サンジ過去編
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最近、どうも気乗りしない。特にローグタウンの買い出しではからっきしだ。顔を覚えてもらえる程度には通った店も、直前まで来ては踵を返す。女自慢をしてもパティの反応が悪い。カルネにはそっぽを向かれる。レニーとカレンの一夜は天国だったが、ナマエとのいざこざも一緒に思い出してしまうのが悩ましい。ロマンスとは、こんなにも後味の悪いものだったか。
結局、ローグタウンに着いたら朝夕二食分の材料をそろえる。ナマエもいるときは一緒に買い物へ出かけた。帰宅途中に花屋へ寄り、自宅用の花束を選ぶ。店員に季節の花を教えてもらい、ナマエから花言葉を聞かされる。今夜の食卓、翌朝の食卓を彩るような組み合わせ。自分の意見がほぼ通るため、こうして花屋を巡るのも楽しくなっていた。家の近くで宿をとっておき、夕めしを作りはじめる。朝夕二食分をつくるときはナマエが酒を用意してくれた。自分しか飲まないが、余れば翌朝の料理に使えばいい。あらかじめ酒の種類を聞いたうえでメニューを考えるのも慣れてきた。いつしか「買い出しならローグタウン」くらいには目的地が絞られていく。
家で夕めしを作り、ナマエと食卓を囲い、食後に一服。今日も一緒に花を選んだが、一定法則を見つけたので話を振ってみる。ナマエもベランダに出て、となりに来ていた。
「最近、必ずスイートピーを入れるよな。店の子に『季節の花ではない』って聞いた。なにかあるのか?」
「ああ。やっぱり、バレてたか」
苦笑い。照れ隠しのように頭もかく。
「スイートピーを見て、夢を忘れないようにしている。最近ぼうっとしてばかりだから」
夢? マジシャンの他になにかあるのか。
「まえ、スイートピーの花束を飾ってくれただろ。花言葉、覚えているか?」
「さすがに全部は無理だが、そうだな。思い出とかよろこび、さようならだったか」
「ほぼ正解。さすが副料理長だ」
こいつの「副料理長」呼ばわりは鼻につく。かといって「一流コック」と言われても同じ気分になる。どう言われたらムカつかないのか。
「スイートピーの花言葉。ほのかな喜び、至福の喜び、やさしい思い出、さようならそして出発──こんなところだ。でもな、さようならと出発に悪い意味はない。とても前向きで、相手の門出を祝う素敵な言葉だ」
夜景をながめていたナマエが、こちらを振り返る。
「なあ、サンジ。おまえは将来、どんな自分を思い描いている? 夢はあるのか」
先日の「理想の相手」とはまた違う。今回は自分自身。夢。変わらない夢は、いつも他人に笑われてきた。こいつも笑うのか。否定するのか。肯定してくれると信じたいのに、うまく口が動かない。
「さあな。あれを夢と言えるか。そういうおまえはどうなんだ」
ニッと歯を見せてきた。
「ある。おれの目的地は偉大なる航路だ」
頭がまっしろになる。まさか、この場で聞くとは思わなかった。
「おまえ、正気か?」
「もちろん。そのためにここへ移った。ローグタウンは偉大なる航路に一番近い街だ」
話を聞いたことはある。海賊王G・ロジャーゆかりの地ということもあり、海賊がひっきりなしに暴れる。なかには、偉大なる航路を目指す海賊もやってくるという。
「おれはここで、偉大なる航路行きの船を探している。まあ、タダ乗りはさすがに無理だろうから、大金をたたきつけて交渉するつもりだ。そのためにコツコツ貯めている」
普段から金に困っていない様子だったが、同時に貯金もしていたのか。どこまで資金潤沢なのだ。
「おまえが無事に偉大なる航路へ入れたとしよう。そのあと、どうするつもりだ」
「島に行きたい。シャボンディ諸島。そこにおれの目指すステージがある」
シャボンディ。どういう島なのか。
「シャボンディには、おれの求めるすべてがある。貴族が近くに住んでいるらしいから、最高級のエンターテイメントが求められる。あらゆる娯楽が集まる究極の楽園。海軍も手を付けられないほど人種のるつぼだ。シャボンディ以上に自由な島は聞いたことがない」
貴族。あの聖地が近いなら、ここから最も遠いはず。そんな長旅を続けられるとでも?
