サンジ過去編
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早朝。買い出しの準備をしていればナマエに目的地を聞かれる。今回は干物が特産の港町。二、三ヶ月に一度は仕入れていた。
「そこって、すぐとなりの内陸にコンコーディアがあるよな」
「ああ。最近よく人が集まる。いい酒も出会いもたっぷりだ」
もちろん、夜はコンコーディアで過ごすつもりだ。前々回に港町でコンコーディアの存在を知り、前回ようやくコンコーディアに行った。だが、まちがってニューハーフバーに入ってしまい、さんざんな目に遭う。今回こそ積極的なレディとの出会いを、必ず。
「これからも、その港町で仕入れを続けるんだよな?」
「あそこの干物は格別だからな」
じっと見つめられる。
「おれも付いていっていいか。ショーができるか、コンコーディアを下見したい」
「おまえ、行ったことねェのか」
「あそこがにぎわってきたのは本当に最近なんだ。だからまだノーマークで」
へえ。こいつが進出していない街が、まだ東の海に存在するとは。
「今日はこのままローグタウンに帰るつもりだったけれど、予定変更だ。いいよな?」
こいつは昨日で三日間のショーが終わったところだ。断る理由もないので、そのまま買い出しの船に乗せた。
ローグタウンとは真逆の方向へ半日。目的地が見えた。港町に船をつける。さっそくとなり街のコンコーディアへ。自分がナマエを道案内する日がくるとは思わなかった。歩きながら街の特徴を説明する。コンコーディア裏の鉱山で大きな宝石が見つかり、採掘者が大金持ちとなった。他の者たちも一攫千金を狙い、採掘が盛んになる。街は鉱石や宝石の売買で人が集まり、店も増えていく。内陸部なのでアクセスは悪いが、となりの港町が事実上、コンコーディアへの入り口となっていた。
「まずは宿探しだな」
たとえ積極的なレディと出会えても、共に一夜を明かす場所がなくては誘えない。いつものように、こいつと同じ宿に入り、別の部屋をとることになるだろう。
「宿なら、おすすめのところを聞いておいたが。どうする」
思わずとなりを振り返る。
「ここは初めてなんだろ。なんで、おまえが」
「まえに旅人から話を聞いてね。コンコーディアの宿ならここ、って熱く語られたから、気になって」
そう言われると俄然興味がわいてくる。了承すれば、夕めし探しを頼まれる。今からナマエは宿の部屋を確保しにいく。そのあいだ、自分にはめぼしい出会い場所を探しておいてほしい、と。前回、店選びをまちがえたこともあり、下調べが重要だと思い知った。待ち合わせ時間と場所を決めたあと、いったん別行動をとる。
三十分後。レディが来てくれそうなBARへナマエを連れていく。カウンターに座った。
「しかし、おまえが出会いを求めるなんてな」
ひととおり腹におさめ、酒を注文する。
「意外か?」
ナマエはいつも酒を飲まない。本当に一滴たりとも口にしないのだ。何度か勧めてみたが、すべて断られた。
「おれには、おまえの好みというか、そういう事情が理解できねェな。なんで、あのプリマドンナと距離を置いて、夜の街に金を落としているんだか」
睨まれるかと思いきや、体ごとこちらを振り返り、歯を見せてくる。
「なあ、サンジ。おまえには理想像があるのか」
意味がわからず、顔を凝視するに留める。ナマエはノンアルコールのサワーをひとくち飲み、前へ向きなおった。
「おれには、ある。生涯を添い遂げたい、理想の相手。いつも思い描いている」
声のトーンは落ちたが、いつものカタリな口調ではない。甘さが抜けた、ストレートな響き。またグラスに口をつけ、わずかに目を細める。その横顔をじっと見つめてしまう。
「いまはこうやってフラフラしているけれど、最後はひとりだ。そう決まっている。生まれたときから、ひとりだと決まっていた」
まるで「運命の相手は最初から決まっている」かのような口調。
「たくさん世界を見てまわりたい。たくさん出会いたい。自分で見つけだしたいんだ。相手が選んでくれる場合もあるけれど、おれは自分で選びたい。自分で決めたい」
ちがう。こいつは運命に逆らおうとしている。
「でも、今すぐは嫌だ。もう少し時間がほしい。ひとりのうちに、やっておきたいことが山ほどある」
たしかに、家庭を持てば今のような遠征三昧の生活は難しくなるだろう。
「前にも言ったが、セシルとおれは今の距離で満足している。お互い、生涯を添い遂げたい相手ではないんだ。今の関係でいい。わかってくれ」
もう何も言うまい。彼女も納得しているなら、それで。
「それに、おれは、そもそも」
グラスを持つ手がわずかに震えている。危なっかしいので、グラスをうばいとり、テーブルに置いてやる。
「どうした」
やわらかい音を心がけ、ナマエの背中をさすっておく。様子がおかしい。
「嘘ではないんだ。今の生活に、嘘は」
生活。つまり、マジシャンの生活は嘘ではない。そんなことはわかっている。
「なあ。サンジには理想があるか」
「女性の、ってことか?」
「答えやすい方でいい」
あいまいな返答。素直に「理想の女性」だと解釈しておく。
「おまえみたいに、最後がどうのとは決めてねェな」
十年後、二十年後、自分のとなりには誰がいるのか。考えたこともなかった。
「多分、今の生活に満足しているんだろうな。バラティエの料理を食ったレディが、花のように笑えば最高に幸せだ。夜を共に過ごしたレディが女神のごとく顔を赤らめてくれれば、いつだって天に召されてもいい」
ナマエが前を向いたまま吹き出した。足を小突いておく。
「おれは欲張りなんだよ。誰ひとりレディを悲しませたくない」
ゆっくりとこちらを振り返る。わずかに目を丸くさせた。
「おれを必要としてくれるなら、いつだって全力を尽くす。この身が分身できないのが悔しいくらいだ。ひとりに絞りきれねェ」
もし、ふたりのレディから同時に手を差し伸べられたなら。選べるものか。絶対に選べるものか。
「つまり、サンジには『特別なレディ』は存在しない。そういうことか」
「特別もなにも。『来る者は拒まず、去る者は追わず』だ。レディに溺れ、レディに酔い、レディに振り回されたい」
引かれるかと思ったが、いつになく真剣な顔つきだ。
「味方にも敵にもレディがいたら、どうする。おまえは敵のレディを倒すのか」
味方? 敵? そんな状況など遭遇したことがない。
「おれは蹴らん。たとえ敵だとしても、足は出さねェ」
「きれいごとだな」
腹の底から感情が爆発するも、にがい笑顔を向けられ、歯を見せてくるものだから、体の力が抜けてしまう。
「おれは、おまえのそういうところが心底うらやましい」
また前を向いてしまう。わずかに目を細め、顔を伏せる。その横顔から感情を読みとれない。
「おまえには非難されるかもしれねェが。おれには、どうしても守りたいものがある。守るためなら敵のレディにも手をあげるつもりだ」
守りたいもの。初耳だ。
「ショーを見にきてくれる子たちを喜ばせたい。カタリに夢を見てほしい。世界中のあらゆるレディに礼儀を尽くし、前を向いてほしい。だが、おれには力不足だ。どちらかを守るには、どちらかを捨てるしかない」
こいつの言うこともわかる。ただ、一度決めた信念は曲げない。自分は体に不屈の魂を刻みこんだ。この魂を捨てるくらいなら死を選ぶ。
「やっぱり、料理長とよく似ている」
目が合うと頬がゆるんだ。うまく反応できず、口をもごつかせてしまう。
「ジジイと、一緒に、するな」
どうにか言葉を形成できた。いつのまにか短くなったので、新しい煙草を取りだす。
「料理長の背中は大きい。あの気迫は、そう安々と真似できるものじゃねェ」
こいつはジジイに見られると、いつも背筋を伸ばしていた。最初の手合わせで飛んできた一喝も真面目に受けとめていた。
「おれもいい加減、向き合わないと」
向き合う?
