ってきた。ジジイだ。なに言ってやがる。そんなつもりは、
風が。一瞬でナマエが目の前に現れた。
腹が圧迫。体が浮き、急激に後方へ引っ張られる。水しぶき。轟音。海。一度沈んだあと、ゆっくりと水面に浮かぶ。なにも考えられず、ぼうっとしていると、腕を引っ張られた。服が張りついて体が重い。どうにか相手にしがみつき、ヒレによじ登る。完全に海から引き上げられ、仰向けに寝転がった。こうして横になると、足場のヒレ伝いに足音がよく聞こえる。誰かが遠ざかり、また誰かが近づいてくる。
「立てるか」
ああ、ナマエか。答える気分ではない。
「聞こえてはいるんだな?」
顔をのぞきこまれる。まばたきだけをくり返した。
「とりあえず起こすぞ」
背を支えられ、上体を引っ張られる。視界がまっしろになる。タオルだ。ジャケットのボタンを外される感覚。シャツも脱がされた。頭、腕、背中を手早くタオルで拭かれ、また視界が白くなる。腕を引っ張られ、腰、脚に手がまわりこむ。何をされるか認識した瞬間、がむしゃらに抵抗した。
「歩けるに決まってるだろ!」
頭のタオルを外し、きつく睨んでやる。もちろんナマエは濡れていない。
「そうか」
笑った。少し控えめでぎこちない。なぜそんな顔をするのか。勝ったなら素直に喜べよ。自分の濡れた服を持っているのに気づき、奪いとる。先に歩きだした。二階のコックたちは茶化してくる。大半が賭けで負けたらしい。数人がうれしそうに叫ぶ。とんだエンターテイメントだった。
「サンジ」
背後から呼び止めたのは、もちろんナマエだ。振り返るつもりはない。
「おれは、ただ、おまえと普通に手合わせしたかっただけなんだ」
手合わせ? あれが?
「料理長に言われてカッとなった。ごめん」
まさか、あの叫び。ナマエへ怒鳴ったのか。
「勝手に意地張って、ハンデだか本気だかよくわからない挑発して、悪かった」
なぜ謝るのだ。
「だから、もう一度やりなおさねェか」
思わず振り返る。力強いまなざし。眼鏡越しでも十分伝わる。いま、決して目をそらしてはならない。
「やりなおす? おれは敗けた。それ以上何を求めるっていうんだ」
実力差は嫌でも理解できた。もうこいつの接客内容に口出しはしない。
「一度きりなんてルールは決めなかった。だからもう一度やろう」
答えになっていない。煙草を吸いたいのに全部濡れてしまった。取りに戻ろうとするも、上のコックたちがうるさくなる。
「サンジ、堅いこと言うなよ。これだって、最初におまえが言いだしたんだろ? なら、今度はナマエの申し出が通ったっていいわけだ」
「いいもんが見られた。次やるときも教えろよ」
「『先に十勝した方が勝ち』にしたらどうだ。条件が変われば、どっちが勝つかわからねェぞ」
「賭け」という単語が聞こえ、盛大にため息をついてしまう。ああそうだ。どうせ自分たちは見世物だ。しょうもない雑音を無数に浴びるうち、多少気分も落ち着いてきた。とにかく煙草だ。ナマエへの返事を保留にし、コックたちを無視し、自室に戻る。このタオルも、どこから持ってきたのだか。あのまま動かなければ、きっとここに運ばれていた。もうすぐ開店時間。ざっとシャワーを浴び、新しい服に着替える。外で一服していると、視界の隅にナマエの背を見つける。一階の柵にもたれかかっていた。手元には外した眼鏡。じっと見つめている。腕を伸ばし、眼鏡を空中に放り投げる。手でキャッチした瞬間、眼鏡が完全に消えた。代わりにカードが出現する。マジックか。いや、待て。そもそも百花のマジシャン、カタリは眼鏡をかけていない。今だって、裸眼でマジックをしているではないか。勝手に足が動く。そのまま二階から一階へ飛び降りた。