「やけに詳しいな。そんな島、聞いたことねェぞ」
「おれの得意分野は情報収集だ。昔、偉大なる航路を経験した奴から聞いた。しかも自分の足でシャボンディへ行ったって」
つまり、シャボンディは実在する。本当にあるのか。そんな、自由を象徴するかのような島が、偉大なる航路に。
「だから、ここでぐだぐだしているわけにはいかねェんだ。もうすぐ目標額まで貯まる。そうしたら本格的に海賊船か商船かを探す」
ここで、ぐだぐだ。この生活が、ぐだぐだ。今まさに、こうして過ごすのも、きっと。
「出発──旅立ちを意識するためにも、前向きな花言葉、スイートピーを飾っている。見れば必ずシャボンディを思い出すから」
スイートピーは旅立ちのカウントダウン。この生活も続くわけではない。必ず、終わりが。
「おまえには感謝している。あのときのスイートピーで目が覚めた」
なに、言ってんだ。
「そっと背中を押された気がした。すごくうれしかった」
こいつは東の海で一生を終えるつもりはない。だからか。だからセシルとの関係を進めず、レニーやカレンとも再会を約束しなかった。深いつながりを持ちたくない。その言葉をようやく理解する。
「商船はともかく、海賊船に乗る気もあるのか」
「むしろ、そっちの方が現実的だと思っている。だって、偉大なる航路を進む船だぞ? シャボンディを探すために、最悪、偉大なる航路を一周するかもしれない。それこそ、あの大秘宝を探したい奴らに付いていくくらいしないと」
絶句する。無茶だ。「かならず大秘宝ワンピースを手に入れる」と豪語する海賊など、皆から笑われる。それくらい偉大なる航路の航海は過酷と言われているのだ。生きて帰ってこれるかも怪しい。
「闘いには自信がある。大金を差し出して、戦闘要員と割り切ってもらえれば、凶悪な海賊団でも何でも乗り込んでやる。まあ、おれが認めるほど本人たちも強い、という前提だが。今のところ、めぼしい奴らに出会えなくて。最近のローグタウンは治安が良すぎるんだよ」
がっくりと肩を落とし、ため息をつく。偉大なる航路を一周する船、か。そしてこいつが認めるほど強い海賊。
「最弱の東の海に生まれたってのも、運が悪かったかもな」
ちらりと目が合う。ぎこちない笑顔。
「それを言ったらおしまいだろ? おまえだって人のこと言えねェくせに」
ちがう。おれは。赤い土の大陸を越えた、北で。
「おれは最弱の海で、後悔してねェ」
まさに、この海で人生が始まった。
「東の海だからこそ、こうやってバラティエを続けられている」
遭難し、ジジイと乗り越えたからこそ、今のバラティエがある。今の自分がいる。やり残したことはたくさんある。どれだけ返しても返しきれない恩がある。それでも、口先だけは。無謀すぎる長旅に突っ込もうとしている、こいつなら。
「おまえ、オールブルーって知ってるか」
反応を確かめる余裕もないので、正面に向きなおる。間を置かずに言葉をつないだ。
「奇跡の海だ。東の海、西の海、北の海、南の海。四つの海にいる全種類の魚が生息する海。つまり、あらゆる海の食材がオールブルーにそろう。コックにとっちゃ、夢の海だ」
まだだ。まだ振り返れない。
「オールブルーは偉大なる航路のどこかにある」
声が震えぬよう、力を込めた。
「いつか、オールブルーを見つけてやる。偉大なる航路に入って、すべてがそろう奇跡の海を、この手で探しだす」
拳を握り、思いきり歯を見せ、ようやくとなりを見る。ナマエは無表情。いや、少し口が開いている。ぐいと顔をのぞきこまれた。腕をつかまれたので後退もできない。目をそらす勇気もない。まばたきだけをくり返し、ごくりと息を呑む。