「今の話で、おまえがレディとどう向き合いたいか、よくわかった。つまり、体の好みもないってことだよな?」
体。肉体。ボディ。ぱっと数カ所浮かぶが、努めて顔を引き締め、沈黙を守る。
「おれが好きな方を選んでいいんだな?」
ぐいと顔をのぞきこまれ、身じろぎしてしまう。
「もちろん誰でも受けとめたい、が、候補を見る権利くらいは、おれにもあるだろ」
どうにか言い切った。憎たらしく歯を見せたナマエが店の入り口を振り返る。
「黒のショートヘア。胸はないが、いいくびれだ。脚も百点満点」
じりじりと同じ方へ目を向ける。レディがふたり、談笑しながら入ってきた。
「もうひとりはブロンド──いや、キャラメルのロングウェーブ。身長はかわいらしいが、相当なゴムボールをふたつ抱えている。すっげェ揺れ具合だ。脱がしたら一級品が見られるだろうな」
すでに究極の選択が始まっていた。彼女たちは遠い席につき、注文している。
「ふたりをここに呼ぼうと思うが、どうする。どっちがどっちを選ぶ」
ナマエが自分とのあいだを指差す。互いに席をひとつずらし、女の子を挟む形で座る。ふたりを引き離しては不安がるだろうから、作戦としては評価できる。問題は、どちらを自分のとなりに座らせるか。
「おまえはどっちがいい」
まずは相手の出方をうかがう。
「正直に答えたら、おれに譲ってくれるのか?」
イエスとうなずけない。ノーと首を横に振ることもできない。
「サンジ。素直になれ。本当は好みくらいあるんだろ? どっちだ」
あの、すらりとした長い脚にいじめられたい。あの、あふれんばかりの胸元に顔を埋めたい。ちくしょう。どちらを選べばいいのだ。
「簡略化してやろうか? セクシーな女豹かふわふわバニーガール」
妄想が爆発する。ここまで的確かつ悩殺される言葉選びを、どこでどうやって習得したのだ。やはり花街の高級店で上客をやっている男は経験が違う。ここはむしろ、ベテランから教えを請うべきでは。
「おまえは普段、どういう基準で選ぶんだ。参考程度に聞いておきたい」
ナマエは彼女たちを見つめながら、肩をすくめてみせた。
「しょうがねェな。いいか。あくまでおれの考えで、おれの判断だ。絶対ってわけじゃねェ」
ごくりと息を呑んでしまう。続きを待った。
「自分の欲に素直になることも大事だが、最終的には相手の好みが成功を左右する。つまり、あの子たちが、おれらのどちらがタイプか見きわめればベッドに持ち込める」
なるほど。
「髪型、化粧、ファッションで本人のスタイルを研究する。まあ、先に結論を言うと、つまり、女豹がおれで、バニーガールはおまえだ」
おれが、ふわふわバニーちゃん。
「女豹は強引に押すといい具合に壊れそうだ。バニーはとろとろに甘やかせば隙を見せるはず」
強引に押す、だと? 壊れた女豹。意味がわからないが、無性に喉が渇く。そして同時に確信する。こいつは生粋のハンターだ。
「おまえは甘やかすの得意だろ?」
断定されるのはおもしろくない。
「だったら、おまえは強引に押せる自信があるのか」
「ある。むしろ得意分野だ」
なんだ、この自信は。
「そろそろ仕掛けるぞ。おまえが連れてこい。ターゲットの方に近づいて声をかければ、そのままとなりの席に来てくれるはずだ」
ターゲット。つまりバニーちゃん。
「どっちを選ぶか決めたか?」
なにを今さら。
「おれは今夜、ふわふわのベッドにダイブする」
ふわふわバニーちゃんの、ふところへ。
「わかった。いってこい」
苦笑しながら、軽く背中をたたかれる。一度睨んだあと、ネクタイを直して彼女たちのテーブルへ。素敵な出会いを祝し、酒をおごりたいと言えば、笑顔で了承してくれた。カウンターのナマエは横にずれ、中央に空席をふたつ用意していた。ふたりを並んで座らせ、ふわふわバニーちゃんの右手に自分が。女豹な彼女の左手にナマエがつく。酒を頼み、乾杯したあと、まずは自己紹介を。バニーちゃんはレニー。あふれんばかりの胸元も最高だが、ぷっくりした唇から目が離せない。女豹な彼女はカレン。スリットからのぞく太ももに酔いしれる。目元の泣きぼくろは卑怯なほどチャーミングだ。最初は四人で話していたが、話題が分散し、しだいに一対一の会話へ。
レニーは距離が近い。背丈が違うので、しっかりと見上げてくれるからだ。BGMや周囲の雑音にかき消されないよう、こちらの顔をのぞき、声をはる。自分も顔を下げて耳元へ。この時点で確信した。レニーは今日、自分と付き合ってくれる。仕留めたぞ。
レニーが次の酒を選んでいるあいだ、それとなく左側を流し見る。ちょうどカレンがナマエの眼鏡をずらしたところだ。中途半端に下げたまま、目を合わせている。あの、まっすぐと射抜くまなざし。かなり距離も近い。眼鏡をつかんでいるカレンの手をとり、完全に眼鏡を外させる。カウンターに置いたあともカレンの手を離さない。自身の口元へ持っていき、目を合わせたまま、そっと、カレンの指先に、くちづけを。自分の位置からはカレンの表情は見えない。それでも嫌がられてはいないようだ。あいつは、眼鏡を外した素顔なら一気にレベルが上がる。ギャップを狙ったのか。もう腰に手をまわしてやがる。早すぎるだろ。何かつぶやいている。カレンの体がナマエへもたれかかった。
「どうしたの」
すぐそばから声が聞こえ、肩が跳ねてしまう。レニーだ。すでに注文した酒も届いていた。
「ああ、いや。もうとなりが完全にできあがっちまってるもんだから。つい」
レニーも左を振り返る。ナマエはしっかりとカレンを抱きとめていた。肩に顔を埋めているため、カレンの様子はわからない。まだナマエは耳元で何かをつぶやいている。
「本当だ。カレンがこんな風になるなんて相当よ。見ているこっちが恥ずかしくなっちゃう」
レニーが両手で自身の顔をあおぐ。ぎゅっと脇を締めたので、デコルテがむにっと盛り上がった。谷間。これは一級品。顔を赤くさせているのも、すごく、そそられる。
「レニーちゃんは、ああいうのしたことあるか?」
「ああいうのって、ハグのこと?」
耳元のささやきではなく、目を合わせることを重視する。それでも手を握るのは忘れない。
「そう。こんなにドキドキするってことは、慣れてねェのか?」
一度顔を伏せ、もじもじしたあと、しっかりと見上げてくる。挑発的な上目遣い。
「慣れてるかどうか、自分で確かめてみれば?」
自分で確かめる。今ここでハグして、反応を確かめる。よし。きた。
「それなら、遠慮なく──」
「レニー、化粧ポーチ貸して」
抱き寄せようとした腕は空を切る。カレンに引っ張られ、レニーが椅子から下りた。笑顔でこちらに手を振る。
「ちょっと化粧直ししてくるね」
自分も笑顔で手を振りつづけた。ふたりの姿が見えなくなったあと、肩を落とし、深く息を吐く。ナマエがレニーの席についた。目を合わせるも、ただ歯を見せてくるだけ。とりあえず足を小突いた。
「てめェ、空気を読みやがれ」
「残念だったな。ハグが成功しなくて」
やはりわざとカレンを手放したのだ。
「いま、レニーとカレンはおれたちの最終判断を下している最中だ。つまり、トイレから帰ってきたら一気に畳みかける」
言っていることはわかるが、なぜここで電伝虫を取りだすのか。目の前でかけはじめた。
「チェックインしたナマエだ。四人部屋に変更してくれ。料金の差額はあとで支払う」
通話はすぐに終わった。こいつの言った、何もかもが理解できない。
「さっき、カレンに『四人ならOK』と言われた」
四人、なら、OK?
「レニーと離れるのは嫌だそうだ。だから今夜は四人を提案した」
「まてまてまて。おまえ、自分が何を言っているか、わかってるのか」
「ああ、おれは正気だ。あとはレニーの了承と、おまえの了承が必要だが。どうする」
頭が追いつかない。ひと部屋に四人。カレンは四人ならOK。レニーと離れたくないから四人。二組の男女が同室で夜を明かせば、何が起こるか。
「つまり、カレンはおれに、見られても、構わねェってことだな?」
言葉に詰まるも、どうにか言いきった。
「そういうことだ」
「おまえは、いいのか」
「たまにはいいんじゃねェのか、こういうのも」
即答。迷いなど欠片もない。質問を続ける。
「四人の経験は?」
「ないが、そうだな」
この、中途半端ににごすのが意味深すぎる。もう少し核心に切り込みたい。
「おまえはカレンとレニー、両方を選ぶつもりか」
「おまえも迷っていただろ。今日は一方を選び、一方を切り捨てる必要はない。両方を選べばいい」
これで確定した。今から自分たちは、自由にパートナーを入れ替える。
「サンジ。覚悟はできたか?」
この、余裕たっぷりな笑顔が気に食わない。
「言っとくが、おれはどっちかを贔屓するつもりはねェからな。平等主義だ。適度に交代しろよ」
「わかった。それじゃ、先に会計済ませるか」
ナマエが支払いを済ませたところで、ふたりが帰ってくる。ナマエが立ち上がるので、自分も椅子から下りた。
「そろそろ場所を移動しようか」
ナマエが話しかけたのは、カレンではなくレニー。レニーは驚くどころか、笑顔でナマエの差し出す手をとった。歩きだすふたりの背を見て唖然としていると、腕に感触が。となりを振り返る。カレンだ。
「見失っちゃう。付いていかないと」
二の腕に胸があたり、意識が飛びそうになる。カレンの歩調に合わせ、店を出る。五メートル先のレニーとナマエを見ながら、カレンの質問に答えていく。先ほどのカウンターでレニーとどんな話をしたのか。レニー、レニー、レニー。カレンは何度も「レニー」と口にする。
「私たち、ずっと一緒に生きてきたの。だから寝るときも一緒。今夜も一緒」
このタイミングで、聞いてもいいだろうか。
「さっきナマエから聞いたんだが、その。カレンちゃんは、今からどんな部屋に行くか、知ってるのか」
少し目を見開いた。印象的な目元。底なしの深いまなざしに、どこまでも吸い寄せられる。
「行ったことはないけれど、すごくきれいな場所なのは知ってる」
すごく、きれい?
「だからとっても楽しみ」
顔をほころばせた。ああ。そうやって、いつまでも笑っていてくれ。
「おれでカレンちゃんを楽しませられるといいが」
「大丈夫。レニーもいるから」
話が見えてこない。レニーもいるとカレンは楽しめる。そういうことか。
「カレンちゃんは大人数のほうが好きなんだな」
「ちがう。レニーがいれば何人でもいいの」
つまり、カレンは。何かがわかった気がするが、具体的な言葉が浮かんでこない。
「カレンちゃん、本当にレニーちゃんのことが大好きなんだな」
「うん。あなたもそうでしょう?」
え?
「だって、こういうことができるのって、仲が良い人同士でないと無理でしょう」
「そりゃあ、そうだな」
苦しまぎれに相槌を打つ。
「サンジとナマエは仲良しだから、こういうことができる。そうナマエが言ってた」
あいつが、仲良しだと?