「おい、てめェ」
ナマエはきょとんと目を丸くさせる。まだ眼鏡は消えていた。
「見えるのか」
しばらく見つめていると、ようやくナマエの口が動いた。
「ああ、そうか」
片手をかざし、指を鳴らす。眼鏡が出現した。もったいぶりながら、いつものように眼鏡をかける。
「一応、世間にはカタリとナマエは別人だと認識してほしいからさ。眼鏡は変装用」
きつく睨めば、へらりと歯を見せる。
「だったら最初から言え」
「おまえだって聞いてこなかっただろ」
話にならない。とんだ取り越し苦労だったとは。背を向け、柵に肘をつく。これ一本を吸い終わったら仕事にいこう。
「この眼鏡があったから、サンジも同一人物だと気づかなかった。そうだろ?」
あの定期市の三日間、ずっとナマエはとなりにいたわけだ。となりでパフォーマンスしながら、こちらの実演販売を見ていた。海賊が発砲した瞬間もとなりにいたから、自分の動きを認識できた。
「バレたら必要ねェだろ」
さっきだって眼鏡を外せたはず。こちらが挑発する原因にすらならなかったはずだ。
「今からウエイターだしな。誰に見られているかわからねェから、当分は外さない」
「開店前ならいけるってことか」
振り返ってみる。やはり眼鏡はかけたままだ。無心で手を伸ばす。抵抗はされなかった。ガラス二枚が消えるだけで印象は変わる。眼鏡をとった方が多少幼く見えるか。いや、カタリのときは年上にも見える。全体の雰囲気次第、か。
「サンジ」
顔が近い。素顔をのぞきこむあまり、近づきすぎた。少し身を引く。
「明日、帰るまえにもう一度」
基本的にマジックショーは三日間。それを隔週。つまり、明日でローグタウンに帰る。
「そんなにおれとやりてェのか」
いつのまに短い。もう一本吸うか。
「一回じゃわからねェだろ。おまえの癖も分析したいし」
こいつの動きを読むためにも、あと十回はデータが欲しい。絶対に見切ってやる。
「上等だ。できるもんならやってみろ」
拳を突き出す。しばらく見つめたあと、自身の拳もそれに重ねる。こうして終わりの見えない手合わせが始まった。
パティから一ヶ月前の新聞を取り上げる。店内をひとまわりしたあと、もう一度休憩室をのぞく。ナマエは変わらずパティの話に耳を傾けていた。
「ウエイターは徹底的におまえの特徴を暗記させられた。長い黒髪をうしろでひとつにまとめ、眼鏡をかけた若い兄ちゃん。サンジと同じ年くらいで背丈も同じ。そいつを見つけたら、すぐに副料理長へ知らせろ、と」
無性に腹が立ったので蹴りをお見舞いする。
「いってェな! こっちは昼休憩中だ。おまえはさっさと仕事に戻れ」
なぜパティではなく、自分が邪魔者扱いされなければならないのか。
「てめェがその口を閉じねェからだろ。いい加減にしろ。もう済んだ話だ」
今度はナマエを見る。彼は一瞬目をそらし、頭をかきながら苦笑いした。
「パティは悪くない。おれが頼んだんだ。話の続きを聞かせてくれ、って」
ニタリとパティが歯を見せる。うざったらしく目をパチクリさせてきやがった。さらにもう一発ぶち込んでおく。
「おまえがナマエに話さねェからだろ。別にいいじゃねェか。暇つぶしにはちょうどいいぞ」
そんなの、格好悪いからに決まってるだろ。
「だいたいな、あんなに手間かけたランチを一ヶ月も続けたこと自体──」
これ以上言わせるか。首のうしろに狙いを定め、テーブルにねじ伏せる。ようやくパティが落ちた。昼休憩の残り十分は寝て過ごせばいい。