「やっと言ってくれた」
頬がゆるんだ。顔が離れ、腕も解放される。
「知ってた。おまえの夢がオールブルーだってな」
頭が動かない。口もまわらない。こいつは何を言っているのだ。
「本当に覚えてねェんだな。だからといって、酒に弱いわけじゃねェだろうし」
どうにか疑問を絞りだす。
「酒の席で、おれがなにか言ったのか」
「最初に聞いたのは、いつだったかな。とにかく、一緒に酒場で夕めしを食って、おまえが気持ちよく酒を飲んでいたら、急に話しだしてさ」
最近はこの家でも喋ったらしい。まったく身に覚えがない。
「なんで、酒が抜けているときに確認しなかった」
「それが。ちょっと聞きにくくて」
今度はナマエが目をそらし、正面を向いた。唇を噛み、言葉を迷っている。
「オールブルーの話をするとき、最後、いつも同じ言葉で終わるからさ。──」
「一生、恩を返しても返しきれねェ。ジジイの戦場、バラティエを守れるのは、おれしかいねェ。オールブルーなんて抜かす暇は、ねェんだ」
「──もしかしたら、聞いたらいけないことを聞いてしまったんじゃないかって。おれも下手に詮索したくなかったし、酔ったときのことは聞かないようにしていた」
とっさに腕をつかんでしまう。こちらを振り向かせた。
「他に変なこと抜かしてねェだろうな? 聞いたのはそれだけか?」
「他って言っても、そうたいしたことは──」
「言え。全部吐け」
目をそらされたので、さらに詰め寄る。
「ナマエ」
まっすぐ名を呼べばいい。煙草が邪魔なので携帯灰皿に押しつぶす。じっと見つめた。
「さっきのは捏造しようがない。おまえの口から聞いた、まぎれもない事実だ。ただ、他のは、つまり。おれが誘導して、意図的に吐かせたというか、なんというか」
ぞわりと血が巡りだす。あつい。怒りと焦り、不安もまざり、ナマエの腕をつかんだ手さえも震えはじめた。
「オールブルーが偉大なる航路にあるっていうもんだから、冗談半分で聞いてみたんだ。──」
「もし、おれも目的地が同じならどうする」
「どういう意味だ」
「偉大なる航路だよ。おれも偉大なる航路に入りたい」
「バカにはバカしか付き合いきれねェ。おまえが偉大なる航路に行くって言うなら、とことん付き合ってやる」
思い出した。そのあと続けた言葉もすべて。顔まで熱が上がり、とっさに背を向ける。まずい。今日はもう無理だ。宿に退散しよう。
「いい時間だ。おれは寝る」
ベランダから部屋を突き抜け、玄関へ。
「サンジ」
まっすぐ名を呼ばれ、足を止めてしまう。もう少しで玄関を開けていたのに。まだ振り返らない。
「酔っているおまえを利用して悪かった。酒の席で話したのも聞いたのも、忘れるようにする」
利用? なぜこいつが謝るのだ。シャボンディがあるのだから、偉大なる航路へ行きたいのも事実ではないか。オールブルーの夢も本当だ。ジジイへの恩も、バラティエを守りたいのも。酒に弱いはずがないのに、なぜ自分は忘れていたのか。きっと、あえて忘れたのだ。忘れたふりを続けるうち、本当に記憶が頭の隅へ追いやられていた。
「気にするな。おれも今度からは酒の量に注意する」
「サンジ、おれは──」
一瞬、腕をつかまれたが、逃げるように玄関を飛びだす。五階から駆け下りるなか、酔っぱらった自分がぶちかました、最低で最悪な言葉を思い出してしまう。
「オールブルーの食材で作ってやる。おまえのために、おまえだけの、スペシャルキッシュを食わせてやる」