「ナマエはあなたのことが大好きよ。大好きでないと、こんなことできない」
目を細め、一瞬、顔をゆがませる。なんだ、今の表情は。
「まあ、嫌われてねェとは思うが。『大好き』ってのは、本人が言ってたのか?」
まさかとは思うが、念のため確認しておく。
「ううん。はっきりとは教えてくれなかったけれど、そう思った。私がレニーを思う気持ちと、すごく似ていたから」
カレンからレニーへの感情が、ナマエから自分への感情と、近い。
「今からわかるはずよ。ナマエがどれだけあなたを好きか」
まいったな。カレンにどう反応すればいいか。傷つけたくはない。否定は避けるべきだ。
「今日はカレンちゃん、レニーちゃん、ナマエの三人に甘えるとするか」
腕に抱きつかれる。二の腕がむにっと挟まり、となりの笑顔がまぶしい。
「着いたみたい」
カレンとともに前方を見る。建物の入り口でレニーとナマエが話していた。この風景にどことなく既視感を覚える。扉まで来たところでようやく、花街の高級店と気づく。看板がない。一階に窓もない。そして赤い風鈴。カレンの言っていた「すごくきれいな場所」とはここだったのか。
「悪い、サンジ。先にふたりと一緒に入っていてくれ。BARに眼鏡を忘れた」
あのとき、カレンに外されたっきりだったか。自分も気づかなかった。
「いいが、おまえの名前でとってあるんだよな?」
「ああ。言えば案内してくれるはずだ。すぐ戻る」
ナマエは急ぎ足で来た道を戻っていく。気を取りなおし、自分たちは入店。まさか、このタイミングで足を踏み入れるとは思ってもみなかった。階段を上がり、長い廊下を進み、何度も角を曲がる。中庭が美しい。照明も趣がある。通されたのは、二部屋続き。カレンいわく、和室というらしい。ふたりに引っ張られ、仕切りの扉を開けてみる。赤い壁。ほんのり暗い。衝立に囲まれた中央には、布団が一組。それも広い。ここで、四人が。
「サンジ。喉渇いたでしょう?」
となりの部屋でレニーが水を入れてきた。ありがたくいただく。しっかりと冷えていた。
「本当にきれい」
カレンが部屋を見まわしている。グラスをとなりに置いてきたレニーが仕切りの扉を完全に閉めた。密室。男ひとりと女ふたり。勝手がわからず、ふたりの様子を見つめてしまう。すぐにレニーと目が合った。
「どうしたの、サンジ」
「い、いや。ちょっと暑いかなって」
「そうね。脱いだほうがいいかも」
レニーの手が伸びてくる。見つめられたまま、ネクタイ、ジャケットを。シャツのボタンを半分以上外されたところでカレンを探す。窓辺で外を眺めていた彼女がこちらに気づいた。
「私も。手伝ってあげる」
カレンにシャツを脱がされる。目の前でしゃがんだレニーはベルトに手を伸ばしていた。あわてて止める。
「ナマエがまだだが、いいのか」
「だめ?」
答えたのはカレン。目が合うよう、顔を振り向かされる。言葉に迷っているあいだもレニーは手を動かしていく。完全にベルトを外した。
「ナマエと仲良しだから、抜け駆けしたくないの?」
抜け駆け。
「おれだけ先に楽しむのは、悪い気が──」
やわらかい感触。カレンの顔が離れ、数秒遅れて理解する。下腹部にもクッションが。レニーが腰に抱きついていた。胸が。胸が、こすれている。
「でも、今だけだよ? 三人で遊べるのは」
レニー、それ以上そこで動かないでくれ。もう、完全に、熱が。
「私も熱いの。脱がして?」
手を誘導され、カレンの紐をほどいていく。また重なった。どちらに集中すればいい。レニー、カレン。どちらを相手すれば。
「カレンが終わったら、私もおねがい」
だめだ。いまズボンを下ろしたら、
「レニーのおねがい、聞いてあげてね」
また重なる。今度は自分から食らいついた。半分以上布をはがせば、カレンが膝をつく。一緒に座り込めば、今度はレニーに腕を引っ張られる。さらした下腹部にカレンが顔を埋めた。レニーの胸元を押し広げ、夢中で這わせる。あつい。こんなにも熱い。ふたりの要求にすべて答え、すべてをさらけだし、すべてを手放した。
両手がやわらかい。肌ざわりもいい。ふわふわ、とろとろ。うっすら視界を広げる。目についた肌に吸いつく。レニー。寝ている。もう片方の首筋にも。カレンも目を閉じている。これは夢か。いや、たしかに感触は本物だ。ここは天国だった。
だんだんと意識がはっきりしてきた。赤い天井、赤い壁。衝立。寝室。何時だろう。起き上がろうとするも、両隣はしっかりと自分に絡みついていた。キスを重ね、体の力を抜こうと試みる。レニーは腕がゆるんだ。寝言をくり返すカレンの耳元でささやき、どうにか立ち上がる。カレンは自分から離れたくないらしい。半分寝ながらこちらに抱きつき、一緒に立ち上がった。時計を探す。腕時計は。脱いだ服はどこにあるのか。寝室には見当たらないので、となりの部屋へ。扉を開けると、視界の端にナマエを捉えた。壁に背を預け、座ったまま寝ている。
「おまえ」
小さな音だったのに、ナマエはすぐに目覚めた。
「おはよう。眠れたか?」
小気味よい笑顔。素顔ではなく、眼鏡をかけている。
「そうじゃねェ。おまえ──」
「ナマエ!」
カレンがナマエへ抱きついた。声も体も震わせている。様子がおかしい。
「サンジ。シーツでも何でもいい。カレンに服を」
ナマエの言葉でようやく気づく。部屋のハンガーにかかっていたガウンをカレンの肩にかけてやる。自分の服も見つけた。手早く身に着ける。
「ナマエ、ばか、ばかばか」
「うん。ごめん、カレン」
肩に顔を埋めたカレンを、ナマエがやわらかく抱きとめている。レニーも起きてきた。シーツを体に巻きつけ、にがい顔でふたりを見下ろしている。そんな彼女を放っておけず、そっと肩を抱いてしまう。
「ナマエ、おわったの?」
レニーが落ち着いた声で問いかける。ナマエは彼女を見上げて笑った。
「ああ。おわった」
自分の腕を振りほどき、レニーがカレンに駆け寄る。ナマエから振り向かせ、カレンを抱き寄せた。ふたりが抱き合うと、ナマエが立ち上がる。自身の腕時計を確認しながら、こちらに近づく。
「もうすぐ四時だ。部屋の支払いは済んでいる。港へ行ってこい」
ちがう。ちがうちがう。
「おまえ、カレンちゃんに何をした」
ナマエの胸ぐらをつかむ。これだけ睨んでいるのに、まるで表情を変えない。
「サンジ、やめて。ナマエはカレンに何もしていない」
レニーが泣きそうな顔になるので、ナマエから手を離す。
「カレンは泣き虫なの。寝起きでちょっと不安定なだけ」
なぜレニーは嘘をついてまでナマエをかばう。いまだレニーの胸元に顔を埋めているため、カレンの言葉を直接引き出すのは難しい。今はそっとしておくべきだ。
「ナマエ。てめェ、本当に何もやってねェと誓えるか」
ガンと視線をぶつける。ナマエも目をそらさない。
「おれを信じてくれ」
答えになっていない。ひたすら待つが、ナマエの言葉は続かない。
「大丈夫。私、大丈夫だから」
カレンの声。ようやくレニーの胸元から顔を上げた。わずかに目元が腫れている。チクリと胸が痛んだ。
「ナマエが戻ってくるのが少し遅くて、さびしかっただけ。帰ってきてくれたから、もう大丈夫」
笑顔を見せ、ナマエの腕に抱きついた。そのまま頬へ唇を寄せる。予想外の行動に一瞬身じろぎしてしまう。
「ナマエはもう少し時間あるのでしょう? レニーと一緒にかまって?」
レニーとカレンを、かまう。昨夜のできごとがフラッシュバックした。
「それがカレンの願いなら」
ナマエがカレンの手にくちづけを落とした。彼女を抱き寄せ、こちらを振り返る。
「部屋をチェックアウトするまで、ふたりとここにいる。買い出しのあと、もし時間があるなら、ここに来てもいいが?」
四人。チェックアウトは十時。全力で買い出しを済ませれば、三時間以上、ここで、入れ代わり立ち代わり。
「そんなことをナマエが抜かしているが、ふたりはいいのか」
さらにカレンがナマエへ抱きつく。とろける笑顔。
「昨日の続き、したいな」
ドキリ。一気に心臓が跳ねる。
「四人なら、もっと楽しいことできるよ?」
レニーもナマエの腕に絡まった。すっぽりと谷間に腕が挟まり、無性に手を伸ばしたくなる。
「そ、そうか。なら、全力で買い出しを済ませねェとな」
どうにか顔を引き締め、三人に答える。部屋の料金については、あとでナマエに聞こう。レディの前で現実的な話は避けるべきだ。レニーとカレンの手にキスを落とし、部屋を出る。早朝四時の空はまだ暗い。だが港町は今から活気づく。急ぎ足でコンコーディアを離れた。
午前六時。太陽も顔を出した頃。ようやく船にすべて詰め込んだ。あとは四人で十時まで。
「サンジ」
聞こえるはずのない声。ナマエが船に乗り込んできた。
「おまえ、なんで」
「出航だ。全部用は済んだ。おれもバラティエに戻る」
どことなく、すっきりした表情。
「カレンちゃんもレニーちゃんも、納得して別れたんだろうな? おれのことは何も言ってなかったのか?」
焦るあまり、詰め寄ってしまう。ナマエは苦笑しながら、船の錨を上げた。
「よろしく伝えてくれ、とは言われた。おれだけで満足してくれたらしい」
ナマエだけで満足した、だと。
「本当に、おまえで満足したのか」
「おれを誰だと思っている? 相手を喜ばせることに人生をかけている、一流エンターテイナーだぞ?」
この得意げな表情はいただけない。いただけないが、こいつがレディを粗雑に扱わないのは十分に理解していた。
「つれないな。もう少しくらい、あの部屋で時間稼ぎしてくれれば、いまごろ」
「そんなに楽しみにしていたのか」
これでもかとニヤつかれ、目をそらしてしまう。結局、港を出発した。遠くなる島を見つめながら、レニーとカレンに思いを馳せる。ふたりとも、本当に最高だった。あんな経験、次はいつできるのか。