「ちょっとパティに厳しすぎないか?」
向かいに座っているナマエが顔を引きつらせる。
「自業自得だ。大げさに誇張しやがって」
部屋の外から名を呼ばれる。今は完全にウエイター不足なのだ。自分が店内に戻らなければ。歩きだすも、背後から呼び止められる。
「サンジ。おれにも手伝わせてくれ」
振り返れば、すでにナマエが席を立っていた。
「ウエイター。経験はある。注文とったり、料理を運ぶくらいなら」
目を細めてしまう。こいつは今日バラティエに来たばかりだ。先ほど、マジシャンとしての自己紹介をジジイたちにも目撃され、とりあえずここでのショー開催日が決まった。ただそれだけ。一ヶ月も遅れたくせに、なぜここまでするのか。
「パティから聞いた。おまえをずっと待たせたから。少しでも店の力になりたい」
「だから、おれは待ってねェって言っただろ」
これでは堂々めぐりだ。過ぎたことには固執しない。もう終わった話だ。掘り返さなくていい。
「サンジ」
途端に彼の目つきが鋭くなる。空気も張りつめた。
「おまえの料理は本当にうまかった」
ぐっと腹に力を入れてしまう。
「うまかったから、また食いたい。ウエイターとして働いたら、給料代わりに食わせてくれ」
くしゃりと頬をゆるめ、歯を見せた。ぞわりと背中がむず痒くなり、なんとなく目をそらす。
「わかった。ただし、賄い料理だ。働いた分だけ豪華にしてやる」
すぐに背を向ける。急ぎ足で休憩室を出た。賄い分の仕込みは済んでいるが、あとでもう一品つくろう。ウエイターとして手足を動かしながら、頭のなかでメニューを組み立てる。視界の端に映る彼は、そつなく接客をこなしていった。
はじめはボランティアとしてマジックショーが行われた。百花のマジシャン、カタリがバラティエに出没したとの情報を聞きつけ、次第に客が増えてくる。カタリ目当ての客が無駄足にならないよう、事前にショー開催日を決めることに。ジジイが許可したこともあり、チケット販売も始まった。「はじめが肝心だから」と、ナマエは隔週でバラティエに訪れるようになる。ウエイターが足りない日は、空き時間にバイトを名乗りでるのも日常となっていった。
そんな、ある日のこと。
店内に戻ってくると違和感に気づく。客の様子がおかしい。皆の視線の先にはナマエが。そばに大男が倒れていた。海賊。両者に外傷はない。
「何が起きた」
こちらへ振り返ることなくナマエは手を動かす。手早く男の両手足を縛り上げた。
「店を壊そうとするから、丁重にサービスしてやった」
男のふところから銃、剣、小刀。次々と武器を取り出し、こちらに手渡す。まだ大男は起きない。自分が店内を不在にしていたあいだ、妙な音は聞こえてこなかった。
「過剰防衛はやってねェぞ、うちは。本当にこいつが手ェ出したのか?」
ようやくナマエと目が合った。少し顔をしかめる。
「外にもうひとりいる。そっちはまだ起きているから、直接聞いてみろ」
入り口の外を見る。たしかに小柄な男がひとり倒れていた。大男と同様、手足を拘束されている。近づくと、小柄な男は震えはじめた。
「うちの店、壊そうとしたんだってな?」
男のそばで立ちどまる。腹を空かしているのかどうか。最低限は確かめたい。
「し、しらねェ! おれは、頭がどうしてもって、ここを──」
背後からナイフが飛んできた。男の叫び声。顔面をかすり、床に突き刺さる。ナマエが投げたのだ。自分のとなりに立ち、男に笑顔を見せる。
「さっきと話が違うだろ? まだ嘘をつく余裕もあるのか」