結局、ローグタウンに着いたら朝夕二食分の材料をそろえる。ナマエもいるときは一緒に買い物へ出かけた。帰宅途中に花屋へ寄り、自宅用の花束を選ぶ。店員に季節の花を教えてもらい、ナマエから花言葉を聞かされる。今夜の食卓、翌朝の食卓を彩るような組み合わせ。自分の意見がほぼ通るため、こうして花屋を巡るのも楽しくなっていた。家の近くで宿をとっておき、夕めしを作りはじめる。朝夕二食分をつくるときはナマエが酒を用意してくれた。自分しか飲まないが、余れば翌朝の料理に使えばいい。あらかじめ酒の種類を聞いたうえでメニューを考えるのも慣れてきた。いつしか「買い出しならローグタウン」くらいには目的地が絞られていく。
家で夕めしを作り、ナマエと食卓を囲い、食後に一服。今日も一緒に花を選んだが、一定法則を見つけたので話を振ってみる。ナマエもベランダに出て、となりに来ていた。
「最近、必ずスイートピーを入れるよな。店の子に『季節の花ではない』って聞いた。なにかあるのか?」
「ああ。やっぱり、バレてたか」
苦笑い。照れ隠しのように頭もかく。
「スイートピーを見て、夢を忘れないようにしている。最近ぼうっとしてばかりだから」
夢? マジシャンの他になにかあるのか。
「まえ、スイートピーの花束を飾ってくれただろ。花言葉、覚えているか?」
「さすがに全部は無理だが、そうだな。思い出とかよろこび、さようならだったか」
「ほぼ正解。さすが副料理長だ」
こいつの「副料理長」呼ばわりは鼻につく。かといって「一流コック」と言われても同じ気分になる。どう言われたらムカつかないのか。
「スイートピーの花言葉。ほのかな喜び、至福の喜び、やさしい思い出、さようならそして出発──こんなところだ。でもな、さようならと出発に悪い意味はない。とても前向きで、相手の門出を祝う素敵な言葉だ」
夜景をながめていたナマエが、こちらを振り返る。
「なあ、サンジ。おまえは将来、どんな自分を思い描いている? 夢はあるのか」
先日の「理想の相手」とはまた違う。今回は自分自身。夢。変わらない夢は、いつも他人に笑われてきた。こいつも笑うのか。否定するのか。肯定してくれると信じたいのに、うまく口が動かない。
「さあな。あれを夢と言えるか。そういうおまえはどうなんだ」
ニッと歯を見せてきた。
「ある。おれの目的地は偉大なる航路だ」
頭がまっしろになる。まさか、この場で聞くとは思わなかった。
「おまえ、正気か?」
「もちろん。そのためにここへ移った。ローグタウンは偉大なる航路に一番近い街だ」
話を聞いたことはある。海賊王G・ロジャーゆかりの地ということもあり、海賊がひっきりなしに暴れる。なかには、偉大なる航路を目指す海賊もやってくるという。
「おれはここで、偉大なる航路行きの船を探している。まあ、タダ乗りはさすがに無理だろうから、大金をたたきつけて交渉するつもりだ。そのためにコツコツ貯めている」
普段から金に困っていない様子だったが、同時に貯金もしていたのか。どこまで資金潤沢なのだ。
「おまえが無事に偉大なる航路へ入れたとしよう。そのあと、どうするつもりだ」
「島に行きたい。シャボンディ諸島。そこにおれの目指すステージがある」
シャボンディ。どういう島なのか。
「シャボンディには、おれの求めるすべてがある。貴族が近くに住んでいるらしいから、最高級のエンターテイメントが求められる。あらゆる娯楽が集まる究極の楽園。海軍も手を付けられないほど人種のるつぼだ。シャボンディ以上に自由な島は聞いたことがない」
貴族。あの聖地が近いなら、ここから最も遠いはず。そんな長旅を続けられるとでも?