夕方にはバラティエに着いた。ナマエは翌朝の定期船でローグタウンに帰るらしい。ついコックたちに自慢してしまう。
「ってことは、おまえ、ナマエと寝たのか!?」
まずいものでも食ったかのようにパティが顔を引きつらせる。
「相手はあいつじゃねェ。レディだ。レディふたり。まあ、あいつが混ざれば男女ふたりずつの、ら、乱交になっただろうな!」
どうにか言いきった。自分だってこれくらいはできるのだ。普段からきわどい経験談を聞かされてきた分、コックたちをねじ伏せてやりたい。
「おまえ。……本当に、バカでどうしようもねェな」
叱責にも近いののしり。なぜパティだけでなく、カルネも口をひん曲げているのだ。
「こりゃ、ナマエに同情するしかねェ」
肩をすくめ、盛大にため息をつく。すかさずカルネに反論したが、ジジイに怒鳴られた。渋々店員食堂を閉め、床につく。
翌朝。店員食堂が騒がしい。顔を洗いがてら、中をのぞけば、目が合ったパティに手招きされる。コックたちが新聞を広げて集まっていた。
《コンコーディアの組織壊滅 英雄の大佐》
息がとまった。昨日は何もなかったはず。なぜ。
「おまえら、ここに行ったんだよな? 泊まったとか言ってたじゃねェか」
周りから質問攻めに遭うも、無視して記事を読み込む。昨日深夜、コンコーディアの密輸組織が壊滅した。採掘物で非合法取引をくり返していた海賊団は、卑劣な手段で人手をかき集め、不当な労働を強いていた。一夜で海賊団を潰し、コンコーディアの街を救ったのは海軍支部大佐。彼に勲章が贈与されることが決まった。
二度読みなおし、新聞を片手に駆けだす。外で海を眺めていたナマエをつかまえ、自室へ引き込んだ。
「てめェ、知っていたのか」
しらを切るか、正直に答えるか。
「何を?」
「この事件をわかっていて、朝早く港を出たのか」
沈黙。まだだ。まだ切り込みが甘い。
「なあ、ナマエ」
新聞を投げ置き、腕をつかむ。どれだけ近づいても抵抗されなかった。髪をほどき、まずは鼻に近づける。ただの、うちのシャンプーのにおい。腕を引き、こちらへ寄せる。髪をかき上げ、露出した首筋に顔を埋めた。なぜ、こんなにも重く鈍いにおいがするのか。
「おまえ、眼鏡をとりにいったあと、すぐに来たんだよな?」
てっきり、三人の空間に入りづらいから、となりの部屋で寝たのかと思っていた。
「カレンがあんなに泣いていたのと、この事件は、なにか関係あるのか」
なぜナマエの肌は血を吸っている。誰を殺した。誰を倒したのだ。
「答えろ!」
胸元を押され、目が合う。無表情。にがくも甘くもない。
「もう全部終わった。カレンもレニーも元の場所に戻れたはずだ。だから──」
「なんでおれにだまって! 勝手に動いた!」
やっと顔がゆがむ。
「おれはそんなに足手まといか!」
そうやって首を横に振っても、理解できるものか。
「ちがう。サンジには、ふたりのそばにいてほしかった。ふたりが飛びださないよう、一緒にいてほしかった」
「だったら、正直にそう言えばいいだろ。おれだけ何も知らなかったのか。カレンちゃんもレニーちゃんも、おまえの行動を知っていたんだろ」
唇を噛みしめ、目を伏せようとする。させるものか。顔を固定し、正面を向かせる。
「だまって勝手に行って、ごめん」
ちがう。謝ってほしいのではない。
「なあ。おれは、そんなに、話せねェ相手なのか」
くやしい。くやしくてたまらない。
「おまえのことを、もっと知りてェって思ったら、ダメなのか」
あらゆる物事を隠されている。ナマエは海軍に手を貸したのか。いや、半年前に海賊百人を倒したときは顔を隠しとおした。今回も秘密裏に動き、処理したのでは。なぜ動ける。どこで生まれ、どこで過ごし、どうやって戦闘技術を磨いたのか。
「カレンちゃんには、今回初めて会ったんだよな?」
ナマエが静かにうなずく。
「レニーちゃんもだな?」
二度目。
「あのふたりには事情を話せて、おれには話せなかった──」
「サンジ、聞いてくれ」
掠れた声。くるしそうに顔をゆがませる。
「おれは。おれは、守りたかった。これからもサンジが安心して買い出しにいけるように、守りたかった」
どういう意味だ。
「コンコーディアに悪い噂があるのは知っていた。だからカタリもコンコーディアを避けていた。面倒ごとに巻き込まれたくなかったから」
では、なぜ今さら。
「コンコーディアのとなりで、おまえが買い出ししているってわかったから。おれは、サンジに安心して料理に専念してほしい。嫌な思いをしてほしくなかった」
「その『嫌な思い』は何だ。なにを勘ぐったんだ」
「カレンとレニーはあの組織の人間だったんだ。労働力になりそうな男を引っかけて、薬を盛ってでも組織へ誘い込む。手首のタトゥーを問い詰めれば、カレンが吐いた」
手首。気づかなかった。
「おれは、サンジがだまされて、密輸に巻き込まれるのが嫌だった。だからカレンを誘った。組織を潰して必ずふたりを助けるから、サンジを監視してほしいって」
BARのカウンターでカレンがナマエに抱きついていた理由。あのときカレンの耳元でナマエがつぶやいたことは。
「カレンもレニーも組織から逃げ出したかった。でも逃げるだけの力がなかった。ふたりも被害者だ」
そうか。あれだけカレンがレニーを大切にしていた裏に、そんなことがあったのか。どっと力が抜け、そばのベッドに腰かける。ナマエは依然、立ったまま。まだ離れてほしくない。
「少し、時間をくれ」
となりのスペースをたたく。ようやくナマエも腰を下ろした。頭のなかを整理する。
「カレンちゃんたちは元の場所に戻ったって言ったな? どこだ」
「港町。ふたりはそこで生まれた。コンコーディアの組織がでかくなってきた一年前に連れ去られたって。それからずっと、ふたりで夜の街を歩いて、男を探していた」
ギリと奥歯をかむ。自分は、なにも気づいてやれなかった。
「おれが買い出しに行ったあと、どうした。ちゃんと二人を送ったんだろうな?」
「カレン、一睡もしていなかったみたいでさ。おまえが出ていったあと、すぐに寝付いた。無理に起こすのも悪いから、もう一泊料金を支払って先に帰ってきた」
カッと頭に血がのぼり、きつく腕をつかんでしまう。
「なんで残らなかった。街の状況も変わって、ふたりは落ち着かねェはずだ。もう少しそばにいてやれただろ」
「おれは深いつながりを持ちたくない。ふたりには自分の存在を忘れてほしい。だから朝一番で港を出たかった」
なぜここまで淡白になれるのだ。理解できない。
「来週、もう一度港町に行くぞ。ふたりの無事を確かめたい」
「行くなら、サンジひとりで──」
「おまえも来い」
両肩をつかみ、こちらを振り向かせる。
「ふたりのためじゃなく、おれのために、来い。それもできねェって言うのか?」
目を丸くする。
「おれが、サンジのために、一緒に?」
「ああ、そうだ。今回おれのために動いたなら、それくらいできるよな?」
すべてが腹立たしいが、どうにか言いきった。今のこいつに一番きくのは、これしかない。
「わかった。ただし、二週間後にしてくれ。予定調整する」
二週間後。日の出前にバラティエを出発したので昼すぎには着いた。前回よりも港に人が多い気がする。近くの住人に「カレン」の名を出して聞けば、すぐに居場所がわかった。
「ナマエ! サンジ!」
まっさきにカレンがナマエに飛びついた。レニーも駆け寄ってくる。ふたりとも、二週間前とはまるで別人だ。セクシーなドレスではなく、泥だらけの作業着。露出など皆無で、髪を無造作に纏め上げ、大きな麦わら帽子をかぶっている。それでも、チャーミングななきぼくろ、ぷっくりした唇は、たしかにカレンとレニーだと証明していた。よかった、元気そうで。
「今日はうちに泊まって」
カレンの誘いをナマエは断る。今日は日帰りだと決めていた。ナマエの出した条件だ。何度も断られるので、カレンの矛先が自分に向けられた。
「ねえ。サンジはいいでしょう? 今度こそ、四人で。ね?」
そんな、甘い吐息を出さないでくれ。レニーも、胸元をこすりつけないでくれ。
「本当に、悪い。どうしても今日は帰らなきゃならねェんだ」
レディの誘いを断るなど、男の恥だ。ナマエの条件など蹴ればよかった。
「サンジはまた買い出しにくる。そのときは歓迎してやってくれ」
ナマエが笑顔でカレンの頭をなでる。しかし彼女は表情をくもらせた。
「ナマエは一緒に来ないの? もう、来ないの?」
ナマエは答えない。沈黙が続き、カレンの瞳がわずかに揺れた。瞬間、ナマエがきつくきつくカレンを抱きしめる。
「約束できない。ごめん」
肩に顔を埋めたカレンは体を震わせていた。見守る自分も拳を強く握りしめてしまう。となりのレニーもつらそうな表情なので、そっと抱きかかえてやる。
「でも、これだけはわかってほしい。おれは、カレンを絶対に忘れない」
頭をなで、耳元でささやき、そっとカレンを離す。ナマエの手から花が現れた。ピンクのカーネーション。花言葉はあなたを忘れない。
「だから、カレン。わらって?」
指でカレンの涙をすくい、カーネーションを差しだす。あふれて一筋だけこぼれたが、そっとカレンの頬がゆるんだ。ナマエに近づき、唇が重なる。ほんの一瞬、ふれた程度。カーネーションを受けとり、レニーへと振り返る。レニーが駆けだした。ふたりは抱き合う。やはりレニーがカレンを抱きとめている。前もそうだった。崩れそうなカレンをレニーが支える。カレンには大切なレニーがいる。きっと大丈夫だ。
「いこう」
ナマエに肩をたたかれ、自分も歩きだす。午後二時。いい風に乗ることができれば、日が沈んだ頃にはバラティエに帰れる。一度も振り返ることなく港町をあとにした。