また男の悲鳴。ナマエは構うことなく、男のとなりに大男──頭を転がす。
「タダめしを食いにきたらしい。『そんなメニューは用意していない』と答えたら、銃を出して『暴れるぞ』って脅してきたからシメた」
あらためて男の顔をのぞく。ナマエに怯えきっており、まともに会話も成り立たない。本当に店で暴れるつもりだったのだろう。顔はやつれている。体の震えは恐怖と空腹、か。
「たしかにうちは、タダめしメニューはねェ」
「か、カネなら船にある! おれはどうなってもいい。頭だけは助けてくれ!」
ナマエが脚を振り上げた。その意味を悟ったので、手で制する。
「なぜ止める」
「待て。早まるな。おまえはこいつらを船に戻してやれ。おれはめしを用意してくる」
今までにないほどナマエが顔をゆがませた。物言いたげなので、さらに言葉を続ける。
「カネなら後でとればいい。とりあえずめしだ。気になるなら、おまえが船を見張ってろ」
とりあえず二人分を船に持っていったが、案の定、他の船員たちももれなく空腹で倒れていた。もう一度厨房に戻り、にぎり飯を袋いっぱいに詰め込む。彼らの甲板に袋を広げれば、あの小柄男に感謝され、相応の金を受けとる。しかし、目覚めて腹を満たした頭は器用ではなかった。本人の許可なしに財宝が渡ったと知り、こちらに飛びかかってくる。ナマエが臨戦態勢になるも、今度は自分自身の脚で床に沈めた。船員たちが頭を押さえ込む。結局、海賊船は頭の出航合図を待たずしてバラティエから離れていった。
「ああいうの、前からいるのか」
財宝入りの袋を担ぎ上げ、店内に戻ろうとすると、ナマエに声をかけられる。
「うちじゃ日常茶飯事だ」
「おまえ、いつもあんな感じなのか」
答える気分ではない。代わりに、彼の接客内容に注文をつける。
「今度客が暴れたら、もっと派手に出迎えろ。異変に気づけねェと、こっちも対処できねェだろ」
今日もウエイターはナマエと自分だけだ。彼ひとりだけでまわす時さえある。一歩間違えれば手遅れになりかねない。
「悪い。他の客に迷惑だから、静かに動いた方がいいかなって」
つまり、こいつは静かに応戦できる。あの定期市では、煙幕で視界が遮られたため、ナマエの動きは見えなかった。実際にどうやって闘うのか。
「てめェひとりで片付くとは限らねェだろ。まずおれを呼べ」
彼が立ちどまった。じっと見つめられる。
「気持ちはありがたいけど」
口を開閉させるも声は出ない。ときおり目をそらしはじめた。
「なんだ。さっさと言え」
コツコツ靴音を鳴らすのも珍しい。何をそんなに躊躇うのか。
「ああ、つまりだな。ここは東の海だ。偉大なる航路じゃあるまいし」
数秒遅れて、ようやく真意を理解した。なぜだか鼻につく。
「てめェ、まるで他の海を知ってるみてェな口のきき方だな」
「他の海というより、東の海ならだいたい行き尽くしたから」
その軽い口調も引っかかる。
「この海なら敵なしってか? ずいぶん大きく出たな」
「やめてくれ。そういうのは性に合わねェ。おれは面倒ごとを避けたいだけだ」
否定しないのか。ますます気に食わない。
「なら見せてみろよ。その自信、へし折ってやる」
片眉を上げたあと、目をそらし、大げさに息をつく。なるほど、こういうのが「面倒ごと」なのか。
「へし折るって言ったって、どこでやるんだよ。まさか、客の前でか?」
「バカ言え。明日の朝イチだ。開店前にひと運動しようじゃねェか」
今度は肩をすくめてみせる。気だるげな音が返ってきた。
「わかった。どうなっても知らねェからな」