「やけに詳しいな。そんな島、聞いたことねェぞ」
「おれの得意分野は情報収集だ。昔、偉大なる航路を経験した奴から聞いた。しかも自分の足でシャボンディへ行ったって」
つまり、シャボンディは実在する。本当にあるのか。そんな、自由を象徴するかのような島が、偉大なる航路に。
「だから、ここでぐだぐだしているわけにはいかねェんだ。もうすぐ目標額まで貯まる。そうしたら本格的に海賊船か商船かを探す」
ここで、ぐだぐだ。この生活が、ぐだぐだ。今まさに、こうして過ごすのも、きっと。
「出発──旅立ちを意識するためにも、前向きな花言葉、スイートピーを飾っている。見れば必ずシャボンディを思い出すから」
スイートピーは旅立ちのカウントダウン。この生活も続くわけではない。必ず、終わりが。
「おまえには感謝している。あのときのスイートピーで目が覚めた」
なに、言ってんだ。
「そっと背中を押された気がした。すごくうれしかった」
こいつは東の海で一生を終えるつもりはない。だからか。だからセシルとの関係を進めず、レニーやカレンとも再会を約束しなかった。深いつながりを持ちたくない。その言葉をようやく理解する。
「商船はともかく、海賊船に乗る気もあるのか」
「むしろ、そっちの方が現実的だと思っている。だって、偉大なる航路を進む船だぞ? シャボンディを探すために、最悪、偉大なる航路を一周するかもしれない。それこそ、あの大秘宝を探したい奴らに付いていくくらいしないと」
絶句する。無茶だ。「かならず大秘宝ワンピースを手に入れる」と豪語する海賊など、皆から笑われる。それくらい偉大なる航路の航海は過酷と言われているのだ。生きて帰ってこれるかも怪しい。
「闘いには自信がある。大金を差し出して、戦闘要員と割り切ってもらえれば、凶悪な海賊団でも何でも乗り込んでやる。まあ、おれが認めるほど本人たちも強い、という前提だが。今のところ、めぼしい奴らに出会えなくて。最近のローグタウンは治安が良すぎるんだよ」
がっくりと肩を落とし、ため息をつく。偉大なる航路を一周する船、か。そしてこいつが認めるほど強い海賊。
「最弱の東の海に生まれたってのも、運が悪かったかもな」
ちらりと目が合う。ぎこちない笑顔。
「それを言ったらおしまいだろ? おまえだって人のこと言えねェくせに」
ちがう。おれは。赤い土の大陸を越えた、北で。
「おれは最弱の海で、後悔してねェ」
まさに、この海で人生が始まった。
「東の海だからこそ、こうやってバラティエを続けられている」
遭難し、ジジイと乗り越えたからこそ、今のバラティエがある。今の自分がいる。やり残したことはたくさんある。どれだけ返しても返しきれない恩がある。それでも、口先だけは。無謀すぎる長旅に突っ込もうとしている、こいつなら。
「おまえ、オールブルーって知ってるか」
反応を確かめる余裕もないので、正面に向きなおる。間を置かずに言葉をつないだ。
「奇跡の海だ。東の海、西の海、北の海、南の海。四つの海にいる全種類の魚が生息する海。つまり、あらゆる海の食材がオールブルーにそろう。コックにとっちゃ、夢の海だ」
まだだ。まだ振り返れない。
「オールブルーは偉大なる航路のどこかにある」
声が震えぬよう、力を込めた。
「いつか、オールブルーを見つけてやる。偉大なる航路に入って、すべてがそろう奇跡の海を、この手で探しだす」
拳を握り、思いきり歯を見せ、ようやくとなりを見る。ナマエは無表情。いや、少し口が開いている。ぐいと顔をのぞきこまれた。腕をつかまれたので後退もできない。目をそらす勇気もない。まばたきだけをくり返し、ごくりと息を呑む。