船を出し、しばらく波に揺られたところで、ナマエに話を振る。これくらいは聞いてもいいだろう。
「おまえ、結局ふたりと遊んだのか。カレンはすぐに寝たって言ってたよな?」
自分が部屋を出た午前四時から、合流する六時まで。二時間あれば、ひととおり遊べたはず。あんなにもカレンがナマエを求めていたのは、もしかして。
「おれはカレンを抱けない。レニーも抱けない」
鋭いまなざし。まっすぐと射抜かれる。
「抱かないんじゃなく、抱けねェんだ」
意味がわからない。そんなに二人と距離を置きたかったのか。
「情を引きずらないためにってことか?」
「それもあるが。おれには、そもそも──」
くしゃりと顔をゆがませる。胸元に手をあて、くるしそうに肩を上下させる。様子がおかしい。
「おい、大丈夫か」
崩れ落ち、膝もついたので、とっさに肩を持つ。どうにか船内へ運んだ。椅子に座らせ、冷たい水を飲ませる。となりで背中をさすりつづけた。
「悪い。本当に、情けない」
「気にするな。少し寝とくか?」
ハンモックを指差す。元々ひとり分しかなかったが、ナマエが買い出しに付いてくるようになってから、ひとつ増設した。
「先に、言わせてくれ」
こちらの腕をつかみ、向かい合わせになる。くるしそうだ。なにか焦っている。
「おれは。おれは」
顔を伏せた。震える拳が痛々しい。もう見ていられない。
「もういい。休め」
抵抗されるが、無理やりハンモックへ投げこむ。額を合わせ、熱がないか確認。途端にナマエがおとなしくなった。
「熱はねェな。とりあえず三十分だ。あとで様子を見にくる」
背を向けるも、腕をつかまれ、もう一度振り返る。そのつらい表情を、どうにか和らげてやりたい。
「話ならいくらでも聞いてやる。おれは逃げも隠れもしねェ。心の準備ができたときでいい。だから、今はおれのために休んでくれ」
頭をなでていれば、そっと目が細くなる。まばたきをくり返し、ようやく瞳が閉じた。いまだ腕をつかんでいる手を、慎重に外す。これでいい。もう一度頭をなで、耳元で聞こえるか聞こえないかの声量で、そっと音にする。
「おやすみ」
「そこって、すぐとなりの内陸にコンコーディアがあるよな」
「ああ。最近よく人が集まる。いい酒も出会いもたっぷりだ」
もちろん、夜はコンコーディアで過ごすつもりだ。前々回に港町でコンコーディアの存在を知り、前回ようやくコンコーディアに行った。だが、まちがってニューハーフバーに入ってしまい、さんざんな目に遭う。今回こそ積極的なレディとの出会いを、必ず。
「これからも、その港町で仕入れを続けるんだよな?」
「あそこの干物は格別だからな」
じっと見つめられる。
「おれも付いていっていいか。ショーができるか、コンコーディアを下見したい」
「おまえ、行ったことねェのか」
「あそこがにぎわってきたのは本当に最近なんだ。だからまだノーマークで」
へえ。こいつが進出していない街が、まだ東の海に存在するとは。
「今日はこのままローグタウンに帰るつもりだったけれど、予定変更だ。いいよな?」
こいつは昨日で三日間のショーが終わったところだ。断る理由もないので、そのまま買い出しの船に乗せた。
ローグタウンとは真逆の方向へ半日。目的地が見えた。港町に船をつける。さっそくとなり街のコンコーディアへ。自分がナマエを道案内する日がくるとは思わなかった。歩きながら街の特徴を説明する。コンコーディア裏の鉱山で大きな宝石が見つかり、採掘者が大金持ちとなった。他の者たちも一攫千金を狙い、採掘が盛んになる。街は鉱石や宝石の売買で人が集まり、店も増えていく。内陸部なのでアクセスは悪いが、となりの港町が事実上、コンコーディアへの入り口となっていた。
「まずは宿探しだな」
たとえ積極的なレディと出会えても、共に一夜を明かす場所がなくては誘えない。いつものように、こいつと同じ宿に入り、別の部屋をとることになるだろう。
「宿なら、おすすめのところを聞いておいたが。どうする」
思わずとなりを振り返る。
「ここは初めてなんだろ。なんで、おまえが」
「まえに旅人から話を聞いてね。コンコーディアの宿ならここ、って熱く語られたから、気になって」
そう言われると俄然興味がわいてくる。了承すれば、夕めし探しを頼まれる。今からナマエは宿の部屋を確保しにいく。そのあいだ、自分にはめぼしい出会い場所を探しておいてほしい、と。前回、店選びをまちがえたこともあり、下調べが重要だと思い知った。待ち合わせ時間と場所を決めたあと、いったん別行動をとる。
三十分後。レディが来てくれそうなBARへナマエを連れていく。カウンターに座った。
「しかし、おまえが出会いを求めるなんてな」
ひととおり腹におさめ、酒を注文する。
「意外か?」
ナマエはいつも酒を飲まない。本当に一滴たりとも口にしないのだ。何度か勧めてみたが、すべて断られた。
「おれには、おまえの好みというか、そういう事情が理解できねェな。なんで、あのプリマドンナと距離を置いて、夜の街に金を落としているんだか」
睨まれるかと思いきや、体ごとこちらを振り返り、歯を見せてくる。
「なあ、サンジ。おまえには理想像があるのか」
意味がわからず、顔を凝視するに留める。ナマエはノンアルコールのサワーをひとくち飲み、前へ向きなおった。
「おれには、ある。生涯を添い遂げたい、理想の相手。いつも思い描いている」
声のトーンは落ちたが、いつものカタリな口調ではない。甘さが抜けた、ストレートな響き。またグラスに口をつけ、わずかに目を細める。その横顔をじっと見つめてしまう。
「いまはこうやってフラフラしているけれど、最後はひとりだ。そう決まっている。生まれたときから、ひとりだと決まっていた」
まるで「運命の相手は最初から決まっている」かのような口調。
「たくさん世界を見てまわりたい。たくさん出会いたい。自分で見つけだしたいんだ。相手が選んでくれる場合もあるけれど、おれは自分で選びたい。自分で決めたい」
ちがう。こいつは運命に逆らおうとしている。
「でも、今すぐは嫌だ。もう少し時間がほしい。ひとりのうちに、やっておきたいことが山ほどある」
たしかに、家庭を持てば今のような遠征三昧の生活は難しくなるだろう。
「前にも言ったが、セシルとおれは今の距離で満足している。お互い、生涯を添い遂げたい相手ではないんだ。今の関係でいい。わかってくれ」
もう何も言うまい。彼女も納得しているなら、それで。
「それに、おれは、そもそも」
グラスを持つ手がわずかに震えている。危なっかしいので、グラスをうばいとり、テーブルに置いてやる。
「どうした」
やわらかい音を心がけ、ナマエの背中をさすっておく。様子がおかしい。
「嘘ではないんだ。今の生活に、嘘は」
生活。つまり、マジシャンの生活は嘘ではない。そんなことはわかっている。
「なあ。サンジには理想があるか」
「女性の、ってことか?」
「答えやすい方でいい」
あいまいな返答。素直に「理想の女性」だと解釈しておく。
「おまえみたいに、最後がどうのとは決めてねェな」
十年後、二十年後、自分のとなりには誰がいるのか。考えたこともなかった。
「多分、今の生活に満足しているんだろうな。バラティエの料理を食ったレディが、花のように笑えば最高に幸せだ。夜を共に過ごしたレディが女神のごとく顔を赤らめてくれれば、いつだって天に召されてもいい」
ナマエが前を向いたまま吹き出した。足を小突いておく。
「おれは欲張りなんだよ。誰ひとりレディを悲しませたくない」
ゆっくりとこちらを振り返る。わずかに目を丸くさせた。
「おれを必要としてくれるなら、いつだって全力を尽くす。この身が分身できないのが悔しいくらいだ。ひとりに絞りきれねェ」
もし、ふたりのレディから同時に手を差し伸べられたなら。選べるものか。絶対に選べるものか。
「つまり、サンジには『特別なレディ』は存在しない。そういうことか」
「特別もなにも。『来る者は拒まず、去る者は追わず』だ。レディに溺れ、レディに酔い、レディに振り回されたい」
引かれるかと思ったが、いつになく真剣な顔つきだ。
「味方にも敵にもレディがいたら、どうする。おまえは敵のレディを倒すのか」
味方? 敵? そんな状況など遭遇したことがない。
「おれは蹴らん。たとえ敵だとしても、足は出さねェ」
「きれいごとだな」
腹の底から感情が爆発するも、にがい笑顔を向けられ、歯を見せてくるものだから、体の力が抜けてしまう。
「おれは、おまえのそういうところが心底うらやましい」
また前を向いてしまう。わずかに目を細め、顔を伏せる。その横顔から感情を読みとれない。
「おまえには非難されるかもしれねェが。おれには、どうしても守りたいものがある。守るためなら敵のレディにも手をあげるつもりだ」
守りたいもの。初耳だ。
「ショーを見にきてくれる子たちを喜ばせたい。カタリに夢を見てほしい。世界中のあらゆるレディに礼儀を尽くし、前を向いてほしい。だが、おれには力不足だ。どちらかを守るには、どちらかを捨てるしかない」
こいつの言うこともわかる。ただ、一度決めた信念は曲げない。自分は体に不屈の魂を刻みこんだ。この魂を捨てるくらいなら死を選ぶ。
「やっぱり、料理長とよく似ている」
目が合うと頬がゆるんだ。うまく反応できず、口をもごつかせてしまう。
「ジジイと、一緒に、するな」
どうにか言葉を形成できた。いつのまにか短くなったので、新しい煙草を取りだす。
「料理長の背中は大きい。あの気迫は、そう安々と真似できるものじゃねェ」
こいつはジジイに見られると、いつも背筋を伸ばしていた。最初の手合わせで飛んできた一喝も真面目に受けとめていた。
「おれもいい加減、向き合わないと」
向き合う?