早朝。自分ひとりで足場の「ヒレ」を上げた。誰に話したわけでもないが、指定時刻にコックたちも外へ出てくる。賭け金の会話が聞こえ、なんとなく状況を理解する。
「いい足場だな。本当は何に使うんだ」
伸びをしながらナマエが歩いてきた。
「こういうときのためだ。店のなかで暴れるとクソジジイがうるせェ」
「へえ?」
彼が振り返った先には、長いコック帽。三階からこちらを見下ろしていた。つまり、全員出てきやがった。物好きな奴らだ。
「ルールはどうする」
ヒレの中央にたどり着く。十歩は開けて向かい合った。ルール、か。
「場外か『敗け』を認めたらでどうだ」
「オーケー」
気味悪く口角を上げる。そういえばこいつ、眼鏡だ。あれで動けるとは信じがたい。
「ハンデはいるか? その眼鏡くらいは考慮してやる」
途端に彼から笑顔が消えた。
「ナメられたもんだ」
一瞬の沈黙。開始合図はない。こちらの片脚をわずかに浮かせるとナマエが駆けだした。大胆にも空中高くへ飛び、頭上から攻め込んでくる。まずはひと蹴り。手ごたえはあった。しかし床に倒れ込まない。視界から姿が消える。背後だ。まわし蹴りで迎え討つ。腕で受け止められた。
「なぜ手を使わない」
彼はいったん後方に下がり、また突っ込んでくる。今度は一直線。ふところに入られるまえに蹴散らす。
「おれはコックだ。料理する手は戦闘で使わない」
「そういうのをハンデって言うんだろ!」
背中に衝撃。まわりこまれた。動きが見えなかった。
「本気でかかってこい」
拳は重くなかった。今のは軽いあいさつとでも? 気に食わない。とっとと攻めるか。正面から休みなく脚を食い込ませる。一発は深く入った。いける。いったん距離をとり、息を整える。互いに一発は相手に入れた。
「おい! この野郎! 手ェ抜くな!」
上から声が降ってきた。ジジイだ。なに言ってやがる。そんなつもりは、
風が。一瞬でナマエが目の前に現れた。
腹が圧迫。体が浮き、急激に後方へ引っ張られる。水しぶき。轟音。海。一度沈んだあと、ゆっくりと水面に浮かぶ。なにも考えられず、ぼうっとしていると、腕を引っ張られた。服が張りついて体が重い。どうにか相手にしがみつき、ヒレによじ登る。完全に海から引き上げられ、仰向けに寝転がった。こうして横になると、足場のヒレ伝いに足音がよく聞こえる。誰かが遠ざかり、また誰かが近づいてくる。
「立てるか」
ああ、ナマエか。答える気分ではない。
「聞こえてはいるんだな?」
顔をのぞきこまれる。まばたきだけをくり返した。
「とりあえず起こすぞ」
背を支えられ、上体を引っ張られる。視界がまっしろになる。タオルだ。ジャケットのボタンを外される感覚。シャツも脱がされた。頭、腕、背中を手早くタオルで拭かれ、また視界が白くなる。腕を引っ張られ、腰、脚に手がまわりこむ。何をされるか認識した瞬間、がむしゃらに抵抗した。
「歩けるに決まってるだろ!」
頭のタオルを外し、きつく睨んでやる。もちろんナマエは濡れていない。
「そうか」
笑った。少し控えめでぎこちない。なぜそんな顔をするのか。勝ったなら素直に喜べよ。自分の濡れた服を持っているのに気づき、奪いとる。先に歩きだした。二階のコックたちは茶化してくる。大半が賭けで負けたらしい。数人がうれしそうに叫ぶ。とんだエンターテイメントだった。
「サンジ」
背後から呼び止めたのは、もちろんナマエだ。振り返るつもりはない。
「おれは、ただ、おまえと普通に手合わせしたかっただけなんだ」
手合わせ? あれが?