「やっと言ってくれた」
頬がゆるんだ。顔が離れ、腕も解放される。
「知ってた。おまえの夢がオールブルーだってな」
頭が動かない。口もまわらない。こいつは何を言っているのだ。
「本当に覚えてねェんだな。だからといって、酒に弱いわけじゃねェだろうし」
どうにか疑問を絞りだす。
「酒の席で、おれがなにか言ったのか」
「最初に聞いたのは、いつだったかな。とにかく、一緒に酒場で夕めしを食って、おまえが気持ちよく酒を飲んでいたら、急に話しだしてさ」
最近はこの家でも喋ったらしい。まったく身に覚えがない。
「なんで、酒が抜けているときに確認しなかった」
「それが。ちょっと聞きにくくて」
今度はナマエが目をそらし、正面を向いた。唇を噛み、言葉を迷っている。
「オールブルーの話をするとき、最後、いつも同じ言葉で終わるからさ。──」
「一生、恩を返しても返しきれねェ。ジジイの戦場、バラティエを守れるのは、おれしかいねェ。オールブルーなんて抜かす暇は、ねェんだ」
「──もしかしたら、聞いたらいけないことを聞いてしまったんじゃないかって。おれも下手に詮索したくなかったし、酔ったときのことは聞かないようにしていた」
とっさに腕をつかんでしまう。こちらを振り向かせた。
「他に変なこと抜かしてねェだろうな? 聞いたのはそれだけか?」
「他って言っても、そうたいしたことは──」
「言え。全部吐け」
目をそらされたので、さらに詰め寄る。
「ナマエ」
まっすぐ名を呼べばいい。煙草が邪魔なので携帯灰皿に押しつぶす。じっと見つめた。
「さっきのは捏造しようがない。おまえの口から聞いた、まぎれもない事実だ。ただ、他のは、つまり。おれが誘導して、意図的に吐かせたというか、なんというか」
ぞわりと血が巡りだす。あつい。怒りと焦り、不安もまざり、ナマエの腕をつかんだ手さえも震えはじめた。
「オールブルーが偉大なる航路にあるっていうもんだから、冗談半分で聞いてみたんだ。──」
「もし、おれも目的地が同じならどうする」
「どういう意味だ」
「偉大なる航路だよ。おれも偉大なる航路に入りたい」
「バカにはバカしか付き合いきれねェ。おまえが偉大なる航路に行くって言うなら、とことん付き合ってやる」
思い出した。そのあと続けた言葉もすべて。顔まで熱が上がり、とっさに背を向ける。まずい。今日はもう無理だ。宿に退散しよう。
「いい時間だ。おれは寝る」
ベランダから部屋を突き抜け、玄関へ。
「サンジ」
まっすぐ名を呼ばれ、足を止めてしまう。もう少しで玄関を開けていたのに。まだ振り返らない。
「酔っているおまえを利用して悪かった。酒の席で話したのも聞いたのも、忘れるようにする」
利用? なぜこいつが謝るのだ。シャボンディがあるのだから、偉大なる航路へ行きたいのも事実ではないか。オールブルーの夢も本当だ。ジジイへの恩も、バラティエを守りたいのも。酒に弱いはずがないのに、なぜ自分は忘れていたのか。きっと、あえて忘れたのだ。忘れたふりを続けるうち、本当に記憶が頭の隅へ追いやられていた。
「気にするな。おれも今度からは酒の量に注意する」
「サンジ、おれは──」
一瞬、腕をつかまれたが、逃げるように玄関を飛びだす。五階から駆け下りるなか、酔っぱらった自分がぶちかました、最低で最悪な言葉を思い出してしまう。
「オールブルーの食材で作ってやる。おまえのために、おまえだけの、スペシャルキッシュを食わせてやる」