「今の話で、おまえがレディとどう向き合いたいか、よくわかった。つまり、体の好みもないってことだよな?」
体。肉体。ボディ。ぱっと数カ所浮かぶが、努めて顔を引き締め、沈黙を守る。
「おれが好きな方を選んでいいんだな?」
ぐいと顔をのぞきこまれ、身じろぎしてしまう。
「もちろん誰でも受けとめたい、が、候補を見る権利くらいは、おれにもあるだろ」
どうにか言い切った。憎たらしく歯を見せたナマエが店の入り口を振り返る。
「黒のショートヘア。胸はないが、いいくびれだ。脚も百点満点」
じりじりと同じ方へ目を向ける。レディがふたり、談笑しながら入ってきた。
「もうひとりはブロンド──いや、キャラメルのロングウェーブ。身長はかわいらしいが、相当なゴムボールをふたつ抱えている。すっげェ揺れ具合だ。脱がしたら一級品が見られるだろうな」
すでに究極の選択が始まっていた。彼女たちは遠い席につき、注文している。
「ふたりをここに呼ぼうと思うが、どうする。どっちがどっちを選ぶ」
ナマエが自分とのあいだを指差す。互いに席をひとつずらし、女の子を挟む形で座る。ふたりを引き離しては不安がるだろうから、作戦としては評価できる。問題は、どちらを自分のとなりに座らせるか。
「おまえはどっちがいい」
まずは相手の出方をうかがう。
「正直に答えたら、おれに譲ってくれるのか?」
イエスとうなずけない。ノーと首を横に振ることもできない。
「サンジ。素直になれ。本当は好みくらいあるんだろ? どっちだ」
あの、すらりとした長い脚にいじめられたい。あの、あふれんばかりの胸元に顔を埋めたい。ちくしょう。どちらを選べばいいのだ。
「簡略化してやろうか? セクシーな女豹かふわふわバニーガール」
妄想が爆発する。ここまで的確かつ悩殺される言葉選びを、どこでどうやって習得したのだ。やはり花街の高級店で上客をやっている男は経験が違う。ここはむしろ、ベテランから教えを請うべきでは。
「おまえは普段、どういう基準で選ぶんだ。参考程度に聞いておきたい」
ナマエは彼女たちを見つめながら、肩をすくめてみせた。
「しょうがねェな。いいか。あくまでおれの考えで、おれの判断だ。絶対ってわけじゃねェ」
ごくりと息を呑んでしまう。続きを待った。
「自分の欲に素直になることも大事だが、最終的には相手の好みが成功を左右する。つまり、あの子たちが、おれらのどちらがタイプか見きわめればベッドに持ち込める」
なるほど。
「髪型、化粧、ファッションで本人のスタイルを研究する。まあ、先に結論を言うと、つまり、女豹がおれで、バニーガールはおまえだ」
おれが、ふわふわバニーちゃん。
「女豹は強引に押すといい具合に壊れそうだ。バニーはとろとろに甘やかせば隙を見せるはず」
強引に押す、だと? 壊れた女豹。意味がわからないが、無性に喉が渇く。そして同時に確信する。こいつは生粋のハンターだ。
「おまえは甘やかすの得意だろ?」
断定されるのはおもしろくない。
「だったら、おまえは強引に押せる自信があるのか」
「ある。むしろ得意分野だ」
なんだ、この自信は。
「そろそろ仕掛けるぞ。おまえが連れてこい。ターゲットの方に近づいて声をかければ、そのままとなりの席に来てくれるはずだ」
ターゲット。つまりバニーちゃん。
「どっちを選ぶか決めたか?」
なにを今さら。
「おれは今夜、ふわふわのベッドにダイブする」
ふわふわバニーちゃんの、ふところへ。
「わかった。いってこい」
苦笑しながら、軽く背中をたたかれる。一度睨んだあと、ネクタイを直して彼女たちのテーブルへ。素敵な出会いを祝し、酒をおごりたいと言えば、笑顔で了承してくれた。カウンターのナマエは横にずれ、中央に空席をふたつ用意していた。ふたりを並んで座らせ、ふわふわバニーちゃんの右手に自分が。女豹な彼女の左手にナマエがつく。酒を頼み、乾杯したあと、まずは自己紹介を。バニーちゃんはレニー。あふれんばかりの胸元も最高だが、ぷっくりした唇から目が離せない。女豹な彼女はカレン。スリットからのぞく太ももに酔いしれる。目元の泣きぼくろは卑怯なほどチャーミングだ。最初は四人で話していたが、話題が分散し、しだいに一対一の会話へ。
レニーは距離が近い。背丈が違うので、しっかりと見上げてくれるからだ。BGMや周囲の雑音にかき消されないよう、こちらの顔をのぞき、声をはる。自分も顔を下げて耳元へ。この時点で確信した。レニーは今日、自分と付き合ってくれる。仕留めたぞ。
レニーが次の酒を選んでいるあいだ、それとなく左側を流し見る。ちょうどカレンがナマエの眼鏡をずらしたところだ。中途半端に下げたまま、目を合わせている。あの、まっすぐと射抜くまなざし。かなり距離も近い。眼鏡をつかんでいるカレンの手をとり、完全に眼鏡を外させる。カウンターに置いたあともカレンの手を離さない。自身の口元へ持っていき、目を合わせたまま、そっと、カレンの指先に、くちづけを。自分の位置からはカレンの表情は見えない。それでも嫌がられてはいないようだ。あいつは、眼鏡を外した素顔なら一気にレベルが上がる。ギャップを狙ったのか。もう腰に手をまわしてやがる。早すぎるだろ。何かつぶやいている。カレンの体がナマエへもたれかかった。
「どうしたの」
すぐそばから声が聞こえ、肩が跳ねてしまう。レニーだ。すでに注文した酒も届いていた。
「ああ、いや。もうとなりが完全にできあがっちまってるもんだから。つい」
レニーも左を振り返る。ナマエはしっかりとカレンを抱きとめていた。肩に顔を埋めているため、カレンの様子はわからない。まだナマエは耳元で何かをつぶやいている。
「本当だ。カレンがこんな風になるなんて相当よ。見ているこっちが恥ずかしくなっちゃう」
レニーが両手で自身の顔をあおぐ。ぎゅっと脇を締めたので、デコルテがむにっと盛り上がった。谷間。これは一級品。顔を赤くさせているのも、すごく、そそられる。
「レニーちゃんは、ああいうのしたことあるか?」
「ああいうのって、ハグのこと?」
耳元のささやきではなく、目を合わせることを重視する。それでも手を握るのは忘れない。
「そう。こんなにドキドキするってことは、慣れてねェのか?」
一度顔を伏せ、もじもじしたあと、しっかりと見上げてくる。挑発的な上目遣い。
「慣れてるかどうか、自分で確かめてみれば?」
自分で確かめる。今ここでハグして、反応を確かめる。よし。きた。
「それなら、遠慮なく──」
「レニー、化粧ポーチ貸して」
抱き寄せようとした腕は空を切る。カレンに引っ張られ、レニーが椅子から下りた。笑顔でこちらに手を振る。
「ちょっと化粧直ししてくるね」
自分も笑顔で手を振りつづけた。ふたりの姿が見えなくなったあと、肩を落とし、深く息を吐く。ナマエがレニーの席についた。目を合わせるも、ただ歯を見せてくるだけ。とりあえず足を小突いた。
「てめェ、空気を読みやがれ」
「残念だったな。ハグが成功しなくて」
やはりわざとカレンを手放したのだ。
「いま、レニーとカレンはおれたちの最終判断を下している最中だ。つまり、トイレから帰ってきたら一気に畳みかける」
言っていることはわかるが、なぜここで電伝虫を取りだすのか。目の前でかけはじめた。
「チェックインしたナマエだ。四人部屋に変更してくれ。料金の差額はあとで支払う」
通話はすぐに終わった。こいつの言った、何もかもが理解できない。
「さっき、カレンに『四人ならOK』と言われた」
四人、なら、OK?
「レニーと離れるのは嫌だそうだ。だから今夜は四人を提案した」
「まてまてまて。おまえ、自分が何を言っているか、わかってるのか」
「ああ、おれは正気だ。あとはレニーの了承と、おまえの了承が必要だが。どうする」
頭が追いつかない。ひと部屋に四人。カレンは四人ならOK。レニーと離れたくないから四人。二組の男女が同室で夜を明かせば、何が起こるか。
「つまり、カレンはおれに、見られても、構わねェってことだな?」
言葉に詰まるも、どうにか言いきった。
「そういうことだ」
「おまえは、いいのか」
「たまにはいいんじゃねェのか、こういうのも」
即答。迷いなど欠片もない。質問を続ける。
「四人の経験は?」
「ないが、そうだな」
この、中途半端ににごすのが意味深すぎる。もう少し核心に切り込みたい。
「おまえはカレンとレニー、両方を選ぶつもりか」
「おまえも迷っていただろ。今日は一方を選び、一方を切り捨てる必要はない。両方を選べばいい」
これで確定した。今から自分たちは、自由にパートナーを入れ替える。
「サンジ。覚悟はできたか?」
この、余裕たっぷりな笑顔が気に食わない。
「言っとくが、おれはどっちかを贔屓するつもりはねェからな。平等主義だ。適度に交代しろよ」
「わかった。それじゃ、先に会計済ませるか」
ナマエが支払いを済ませたところで、ふたりが帰ってくる。ナマエが立ち上がるので、自分も椅子から下りた。
「そろそろ場所を移動しようか」
ナマエが話しかけたのは、カレンではなくレニー。レニーは驚くどころか、笑顔でナマエの差し出す手をとった。歩きだすふたりの背を見て唖然としていると、腕に感触が。となりを振り返る。カレンだ。
「見失っちゃう。付いていかないと」
二の腕に胸があたり、意識が飛びそうになる。カレンの歩調に合わせ、店を出る。五メートル先のレニーとナマエを見ながら、カレンの質問に答えていく。先ほどのカウンターでレニーとどんな話をしたのか。レニー、レニー、レニー。カレンは何度も「レニー」と口にする。
「私たち、ずっと一緒に生きてきたの。だから寝るときも一緒。今夜も一緒」
このタイミングで、聞いてもいいだろうか。
「さっきナマエから聞いたんだが、その。カレンちゃんは、今からどんな部屋に行くか、知ってるのか」
少し目を見開いた。印象的な目元。底なしの深いまなざしに、どこまでも吸い寄せられる。
「行ったことはないけれど、すごくきれいな場所なのは知ってる」
すごく、きれい?
「だからとっても楽しみ」
顔をほころばせた。ああ。そうやって、いつまでも笑っていてくれ。
「おれでカレンちゃんを楽しませられるといいが」
「大丈夫。レニーもいるから」
話が見えてこない。レニーもいるとカレンは楽しめる。そういうことか。
「カレンちゃんは大人数のほうが好きなんだな」
「ちがう。レニーがいれば何人でもいいの」
つまり、カレンは。何かがわかった気がするが、具体的な言葉が浮かんでこない。
「カレンちゃん、本当にレニーちゃんのことが大好きなんだな」
「うん。あなたもそうでしょう?」
え?
「だって、こういうことができるのって、仲が良い人同士でないと無理でしょう」
「そりゃあ、そうだな」
苦しまぎれに相槌を打つ。
「サンジとナマエは仲良しだから、こういうことができる。そうナマエが言ってた」
あいつが、仲良しだと?