「料理長に言われてカッとなった。ごめん」
まさか、あの叫び。ナマエへ怒鳴ったのか。
「勝手に意地張って、ハンデだか本気だかよくわからない挑発して、悪かった」
なぜ謝るのだ。
「だから、もう一度やりなおさねェか」
思わず振り返る。力強いまなざし。眼鏡越しでも十分伝わる。いま、決して目をそらしてはならない。
「やりなおす? おれは敗けた。それ以上何を求めるっていうんだ」
実力差は嫌でも理解できた。もうこいつの接客内容に口出しはしない。
「一度きりなんてルールは決めなかった。だからもう一度やろう」
答えになっていない。煙草を吸いたいのに全部濡れてしまった。取りに戻ろうとするも、上のコックたちがうるさくなる。
「サンジ、堅いこと言うなよ。これだって、最初におまえが言いだしたんだろ? なら、今度はナマエの申し出が通ったっていいわけだ」
「いいもんが見られた。次やるときも教えろよ」
「『先に十勝した方が勝ち』にしたらどうだ。条件が変われば、どっちが勝つかわからねェぞ」
「賭け」という単語が聞こえ、盛大にため息をついてしまう。ああそうだ。どうせ自分たちは見世物だ。しょうもない雑音を無数に浴びるうち、多少気分も落ち着いてきた。とにかく煙草だ。ナマエへの返事を保留にし、コックたちを無視し、自室に戻る。このタオルも、どこから持ってきたのだか。あのまま動かなければ、きっとここに運ばれていた。もうすぐ開店時間。ざっとシャワーを浴び、新しい服に着替える。外で一服していると、視界の隅にナマエの背を見つける。一階の柵にもたれかかっていた。手元には外した眼鏡。じっと見つめている。腕を伸ばし、眼鏡を空中に放り投げる。手でキャッチした瞬間、眼鏡が完全に消えた。代わりにカードが出現する。マジックか。いや、待て。そもそも百花のマジシャン、カタリは眼鏡をかけていない。今だって、裸眼でマジックをしているではないか。勝手に足が動く。そのまま二階から一階へ飛び降りた。
「おい、てめェ」
ナマエはきょとんと目を丸くさせる。まだ眼鏡は消えていた。
「見えるのか」
しばらく見つめていると、ようやくナマエの口が動いた。
「ああ、そうか」
片手をかざし、指を鳴らす。眼鏡が出現した。もったいぶりながら、いつものように眼鏡をかける。
「一応、世間にはカタリとナマエは別人だと認識してほしいからさ。眼鏡は変装用」
きつく睨めば、へらりと歯を見せる。
「だったら最初から言え」
「おまえだって聞いてこなかっただろ」
話にならない。とんだ取り越し苦労だったとは。背を向け、柵に肘をつく。これ一本を吸い終わったら仕事にいこう。
「この眼鏡があったから、サンジも同一人物だと気づかなかった。そうだろ?」
あの定期市の三日間、ずっとナマエはとなりにいたわけだ。となりでパフォーマンスしながら、こちらの実演販売を見ていた。海賊が発砲した瞬間もとなりにいたから、自分の動きを認識できた。
「バレたら必要ねェだろ」
さっきだって眼鏡を外せたはず。こちらが挑発する原因にすらならなかったはずだ。
「今からウエイターだしな。誰に見られているかわからねェから、当分は外さない」
「開店前ならいけるってことか」
振り返ってみる。やはり眼鏡はかけたままだ。無心で手を伸ばす。抵抗はされなかった。ガラス二枚が消えるだけで印象は変わる。眼鏡をとった方が多少幼く見えるか。いや、カタリのときは年上にも見える。全体の雰囲気次第、か。
「サンジ」
顔が近い。素顔をのぞきこむあまり、近づきすぎた。少し身を引く。
「明日、帰るまえにもう一度」
基本的にマジックショーは三日間。それを隔週。つまり、明日でローグタウンに帰る。
「そんなにおれとやりてェのか」
いつのまに短い。もう一本吸うか。
「一回じゃわからねェだろ。おまえの癖も分析したいし」
こいつの動きを読むためにも、あと十回はデータが欲しい。絶対に見切ってやる。
「上等だ。できるもんならやってみろ」
拳を突き出す。しばらく見つめたあと、自身の拳もそれに重ねる。こうして終わりの見えない手合わせが始まった。