「ナマエはあなたのことが大好きよ。大好きでないと、こんなことできない」
目を細め、一瞬、顔をゆがませる。なんだ、今の表情は。
「まあ、嫌われてねェとは思うが。『大好き』ってのは、本人が言ってたのか?」
まさかとは思うが、念のため確認しておく。
「ううん。はっきりとは教えてくれなかったけれど、そう思った。私がレニーを思う気持ちと、すごく似ていたから」
カレンからレニーへの感情が、ナマエから自分への感情と、近い。
「今からわかるはずよ。ナマエがどれだけあなたを好きか」
まいったな。カレンにどう反応すればいいか。傷つけたくはない。否定は避けるべきだ。
「今日はカレンちゃん、レニーちゃん、ナマエの三人に甘えるとするか」
腕に抱きつかれる。二の腕がむにっと挟まり、となりの笑顔がまぶしい。
「着いたみたい」
カレンとともに前方を見る。建物の入り口でレニーとナマエが話していた。この風景にどことなく既視感を覚える。扉まで来たところでようやく、花街の高級店と気づく。看板がない。一階に窓もない。そして赤い風鈴。カレンの言っていた「すごくきれいな場所」とはここだったのか。
「悪い、サンジ。先にふたりと一緒に入っていてくれ。BARに眼鏡を忘れた」
あのとき、カレンに外されたっきりだったか。自分も気づかなかった。
「いいが、おまえの名前でとってあるんだよな?」
「ああ。言えば案内してくれるはずだ。すぐ戻る」
ナマエは急ぎ足で来た道を戻っていく。気を取りなおし、自分たちは入店。まさか、このタイミングで足を踏み入れるとは思ってもみなかった。階段を上がり、長い廊下を進み、何度も角を曲がる。中庭が美しい。照明も趣がある。通されたのは、二部屋続き。カレンいわく、和室というらしい。ふたりに引っ張られ、仕切りの扉を開けてみる。赤い壁。ほんのり暗い。衝立に囲まれた中央には、布団が一組。それも広い。ここで、四人が。
「サンジ。喉渇いたでしょう?」
となりの部屋でレニーが水を入れてきた。ありがたくいただく。しっかりと冷えていた。
「本当にきれい」
カレンが部屋を見まわしている。グラスをとなりに置いてきたレニーが仕切りの扉を完全に閉めた。密室。男ひとりと女ふたり。勝手がわからず、ふたりの様子を見つめてしまう。すぐにレニーと目が合った。
「どうしたの、サンジ」
「い、いや。ちょっと暑いかなって」
「そうね。脱いだほうがいいかも」
レニーの手が伸びてくる。見つめられたまま、ネクタイ、ジャケットを。シャツのボタンを半分以上外されたところでカレンを探す。窓辺で外を眺めていた彼女がこちらに気づいた。
「私も。手伝ってあげる」
カレンにシャツを脱がされる。目の前でしゃがんだレニーはベルトに手を伸ばしていた。あわてて止める。
「ナマエがまだだが、いいのか」
「だめ?」
答えたのはカレン。目が合うよう、顔を振り向かされる。言葉に迷っているあいだもレニーは手を動かしていく。完全にベルトを外した。
「ナマエと仲良しだから、抜け駆けしたくないの?」
抜け駆け。
「おれだけ先に楽しむのは、悪い気が──」
やわらかい感触。カレンの顔が離れ、数秒遅れて理解する。下腹部にもクッションが。レニーが腰に抱きついていた。胸が。胸が、こすれている。
「でも、今だけだよ? 三人で遊べるのは」
レニー、それ以上そこで動かないでくれ。もう、完全に、熱が。
「私も熱いの。脱がして?」
手を誘導され、カレンの紐をほどいていく。また重なった。どちらに集中すればいい。レニー、カレン。どちらを相手すれば。
「カレンが終わったら、私もおねがい」
だめだ。いまズボンを下ろしたら、
「レニーのおねがい、聞いてあげてね」
また重なる。今度は自分から食らいついた。半分以上布をはがせば、カレンが膝をつく。一緒に座り込めば、今度はレニーに腕を引っ張られる。さらした下腹部にカレンが顔を埋めた。レニーの胸元を押し広げ、夢中で這わせる。あつい。こんなにも熱い。ふたりの要求にすべて答え、すべてをさらけだし、すべてを手放した。
両手がやわらかい。肌ざわりもいい。ふわふわ、とろとろ。うっすら視界を広げる。目についた肌に吸いつく。レニー。寝ている。もう片方の首筋にも。カレンも目を閉じている。これは夢か。いや、たしかに感触は本物だ。ここは天国だった。
だんだんと意識がはっきりしてきた。赤い天井、赤い壁。衝立。寝室。何時だろう。起き上がろうとするも、両隣はしっかりと自分に絡みついていた。キスを重ね、体の力を抜こうと試みる。レニーは腕がゆるんだ。寝言をくり返すカレンの耳元でささやき、どうにか立ち上がる。カレンは自分から離れたくないらしい。半分寝ながらこちらに抱きつき、一緒に立ち上がった。時計を探す。腕時計は。脱いだ服はどこにあるのか。寝室には見当たらないので、となりの部屋へ。扉を開けると、視界の端にナマエを捉えた。壁に背を預け、座ったまま寝ている。
「おまえ」
小さな音だったのに、ナマエはすぐに目覚めた。
「おはよう。眠れたか?」
小気味よい笑顔。素顔ではなく、眼鏡をかけている。
「そうじゃねェ。おまえ──」
「ナマエ!」
カレンがナマエへ抱きついた。声も体も震わせている。様子がおかしい。
「サンジ。シーツでも何でもいい。カレンに服を」
ナマエの言葉でようやく気づく。部屋のハンガーにかかっていたガウンをカレンの肩にかけてやる。自分の服も見つけた。手早く身に着ける。
「ナマエ、ばか、ばかばか」
「うん。ごめん、カレン」
肩に顔を埋めたカレンを、ナマエがやわらかく抱きとめている。レニーも起きてきた。シーツを体に巻きつけ、にがい顔でふたりを見下ろしている。そんな彼女を放っておけず、そっと肩を抱いてしまう。
「ナマエ、おわったの?」
レニーが落ち着いた声で問いかける。ナマエは彼女を見上げて笑った。
「ああ。おわった」
自分の腕を振りほどき、レニーがカレンに駆け寄る。ナマエから振り向かせ、カレンを抱き寄せた。ふたりが抱き合うと、ナマエが立ち上がる。自身の腕時計を確認しながら、こちらに近づく。
「もうすぐ四時だ。部屋の支払いは済んでいる。港へ行ってこい」
ちがう。ちがうちがう。
「おまえ、カレンちゃんに何をした」
ナマエの胸ぐらをつかむ。これだけ睨んでいるのに、まるで表情を変えない。
「サンジ、やめて。ナマエはカレンに何もしていない」
レニーが泣きそうな顔になるので、ナマエから手を離す。
「カレンは泣き虫なの。寝起きでちょっと不安定なだけ」
なぜレニーは嘘をついてまでナマエをかばう。いまだレニーの胸元に顔を埋めているため、カレンの言葉を直接引き出すのは難しい。今はそっとしておくべきだ。
「ナマエ。てめェ、本当に何もやってねェと誓えるか」
ガンと視線をぶつける。ナマエも目をそらさない。
「おれを信じてくれ」
答えになっていない。ひたすら待つが、ナマエの言葉は続かない。
「大丈夫。私、大丈夫だから」
カレンの声。ようやくレニーの胸元から顔を上げた。わずかに目元が腫れている。チクリと胸が痛んだ。
「ナマエが戻ってくるのが少し遅くて、さびしかっただけ。帰ってきてくれたから、もう大丈夫」
笑顔を見せ、ナマエの腕に抱きついた。そのまま頬へ唇を寄せる。予想外の行動に一瞬身じろぎしてしまう。
「ナマエはもう少し時間あるのでしょう? レニーと一緒にかまって?」
レニーとカレンを、かまう。昨夜のできごとがフラッシュバックした。
「それがカレンの願いなら」
ナマエがカレンの手にくちづけを落とした。彼女を抱き寄せ、こちらを振り返る。
「部屋をチェックアウトするまで、ふたりとここにいる。買い出しのあと、もし時間があるなら、ここに来てもいいが?」
四人。チェックアウトは十時。全力で買い出しを済ませれば、三時間以上、ここで、入れ代わり立ち代わり。
「そんなことをナマエが抜かしているが、ふたりはいいのか」
さらにカレンがナマエへ抱きつく。とろける笑顔。
「昨日の続き、したいな」
ドキリ。一気に心臓が跳ねる。
「四人なら、もっと楽しいことできるよ?」
レニーもナマエの腕に絡まった。すっぽりと谷間に腕が挟まり、無性に手を伸ばしたくなる。
「そ、そうか。なら、全力で買い出しを済ませねェとな」
どうにか顔を引き締め、三人に答える。部屋の料金については、あとでナマエに聞こう。レディの前で現実的な話は避けるべきだ。レニーとカレンの手にキスを落とし、部屋を出る。早朝四時の空はまだ暗い。だが港町は今から活気づく。急ぎ足でコンコーディアを離れた。
午前六時。太陽も顔を出した頃。ようやく船にすべて詰め込んだ。あとは四人で十時まで。
「サンジ」
聞こえるはずのない声。ナマエが船に乗り込んできた。
「おまえ、なんで」
「出航だ。全部用は済んだ。おれもバラティエに戻る」
どことなく、すっきりした表情。
「カレンちゃんもレニーちゃんも、納得して別れたんだろうな? おれのことは何も言ってなかったのか?」
焦るあまり、詰め寄ってしまう。ナマエは苦笑しながら、船の錨を上げた。
「よろしく伝えてくれ、とは言われた。おれだけで満足してくれたらしい」
ナマエだけで満足した、だと。
「本当に、おまえで満足したのか」
「おれを誰だと思っている? 相手を喜ばせることに人生をかけている、一流エンターテイナーだぞ?」
この得意げな表情はいただけない。いただけないが、こいつがレディを粗雑に扱わないのは十分に理解していた。
「つれないな。もう少しくらい、あの部屋で時間稼ぎしてくれれば、いまごろ」
「そんなに楽しみにしていたのか」
これでもかとニヤつかれ、目をそらしてしまう。結局、港を出発した。遠くなる島を見つめながら、レニーとカレンに思いを馳せる。ふたりとも、本当に最高だった。あんな経験、次はいつできるのか。
夕方にはバラティエに着いた。ナマエは翌朝の定期船でローグタウンに帰るらしい。ついコックたちに自慢してしまう。
「ってことは、おまえ、ナマエと寝たのか!?」
まずいものでも食ったかのようにパティが顔を引きつらせる。
「相手はあいつじゃねェ。レディだ。レディふたり。まあ、あいつが混ざれば男女ふたりずつの、ら、乱交になっただろうな!」
どうにか言いきった。自分だってこれくらいはできるのだ。普段からきわどい経験談を聞かされてきた分、コックたちをねじ伏せてやりたい。
「おまえ。……本当に、バカでどうしようもねェな」
叱責にも近いののしり。なぜパティだけでなく、カルネも口をひん曲げているのだ。
「こりゃ、ナマエに同情するしかねェ」
肩をすくめ、盛大にため息をつく。すかさずカルネに反論したが、ジジイに怒鳴られた。渋々店員食堂を閉め、床につく。
翌朝。店員食堂が騒がしい。顔を洗いがてら、中をのぞけば、目が合ったパティに手招きされる。コックたちが新聞を広げて集まっていた。
《コンコーディアの組織壊滅 英雄の大佐》
息がとまった。昨日は何もなかったはず。なぜ。
「おまえら、ここに行ったんだよな? 泊まったとか言ってたじゃねェか」
周りから質問攻めに遭うも、無視して記事を読み込む。昨日深夜、コンコーディアの密輸組織が壊滅した。採掘物で非合法取引をくり返していた海賊団は、卑劣な手段で人手をかき集め、不当な労働を強いていた。一夜で海賊団を潰し、コンコーディアの街を救ったのは海軍支部大佐。彼に勲章が贈与されることが決まった。
二度読みなおし、新聞を片手に駆けだす。外で海を眺めていたナマエをつかまえ、自室へ引き込んだ。
「てめェ、知っていたのか」
しらを切るか、正直に答えるか。
「何を?」
「この事件をわかっていて、朝早く港を出たのか」
沈黙。まだだ。まだ切り込みが甘い。
「なあ、ナマエ」
新聞を投げ置き、腕をつかむ。どれだけ近づいても抵抗されなかった。髪をほどき、まずは鼻に近づける。ただの、うちのシャンプーのにおい。腕を引き、こちらへ寄せる。髪をかき上げ、露出した首筋に顔を埋めた。なぜ、こんなにも重く鈍いにおいがするのか。
「おまえ、眼鏡をとりにいったあと、すぐに来たんだよな?」
てっきり、三人の空間に入りづらいから、となりの部屋で寝たのかと思っていた。
「カレンがあんなに泣いていたのと、この事件は、なにか関係あるのか」
なぜナマエの肌は血を吸っている。誰を殺した。誰を倒したのだ。
「答えろ!」
胸元を押され、目が合う。無表情。にがくも甘くもない。
「もう全部終わった。カレンもレニーも元の場所に戻れたはずだ。だから──」
「なんでおれにだまって! 勝手に動いた!」
やっと顔がゆがむ。
「おれはそんなに足手まといか!」
そうやって首を横に振っても、理解できるものか。
「ちがう。サンジには、ふたりのそばにいてほしかった。ふたりが飛びださないよう、一緒にいてほしかった」
「だったら、正直にそう言えばいいだろ。おれだけ何も知らなかったのか。カレンちゃんもレニーちゃんも、おまえの行動を知っていたんだろ」
唇を噛みしめ、目を伏せようとする。させるものか。顔を固定し、正面を向かせる。
「だまって勝手に行って、ごめん」
ちがう。謝ってほしいのではない。
「なあ。おれは、そんなに、話せねェ相手なのか」
くやしい。くやしくてたまらない。
「おまえのことを、もっと知りてェって思ったら、ダメなのか」
あらゆる物事を隠されている。ナマエは海軍に手を貸したのか。いや、半年前に海賊百人を倒したときは顔を隠しとおした。今回も秘密裏に動き、処理したのでは。なぜ動ける。どこで生まれ、どこで過ごし、どうやって戦闘技術を磨いたのか。
「カレンちゃんには、今回初めて会ったんだよな?」
ナマエが静かにうなずく。
「レニーちゃんもだな?」
二度目。
「あのふたりには事情を話せて、おれには話せなかった──」
「サンジ、聞いてくれ」
掠れた声。くるしそうに顔をゆがませる。
「おれは。おれは、守りたかった。これからもサンジが安心して買い出しにいけるように、守りたかった」
どういう意味だ。
「コンコーディアに悪い噂があるのは知っていた。だからカタリもコンコーディアを避けていた。面倒ごとに巻き込まれたくなかったから」
では、なぜ今さら。
「コンコーディアのとなりで、おまえが買い出ししているってわかったから。おれは、サンジに安心して料理に専念してほしい。嫌な思いをしてほしくなかった」
「その『嫌な思い』は何だ。なにを勘ぐったんだ」
「カレンとレニーはあの組織の人間だったんだ。労働力になりそうな男を引っかけて、薬を盛ってでも組織へ誘い込む。手首のタトゥーを問い詰めれば、カレンが吐いた」
手首。気づかなかった。
「おれは、サンジがだまされて、密輸に巻き込まれるのが嫌だった。だからカレンを誘った。組織を潰して必ずふたりを助けるから、サンジを監視してほしいって」
BARのカウンターでカレンがナマエに抱きついていた理由。あのときカレンの耳元でナマエがつぶやいたことは。
「カレンもレニーも組織から逃げ出したかった。でも逃げるだけの力がなかった。ふたりも被害者だ」
そうか。あれだけカレンがレニーを大切にしていた裏に、そんなことがあったのか。どっと力が抜け、そばのベッドに腰かける。ナマエは依然、立ったまま。まだ離れてほしくない。
「少し、時間をくれ」
となりのスペースをたたく。ようやくナマエも腰を下ろした。頭のなかを整理する。
「カレンちゃんたちは元の場所に戻ったって言ったな? どこだ」
「港町。ふたりはそこで生まれた。コンコーディアの組織がでかくなってきた一年前に連れ去られたって。それからずっと、ふたりで夜の街を歩いて、男を探していた」
ギリと奥歯をかむ。自分は、なにも気づいてやれなかった。
「おれが買い出しに行ったあと、どうした。ちゃんと二人を送ったんだろうな?」
「カレン、一睡もしていなかったみたいでさ。おまえが出ていったあと、すぐに寝付いた。無理に起こすのも悪いから、もう一泊料金を支払って先に帰ってきた」
カッと頭に血がのぼり、きつく腕をつかんでしまう。
「なんで残らなかった。街の状況も変わって、ふたりは落ち着かねェはずだ。もう少しそばにいてやれただろ」
「おれは深いつながりを持ちたくない。ふたりには自分の存在を忘れてほしい。だから朝一番で港を出たかった」
なぜここまで淡白になれるのだ。理解できない。
「来週、もう一度港町に行くぞ。ふたりの無事を確かめたい」
「行くなら、サンジひとりで──」
「おまえも来い」
両肩をつかみ、こちらを振り向かせる。
「ふたりのためじゃなく、おれのために、来い。それもできねェって言うのか?」
目を丸くする。
「おれが、サンジのために、一緒に?」
「ああ、そうだ。今回おれのために動いたなら、それくらいできるよな?」
すべてが腹立たしいが、どうにか言いきった。今のこいつに一番きくのは、これしかない。
「わかった。ただし、二週間後にしてくれ。予定調整する」
二週間後。日の出前にバラティエを出発したので昼すぎには着いた。前回よりも港に人が多い気がする。近くの住人に「カレン」の名を出して聞けば、すぐに居場所がわかった。
「ナマエ! サンジ!」
まっさきにカレンがナマエに飛びついた。レニーも駆け寄ってくる。ふたりとも、二週間前とはまるで別人だ。セクシーなドレスではなく、泥だらけの作業着。露出など皆無で、髪を無造作に纏め上げ、大きな麦わら帽子をかぶっている。それでも、チャーミングななきぼくろ、ぷっくりした唇は、たしかにカレンとレニーだと証明していた。よかった、元気そうで。
「今日はうちに泊まって」
カレンの誘いをナマエは断る。今日は日帰りだと決めていた。ナマエの出した条件だ。何度も断られるので、カレンの矛先が自分に向けられた。
「ねえ。サンジはいいでしょう? 今度こそ、四人で。ね?」
そんな、甘い吐息を出さないでくれ。レニーも、胸元をこすりつけないでくれ。
「本当に、悪い。どうしても今日は帰らなきゃならねェんだ」
レディの誘いを断るなど、男の恥だ。ナマエの条件など蹴ればよかった。
「サンジはまた買い出しにくる。そのときは歓迎してやってくれ」
ナマエが笑顔でカレンの頭をなでる。しかし彼女は表情をくもらせた。
「ナマエは一緒に来ないの? もう、来ないの?」
ナマエは答えない。沈黙が続き、カレンの瞳がわずかに揺れた。瞬間、ナマエがきつくきつくカレンを抱きしめる。
「約束できない。ごめん」
肩に顔を埋めたカレンは体を震わせていた。見守る自分も拳を強く握りしめてしまう。となりのレニーもつらそうな表情なので、そっと抱きかかえてやる。
「でも、これだけはわかってほしい。おれは、カレンを絶対に忘れない」
頭をなで、耳元でささやき、そっとカレンを離す。ナマエの手から花が現れた。ピンクのカーネーション。花言葉はあなたを忘れない。
「だから、カレン。わらって?」
指でカレンの涙をすくい、カーネーションを差しだす。あふれて一筋だけこぼれたが、そっとカレンの頬がゆるんだ。ナマエに近づき、唇が重なる。ほんの一瞬、ふれた程度。カーネーションを受けとり、レニーへと振り返る。レニーが駆けだした。ふたりは抱き合う。やはりレニーがカレンを抱きとめている。前もそうだった。崩れそうなカレンをレニーが支える。カレンには大切なレニーがいる。きっと大丈夫だ。
「いこう」
ナマエに肩をたたかれ、自分も歩きだす。午後二時。いい風に乗ることができれば、日が沈んだ頃にはバラティエに帰れる。一度も振り返ることなく港町をあとにした。
船を出し、しばらく波に揺られたところで、ナマエに話を振る。これくらいは聞いてもいいだろう。
「おまえ、結局ふたりと遊んだのか。カレンはすぐに寝たって言ってたよな?」
自分が部屋を出た午前四時から、合流する六時まで。二時間あれば、ひととおり遊べたはず。あんなにもカレンがナマエを求めていたのは、もしかして。
「おれはカレンを抱けない。レニーも抱けない」
鋭いまなざし。まっすぐと射抜かれる。
「抱かないんじゃなく、抱けねェんだ」
意味がわからない。そんなに二人と距離を置きたかったのか。
「情を引きずらないためにってことか?」
「それもあるが。おれには、そもそも──」
くしゃりと顔をゆがませる。胸元に手をあて、くるしそうに肩を上下させる。様子がおかしい。
「おい、大丈夫か」
崩れ落ち、膝もついたので、とっさに肩を持つ。どうにか船内へ運んだ。椅子に座らせ、冷たい水を飲ませる。となりで背中をさすりつづけた。
「悪い。本当に、情けない」
「気にするな。少し寝とくか?」
ハンモックを指差す。元々ひとり分しかなかったが、ナマエが買い出しに付いてくるようになってから、ひとつ増設した。
「先に、言わせてくれ」
こちらの腕をつかみ、向かい合わせになる。くるしそうだ。なにか焦っている。
「おれは。おれは」
顔を伏せた。震える拳が痛々しい。もう見ていられない。
「もういい。休め」
抵抗されるが、無理やりハンモックへ投げこむ。額を合わせ、熱がないか確認。途端にナマエがおとなしくなった。
「熱はねェな。とりあえず三十分だ。あとで様子を見にくる」
背を向けるも、腕をつかまれ、もう一度振り返る。そのつらい表情を、どうにか和らげてやりたい。
「話ならいくらでも聞いてやる。おれは逃げも隠れもしねェ。心の準備ができたときでいい。だから、今はおれのために休んでくれ」
頭をなでていれば、そっと目が細くなる。まばたきをくり返し、ようやく瞳が閉じた。いまだ腕をつかんでいる手を、慎重に外す。これでいい。もう一度頭をなで、耳元で聞こえるか聞こえないかの声量で、そっと音にする。
「おやすみ」